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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
壺入り娘・幕羅家編
9/76

〈エピローグ〉

 目覚まし時計のけたたましい音に起こされて、セットなんてしたかなと思いながら止めようとし、そこで気付く。

 時計の背に、三本の長い針が上を向いて固定されていた。勢いに任せてばしんと止めようとすれば、手が串刺しって寸法だ。

「…………隙あらば僕にトラップを仕掛けるなよ」

 昨日あまり相手をしてやれなかったから、それで腹を立てているのかも知れないが。

 寝室を出て、途中の洗面所で歯を磨き顔を洗ってから、リビングルームへ。

 無花果は安楽椅子に腰掛けて紅茶を飲みながら、僕が昨日一日で書き上げた原稿に目を通していた。純白の、前降まえふりゆいのドレスに身を包んでいる。殺される際に血で汚れないよう、強引に風呂に入らせて着替えさせていたくらいだから、よほど気に入ったらしいけれど、清廉潔白なんて無縁の邪悪な無花果には前降維子の鴉みたいなドレスの方がお似合いじゃないだろうか。まぁ、あのままでは丈が合わないか。

 僕が珈琲を淹れて一口啜ったところで、無花果は原稿を読み終えたらしく、雑な仕草でそれをテーブルの上に放った。原稿は『甘施無花果の探偵流儀5―壺入り娘・幕羅家編―』――一昨日の前降家での事件を小説にしたものだ(小説内では前降を幕羅に変えた。話の前振り。話の枕)。

「どうかな」

 近くのソファーに腰掛けて感想を訊いてみる。無花果は「はっ」と鼻で笑った。

「そうだろうとは思ってましたが、死体を壺に入れたのは〈これ〉をやるためだったのですね」

 教えずとも当然、無花果は前降唯の死体を壺に入れたのが僕だとは知っていた。

「たしかに死体が胸にナイフを刺されているだけで五体満足だったなら、私のでっち上げ推理がそれしか有り得ない真実として固定されますね」

 そう、小説内の記述に則れば、前降唯の死体を壺に入れる方法はない。よって無花果の荒唐無稽な被害者双子説は唯一絶対の解答となる。

 だが実際はなんてことはない、僕は前降唯の死体を壺の口を通るサイズに切り分けたのだ。死体を発見した僕の取った行動がそれだった。壺を運んできて、死体をバラバラにして収める。それから掃除と着替え。二十二時頃まで掛かってしまったのはご愛嬌だ。皆には死体を見て吐いてしまったので掃除と着替えをしていたのだと説明したが――小説にもそう書いた――、僕が刺殺死体を見て気分を悪くするなんて有り得ないので、これはちょっと苦しい云い訳だったかも知れない。

 とはいえ、無花果はともかくとして前降家の人々にとっては、僕が死体を発見した時刻が分からないために、時間経過はそれほどおかしく映らなかっただろう。前降唯を殺害した後は、ひたすらリビングルームでびくびく固まっていた彼らである。

「それにしても、いつにもまして卑怯じゃありませんか。私の推理にまで手を加えて」

「うーん、バラバラ死体だということを隠しつつ、明言しないままに五体満足の死体と誤認させる叙述トリックめいた真似もできたんだけど、それじゃあ詰まらないだろ? 不可能犯罪だと強調した方がお前の推理が映える」

 ミステリマニアの桜野ならアンフェアだ何だと怒るかも知れないけれど、無花果は違う。案の定、彼女はにやりと嗜虐的な笑みを浮かべ、

「もちろんです。この悪趣味なアンフェアこそ、私の好む趣向です」

 良かった。無花果をたのしませること。それが僕の役割なのだ。彼女のお気に召したなら、今回の仕事は大成功だったと云える。



 当たり前だが、無花果が語った推理は全部嘘っぱちだ。

 赤子を壺の中に入れて十年以上育てるだなんて、ファンタジーの世界である。

 前降唯はただの哀れな被害者。

 彼女に双子の姉だか妹だかがいたというのも、峯斎の変態的な趣味も総じて虚構。

 前降家の秘密というのが何だったのか、僕達はまったく知らない。

 そもそも知ろうと思っていなかった。中途半端に突っ込んで事情を知ってしまっては、でっち上げがしにくくなる。進んで自由度を低めるような愚かな真似、するわけがない。

 まぁきっと、想像も絶するような巨大で恐ろしい秘密だったんだろう。金に困ってはいない前降家なのだから遺産云々なんてありきたりな動機ではなかったはずだし、部外者では垣間見ることさえ許されない深い闇がそこにはあったに違いない。やっぱり興味はないが。

 それはともかく、無花果は第二の殺人を起こさせるように仕向けた。そうしないとやりようがなかったからだ。峯斎を殺したのが誓慈、維子、けい、釧路の四人だとは分かりきっていたけれど、あの事件だけでは〈遊び〉の部分が少なすぎたし、さすがにハッタリ推理を構築しようにも素材が足りない。

 本人がそれを危惧して僕達に依頼してきたとおり、次に殺されるのが唯なのは分かっていた。そこで無花果は彼女がひとりになる時間をつくった。人の気配を完璧に察知できる無花果は内緒話を聞かれないようにするだけでなく、わざと聞かせることもできる。風呂から上がった唯との会話を、誰か――おそらくあの静かなる使用人・釧路だろう――がちゃんと盗み聞きしているのを、無花果は分かってやっていた。

 夕食の席で無花果が述べた、事件を今日中に解決するという宣言。これは強引な手段を使ってでも早急に決着をつけるという意味に捉えられる。誓慈達は焦った。彼らは不安に思っていたのだ――前降家の秘密がバレるのではないか。唯が無花果にすべて話してしまうのではないか。いや、唯にそのつもりがなくとも、早期決着の宣言がされた以上、無花果はどんな手を使ってでもそれを聞き出そうとするに違いない。それだけは避けなければならない――と、こんな感じか。そこで唯が少しの間ひとりになると知れば、彼女の殺害を決行するのはあまりに明白。実際、その通りになった。

 実行犯が誰だったのかは分からない。彼らは全員がグルだったのだし、誰でも同じだろう。大事なのは、きっと彼らは一ヵ所で固まっていたと証言すること。身内同士の証言がアリバイとしての意味を持たないとは云っても、それをされれば僕達にその嘘を証明する手立てはない。

 なので端から、彼らのうちの誰かを犯人として指摘するつもりはなかった。かと云って、いきずりの強盗が犯人だなんて興醒めな推理も有り得ない。もっと劇的で、意表を突くハッタリが必要となる。

 ここで無花果の語り部であり助手、すなわち僕の出番だ。

 無花果が推理を構築できるように、足りない素材を提供する役割。

 強盗をはじめとした外部犯が駄目で、誓慈、維子、啓、釧路のグル連中が駄目となれば、残るは唯しかいない。だが唯は殺されてしまった。それでも唯を犯人にしようとすれば、自然、一卵性双生児の隠し子という発想が生まれる。さらに、峯斎が後生大事にしていたという門外不出の家宝――あの壺は使えると思った。

 僕は小説化の際に面白い改竄かいざんをしてやろうということも念頭に置きつつ――名探偵の推理をもっともらしく装わせるのも語り部の基本だ――、唯の死体をバラバラにして壺に収めた。こういった場合に備え、道具は常に持ち歩いている。

 そして無花果はその意図を汲み取り、僕が用意した手掛かりから推理を組み立てた。打ち合わせなんて詰まらない真似はしていない。阿吽あうんの呼吸。連携プレー。すっかり慣れた手際てぎわである。

 死体が刻まれて壺に入れられているのを見たときの、誓慈達の混乱っぷりは見ものだった。まったく心当たりがない犯行。さぞかし意味が分からなかっただろう。怖くなっただろう。だが、それを訴えることは自らが殺人犯だと自白することを意味する。殺した人間とバラバラにして壺に入れた人間が別だと知るのは、犯人だけだ。よって彼らは黙っているしかなかった。

 小説ではあんな感じに書いたけれど、実際の誓慈達は終始ビビリまくっていた。唯が錠をかけてしまったことで、峯斎の殺された状況が不可解なものになってしまったという計算外。さらにそこに、高名な探偵の登場とくれば無理もない。彼らは追い詰められていた。危ない橋を渡って唯を殺害したのも小心がゆえだ。

 だから無花果によって予期せぬスケープゴートが生まれ、それにすべての罪を被せられるとなって、彼らはそのでっち上げ推理を嬉々として受け入れた。これで不安から、恐怖から解放される――そんな彼らの心理は想像するにあまりある。

 また、ここで認めなければ大変なことになると恐れたのもひとつ確実にあるだろう。国内屈指の名探偵を敵に回して事態が大きくなれば、自分達の秘密が露見するかも知れない。無花果が述べた『貴様らが事態の穏便な終結を望むなら、取れる手はひとつしかありません』とは、そういう意味だった。

 結果、無花果は口止め料めいた報酬と、さらにおまけのドレス一着を手にして事件を解決した。本来なら手も足も出ないはずの事件、相手の方が圧倒的な優位に立っていたというのに、何とも面白い逆転である。無花果の前ではいつもそうなってしまうのだ。



「しかし、これはボツ原稿ですね」

 無花果は煙草に火を点けるのに擦ったマッチを、そのまま原稿に放った。硝子製のテーブルの上で、パチパチと燃えていく紙の束。

 どうせ処分するつもりだったので、別に構わなかった。無花果が愉しんだのなら、もうその原稿は役目を終えている。今回の内容は出版できるようなそれではない。無花果と僕の性質上、他人に見せて差し障りのない小説が出来上がることはまれなのだ。『甘施無花果の探偵流儀5』は次の機会に譲ろう。

 一時の娯楽。今回の事件は充分にそれを提供してくれた。犠牲になったあれこれには、無花果の代わりに僕が内心で感謝を述べておくとして、

 その時、ジリリリリと電話が鳴った。

 新たな仕事の依頼らしい。

 もっとも、無花果に仕事という意識はないだろう。安楽椅子の上で悠然と微笑む彼女。

 探偵。

 殺人事件、哀れな被害者や愚かな殺人犯を玩具として遊戯し、それで金銭を貰って生活する――まったく良いご身分である。





【壺入り娘・幕羅家編】終。

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