私の奴隷にしてあげますよ?
人々に厭われることを、私は恐れません。
ですから、今までの「名君」ができなかったことを、私は平然とやってのけるのです。
一部の人の指示は集められました。
古いやり方にうんざりして、余計なことを撤去して新しい風を吹かせようと考えていたのは、決して私だけではないからです。
そういった人ばかりではありませんから、批判だって鳴り止みませんでした。
つまらないことに縛られて、風習だとか伝統だとか、長年続いてきたからというだけの理由で古さを振りかざして、大きな無駄をなくすことを、執拗に嫌がるのです。
明らかに効率の上がることを知っていながら、頑なに反対するのです。
それは愚かなる信仰であり、信仰してきた自分を否定しないため、また否定されないための自己防衛でしかないことを、私は知っていますから、そいつらに気を遣う必要などないこともまた知っているのです。
私に逆らえる存在などいないのですし、陰口を叩く人がいたとしても、表でだれも言うことなどできないのですから、そんなものは無視をしてしまえばいいのです。
正々堂々と来るまでは、取り合う必要などないことでしょう。
正直、文句ばかりを言っている人などというものは、その人本人には何も達せられない人であるのですから、聞き入れる意味などない言葉たちなのです。
正面から発言することもできないくせして、自分ならできると、できもしないことを誇って内側に籠もるのです。
外側の人を非難して、自分は内側ばかりに籠もっているのです。
力のない人に、力を持とうとしない人に、媚を売って力を付けるなどということはごめんでした。
元より持っている力で十分に満足はできることですから、無理に広げるでもなく、私はやりたいように変えていくのです。
その方がいい、純粋にそう思うから、嫌われようとも押し通していくのです。
古い時代の古い文化は、私が一掃してしまいますから、それでも古さに縋りたいというのなら、勝手にそうしていればいいのですよ。
進んで行く時代を拒んで、時の流れに抗って、そうして時代遅れな地で暮らしたいというのなら、勝手にそうしていればいいのですよ。
私の作る奈良の都では、きっと時代錯誤たちは置いていかれてしまうことでしょう。
そうです。もし私のやり方に不満があるというのなら、この奈良を去ればいい、それだけのことではありませんか。
だれも引き留める人など存在しないのですから。
平等社会が終わった中で、私がトップに立つことは決まりきっていることなのですし、この私に直接で仕えることのできる奴隷にしてやると言っているのですから、喜んでくれてもいいと思うのです。
「お前は奴隷確定なのですよ?」
確定しているのです。お喜びなさいな。