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お題小説

軽やかな舞すらをも許容するそれらは

作者: 水泡歌

 湯船につかっていた右腕をあげると指先からぽたぽたと水滴が落ちてくる。それを丁寧に左の爪にのせると水のマニキュアが出来る。指先からすぐにぽたりと落ちるけれど、そこにあった名残が確かに残り、風呂場の電球にキラキラと輝く。

 私は小学校のプールを思い出す。水泳の自由時間。あの子と私は指先についた水滴を丁寧にお互いの爪にのせた。マニキュアが遠い存在だったあの頃。少し背伸びした気分になって、こんな色はどうだろう、あんな色はどうだろうと様々な色を想像しながらお互いの爪に塗りあった。

 キラキラと太陽で輝く透明なマニキュアをクスクスと笑いながら見ていたあの日。私たちは確かに友達だったのだと思う。

 お風呂からあがってタオルで頭を拭きながらリビングに向かう。クーラーの涼しさに目を細めながら机の上の携帯電話を見るとメッセージが届いていた。

 SNSのグループ。友達たちがいつもの話題で盛り上がっていた。

「マジきもいんですけど」

 そんな言葉と共に本を読んでいる千尋ちひろの写真があげられている。黒髪ショートボブ。こわばった顔で必死に文庫本を見つめている姿。

「せっかく写真撮ってあげてんのにさ。全然こっち見ないの。ふざけてるよね」

「ていうか、いつまで学校くんのかな? 本当消えて欲しいんだけど」

「同じ空気吸ってるのもいやだよね」

 流れていくメッセージ。

有希ゆきもあんなのの隣の席で可哀想だよね」

「有希~」

「さっきから全然反応ないんだけど、無視してんの?」

 私は慌ててメッセージを打つ。

「ごめん、お風呂入ってた。本当、ムカつくよね」

 高校生になった私はかつての友達の悪口を吐く。

 ひとりぼっちにならないために。


 きっかけは携帯電話を持っていないことだった。

 中学生の時は別のクラスで何となく距離をとっていた私は高校に入学して千尋と同じクラスになった。しかも、出席番号の関係から隣の席。

 入学式。教室に入って窓際最後列の席に座った私は隣の席を見てびっくりした。千尋も同じようにびっくりしていた。そうして、嬉しそうに笑ってくれた。

「有希ちゃんだ」

 平和な時間だった。でも、それも短い平和だった。

 教室に集まった生徒たちがまずすることは携帯電話を取り出すことだった。

 SNSやってる? グループ作ろうよ。

 飛び交う言葉は私と千尋のところにもやって来た。

 ゆるくパーマがかかったポニーテール。透き通るような白い肌にそこにいるだけで自然と目を引く華やかさがある美穂。

 ストレートのロングヘア。片側だけ耳にかけてあり、ブランドもののピアスがのぞく梨花。

 ショートヘアに健康的に焼けた肌。にこにこと人の良い笑顔を浮かべる皐月。

 美穂を先頭にして、その3人が私たちのところにやってきた。

 私は当たり前のようにスカートのポケットから携帯電話を取り出した。アプリを起動しようとして千尋を見て異常に気付いた。

 千尋は机の上でぎゅっと掌を握って固まっていた。

「千尋?」

 不思議そうに顔をのぞきこむと千尋は小さく消えそうな声で言った。

「ごめん、私、携帯持ってないんだ……」

 その時の空気の冷たさは今でも忘れられない。

「えー、今時、携帯持ってないなんて珍しいねー。それでよく生きていけるねー」

 にこにこ笑った皐月の言葉をきっかけに笑いが起きていた。美穂は哀れむように笑い、梨花はバカにしたように笑っていた。

 恥ずかしそうに俯く千尋を見ながら私は「ああ……」と思っていた。

 ああ、異なりになってしまう。

 教室という場所は見下すのが大好きなのに。


 お昼休みになると美穂と梨花と皐月の3人がお弁当を持って千尋の机を囲む。

 楽しくおしゃべりするためじゃない。疎外するためだ。

 昨日、家に帰ってからSNSで話していたこと。あげていた自撮り写真のこと。記事の内容。

 自分が知らない話を延々とされるほど苦痛なことはないだろう。

 ねえ、千尋はどう思う?

 意見を聞かれても答えられるはずがない。弱々しく笑って首を傾げるしか出来ない。

 隣の席で話の輪の中に私は入る。

 軌道修正はいくらでも出来た。

 さっきの授業で先生がしていた話について。昨日のTVで千尋が好きな歌手が歌っていたこと。今朝、うちの飼い犬がしていたおかしな行動について。

 千尋が入ってこれる話題はいくらでもあった。

 でも、私はそれをしなかった。する勇気がなかった。

 巻き込まれるのが怖かった。


 行為はどんどんとエスカレートしていった。


 体育の授業から帰ってきたら千尋の制服のリボンがなくなっていた。

 机の上を見た時、さっと青ざめた千尋の顔。

 おろおろしながら周りを見まわしていたら美穂たちが心配した顔で「どうしたの?」ときいてきた。

「あの、制服のリボンが、なくなってて……」

 泣きそうな顔でそう言う千尋に「えー、大変ー」と大げさに驚いて周りを探す美穂たち。

 次は服装に厳しい先生の授業だった。

 結局、リボンは見つからず、そのまま授業を受けることになった。

「どうしてリボンをしていないんだ」

 怒る先生に千尋は小さく震える声で「なくしました」と言った。

 授業が終わった後、美穂がにこにこ笑ってリボンを持ってきた。

「そこに落ちてたよ」と言ってゴミ箱を指差しながら。

 千尋は「ありがとう……」と言ってそれを受け取った。


 授業と授業の間の休み時間に行われる撮影会。

 携帯電話を片手に美穂たちが千尋を囲んで写真を撮る。

「こっち向いてー」「ねえ、笑ってよ」「ピースピース」

 カシャカシャとシャッターをきる音がいくつもいくつも響く。

 千尋はこわばった顔で必死になって文庫本を見つめている。

 撮った写真はその日のSNSにあげられる。

 自分を綺麗に撮る方法を誰よりも知っている彼女たちは醜く撮る方法も知っている。

「ブサイク」「キモイ」「おわってる」

 そんな言葉と一緒にあげられる写真はどれも酷いものだった。


 毎日のように千尋のモノが壊され、汚され、なくなっていく。

 それでも千尋は1日も欠かさず学校に来ていた。

 ある朝、教室に行くと私の机の上に英語の教科書が置かれていた。不思議に思ってひっくり返すとそこには千尋の名前が書かれていた。びっくりして固まっていると美穂たちがやってきた。

「はい、有希の番だよ」

 にっこり笑って両手で可愛く黒いマジックペンを渡してくる美穂。

 綺麗にネイルされた梨花の手がページを開く。

「早く書けよ」

 たくさん「死ね」と書かれたページ。

 皐月が軽いノリで言ってきた。

「書いちゃえ書いちゃえ」

 私はキャップを開けるとゆっくりと書いた。

「死ね」

 きゃははははは。

 耳につく笑い声がする。

 3人は教科書を閉じると千尋の机に戻した。

 1時間目は英語の授業だった。

 私は千尋を見ることが出来なかった。

 ただ、先生に「教科書はどうしたの?」と聞かれて、「忘れました」と絞り出した声で言うのを聞いていた。



 その日の放課後。

 駅に向かって歩いている時に忘れ物に気付いた私は美穂たちを先に帰らせて学校に引き返した。

 扉を開けると窓際の席にぽつんと千尋が座っていた。

 逃げ出したくなった。

 千尋は私を見た。一瞬、怯えた顔をした。でも、私の後ろに美穂たちがいないことに気付くと、

「有希ちゃんだ」

 そう言って、嬉しそうに笑った。

 入学式の時のように。

 たまらない気持ちになった。

 どうして。

 どうして、まだそんな風に、私に笑いかけることが出来るのだろう。

 こんな私に。

 逃げたい気持ちを抑え込み、教室の中に入った。

 千尋に近付いていく。

「何してるの……」

 かすれた声で尋ねると千尋は困ったように苦笑して足を伸ばした。

「靴がね、なくなっちゃって。どうやって帰ろうかなって考えてたんだ」

 捨てられた跡が残る上靴。

 今、千尋のモノで綺麗なものはどれだけあるのだろう。

 私は帰る時、美穂たちが千尋の靴を捨てているのを見た。

「有希ちゃん、友達と仲良くするのってこんなに難しいことだっけ」

 遠くを見ながら千尋は静かに問いかける。

「私ね、たぶん、他のみんなより欲しがる言葉が足りないんだ。学校の教室。帰り道。時々寄り道をしたり、遊びに行ったりする特別があって。そこで顔をあわせて交わす言葉。それだけでいい。それだけで充分なんだ」

 毎日毎日、携帯電話を通してたくさんの言葉が届く。今、何をしてる。何を思ってる。反応が欲しい。共感が欲しい。「今」に投げかけられる言葉たちに溺れそうになる。たくさんのそれらの中で大切なものはどれくらいあるのだろう。

 千尋の机から教科書が取り出される。それは英語の教科書で。

 千尋は言った。

「有希ちゃん、こんな私は生きてていいかな?」

 開いたページは私が「死ね」と書いたページで。

「生きてちゃ迷惑かな?」

 くしゃくしゃに顔を歪めながら泣きじゃくる姿に。

 ――もう、限界だった。

「有希、ちゃん?」

 驚いた千尋の声。

 私は千尋を抱きしめていた。

 巻き込まれたくなくて、ひとりぼっちになりたくなくて。

 ただ千尋が傷つけられるのを見て、ただ千尋の悪口を吐いた。

 でも、本当はずっと言いたかった。

 沈めていた言葉が浮かんで来る。

「生きてていいに決まってる! 生きてていいに決まってるじゃない!」

 どうしてこの子が死ななきゃいけない? どうしてこの子が消えなきゃいけない?

 嫌いになんてなれなかった。見下すなんて出来なかった。私は、私は、

「ねえ、千尋? 友達になろう?」

 ぴくりと腕の中で身体が揺れる。

「もう一度、友達になろう?」

 上げられる顔。「本当に?」と言いかけて、何かに気付いて泣きそうになる。

「やだ、有希ちゃんに迷惑かかる……」

 ああ、もう、こんな時まで他人のことを考える。

 都合の良いこと言うなって。今更何を言ってるんだって罵ってくれてもいいのに。

 あなたにもらったものでまだ返せてないものがある。

「千尋、私、あなたの隣の席になれて嬉しいんだ」

 大きく揺れる千尋の綺麗な目。

「私は弱い。ひとりぼっちは怖い。でも、一緒にいるならあなたがいい」

「でも、私なんて、ブサイクで汚くて、どうしようもない人間で……」

「違う、千尋は可愛くて、優しくて、とても素敵な女の子だよ」

「でも、でも……」

「千尋、ごめんね」

「有希ちゃん……」

「本当にごめんね……」

 泣く資格なんてないと我慢しようと思うのにぽろぽろとこぼれて止まらなかった。

 千尋はぶんぶんと大きく横に首を振った。

 そうして、ぎゅっと私を抱きしめた。

「ありがとう……」

 そう言いながら。


 次の日、私は千尋と待ち合わせをして一緒に学校に行った。

 教室に行くと美穂が私の席に座って待っていた。その周りを梨花と皐月が囲んでいる。隣で千尋がびくりと身体を揺らしたのが分かる。

 美穂が私を睨みながら言った。

「ねえ、昨日、何で返事してくれなかったの? 無視とかあり得ないんだけど」

 家に帰るといつも通り携帯電話に美穂たちからメッセージが届いていた。私は全く返事をしなかった。

 ぐっと拳を握ると1つ息を深く吸って答える。これからの私の決意表明。

「ごめん、私、携帯持ってないんだ」

 美穂の顔が梨花の顔が皐月の顔が驚きに変わった。千尋も驚いた顔をしていた。

「何言ってんの、あんた……」

 美穂が立ち上がる。怒りに歪んだ顔。私はその身体を横に押しのけた。美穂の身体がふらつく。

「そこ私の席だからどいてくれる?」

 冷たく言い放つと美穂の白い肌が面白いほど真っ赤に染まった。

「バカじゃないの……」

 そのまま舌打ちをして去っていく美穂。

「調子に乗ってんじゃねぇぞ、お前」

 梨花が私の机を蹴って後をついていく。

「あーあ、知らないんだー」

 皐月は面白そうににこにこ笑っていた。

 3人が去った後、私は席に座った。

「有希ちゃん……」

 千尋が泣きそうな顔で近付いてくる。

 私は笑った。

 震え始めた手。

 千尋はその手を両手で包み込んでくれた。

 とてもとても温かかった。


 それから、予想通り、私もいじめられることになった。

 でも、黙っていじめられるつもりはなかった。

 制服のリボンがなくなった時。

「リボンはどうしたんだ」と怒る先生に言ってやった。

「誰かに盗まれました」

 盗った人物を特定する証拠はない。

 でも、私がなくした訳じゃない。

 だから私は事実を言った。

「体育から帰ってきたらなくなっていました。きっと誰かに盗まれたんだと思います」

 休み時間の撮影会。

 私たちを撮ってくる3人に笑顔で応えてやった。

 千尋と肩を組んでピースサイン。

 何を俯くことがあるものか。

 醜く撮るなら撮ってみろ。

 悪口にまみれた教科書。

 私はそのまま授業を受けた。

 隠してあげることなんてない。

 これが私の教科書だ。

 そのうちに先生が動き始めた。

 HRの時間にとられたアンケート。生徒から事情を聞き、美穂たち3人が呼び出された。

 それですぐにいじめがなくなるわけじゃない。先生たちはずっと監視できるわけじゃない。

 今日もトイレから帰ってくると私たちのお弁当がゴミ箱に捨てられていた。

 私と千尋はお金を出し合ってパン販で玉子サンドとパックのコーヒー牛乳を買った。

 学校の屋上で向かい合ってお昼ご飯を食べる。最近はずっとここで2人きりで食べていた。

「有希ちゃんは強いね……」

 あむあむとサンドイッチを頬張りながら千尋が呟く。

 私はコーヒー牛乳を飲みながら首を傾げた。

「強い?」

「うん、私はただ俯いて泣きそうになっているだけだったのに有希ちゃんは全然負けない」

「……千尋がいるからでしょ」

 集団行動を求められる教室という小さな箱の中。一人になるのはとても怖い。

 でも、傷ついたなら抱き締めて、悪口を言われたならそれ以上に誉めてくれる人がいる。

 だから、救われる、強くなれる。

 ぽたぽたとパックから水滴が落ちる。私はそれを指にすくうと千尋の右手をとった。

「有希ちゃん?」

 不思議そうな千尋に微笑んで、小指の爪にそっと水滴をのせた。

 すぐに指先からぽたりと落ちて、太陽の下で名残が輝く。

「何色が良い?」

 訊ねると千尋は一つ大きく瞬きをして、思い出したように顔いっぱいに笑った。

 私たちはきっと携帯電話を持つクラスメイトに比べて交わす言葉の数は少ない。

 でも、交わした言葉が表情が時間が私の中に大切に残る。

 さあ、今日は何の話をしようか。何をして笑いあおうか。

 軽やかな舞すらをも許容するそれらが私は愛しく思うのだ。

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