第一部「統郷」 美織(6)
僕と奈月は連れ立って、近くのファストフード店に入った。
飛波はファストフード店は落ち着いて話ができないと言っていたが、たしかにあの内容では無理もない。
「ごめんね、つきあわせちゃって」
奈月は、ミルクティーを口に運びながら言った。
「ちょっと誰かと話したくてさ。この頃、友達がみんな冷たくて」
奈月は溜めこんだものを吐き出すかのように、勢い込んで話しだした。僕は頷きながらココアを啜った。聞くだけでいいのなら、いくらでもオーケーだ。
「あのさ、うちのお父さんが言ってたんだけど、昔はカップルでファストフードとか入ったら、男も女も同じように携帯電話を出して、画面を見ながらそれぞれ自分の世界に入ってたんだって。面白いと思わない?」
僕は頷いた。僕も父から同じような話を聞かされたことがあった。
「……で、聞いてほしい話があるんだけど」
奈月はそう前置くと、声を低めて切り出した。
「岡野先生いるでしょ?なんか休職になるみたい」
僕は思わず「えっ」と声を上げていた。岡野先生は僕らのクラスの担任だった。奈月にとってはテニス部の顧問でもある。
「休職って、なんでまた?」
「私も人づてに聞いた話だから詳しくは知らないんだけど、どうやらこっそり自宅でPCを使ってたらしいの。……しかも官公庁だか企業だかの回戦に入りこんでインターネットもやってたみたい」
「まさか」と、僕は声を上げた。岡野先生は体育の教師だけあって、百八十センチを超えるスポーツマンだった。自宅にこもってこっそりPCやネットをしているイメージはない。
「ね、やばいでしょ?下手したらこのまま免職になるかもしれないってうちの親が言ってたけど、あり得るよね。……だって犯罪だもんね」
そうか、犯罪か……奈月の顰められた眉を見て、僕は改めて思った。確かに国家によって禁じられていることをしている職員がいたら、職場としても処分せざるをえないだろう。
僕が美織先生や飛波と話している内容を誰かに聞かれたら、僕も学校を辞めさせられるのだろうか?
「それだけじゃないんだ、実は。岡野先生って、テニス部のPCに興味を持ってる子たちを家に呼んで、操作してるところを見せたりしてたらしいの。私の親友や彼氏も行ってたみたい。これって絶対、やばいよね」
「そんなことまでしてたのか。下手すりゃ生徒も巻き添えじゃん」
僕は自分の事は棚に上げて、岡野先生の軽率さを非難した。
「先生のPC熱がばれたのは、古いPCソフトをこっそり売ろうとしてたのに気づかれたからなんだって。生徒を家に呼んだのもそうだけど、ある時期から箍が外れたみたいに、やることが大胆になってったって」
「何かきっかけでもあったのかな」
「どうも、失恋みたい」
「失恋?岡野先生が?誰に?」
「白崎先生」
「なんだって?」
僕は口をあんぐりさせた。先生同士でそんなさや当てがあったとは。
「男子は知らないかもしれないけど、私たちが一年生の時から岡野先生、白崎先生の事が好きだったみたい。何度もアタックしてたっていう話もあるし」
「本当かよ。で、二人は付き合ってたの?」
「ううん。たぶん白崎先生の方は、一度もオッケーしてないと思う。岡野先生は押せば何とかなると思ってたふしがあるけど、白崎先生の方はまるで興味なかったみたい」
「ふうん。それじゃあ、やけになるのも無理はないかもね」
僕には美織先生が岡野先生のアプローチを断ったわけが理解できた。岡野先生はただ単にPCが好きなだけで、PCを使って何かをしようとしているわけではない。岡野先生よりもはるかに大胆なことを考えている美織先生にとって、隙の多い岡野先生は心強いどころか、危険なことこの上ない存在に違いない。
「でしょ?万が一、岡野先生と一緒になってPCにのめりこんだりしたら、白崎先生も免職になりかねないもの。……でも野間君、最近、よく白崎先生と話してるけど、やばい話じゃないよね?テニス部の子たちもそうだけど、私の周りの人たちに秘密が増えてるみたいで、不安なんだ」
「大丈夫、僕は危ないことはしないよ」
僕は奈月を安心させるため、ついそう口にしていた。
「良かった。これからも時々、相談に乗ってね」
「うん。僕でよければ。でも、どうして僕なの?クラスの男子の中じゃ、頼りにならない方だと思うけど」
「そんなことないよ。野間君、いい意味で誰ともつるまないし、口が堅い感じがするから」
僕ははっとした。美織先生や飛波のような秘密だらけの連中が僕に近寄ってくるのは、もしかしたら僕に打ち明けてすっきりしたいという理由からかもしれない。
……やれやれ、信用してくれるのはいいけど、打ち明けられた方の身にもなってほしい。
僕はすっきりした表情でカップに口をつけている奈月を見ながら思った。
「ところでさ、野間君、北開道って行ったことある?」
「北開道?……行ったことがあるっていうか、小三まで住んでたよ。どうして?」
「実はもしかしたら私、北開道に引っ越すかもしれないんだ」
「ふうん……じゃあ、高校は向こうの学校に行くの?」
「わかんない。もしお父さんが単身赴任で、お母さんと私が残るんだったら、このまま普通にこっちで進学するんだけど」
「遠いよな、北開道は。寒いし」
「うん。でも食べ物とかはちょっと楽しみだったりするんだけどね」
僕はふと、父と母から聞いた昔話を思い出した。もともと母の地元は刹幌で、大学進学のために北海道に来た父と知り会い、父が統郷で就職してからは遠距離恋愛を続けたという。
その際に、連絡を取り会う手段として威力を発揮したのがインターネットだったらしい。毎日、テレビ電話で話をしたというから、今では想像もつかない環境だったのだ。
「実はうちの母さんさ、刹幌の……」
そこまで言いかけた時だった。僕らのテーブルに、人影が近づいてきた。
「よう、なっちゃん。珍しいところで会うね」
「叔父さん」
人影は長身の男性だった。三十歳前後だろうか。スーツをラフに着こなし、大判のブリーフケースを携えていた。
「野間君、紹介するわ。私の叔父さんで、古屋昭さん。ママの一番下の弟」
はじめまして、と男性は言った。急な展開に、僕はとってつけたような挨拶を返した。
「叔父さん、もしかして、仕事の途中?」
「ああ。得意先からの帰りさ。これからもう一つ、打ち合わせがあるんだが、その前にひと仕事していこうと思ってね。ここ、いいかな」
そう言うと、古屋は僕たちの近くのテーブルに陣取った。なんとなく様子を眺めていると、古屋はブリーフケースから大量の書類を取りだし、テーブルの隅に積み上げた。
「見てくれ、この資料の量。ひどいもんだろう?僕が君たちくらいの時にカフェで見かけたビジネスマンは、携帯端末を操作しながらすいすい仕事してたものさ。それがどうだ、いざ自分が大人になって見たら、書類の山に埋もれてひいひい言っている。まったく、昔の光、いまいずこだな」
「なんです、それ?」
「荒れ果てた古城を歌った、古い歌さ。一体いつからこんな世の中になったんだろう」
古屋はひとしきりぼやくと、ボールペンを片手に仕事に取り掛かった。
「古屋さんはもう一度、デジタルの時代が来ればいいと思いますか」
僕は何の気なしに尋ねた。古屋は手を止め、僕らの方を見ると首を傾げた。
「どうだろう。……理系の友達の中には、こっそり古いPCを探してる奴もいるけどね」
「見つかりそうですか」
「さあね。なにしろ、デジタルスピリッツは2036年以来、切らしてるから」
「何です?」
「これも古い歌さ」
ため息交じりに言うと、古屋は再び仕事に戻った。僕たちは話しかけるのをやめて自分たちの会話に戻った。
「……そうそう、叔父さんね、白崎先生の、大学の先輩にあたるんだって」
「えっ、本当かい」
僕は驚いて、仕事中の古屋を盗み見た。たしかに、年齢的にはちょうど合う感じだ。
「まあ、付き合ってたかどうかまではわかんないけどね。なんでも白崎先生は昔からクールな感じで、異性だけじゃなく同性ともあんまりつるまなかったみたい」
ふうん、と僕は相槌を打った。大学でも美織先生は自分の野望を隠していたのだろう。
「……そろそろ、行こうか」
「うん、そうだね」
僕らは仕事に没頭している古屋に小声で挨拶すると、連れ立って店の一階へと降りた。
「あ、そうだ。……野間君、私、弟のお土産にアップルパイ買ってくけど、いいかな」
「うん、いいよ。……じゃ、あっちで待ってるから」
僕はテイクアウト客用の椅子に腰かけ、一階席の方をぼんやり眺めた。目線を店の奥に向けた時、ふとあるテーブルのところで視線が止まった。
「……松倉、あの二人、神坂と新牧じゃないか?」
僕の指摘に、財布をあらためていた奈月は「えっ」と声を上げた。
「どこ?……あっ、本当だ。あの二人って、仲良かったっけ?」
「さあ。教室ではいつもそれぞれ、自分の世界に没頭してる連中だから。そもそもこんなふうに外でお茶するなんてこと自体、意外な感じがする」
自分でも偏見だと思いつつ、僕は正直な感想を述べた。それともボードゲームとイラストというのは、案外、接点があるものなのだろうか。
「そうだね、私もあの二人が付き合ってるって話は聞いたことがないな……それにたしか、新牧さんって、テニス部の柳原くんと付き合ってるっていう噂があるし」
僕は「柳原と?」と思わず聞き返した。柳原悟志といえば、不良っぽい言動で教師たちから目をつけられている生徒だ。
「意外だな。おとなしそうな新牧さんが。……おとなしいから、逆に不良っぽいタイプに惹かれたのかな」
「最初は柳原くんが新牧さんを気にいってアプロ―チしたって話だけど、もしかしたら、彼女も知らない世界を覗いてみたくなったのかもね」
「そういうものかな。……まあ、どうでもいいか。他人の恋愛なんて」
僕が呟くと、奈月がアップルパイを受け取りながら「終わったよ、行こう」と言った。
「一応、声かけてく?」
僕が背後を指で示すと、奈月は「ううん」とかぶりを振り、手をひらひらさせた。
「どうでもいいわ。他人の恋愛なんて」
僕と奈月は、顔を見合わせて笑った。店外に出る前に、僕は何の気なしに奥の二人を振り返った。デートにしては、二人とも妙に深刻な顔をしているのが不思議だった。