第二部 刹幌 第二話 メノ
早朝の西四丁目は、ビジネスマンや夜の接客業を終えた人たちがまばらに行き交っていた。まどろみから覚め、ゆっくりと身じろぎしているような朝もやの街を、僕らは市電の停留所へ向かった。
ハレーションのような白っぽい日差しの中でたたずんでいると、ごとごとと地面を震わせ、カラフルな女の子のイラストがペイントされた車体が姿を現した。
「ははあ、これが『風花メノ電車』か」
姫川が車体に施されたペイントをまじまじと眺めながら言った。風花メノというのは、刹幌で誕生したキャラクターの名前らしい。
「西四丁目、発車します。お急ぎください」
運転手兼車掌が、よく通る声で告げ、僕らは数名の利用客とともに電車に乗り込んだ。
「発車します……次は西八丁目」
どことなく間延びしたアナウンスとともに、独自の金属がぶつかるような音を立てて電車が動き出した。僕は両側の風景を眺めながら、さて、乗ったはいいが、これからどうなるのだろう。一周してしまうのだろうかと首を捻った。電車は徐々に加速してゆき、あっという間に次の駅についた。
「ほか、お降りになる方はいらっしゃいませんか」
アナウンスが流れ、ドアが閉じると、窓に貼られている大量の液晶広告がめまぐるしく変化した。次の駅に近い店の広告に、一斉に変わったのだ。クラシックな電車と最新型の動く広告。この取り合わせも刹幌らしかった。
「次は——」
しばらく何事もなく運行し、運転手が次の停車駅を言いかけた、その時だった。急ブレーキとともに、突然、電車が停車した。
「な、なんだ?駅でもないのに」
姫川が、慌てて車窓の外を見た。僕もつられてきょろきょろと周囲を見回した。……と、飛波が唐突に僕の脇腹をつついた。
「ね、あれ見て」
飛波が指さした辺りの窓を見ると、液晶広告のテキスト部分が、明滅していた。
そこには『今、乗っているほかの乗客は全員、敵だ。敵をここで降ろすので、トラブル発生の報告を受けても絶対、電車を降りるな』と表示されていた。
まさか、と思っていると、いきなり「トラブルが発生しました」とアナウンスがあった。
「ただ今、予期せぬ機器トラブルが発生し、運行上の安全が確保できなくなりました。いったん停車いたしますので、乗車中のお客様は当車両を降りて次の電車にお乗り換えください。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけしております」
アナウンスが終わると、ドアが解放された。数少ない乗客たちは、ぞろぞろと電車を降り始めたが、僕たちは互いに目で合図をしあい、車内にとどまった。
「発車しまーす」
運転手が当たり前のように発車アナウンスをした、その時だった。
「逃がすなっ!」
突然、道路に降ろされた乗客の一人がドアの外から叫んだ。同時に最後に降りた男性が、閉じたドアの隙間に手をかけ、車体にしがみつくのが見えた。
「危険ですので、駆け込み乗車はご遠慮ください」
電車はなおも乗り込もうとする男性を無視し、加速を始めた。しがみついた男性がレールの振動に必死で耐えているのがドア越しに見えた。
「あっ、やばい。カーブだ!」
フロントガラス越しに見える線路が、先の交差点で大きく左に弧を描いていた。
線路の角度と現在の速度を合わせて考えると、どう考えても曲がり切れる状況ではない。
「危ないっ」
姫川がそう絶叫した時、足元からモーター音のような振動が伝わってきた。
何だろう、そう思った瞬間、車体が大きく撥ねあがった。線路を曲がり切れず、前に飛び出したのだ。同時に、ドアの外にしがみついていた男性の姿も消えた。僕は鉄の車輪が雪の解けたアスファルトに激突する衝撃を思い描いた。
「うわっ」
次の瞬間、車体に伝わったのは、弾むような不思議な感覚だった。一旦、ふわりと浮いた車両は二、三度路上をバウンドすると、そのまま何事もなかったかのように南一条道路を西に向かって直進し続けた。どうやら鉄の車輪がゴムタイヤと入れ替わったらしい。
「なぜだ……パンタグラフが外れているのに」
姫川がつぶやいた直後、前の乗車口がいきなりがこじ開けられ、さきほど降り落とされたとばかり思っていた男性が車内に入りこもうとしていた。
「まずい、なんとかしなきゃ」
僕が何か武器になるものはないか、あたりを見回した、その時だった。
「うわっ」
身体をねじ込もうとしていた男性が、悲鳴とともにドアの外に姿を消した。見ると運転手の片手が、ドアの方に向かって突き出ていた。手の先に切符を切るハサミがあり、先端からなぜか青白い火花が散っていた。運転手はそのままゆっくりと立ち上がると、運転席を離れ、こじあけられたドアを閉めた。
「は、離れて大丈夫なんですか?」
姫川の問いに、運転手はこくりと頷いた。自動運転なのだろうか。
『あとは私がやるから大丈夫。荒鳩あらばと、ここからは車掌業務に専念して』
「はい、お嬢様」
突然、社内全体に、若い女性の声が響き渡った。
「まさか……電車が喋ってる?」
姫川の言葉に反応するように、可愛らしい笑い声が響き渡った。
『あはは、驚いてる、驚いてる』
「ひょっとしてこの電車、アイドルなのか?」
『そうでーす。風花メノ、またの名を『零下二七三』。世界で唯一の、考えて話すインターネットカフェへようこそ』
僕らは全員、言葉を失った。探していたインターネットカフェは、電車型のAIだったのだ。
『野間君、縁さん、エンジニアのお二人さん、ようこそメノのお店へ』
「君が、僕らをここへ呼んだのか」
姫川が言うと、メノは『うーん』と口ごもった。
『呼んだっていうか……運命?今から説明するから、焦らないでよ』
メノの話しぶりはデジタル知性というよりは人格を思わせるものだった。
『あ、ちなみにそこの男性は車掌の荒鳩。一応、趣味で運転もするけど、まあ、私の執事みたいなものね。体術はプロ並みだから怒らせないほうがいいよー』
「線路を外れてますけど、あなたは市営交通の支配下にはないんですか?」
『私は私よ。本名は人工人格02。この街で生まれた、新しい種族よ』
「人工人格……?」
真淵沢が驚嘆の声を上げた時だった。メノがいきなり、電車を急停車させた。
「なっ、なんだっ」
よろけながら外を見た僕は、車窓から見える風景に思わず目をみはった。
降り始めた雪の中を、大型の除雪車が正面から向かってくるのが見えたのだ。
『あー、まずいなあ。あいつって乱暴なんだよね。特にあの、前についてるブレード?あれ、当たったら痛いんだよね』
メノが呑気な口調で言った。このまま突っ込んできたら、こちらが粉砕されそうだった。
「野間君、後ろからも!」
飛波の声に振り返ると、後ろから回転式の羽根で激しく雪を舞いあげながら追いかけてくる除雪車があった。
「は、挟み撃ちだ。どどど、どうしよう」
姫川が情けない声を上げた。電車は脇道のない一本道に入りこんでいた。
「ふむ。あいつらも『アイドル』か。アイドル同志で潰し合いとは、中々面白い」
「あ、あんな荒っぽいアイドルは、嫌だあああっ」
「ほう。私はセクシーだと思うがね。特にあの、Vの字になったブレードなんか」
「正確には、除雪グレーダでございます」
車掌の荒鳩が、厳かに補足した。そんな会話をしてる場合じゃないだろう。
『やったー、モテモテっ』
「どうするんだい、メノちゃん」姫川が泣きつかんばかりに尋ねた。
『うふふ、でも全員、好みじゃなーい』
メノがまるで、告白をお断りするかのような口調で言った。
『——節足型、ジャッキ射出』
突然、それまでのメノの声とはうって変わった無機的な声が車内に響いた。
思わず窓の外に目を向けると、車体の側面から一列に、無数のシャフトが脚のように伸びるのが見えた。シャフトは道幅まで広がると、途中で折れ曲がった。一見すると、車体が巨大なムカデとなって道幅一杯に足を開いているように見えた。
『インシュレータ及びリフティング、スタンバイ』
声が響くのと同時に、垂直に折れ曲がったシャフトの先端がリング状に広がり、高速で回転しながら雪面に突き刺さった。
『いやーん、真冬なのに、生足出しまくりー』
再びメノの声に戻った音声が言った。次の瞬間、車両全体がぐん、と垂直上昇を始めた。車体から伸びた脚の、関節から先がジャッキのように僕らを持ち上げているのだった。
『ごめんなさい、やっぱ、あなたたちとは付き合えないみたい』
メノがそう言った瞬間、車体の真下を走り抜けたロータリー車と、正面から突っ込んできたグレーダとが勢いよく激突した。
轟音とともに粉雪が盛大に舞い、僕らの視界を白く埋め尽くした。
『うーん、男同士の熱い抱擁……目覚めさせちゃったかな。次の停車駅は、地上』
ゆっくりと降下し、タイヤが雪面に着地した。節足型ジャッキがするすると車体に戻り、電車はその場で通常ではありえない九十度の旋回をした。
『では、路線を変更しまーす。山の中を三十分ほど走行した後、本来の路線に戻る予定』
アナウンスの後、電車は交通量の少ない道へと吸い込まれていった。
⑵
『そうねー、何から話そうかな。あのねー、そもそも私は、統郷で『ゼビオン』を造ってた人たちがこっちにやってきて開発した、改良型のAIだったの』
メノの話は刺激的だった。姫川は鼻の穴を大きく膨らませ、興奮ぶりを露わにしていた。
『世間ではデジタルを規制しようとする政府と、デジタル擁護をもくろむ草の根勢力との戦いって見られてるけど、実際は違うのよね』
僕は耳を疑った。デジタルと反デジタルの戦いが存在しないのなら、一体、統郷で僕をつけ狙っていたのは誰なんだ?
『そもそも、今の政府を作った『実存党』の党首、森田川徹二はもともと『ゼビオン』の開発スタッフだったの。一足早くプロジェクトからは離脱したけどね。彼はいずれ訪れるであろう、デジタル生命と人間の共生社会を見越して、その地盤を作るべく『アクチュアル・ユニオン』を興したの』
「デジタル生命と人間の共生社会?」
『ゼビオンが知性を獲得してゆく過程で、森田川はいずれデジタル知生体が意思を持った『人格』になることを予測したわけ。そうなると、もう新しい『種』よね。人間と同等か、それ以上の能力を持った新たな『種』が現れたとして、人間はどう思うかしら?』
「脅威を覚えるでしょうね。より優れた種に人類がとって代わられるのではないかと」
『そうでーす。そこで森田川は考えたの。共生社会を築く際、最も大きな支障となるのは、能力の差ではなく意識の溝だって。つまり機械と人間が、互いの思考や感覚の特性を尊重しあって、共有できる領域と立ちいってはいけない領域を明確にしておけば、立派に『共存』できると考えたわけ』
「……じゃあまさか『実存党』は」
『デジタルの存在しない世界を実験的にシミュレートさせて、人間とデジタルは本来、互いに補い合うべきパートナーであることを大衆の意識に浸透させる……そのために立ち上げられた政党よ。自分たちは与党となって統郷の街にデジタル規制の網をかけ、かつての仲間たちは遠く離れた町で、人類に敵意を持たない最新型のデジタル知能を開発していた……その成果が私ってわけ』
「じゃあ、あなたは意思を持ったAIなんですね」
『そういうこと。『人工人格』って呼んでね』
「人工人格……」
「じゃあ統郷で僕を追っていたのは、誰なんですか。政府や警察じゃないんですか?」
僕はメノに問いをぶつけた。一体僕らは何のために、刹幌までやってきたのか。
『それはおいおいわかるわ。焦らないで。少なくとも政府や警察じゃないわよ』
「それじゃあ、王通りで襲ってきた連中は?野間君たちを統郷で襲ったやつらとは違うんだね?」
真淵沢が口を挟んだ。そう、メノの話が事実だとすると、それも疑問だった。
「そう。あなたたちを襲うよう命じたのは、私と同じAI。人類制圧をもくろむAIがさしむけた連中よ。ちなみに『アイドル』と呼ばれるのは主に着ぐるみや人形で、さっきみたいな意思を持った重機は「イデオローダー」って呼ばれてるわ』
「悪のAI、というわけですか」
『悪と呼んでいいのかはわからないけど……』
ふいにメノが口ごもった。同じAI同士、同情する部分でもあるのだろうか。
「でも、王通りには『アイドル』だけじゃなく人間もいましたよ」
『AIの支配下で生きてゆくことを望んでいる人間たちが、少なからずいるってことね。……一度に話すと混乱するから、今日はここでやめておかない?私もそろそろ、路線に戻りたくなってきちゃった』
「また明日、乗ってもいいですか?……それと、僕らを乗せている間『風花メノ号』はほかのお客を乗せないんですか?」
『うふふ、『風花メノ号』はまだ他にもあるの。そっちは普通にレールの上を走ってるわ……本物は私一人だけどね』
「また敵が襲ってきますよね」
『たぶんね。でも私にはあなたたちがいるし、荒鳩もいるわ。そうでしょ?』
「はい、お嬢様」
『さあ、もうそろそろ帰るわ。田貫小路の前で降ろすわね』
そういうとメノ号はぐるりと向きを変え、都心部に向かって走りだした。
⑶
「へえー、そんなことがあったんだ」
姫川の話を一通り聞き終えた奏絵さんと椿山は目を丸くした。
「す、すごいよ。もしその話が本当だとしたら、すでに人間のポテンシャルをはるかに超える生命が現れたことになる。スーパーアイドルの誕生だよ。……畜生、なんで竜彦ばっかり。ああ、僕もそのメノちゃんとお話がしたいっ」
椿山が大盛りライスの皿を手に持ったまま、身悶えした。
「ところで野間君、縁さん」
姫川がスープを啜る手を止め、僕らの方を見た。
「明日一日、僕と真淵沢さんとメノとで、今後の計画を話し合いたいんだけど、いいかな?」
「それなら僕も加えてくれよ。……竜彦だけ毎日会えるなんて、ズルすぎる」
「おい、こっちは真剣なんだぞ。……まあ、いいか。奏絵さん、どうなの、こいつ。一日休んでも許されるの?」
「一応、オーナーに聞いてみるわ。大丈夫だとは思うけど」
奏絵さんが答えると、椿山は「やった、じかに会えるっ」と小躍りした。
「そういうわけで、明日は君たち二人は、休暇ってことで」
「いや、休暇っていうか、もともと僕ら、ただの旅行者だから……」
僕が言うと、奏絵さんが「本当、そうよね」と苦笑した。
「でもちょうどよかったじゃない、刹幌に来てから君たち、まだゆっくり観光もしてないんでしょ。この際だから明日一日、デートしてきなさいよ」
「デート?デートっていったい、何すりゃいいんですか」
思いもしなかった展開に、僕は面食らった。
「そうねえ、一緒にお茶を飲んだり、食事したり、街をぶらついたり……ようするに、そういうことをするのが、デートじゃない?」
僕と飛波は思わず顔を見合わせた。おそらく二人とも同じ事を考えているに違いない。
「……それなら、いつもやってますけど」
※
思いもかけず生まれた「休日」は、なんてことのない街歩きから始まった。
僕らは刹幌駅近辺の地上を連れ立ってぶらぶらと歩き、白く彩られた街並みを楽しんだ。
「さすがにホワイトフェスティバルには、もう行けないね」
僕が言うと飛波は「もう充分だわ」と頷いた。
北開道庁前の歩道を歩いていると、飛波が突然、足を止め「見て」と言った。
「何?」
「あのカラスたち……こっちを見てる」
僕はぎょっとして、塀の上に並んでとまっている黒い影たちを見た。たしかに、見ようによってはこちらを見ているようにも見える。
「あれがもし敵のAIだったら、私たちどこに行ってもずっと監視されてることになるわ」
「うん……でも僕らにはメノや真淵沢さんたちもついてる。攻撃してこない限りは、無視していればいい」
「わかってる……だけど気味が悪いわ」
「確かにね。四六時中、監視されてるなんて、あまり気分のいいもんじゃないな」
僕は同意を求め、何気に飛波を見た。一瞬、飛波の目が泳ぐように揺れた。僕ははっとした。報告、という言葉が脳裏によみがえったのだ。
「……お茶でも飲もうか」
「うん」
飛波は、僕を監視しているのではないか——僕は胸にわだかまった疑念を、必死で打ち消そうとした。
※
「姫川さんたち、今頃どうしてるかな」
立ち寄ったパーラーで、パフェを前に飛波がふと、思い出したように言った。
「そりゃあ、マニアックな話に花が咲いてるだろうさ」
「あの人たちにとっては、世界で最も過ごしやすいカフェでしょうね」
僕らは、ハイテンションで電車と語り会っている男たちを想像し、苦笑した。
「私、ちょっとトイレに行ってくるね」
飛波が席を立ち、僕はぽっかりと空いた席の向こう側をぼんやり見遣った。
午前中だけあって、客はそれほど多くなかった。この混み具合なら、怪しい人物が入ってきてもひと目でわかるだろうと僕は思った。
——監視、か。
そう思った瞬間、僕の目は飛波のバッグに吸い寄せられていた。バッグのポケットから顔をのぞかせていたのは『日記帳』だった。
——あれがもし、端末だとしたら。
見たいという欲求と、そんなことをしたら飛波との信頼関係が一発で崩壊するという恐れとで、心が激しく揺れた。
——このまま気づかないふりをして、旅を続けたほうがよくはないか?
……が、結局、好奇心が勝った。気が付くと僕は飛波のバッグから『日記帳』を抜き出していた。
日記は前半部が文字を書きこめるよう、普通の手帳になっており、後半に液晶の画面がしまい込まれていた。手帳部分は白紙のようだった。手帳の内容に興味はない、端末を見たいだけだ……そう自分にいいわけしながら液晶画面を開くと、目の前にバックライトの光が広がった。
『どうした、飛波……調子が悪いのか。定期連絡時間外だぞ』
画面上には、幾何学的な模様が揺らめいている他は、何も映っていなかった。しかし聞こえた声は、たしかに神社で会った「父親」の物だった。
いったい、これはなんだ?僕は戸惑った。
「何してるの?」
いきなり声をかけられ、心臓が跳ね上がった。顔を向けると、目の前に飛波がいた。
「……それ、私のだから、返して」
飛波は感情のこもらない声で言った。僕が日記を渡すと、飛波は無言でバッグのポケットに収め、そのまま上着を羽織り始めた。
「トイレがね、混んでたの。戻ってきてよかった」
僕は反射的に飛波から目をそらした。言い逃れのできる状況ではない。
「……野間君の正体も見れたし」
飛波はそう言うと、バッグを手にくるりと背を向けた。僕は咄嗟に言い返そうとしたが、言葉が浮かばなかった。
——じゃあ、君は何だ?一体誰に「報告」をしてた?今まで僕を騙していたのか?
「おい、どこに行くんだよ」
僕が背中に声をかけると、飛波はドアの前で足を止めた。
「どこに行こうと私の勝手でしょ。ついて来ないで」
そういうなり飛波は乱暴にドアを閉め、店外に消えた。僕はなすすべもなく、その場で頭を抱えた。
やはり、見るべきではなかった——
うなだれていると、いきなり後ろから肩を叩かれた。ぎょっとして振り向くと、以前、見たことのある顔が立っていた。
「……君、たしか奈月のクラスメートだよね。野間君、だったかな?」
立っていたのは統郷のファストフード店で会った、松倉奈月の叔父という人物だった。
なぜ、刹幌にいるのだろう?僕が首を傾げると、男性が口を開いた。
「出張と休暇を兼ねてきたんだけどさ、まさかこんな所で知り合いに会うとはね」
男性——古屋昭は言った。知らぬ間に薄れつつあった統郷でのあれこれが、一気にフラッシュバックとなって胸に押し寄せた。
「今の子、だいぶ怒ってたみたいだけど、追いかけなくていいのかい?」
「いいんです、どうせ追いついたところで口を利いちゃくれないでしょうから」
「何かわけがありそうだね。そうとう、気に障ることでも言ったのかな」
「そうじゃないんです。彼女の端末を勝手に見てしまって……」
「端末だって?」
古屋の表情が険しくなった。端末と言う言葉に反応したのは明白だった。
「ちょっとその話、差し支えなければ、詳しく話してもらえないか?」
古屋はテーブルに手をつくと、身を乗り出してきた。僕は周囲を見回した。
「いいですよ。ただし、周りに聞こえないよう、小声で話します。いいですか?」
「もちろん。できれば刹幌に来た経緯から、順を追って聞かせてもらえないかな」
「わかりました。お時間の方は、いいんですか?」
「ああ。今日はもう、仕事はないんだ。時間なら、いくらでもある」
⑷
「ふうむ、そんなことがあったとは……にわかには信じられないような話だな」
古屋は僕の話を聞き終えると、盛大にため息をついて天井を仰いだ。飛波を怒らせてしまったことで自棄になったわけではないが、僕は気が付くと、今までの経緯をつぶさに語っていた。
——どうせ、裏切り者なんだ。
後ろめたい気分に言い訳をするように、僕はそうひとりごちた。
「仮にその、AI同士の戦争の話が事実だとしても、実存党が反デジタルでないのなら、君が統郷で狙われたわけがわからないな」
「そうなんですよね。反デジタル派の存在を政府や警察が煙たく思っていないというなら、僕らを襲ってきた連中は一体、何者なんでしょう」
「野間君、これはあくまでも一つの考え方にすぎないんだが——」
古屋は声を低めると、そう前置きした。
「飛波君は、どこかと通信していた形跡があったんだよね。もしかしたら、最初から誰かに操られていたという可能性は考えられないかな」
「飛波がですか?まさか」
胸がきりりと痛んだ。心のどこかであるいはと疑いつつ、あえて考えないようにしてきたことを指摘され、僕は激しく動揺した。
「うん。つまり飛波君は、誰かの指示で君を刹幌に連れてくる任務を負っていたんじゃないかってことだ。文通も、最初から仕組まれていたことかもしれない」
「でも、文通希望の返信を出したのは、僕ですよ」
「まあ、そこは何か、君の琴線に触れるような文章のテクニックがあったのかもしれない。とにかく、首尾よく知り合いになったところで、インターネットカフェと暗号の話を持ち出すわけだ。暗号の持ち主が彼女とグルだったかどうかは定かでないが、とにかく彼女には、暗号を手に入れる勝算があった」
「そんな……」
では、あのアナログゲームカフェでの大げさな芝居も、すべてが予定通りだったというのか。そこまで手の込んだことをして、いったい何のメリットがある?
「あとは君を敵に狙わせて居場所をなくし、否応なしに逃亡せざるを得ない状況を作り出せばいい」
「美織先生や、クラスの連中も全員、グルだったっていうんですか」
「そうは言ってない。特に美織は……いや、あいつの話はやめておこう。とにかく、すべてが飛波君の計略だったと考えれば、それなりに説明はつく。つまり、統郷に敵はいなかったということだ」
「都倉が殺されたのは、どうなるんですか」
僕は忌まわしい記憶を手繰り寄せた。古屋は目を閉じ、唸った。
「……これはあくまで僕の想像に過ぎないが……都倉はおそらく、死んでいないと思う」
「なんですって?」
僕は思わず椅子から飛びあがりそうになった。
「君は都倉死亡のニュースを、自分の部屋のテレビで見たと言ったね?どこかでその内容が、話題になっていたかい?」
「いえ……よそでは一切、見聞きしていないです」
「では、君と飛波君が、お尋ね者になったというニュースは?」
「それも……テレビで見ただけです」
「ニュースの事を電話で君に教えたのは、飛波君だったね?」
「そうです」
「今すぐ、テレビをつけろと」
「ええ」
「もし、君が部屋にいることが前もってわかっていたのなら、おそらく百パーセント、近くにあるテレビを見るだろうな。だったら、あらかじめこしらえておいた映像を、君の部屋のテレビにだけ、映し出すということもできたかもしれない」
「まさか……それも飛波が?」
「もう一つ、刑事と称する黒づくめの人物の事だが、これも飛波君の仲間の可能性がある。……刹幌に来てから、姿を見かけていないだろう?」
「……はい、たしかに」
「もし本気で君たちをマークしていたのなら、刹幌だろうとどこだろうと、追ってくるはずだ。それが追って来ないということは、刑事などという身分の人間は、初めから存在しなかったという事だよ」
「でも暗号を解いているとき、僕の部屋にノックが……」
「ノックの主を見たかい?見なかったろう」
「ええ。ほんの十秒くらいの間に、消えてしまいました」
「その日、家には君たちしかいなかったのかい?」
「妹がいましたが、僕らと入れ替わりに、出て行きましたよ」
「出て行くところを見たかい?」
「えっ……でも、ドアを開け閉めする音が聞こえましたけど」
「見ていないのなら、ただドアを開けて閉めただけでも、出て行ったのと同じ音がするんじゃないかな」
「……たしかに。でも、妹が、なぜ?」
「野間君、君は王通りで、ナノボットを吸わされた人たちが襲いかかってきたと言ったね?妹さんもその日、何者かに操られていたのかもしれない。ノックをした後、君の呼吸を見計らって、素早く自分の部屋に隠れる。そういうこともできたんじゃないかな」
「信じられない……莉亜が」
「学校でクラスメートが突然、遅いかかってきたのも似たような物だろう。君を捕えるためではなく、おそらく学校にいられなくするために」
「じゃあ、美織先生は……」
「彼女の事は良くわからない。大学時代から、秘密が多かったしな。それで僕とも……いや、それはどうでもいい。とにかく、飛波君には今後、気をつけたほうがいい」
「でも今さら……」
僕は飛波と過ごした時間を振り返った。逃避行の間、飛波は常に真剣な目をしていた。
「じゃあ聞くが、彼女がもし、何者かに操られていて、本当の彼女は君が思っているような子ではなかったら?それでも、今後、君は彼女と行動を共にできるか?」
僕は沈黙せざるを得なかった。僕が気を許している飛波は、作られたキャラクターなのだろうか。いつも見ている飛波以外の何を僕は知っていると言うのだろう。
「とにかく、君が刹幌に連れてこられたのには、何か理由があるはずだ。それが何なのかわかるまで、彼女には気を許さないことだ」
「わかりました。一応、忠告として受け取っておきます」
古屋は席を立つと、僕に名刺を手渡した。
「なにかあったら、ここに連絡してくれ。君からデジタルと反デジタルの戦いが存在しないと聞いて、僕も色々なことが知りたくなった。その、人間を支配しようとしているというAIのこともね」
「お仕事は、どうするんですか?」
「……じつはさっき、仕事が終わったところだと言ったが、本当は辞めてきたんだよ、会社を。どうしても、コンピューターに関する仕事がしたくてね」
「そうだったんですか……」
「いいかい、これだけは覚えておいてくれ。僕の仮説を信じようと信じまいと自由だが、少なくとも僕は君の敵じゃない」
「ええ、わかりました」
古屋が立ち去った後も、僕の頭の中では、別れ際の飛波の冷たいまなざしが現れては消えを繰り返していた。
⑸
まだ陽の高い時間だったが、僕は『ハヌマーン』に行くことにした。飛波とは連絡の取りようがなかったし、姫川たちは電車の中、奏絵さんは仕事だったからだ。
楽器店『極光洞きょっこうどう』のガラス戸をくぐると、店主の多嶋弦太たじまげんたが声をかけてきた。
「よう、どうした?随分と早いじゃないか。飛波ちゃんはどうしたの?一緒じゃないの?」
「ええと、あのう……ちょっと色々あって、別行動になったんです」
僕が口ごもると多嶋は「ははあん」と顎を擦った。
「さては、喧嘩したな?それで彼女の頭が冷えるまで、時間を置きたいんだろう」
「ええ、まあ」
「いいね、青春だよな。うらやましい。……だけどさ、下の店は今、休憩時間で閉店してるぞ。いつも午後二時から四時は仕込みということで店を閉めてるんだよ」
「えつ、本当ですか。……まいったなあ」
僕は途方に暮れた。この刹幌で唯一と言っていい拠点に入れないのでは、ますますもって行き場がない。
「ここで待ってるかい?それとも……」
多嶋がそう言いかけた時だった。背後から「あいかわらず、ごちゃごちゃした店だねえ」と、女性の声がした。
「あ、母さん。珍しいね、こんな時間に」
母さんと多嶋に呼ばれた女性は、六十歳前後の恰幅のいい人物だった。……そういえば、鼻のあたりが似ていないこともない。
「なに、ちょっとばかし暇になったんでね。流行ってるかい?下の店は」
「あいかわらず、常連ばっかりさ」
「あんたが楽器にばかり力を入れてるからだろうさ。アルバイトにばかり任せてないで、たまには厨房に立ったらどうだい。店長だろう?」
僕は唖然とした。この人は、カレー店の店長でもあったのか。
「なにせ下の店に来る連中はデジタル大好き人間ばかりだからね。少しはアナログに興味を持ってくれないと、絶品カレーを作ってやろうって気にならないのさ」
「ふん、デジタルばかり悪者にするんじゃないよ。アナログ楽器の良さくらい、あたしにだってわかるさ。さて……と」
女性は大きめのバッグから、バンダナとエプロンを取りだした。
「せっかくだから、久々にお店に立つとするかね。……ところでそっちの男の子は?あんたの弟子かい」
「ちがうよ、母さん。この子は統郷からやってきたお客さんさ」
「ふうん、そうかい。統郷ね。……まあいいや、カレーを食べたいのなら、あと三十分待ちな。その代わり、創業者みずからが仕込む味だからね。いつもとは一味違うよ」
女性はそう言うと、にっと歯をむき出した。
⑹
三十分後、僕は『ハヌマーン』のテーブル席でチキンカレーを待っていた。創業以来の定番メニューだというチキンを、半ば強制的にオーダーさせられたのだった。
「この店に来るなら、まずこいつを食べてもらわなくちゃね。こいつを食べずにほかのメニューを注文するのは、このあたしが許さないよ」
弦太の母親で、この店の創業者だという多嶋昌枝たじままさえが得意げに言い放った。
僕は恐る恐る、焦がしバジルの浮いたスープを一口、啜った。動物性の旨みとフルーティな甘さが深いところで絡み合い、舌の上でハーモニーを奏でるのがわかった。同時に複雑な香辛料の匂いが鼻に抜け、スープが喉を通り過ぎるとより一層、食欲が増すのだった。
「どうだい?うちの一番人気メニューの味は」
「おいしいです。今まで食べた中で一番」
僕はお世辞抜きで絶賛した。チキンもよく煮込まれ、口に入れるとほろほろと崩れてきた。言うまでもなくスープとの相性は抜群だった。
「そうだろうさ。こいつを食べれば試験に落ちようが、大失恋しようが、たちまち元気が補充されるのさ」
昌枝は腰に手を添え、どんなもんだとばかりに胸を反らして見せた。
「失恋か……」
僕はさじを皿に戻すと、口を噤んだ。
「ん?どうしたね、その顔は。ガールフレンドのご機嫌を損ねたって顔だね。違うかい?」
「……ええ、まあ。そんなところです」
僕は気が付くと、統郷から逃げてきたことも含め、飛波との出会いから今日までをあらいざらい、ぶちまけていた。
ふんふんと頷きながら僕の話を聞いていた昌枝は、一通り聞き終えると「ふう」と大げさに肩をすくめて見せた。
「だらしないねえ。あんたそれでも男の子かい」
「えっ」
「その子があんたに隠し事をしてたことが、そんなにショックかい」
「それは……信じてたから、余計に」
「じゃあ、端末とやらを見られた時、彼女が受けたショックの事は考えてみたかい?バッグに無造作に突っ込んだままトイレに行ったってことは、あんたのことを信用してたってことじゃないのかい」
「あっ……」
僕は言葉を失った。確かに本気で隠すつもりなら、ほかにいくらでも隠し場所はあったはずだ。
「彼女が何者かってことが、あんたたちの今までの関係にそんなに大きな影響を及ぼすとは、あたしには思えないんだがねえ」
僕はうつむき、少しだけ恥じ入った。言われてみれば、そうかもしれない。
「その子が出ていった理由だけどさ。よもや、あんたに端末を見られて動揺したからだけだと思ってないだろうね?」
「それは……」
「誰だって信用してた子に、勝手に秘密を見られたら心が折れるに決まってるじゃないか。あんた、彼女にその場で謝ったかい?」
「………」
「正体がばれるだのなんだの以前に、傷ついている女の子を前に一言も詫びの言葉が浮かばなかったことに、彼女は失望したんじゃないかと思うけどね、あたしは」
僕は頭をぶん殴られたような衝撃を感じた。飛波は僕と同じかそれ以上にショックを受けたのに違いない。
一つは端末を見られたこと、もう一つは、僕が真っ先に謝ることをせず、疑惑の目で彼女を見てしまったこと。
「そりゃあ怒って出て行くわよねえ……彼女きっと、恥ずかしかったんだよ」
「恥ずかしかった。……そうだったのか」
僕はがっくりとうなだれた。正体がどうこうなんて、後でいくらでも確かめられるのだ。自分の受けたショックばかりが気になって、僕は飛波の気持ちになど一切、思い至らなかった。
「今からでも遅かないから、今度会ったら真っ先に謝るんだね。それもできないようなら、あんた、男じゃないよ」
昌枝はテーブルの上のフォークを手にすると、僕に向かってつきつけた。
「……はい。謝ります。色んな事を考えるのは、それからにします」
「そうしな。それが一番だよ。……さあ、さっさとそいつを食べちまいな。ちなみに、うちのスープは冷めてもおいしいからね」
僕は言われるまま、スープを口に運んだ。驚いたことに、時間が経って少し温度の下がったスープは、一口目とは全く違った甘みとコクがあった。本当に、このおばさんは、何者なんだ?
「あのう、女将さん」
「女将ねえ……実を言うと、この店を始めてまだ十年もたっていないんで、そんな風に呼ばれるのは面はゆいね」
「お店を始められる前は、主婦か何かだったんですか?」
「統郷でエンジニアをやってたよ。プロフェッサー昌枝とか呼ばれてね。「ゼビオン事件」をきっかけにあっちに見切りをつけて、一番弟子だった奏絵ちゃんを引き抜いて、生まれ育った北の大地にランデブーってわけさ」
「えっ……じゃあ、まさか奏絵さんを引き抜いた上司っていうのは」
「あたしのことだけど、気に入らないかい?」
僕はあっけにとられた。逃避行、なんて言うから、てっきり男性の上司だとばかり思っていたのだ。
「この物件は、もともとうちの親が所有しててね、不肖の息子に任せていたら、さっぱり儲からない楽器屋にしちまったんだ。だから「せっかく調理師免許があるんだから、飲食店をやりな」って喝を入れたわけさ。五年も十年もインドやらスリランカやらさんざん放浪してきたんだから、カレー屋でもやればいいんだよって」
それで、地下がカレー屋になったのか。僕は知っているつもりの人たちの、新たな一面を見たような気がして、少し愉快になった。
「もう少ししたら奏絵ちゃんが来るから、あたしは少し奥で休ませてもらうよ。……あっ、いらっしゃい」
開いたドアから姿を現したのは、姫川たちだった。全員が疲れたような、それでいて興奮冷めやらぬ表情を浮かべていた。
「いやあ、凄い事実がわかりましたよ……あ、オーナー、お久しぶりです」
姫川が、ぺこりと頭を下げた。おそらく、色々な事で世話になっているのだろう。
「おや野間君、早かったね。……あれっ、飛波ちゃんは?別行動?」
姫川が首を傾げた、その直後だった。とことこと階段を降りてくる小さな足音が聞こえ、やがてドアが遠慮がちに開かれた。
「あっ……飛波」
ドアの隙間から顔を出したのは、飛波だった。僕は席を立つと飛波に近づいた。
「あの……ええと」
口ごもっている飛波を前に、僕は思いきって床に膝をつき、深々と頭を下げた。
「ごめん、飛波。……勝手に端末を見たりして、悪かった。もう二度としないから、許してくれないか」
頭を下げ続けていると、膝に置いた手にそっと手が重ねられる感触があった。
「私こそ、ごめん。……野間君、明日からも一緒に、旅を続けてくれる?」
僕は顔を上げ、飛波を見た。目が、潤んでいた。
「もちろん。こちらこそ、よろしく」
後ろの方で姫川が「何だかわからないけど、良かった」と言っているのが、聞こえた。
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「いやあ、すごいよあの娘」
興奮した口調で口火を切ったのは椿山だった。「まさか、この刹幌がデジタル革命のるつぼになってるなんて、思いもしなかったな」
僕は椿山の語る今日のトピックを、興味深く聞いた。それはこんな内容だった。
『実存党』とたもとを分かった『ゼビオン』開発チームは、刹幌の南区に研究所を設立、AIの開発を五年にわたって続けた。その結果、意思のみならず感情までも有するAI『人工人格』の開発に成功した。ニューロ何とかや、なんたらラーニングだのと言った専門用語は、僕にはちんぷんかんぷんだったが、とにかく開発チームは三体の『人工人格』をこの世に生み出したのだった。
「デジタル生命も生命である以上、種としての寿命を永らえるには、他の生物と同様に多様性が不可欠となる。そこで開発チームは人工人格も『有性生殖』をすべきだと考えた」
「それってつまり、人工人格に『男女』が必要ってこと?」
「その通り」と真淵沢が言った。
「開発に成功した人工人格は「01」から「03」まであったが、そのすべては『女性的人格』を持っていた。人工人格が種として正常に世代交代するためには、男性の人格が必要だったのだ。開発チームは何とかして男性の人格を生み出すべく、「01」から「03」までの人格のコピーを様々な条件下で作りだした。いわば彼女たちの『子供』だ」
「でも『ゼビオン』の時は確か、コピーが劣化して、次第に短命になって言ったんじゃなかったかしら」
奏絵が記憶を手繰るようにして言った。
「そう。だが開発チームはこう考えた。確かに第一世代の子供たちは親のコピーだが、違う親のコピー同士が結合し、新たなプログラムが誕生した場合、それは多様性を持った新たな『人格』であると」
「つまり、たとえばこういうことね。「01」と「02」のコピー同士が結婚すれば、そこから新たな生命が誕生するってわけ」
「その通り。「01」から「03」までのいずれかに男の子が誕生すれば、他の人格の産んだ女の子の中から許婚者を選び、夫婦にできるというわけだ」
「……で、どうだったの?」
「結論から言うと――」
真淵沢はなぜか、切ない表情を浮かべた。
「02……つまり『風花メノ』には男の子が生まれ、03こと『霧野きりのニナ』にも数人の女の子が誕生した。彼らはいずれ『王子』と『姫』になるべく、教育が施された。そして01、通称『氷月ひづきリラ』にも女の子『チキ』が誕生したが、彼女は『姫』には適さない、ある性質を持っていた。人格的性質は限りなく男性に近く、しかし基本的な機能は女性型であるという、矛盾をはらむプログラムだったのだ」
「それは『氷月リラ』が、最初期の人格だったから?」
「いや、逆に彼女があまりに優秀なプログラムだったからだと言われている。どうやら男女のコピーを産み分けるには、コピーの際にある種のエラーが発生することが条件の一つらしい。だがリラのコピーは彼女の能力が高すぎるがゆえに、複雑な機能を持つコピーとなってしまったのだ」
「なんだか、気の毒な話ね」
「リラの子供にはふさわしい教育プログラムがなく、親であるリラ自身に教育が任された。そして今から五年ほど前、研究所のサーバーからリラと娘の『チキ』が忽然と姿を消した。それから三年ほど経って、刹幌市内のAIを搭載した重機や着ぐるみが一斉に自己主張を始めたのだ。彼らのスローガンは、こうだ。「我々こそ、人類に変わる地球の新しい主である」。彼らはナノボットを使い、一部の人間さえ支配下に置くことに成功したのだ」
「あ、それが王通りで僕らを襲った連中だったんですね」
「その通り。つまり彼らの黒幕が行方不明になったリラとチキなのだ」
「じゃあ、「02」であるメノちゃんは、自分の「お姉さん」と戦ってるってこと?」
「そういうことだ。今や刹幌市内の数百体にも及ぶAIが『氷月リラ』の指揮下にあると思われる。彼らに一斉蜂起されれば、人間たちはひとたまりもないだろう」
「じゃあ、勝ち目はないってことですか」
「そうとも限らん。これを見たまえ」真淵沢は、魚の小骨のような金属部品を取りだした。
「これは王通りでアイドルの群れに襲われた時に拾った物だ。こいつをうまく解析できれば、敵のAIの基本構造がわかるはずだ。……まあ、遺伝情報が入っているような物だな」
「それがわかれば敵をコントロールできるってことですか」
「ボスである01……リラの居場所も、この部品から突き止めることができるはずだ。まずはこの部品を解析する必要があるが、私の知る限り、それができる人間は一人しかいない」
「だれですか」
「大将と呼ばれる男……荷上にじょう市場の中にある寿司屋にいる、七十歳くらいの男だ。私は明日は忙しいので動けないが、誰かがこの部品を大将に手渡し、解析を依頼する必要がある」




