第一部「統郷」 都倉(2)
アナログゲームのファンが集う店『トーキング・キッズ』は、仲芽黒の雑居ビルにあった。僕は家を出る前に、飛波の用意した台本を何度も頭の中で反芻した。台詞とパフォーマンス、どちらも怪しまれてはいけないというのは至難の業だった。
間口の狭い、築年数がかなりいっていそうな建物に足を踏み入れると、埃っぽい臭いがぷんと臭った。テナント表示をたよりに階段を上がってゆくと、突き当りに立て付けの悪そうなドアが見えた。階段を上り切った僕は、ドアの前でいったん足を止め、深呼吸をした。ドアノブに手をかけるのをためらっていると、背後から声がした。
「野間じゃない。もしかして君もゲームしに来たの?」
振り向くと、見知った顔が立っていた。
「神坂か。……まあね。人から聞いて面白そうだったから、来てみたんだ」
「ふうん」
重そうなダッフルコートに身を包んだ神坂幸人は、僕を値踏みするような目で見た。
「ゲームしそうなイメージじゃないけど、大丈夫かい。ルールも知らなきゃ楽しめないぜ」
「初心者お断りってかい。じゃあ、一番簡単なのを教えてくれよ」
僕は少しむっとしながら言った。幸人は一瞬渋い表情を見せた後、
「すまん、たしかにここは初心者にゲームの楽しさを教える場でもあるよな」
と、態度を改めた。幸人はばつが悪そうな顔のまま、僕の前を通ってドアをくぐった。
僕は出鼻をくじかれた気分になりながら、知っている人間がいたことに、どこかほっとしていた。
幸人の後に続いて中に足を踏み入れた僕は、意外に開放感があることに感心しつつ、周囲を見回した。テーブルが不規則に並べられた店内は、カフェというよりは飲食のできるゲームサロンといった雰囲気だった。
僕は二人掛けのこじんまりした席に腰を落ち着けると、ポケットから折りたたんだメモ用紙を取りだし、そっと広げた。メモ用紙には飛波が描いたターゲットの似顔絵があった。
角ばった顔に度の強そうな眼鏡。気弱そうな表情は飛波から見たイメージだろうか。
似顔絵を眺めながらぼんやりしていると、冬だというのにチューブトップを身につけた女の子がオーダーを取りに現れた。ゲームのキャラクターか何かだろうか、腰回りによくわからない金属をごちゃごちゃとつけている。
「いらっしゃいませ。こちらは初めてですか?」
女の子は、メニューなのかマニュアルなのか、やたらと判型のでかい厚紙を携えていた。
「あ、はい。……知り合いから楽しいお店だと聞いたので」
とてもゲームファンには見えないだろうなと思いながら、僕はおずおずと答えた。
「ではまず、ご利用法を説明いたします。ゲームはレンタルでも持ち込みでも構いませんが、チャージ料金がかかります。レンタルの場合はカタログの中からお選びください」
異世界から来たような格好のくせに、口調がやたらとビジネスライクなのがおかしかった。僕は「友達が来るので、ええと……」と予定通りの答えを口にした。
「しばらく一人遊びをやっていたいんですけど、カードゲームみたいなものはありますか」
「ええと、そうですね……」
店員がカタログに視線を落とした時、入り口のドアが開く音がした。反射的にドアの方を見た僕は、思わず声をあげそうになった。ターゲットの都倉が今、まさに店内に足を踏み入れようとしているところだった。
「これなんかいかがです?ワンプレイ三十分ほどで終わりますよ。一人でも二人でもできますので、初回だけなら私がお相手します。純粋にお一人がいいなら、ソリティアとか……」
女の子の流れるような説明に、僕は半ば上の空でうんうんと相槌を打った。
「それでいいです。お願いします」
「承りました。では次に、ドリンクかフードメニューのオーダーをお願いします」
「ええと……」
僕の視線はテーブルの上に広げられたメニューと、店内をゆっくり移動している都倉との間を忙しなく行き来した。
「ホットココアでいいです」
ろくに顔も見ずに言うと、女の子はメニューを畳んで店の奥へと下がった。
ターゲットはどうやら遊ぶゲームが決まっているらしく、六人がけの大テーブルでゲームに興じているグループの方へ近づいていった。どうやら全員が顔見知りらしく「遅かったな」「急に仕事が入って」などとと言っているのが口の動きでわかった。
僕が店内に入ってきっかり二十分後、今度は飛波が姿を現した。
飛波は最小限の目の動きでターゲットを捉えると、六人がけテーブルのすぐ近くに陣取った。僕はしばし成り行きを静観することにした。
都倉の仲間たちが興じているのは、ボードゲームとカードゲームとを組み合わせたようなゲームだった。それにしても、と僕は思った。アナログゲームと一口に言っても、実に様々なヴァリエーションがあるようだ。店内を見渡しても、普通の玩具店ではお目に描かれないような奇抜な物があちこちに見られた。
ジオラマのようなミニチュア模型で盤面を埋め尽くし、いったいどこにコマやカードを置くのだろうかと思うようなゲームもあれば、わずかなカードとコインのような物だけで、ひたすら相手の出方を伺うゲームもあった。
参加者は皆、一見、おとなしいように見えるが、脳内ではおそらく将棋の対局のような激しい攻防が繰り広げられているのに違いない。
都倉を視野に収めつつ、そこかしこで繰り広げられる戦いを眺めていると、女の子がカードとココアを乗せたトレイを手に、再び現れた。
「お連れ様が早く来られますとゲームが途中になってしまいますから、ごく簡単な物にしましょうか。ソリティアはご存じですか?」
僕はかぶりを振った。知らない、という意思表示だ。女の子は目の前にトランプを広げ始めた。都倉もオーダーを終えたのか、ゲームに興じ始めた。やがて飛波がテーブルにやってきた男性店員と会話を始めた。どうやら順調に行っているようだ。
女の子の説明はわかりやすく、僕はすぐに一人遊びの要領を呑み込んだ。女の子がテーブルから去った後、だんだんとカードゲームにのめりこみ始めた僕の耳に突然、男性店員の「えっ」という声が飛び込んできた。注意していなければ聞き逃すほどの小さな声だったが、僕はそれがミッション開始の合図であると直感した。
「それは……一応、ございますが結構、複雑ですよ。お一人ではできませんし」
「どなたか詳しい店員さんはいらっしゃいますか?もしプレイできなくともルールを覚えて帰りたいんです」
「ええと、一人いますが、ちょっと今、忙しいので……」
「じゃあ、待ってます。ドリンクはホットジンジャーで」
「かしこまりました」
僕の所に来た女の子同様、ゲームキャラクターのような格好をした男性店員は、戸惑いを横顔に貼りつけたまま、キッチンに下がった。飛波は、わざとがっかりしたようなため息をついた。飛波からは見えないが、僕には飛波がゲームの名を口にした時、都倉が一瞬、動きを止めて聞き耳をを立てたのがはっきりと見えた。よし、うまく食いついてくれた。
その後も飛波は、六人がけのテーブルに時折、興味深げな視線を送った。
飛波はターゲットと目が合うと、気恥ずかしそうにさっと視線をそらした。もちろん、わざとターゲットが緊張を解いた瞬間を狙ってまなざしを送っているのだが、向こうからはわからないのだ。
あれで同い年かよ。怖い怖い。僕は飛波の演技力に舌を巻いた。そのまま様子を見ていると、やがて飛波のテーブルに男性店員が戻ってきた。
「あいすみません、やはりご希望のゲームに詳しい従業員は只今、多忙で体が空かないとの事です。基本的なプレイ内容なら私にも多少はわかりますが、それ以上となると……」
男性店員が困ったように次の言葉を探しかけた、その時だった。
「あのう」
いきなり都倉が横合いから声をかけた。よし、来たぞ。僕は事の成り行きを固唾を呑んで見守った。
「もしよかったら、僕がお教えしましょうか?」
「え?……ええと、あの」
「あ、別に怪しいものではありません。ただ『プラネットダークネス』のことを知りたいようだったから、その……僕、詳しいんで、もしよかったら教わって……いや、教えてあげ……ご説明しましょうか?」
都倉は紳士的なところを見せようとして、かえって怪しい雰囲気を醸し出しているようだった。
「あの、お客様さえよろしければ……」
「教えていただければ、私は助かります……でも、いいんですか?ゲームの途中じゃなかったんですか?」
「いや、あの、もう全然いいです。じゃ、こっちの方に……すみません、少し移動してもいいですか?」
都倉は店員が去ったのを確かめると、もそもそと鈍重な動きで飛波のいる席に移動した。
いまのところ、ミッションは順調に達成されているようだ。……さて、問題はどのタイミングで割り込むかだ。僕は深呼吸した。
予定では十分ほど話を聞いた後、飛波が「あの、ちょっと変なこと聞いていいですか?」と切り出す手順になっていた。ターゲットの表情が渋い物になったら僕の出番だ。
笑顔が嫌味にならないよう、表情を工夫していると、気になる言葉が飛び込んできた。
「オンライン?」
さほど大きな声ではなかったが、僕の耳はしっかりと捉えていた。よし、僕の出番だ。
僕はさりげなく席を立つと、都倉から見えづらい角度で飛波の席に近づいた。
「いや、知ってるか知らないかと言えば、そりゃ、知らなくはないけど……」
都倉はしどろもどろだった。禁断のオンラインゲームについて女の子に知識を披露しようかしまいか、あきらかに躊躇していた。
「でもさ、何だって君、そんなに古いゲームの事を知りたがるんだい」
ターゲットが探りをいれてきた。今だ。
「よう、飛波じゃないか」
僕はできるだけ軽薄に聞こえるよう、いつもは使わないようないやらしい口調で言った。
「あ、野間君」
ターゲットがびくりと反応し、僕の方を見た。僕は正直どきどきしていた。飛波を名前で呼ぶのは初めてだった。しかし一応、同級生という設定なのだから仕方がない。
「な……とっ、友達かい?」
突然現れた僕に敵意を向けたものかどうか、都倉が迷っているのがありありとわかった。もしこの子が迷惑がっているようだったら、俺が追い払ってやろう。そう考えているのに違いない。
「クラスメイトです。やっぱりゲームに詳しい男子で」
「ゲームに……」
どのくらいのマニアだろう、という怯えの目で都倉が僕を見るのがわかった。僕は一瞬、ひるんだ。神坂ならまだしも、僕に怯えられても困る。
「飛波もこんなマニアな店に来るんだな。オタクばっかりだぜ、ここ」
僕はできるだけ軽く聞こえるように言った。都倉が眉間に不快気な皺を刻んだのが、見るまでもなくわかった。
「へえ、そうなんだ。そういうお店とは知らなかったな」
無邪気に驚く飛波に都倉は慌てて「違う違う」と訂正して見せた。
「純粋にゲーム好きな人たちが集まる社交場だよ、このお店は」
「どうかな」
僕はここが正念場とばかりに思いっきり嫌味たらしく言った。
「結構いるっていうぞ。博識なのをいいことにナンパ目的で来る客がさ」
どうやら僕の一言が致命打になったらしく、都倉は顔を紅潮させるとやおら激高した。
「失礼なことを言うなよ、君。……中学生か?君は。子供のくせにおかしな勘ぐりはやめろ」
「あ、これはどうもすいません。つい、先入観で。……ところで飛波、プラネットダークネス・オンラインについて知りたいんなら、俺が教えてやれるけど、聞くか?」
「あ、聞きたい」
席を立ちかけた飛波を、慌てて都倉が制した。
「き、聞くなら僕の方が詳しいと思うよ」
「だって、さっきは知っていると言えば知ってるくらいだって……」
「そ、それでもさ、その辺のゲームオタクよりはよっぽど詳しいと思うよ。それにほら、社会人で説明の仕方も慣れてるしさ。そこの中学生君なんか「ゼビオン事件」の前のゲームなんかよく知らないだろ?その点……」
そこまで言って都倉ははっと口を噤んだ。いつの間にか店内が静まり返っていた。調子に乗ってうっかり、危険なキーワードを口にしてしまったことに気づいたのだろう、紅潮していた顔は一瞬で紙のように白くなった。
「い、いや……だから、ようするに昔のこともそれなりに知ってるってことで、色々と興味深い話もしてあげられると思うな」
周囲からの厳しい視線に萎縮したのか、都倉は急に小声になった。
「ふうん。……まあ、飛波次第だけどさ。どうすんの?」
僕が聞くと、飛波は眉を寄せて迷っているようなそぶりを見せた。
「じゃあ、野間君には悪いけど、今日は少しだけ、この人の話を聞こうかな」
飛波がおずおずとそう述べた途端、都倉の目に歓喜の光が溢れた。
「ふうん……まあ、いいや。じゃあ、気をつけろよ」
僕はさして惜しむようなそぶりも見せず、あっさりと引きさがった。
「ぼ、僕でいいのかい?……もし、本当にさっきの話の続きをするんだったら、ここよりももう少し、落ち着ける場所の方がよくはないかな?」
「わかりました。でも私、五時までに帰らないといけないから、遠くへは行けませんよ」
「と、遠くない、遠くない。すぐ近くだよ、うん」
都倉は飛波の気が変わらないうちにと焦っているのか、慌ててジャケットに袖を通し始めた。二人が店を出て行くと、僕はふうっとため息をついた。飛波に指示された役割はここまでだった。一仕事やりとげた安堵感で、僕は椅子にぐったりともたれかかった。
さて、そろそろ、ちょうどいい距離かな。
僕はそれまで着ていたブルゾンを裏返すと、バッグから帽子と眼鏡を取りだした。これで多少の印象は変わるはずだ、僕は自分にそう言い聞かせた。僕はここからオリジナルのミッションを単独で開始するつもりだった。
二人に遅れること一分、僕は店を出た。つまり、二人の後をつけるのだ。
今まで飛波に言われるがままだったが、たまには自分の興味で行動したっていいだろう。
往来に立って左右を見回すと、左手の二区画ほど先に二人の後ろ姿が見えた。どうやら信号待ちをしているようだ。僕はぎりぎり二人が視野に収まる距離を保って歩き始めた。
取り立てて意味のない行動ではあったが、それでも飛波の知らない単独行動を取っていることが無償に楽しかった。
通りには二、三百メートルおきに電話ボックスがあった。かつて「ゼビオン事件」の前、携帯電話の普及によって絶滅寸前にまで追いやられた電話ボックスが、『実存党』の政策によってあっという間に路上に復活を遂げたのだ。
しかしせっかく復活を遂げた電話ボックスは、ガラス戸の内側から何百枚というチラシが貼られ、外から中の様子がうかがえないほどであった。この異様な眺めは仁本中、どこへ行っても見ることができるが、これほどひどい眺めは統郷だけだ。
今や仁本で一番の……いや、世界一のアナログ都市である統郷では、かつてウエブ上に星雲のように渦巻いていた広告群が窓という窓、壁という壁を覆い尽くすチラシにとって変わられているのだった。
電車に乗られちゃうとまずいな。……いや、それよりあいつがどこかのコインパーキングに車を停めてて、そいつに乗り込まれたらアウトだ。
そんな事を考えながら後をつけていると、二人は最寄り駅の方へと向かう角を曲がらずに逆方向へ曲がった。
電車じゃないのか。僕は焦った。
歩調を速め、少し遅れて二人が曲がった角を曲がると、百メートルほど離れたコインパーキングの前で二人が何やら言葉を交わしているのが見えた。
やはり、車か。
歯噛みして、次の行動を思案し始めた、その時だった。二人の前にどこからともなく長身の人物が現れ、声をかけた。人物は黒のロングコートにすっぽりと身を包み、おまけに黒いサングラスをしていた。
人物はまず、都倉に話しかけた。都倉はその言葉を耳にした途端、目を見開き、表情をこわばらせた。やがて都倉は目に悔しそうな表情を浮かべると、その場を立ち去った。
人物と飛波は会話を続けていたが、飛波の表情は険しかった。やがて人物はくるりと踵を返すと、その場を立ち去った。僕は人物が角を曲がるのを待って、飛波に駆け寄った。
「どうしたの?……今の一体、誰?」
息を切らせながら聞いた僕に対し、飛波が向けたのは強い非難の眼差しだった。
「どういうつもり?」
「どういうつもりって……」
「せっかく順調に行きかけてたのに、何で後なんかつけてきたの?」
「いや、ちょっと興味で……」
「何もかもぶち壊しにするつもり?頭おかしいんじゃないの?」
あまりにも一方的な物言いに、さすがに僕もむっとした。
「そこまで言うことないだろ」
「そう思う?」
飛波は急に押し黙ったかと思うと、くるりと僕に背を向けた。そのまま立ち去ろうとする飛波を僕は呼び止めた。
「待てよ。今の黒いコートの人は?」
飛波は足を止め、肩越しに振り返った。まなじりが吊り上がっていた。
「少年課の刑事だって」
「刑事?」
「いきなり『携帯電話とか、持ってないだろうね?』だって。都倉はびくびくしてたけど、私はむかついてしょうがなかった。なんで大事なところで邪魔すんのって」
飛波は忌々しげに唇をかんだ。よほど腹に据えかねたのだろう。
「本当に刑事かな」
「さあ、わかんない。とにかく今日はここまでだわ」
「ミッションはどうするんだよ。この次は?」
再び立ち去ろうとする飛波に、僕は声をかけた。飛波はぴたりと足を止め、振り向くと僕を睨み付けた。
「これ以上、私を不愉快にさせないで!」
飛波は僕に背を向けると、足早に立ち去った。
つまり、こういうことなのだ。怒りでわけがわかんなくなってる女の子って奴は、ぐちゃぐちゃに絡まってる糸みたいなもので、どれか一本だけ、怒りの理由を引っ張り出せと言おうものなら、さらなる怒りをぶつけられかねないのだ。
しょうがない、向こうから何か言ってくるのを待つか。
僕は仕方なく、踵を返すと最寄り駅の方に歩き出した。歩き出して間もなく、僕の目は路上の一点に釘づけになった。
「あいつら……」
百メートルほど先の電話ボックスの扉が開いて、一組の男女が姿を現した。神坂幸人と新牧理名だった。二人は一様に暗い表情を浮かべていた。特に神坂の方はまるで試験にでも落ちたかのようにうなだれていた。
声をかけたものかどうかためらっていると、僕の視線に気づいたのか、神坂がこちらを見た。ほぼ同時に新牧もこちらに顔を向け、二人はぎょっとしたように目を見開いた。
「野間」と神坂の口が動き、僕は立ち尽くしている二人の方に歩いていった。
「よう、面白いところで会うね」
僕が言うと、神坂は「まあね」と気乗りしない口調で応じた。
「遊ぶにはちょっと狭いんじゃないか?この箱」
アナログゲームカフェで馬鹿にされた仕返しにひやかすと、意外にも神坂ではなく、新牧がに僕を睨み付けてきた。
「ちょっと、野間君」
怒りをあらわにした新牧を、神坂が制した。
「待て、けんかしても仕方ない。……野間、ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
あらたまった口調に意表を突かれ、僕は「あ、うん」と応じた。
「さっき『トーキング・キッズ』で会ったな。お前、ゲームに興味があるのか?」
「まあ……多少はな」
「オンライン・ゲームって言うのを聞いたことがあるか?」
「ええと……聞いたことくらいは」
「本当にその程度か?あの店で、お前が『プラネットダークネス・オンライン』っていう言葉を口にするのを聞いたような気がするんだが」
「言ったかなあ、そんな事」
僕はとぼけて見せた。二人の視線が僕に突き刺さった。
「それとお前、最近、白崎先生とよく話してるだろ。あの人、実はPCに詳しいって言う噂があるんだが、聞いたことないか?」
「へえ、そんな噂があるのかい。そいつは初めて聞いたな」
僕はとことん白を切り通そうとした。だが、神坂は執拗に問いを重ねた。
「もし、お前もPCやオンラインゲームに詳しいなら、仁本のどこかにオンライン・ゲームができるカフェがあるって話を聞いたことがあるはずだ。どうだ?」
僕は言葉に詰まった。おそらく『零下二七三』のことだろう。
「そりゃあなんとも危ない噂だな。第一、そんな話に首を突っ込んだりしたら、学校に睨まれるんじゃないか?わざわざ試験前のこの時期に、なぜそんなことに興味を持つ?」
「知りたいんだよ。僕は。わくわくするじゃないか。君もゲーム好きならわかるだろう?」
神坂は熱のこもった口調で言った。実はそこまでゲーム好きではないとは言いづらい。
「そんなお店があるとして、どうやって探す?たぶん、普通のやり方では見つからないぜ」
「お店の場所を知るための方法がいくつかあって、片っ端から試してみたんだよ。とある電話ボックスから、ある番号にかけると、秘密のオンラインゲームショップに通じる、とかな」
「で、どうだったんだい」
大体、答えはわかっていた。電話ボックスから暗い顔をして出てきたことが、すべてだ。
「だめだ。どこにも通じやしない。全部、ガセネタだったよ」
神坂は苦々しい表情になると、絞り出すように言った。
「まあ、そうだろうな。そんなやばい情報が、中学生が聞ける場所においそれと流れるわけがない」
「ああ、そういうことだ。とんだ無駄足だったよ」
神坂は振り返ると、忌々しげに電話ボックスを睨み付けた。
「残念ながら、僕もそのお店の場所とやらはわからないよ。噂の真偽も含めてね」
「そうか。変な事を聞いて悪かったな。……じゃ、また学校で」
神坂と新牧は疲れ切った顔で別れを告げると、僕の傍らをすり抜けて去った。
僕は、思った以上にPCにまつわる噂が広がっていることに愕然とした。
とにかく、飛波に会って暗号の事をどうするか、それだけでも決めなくちゃならない。