第三話 電話
怒りに息を荒げギリギリと歯ぎしりをするがストーカーの言うことも一理あり喉を潰すような唸るような声で続けた。
「なんなの……今どこにいるのよ?!」
「ましろ~どうしたの~?」
そこへ紅美子が美術室から廊下に出てくる。咄嗟に通話終了ボタンを押してしまいストーカーの声がブツリと途切れる。
「あ、いや、なんでもないよ」
「うっそだ〜電話してたでしょ〜」
なんとかごまかそうとしたが紅美子に即座に図星を突かれ、あからさまにギクリとする。
「ビンゴ! 誰から〜?」
紅美子は嬉しそうに笑い、眞白の顔を覗き込んで返事を待った。
人間関係に余念がない紅美子は眞白だけでなく他の女子衆、男子の交際環境まで把握している。
「お、親からだよ! 仕送りの話」
「うっそだ〜。だったら大声で『質問に答えて』みたいなこと言わないもん」
「うっ……」
ごまかそうと親の話を持ち上げてみるが、あっさり嘘を見抜かれ眞白が真実を口にするまで動く気配はない。
実際、眞白のストーカー被害を知る者はいない。誰にも相談していないのだから。
「えっと…………」
「言いにくいこと?」
眞白が言いにくそうに口ごもっていると紅美子が気を遣ってか微笑みながら続けた。
「もしかして……彼氏と喧嘩しちゃったとか〜?!」
心配そうに、だが目は爛々と輝いて見える紅美子は目に見えてウキウキとしている。眞白はそんな姿の紅美子は知らず、困惑したまま否定も忘れていた。
「彼氏というか……なんというか」
「喧嘩中は彼氏って呼びたくないよね~わか〜」
一人で盛り上がる紅美子に眞白は否定すべきか葛藤し始めた。ここまで気分の良さそうな紅美子は今までに見たことがなく、そんな気分が良くなっている紅美子に水を差すのは無粋でもあると考えた。
「う、うん、まあ……そうだね」
「そうだよね~……でも恋人とは喧嘩は不可欠だし〜……」
眞白が曖昧に肯定したことを聞いてか聞かずか紅美子は自分の世界に浸り、うっとりと独り言を呟く。
「で! 何があったの〜?」
ひとしきり独り言を吐いた後、再度眞白に喧嘩の原因を聞いてくる。
「え、えっと」
「くみっちー? マジ何かあった的な?」
「授業始まるよー?」
紅美子の取り巻きである二人も廊下に出てきてしまい、紅美子はその二人にも眞白の経緯を説明する。
もともと喧嘩ではない……と眞白は思ったものの、その場の雰囲気にそもそも彼氏ではないとも言い出せず。
「えっと……束縛? が酷くて」
「ええー?! 眞白可愛いんだからそんな男となんか別れちゃいなよー」
「マジ絶対すぐ良いヤツ見つかるって!」
紅美子の取り巻きである二人は口々に眞白に畳み掛ける。
なんとか雰囲気を変えようと試みたものの状況は更に悪化してしまった。
眞白が二人に押され気味になっている眞白を見て紅美子は二人を「まあまあ」となだめすかし眞白に近付いた。
「ねえ、私が別れさせてあげようか〜?」
「……っ?!」
仲の良い者同士ならまだしも、普通の女友達が言う言葉ではないことは眞白にもわかった。
まるで悪趣味な昼ドラに近しいそれを感じ眞白は紅美子から一歩離れる。
「えぇ〜? 悪くない話だと思うんだけどな〜」
紅美子の様子に取り巻きの二人が疑問を持った様子はない。紅美子は残念そうに肩をすくめるが声色には諦めた様子はない。
取り巻きの二人も目を細め怪しげに笑っている。
「だって……紅美子には関係ない、し……」
「関係なくないから言ってんじゃん?!」
眞白がボソボソと反論しようとすると紅美子は口を開くことすら許さない勢いで声を張り上げた。
眞白はまたビクリと肩を震わせ驚き後ずさりするが、すぐ扉の横の扉に背中を預けてしまう。
「ね〜……悪くない提案だと思うの〜眞白〜」
普段のキャピキャピとした雰囲気とは似ても似つかないピリピリとした雰囲気をまとった紅美子は、低く唸るように否定を許さない。動物の威嚇のそれに似た声色に眞白の喉仏は縮み上がり声をあげることもできない。
《今日は現代アートの技法について……》
そこへ聞こえてきたのは実習室からの柔らかな女性の声。
美術の授業が始まった合図だった。眞白に残された、たった1隻の助け舟。
「ね、ねぇ授業始まったし……この話は後でも」
「授業なんかいいよ〜。どうせ、あの講師は出欠とらないし〜」
紅美子の顔には既に笑顔はなく、凍てつくような冷え切ったような無表情で抑揚なく眞白を押さえつける。
「そうだよー眞白、眞白はそんなクズ男のものになる必要なんてないよ」
「マジで男は選んだ方がいいし。とりま電話っしょ」
「あっ……ちょっ……!」
紅美子は取り巻きに目配せし、美々子に眞白のスマートフォンを奪わせると非通知に折り返し電話をかけさせた。手を伸ばすも身長のある紅美子と美智恵の一人に羽交い締めにされ動けない。
「返して!!」
「あ〜もしもしィ? ましろっちの彼氏?」
声を張り上げるも美々子は聞き入れる様子はない。
電話口の向こうの人間は、眞白のストーカーであることを知らない取り巻きは、喚く眞白に構わず続ける。
『……、…………』
「とりまァ、ましろっちと別れろってェ」
美々子は電話口から脅しをかける。スマートフォンのスピーカーからは低い声が漏れ聞こえるが、何と言っているかまでは遠いせいかわからない。
『…………、』
「……はァ? マジでイミフなんですけど」
スマートフォンに耳を当てた美々子は顔をしかめ冷たく言い返す。
拘束されたままの眞白は、がっくりと頭を垂れる。これで『本当は嘘をつき彼氏などいない』ことと同時に『ストーカー被害に遭っていた』ことが周知の事実となってしまった。
物静かな眞白として情報網を駆使し尽くしている紅美子に知られることは『平穏な日々と、しばらくオサラバする』ということに他ならなかった。