第一部「統郷」 美織(1)
中学生の「僕」がまだ幼かった頃。そんなほんの少し昔の時代に、今とはまるで違った「社会」があった。
誰もが自由にPCを操り、ネットと携帯電話が日常と密接に結びついていた、夢のような社会が。
だがある時、唐突にそれらの時代は終了してしまった。いったい、なにがあったのか。真相を知る手掛かりは隠され、調べる行為すら禁じられた現在。
ひょんなことから「国内でただ一軒、営業しているネットカフェが存在する」という噂を知った「僕」は、噂について調べる「仲間」を集めようと、密かに呼びかけを始める。
だが、そんな「僕」の行動は考えていた以上の「危険」を呼び寄せることになる……
パキン、と何かがはじける音がした。
「あっ」
僕はパズルのパーツをはめる手を止め、声の主を見た。
「踏んじゃった……ごめん」
机のすぐ横で、クラスメイトの松倉奈月が立ち尽くしていた。僕は奈月の足元を見た。そっと持ち上げられた靴の下から現れたのは、粉砕されたパズルのパーツだった。
「いいよ。どうせ学校の備品だし、こんな小さい奴、落ちてたら踏んづけるに決まってる」
「でも、これで完成しなくなっちゃったね」
奈月は小声で言うと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。僕が手掛けていたアクリルパズルは、八割方組み上がっていた。
「まあね。完成するに越したことはないけど……僕も「クリエイト」の時間は本気で取り組んでないしさ。成績や内申書ともたぶん、関係ないだろうから別にいいよ」
僕はわざと放り出すような口調で言った。半分は奈月の気持ちを軽くするため、半分は日頃から思っていることだった。
「でも一応、先生に言ったほうがいいね」
奈月は粉々になったパーツを拾い集め、チリ紙に包んでそっと机の端に置いた。
「一応ね。……僕から報告しておくから、気にしなくていいよ」
「本当、ごめん」
奈月は何度か振り返りながら、自分の席に戻った。僕は足りなくなったパーツの存在を無視して、パズルを組み続けた。数分後、完成したパズルは一応、車の形をしていた。
「結構、ちゃんとしてるじゃん」
僕はボディの上端をつまんで、車を持ち上げた。次の瞬間、手でつかんでいる部分を残し、下半分が綺麗に崩れ落ちた。
「形あるもの、いつかは……か」
パーツが散らばった音で、教室中の視線が僕に向けられていた。僕は無表情を保ちつつ、散らばったパーツを片付けた。すべてのパーツを収めた後、チリ紙に包まれた破片を箱に押し込んで蓋をした。
「ここまでで四十分か……ちょうどいい時間だな」
僕は誰に言うともなく、呟いた。教室には、十名ほどの生徒がいた。数学と理科でトップクラスの成績を誇る神坂幸人は、机を二つ繋げた上に、でかい紙の板を広げている。ボードゲームとか言うやつだ。
紙には緻密なイラストが描かれ、その上にすごろくのような長細いマス目がうねっている。机の余ったスペースにはプラスチックでできた原色の小さなコマと、厚紙でできたカードががびっしりと並べられており、その様子はまるで小さな王国のようだった。
彼はこの「クリエイト」の時間を最も有効に使っている生徒の一人だろう。
もう一人、目立つのは巨大なイラストボードに色鉛筆で絵を描いている女子だ。
新牧理名という、歴史と文学にやたら詳しい奴だ。友人が極端に少なく、普段はまるで幽霊のように目立たない存在だ。この「クリエイト」のおかげで一目置かれるようになりつつあるが、本人は一目置かれようが置かれまいが、どうでもいい感じだ。
何かを作れ、というのがこの時間の趣旨であり、早い話が一種の自学自習だ。ほかの連中は木工をしたり手芸をしたりと、あちこちの小教室に散らばっている。
中には創作活動にあまり興味を示さないものもいるが、そういう連中はこっそりマンガを読んだりトランプをしたりしているようだ。
先生もそんな実態を知っていて、その上であまりうるさいことを言わない。モンブなんとか省の要請で週にひとコマ、こう言った時間を設けなければいけないのだそうだが実際のところ、先生たちもどう指導すればよいかわからず、もてあましているというのが現実だ。
僕もどちらかというとクリエイトにはなじめないほうで、クラスメイトの緻密なイラストを見ても、プロの作品かと思うような手芸を見ても、いっこうに感動がわいてこない。
アクリルパズルを箱に収め終えた僕は、残りの十分足らずをノークリエイト、つまりぼんやりすることで過ごすことにした。実際、何も作らなくてよいのなら、これはこれで有意義な時間だ。僕は机に頬杖をつくと、とりとめない空想にふけり始めた。
あと少しでチャイムが鳴るな、と頭の片隅で思いかけた、その時だった。
教室の後ろの戸が開き、クラスメイトの一人が顔を出した。
「おまえ、何か落とし物、しなかったか?」
「落とし物?」
「白崎先生がお前を探してたぜ。なんか、お前が落とした物を預かってるって」
僕は首を捻った。何かがなくなったという記憶がなかったからだ。しかも、担任でもない先生がなぜ、僕の落とし物を預かっているのだろう。
「わかった、休み時間になったら聞きに行ってみる」
僕はそう答えると、席を立った。同時に、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。