9、10「Wretched World」
9
「簡単な話です」と無花果は口火を切った。
誓慈さんは軽佻浮薄に、維子さんは半信半疑に、ケイくんは嫌味に、釧路さんはただジッと、彼女の謎解きに耳を澄ませる。
「死体をその壺に入れる方法はありません。これは絶対です。とすると、その身体が壺に入れられたのは、その身体が壺の口を通るサイズのとき――赤子のころであったと考えるほかありません。赤子は壺の中で育てられ、そうして壺への出入りが不可能な大きさとなったのです。それを犯人は殺害しました。壺の口から手を入れて、胸にナイフを刺したのです。
ですが幕羅ユイは、壺の中になんか入れられていませんでした。ここから、その壺の中の死体は幕羅ユイではないと結論されます。双子――一卵性双生児でしょう。そうなると〈唯〉という名前はいかにも作為的で、何とも笑わせますね」
誓慈さん、維子さん、ケイくんが各々浮かべていた表情が消え、一律、唖然とするそれで固まった。僕も似たような顔をしているに違いないが、彼らにはただの衝撃ではない狼狽が滲んでいた。
「犯人は幕羅ユイです。彼女は自分をずっと捕えていた幕羅峯斎を殺害し、此処から逃げ出すことを目的としていました。その際に、姉だか妹だか、その壺の中の双子を殺して身代わりとし、幕羅家の娘・幕羅ユイとしての自己から解放されることをも望んだのです。自らを社会的に抹殺し、いちから人生を始める。そうすれば、幕羅家が〈死人〉の行方を捜索する必要もなくなります。
壺の中の名も知れぬ彼女は、社会的に存在しないはずの人間なのでしょう。幕羅ユイに双子がいるという記録はどこにもなく、その存在はずっと秘匿されてきました。これが幕羅家の秘密なのです。ゆえにその死体は、幕羅ユイとして処理されるしかない。
箱入り娘ならぬ、壺入り娘ですね。それが幕羅峯斎の趣味でした。孫娘を壺の中で育て、愛で、観賞することを悦楽とする性癖。まるでボトルプランツです。壺の中しか知らない憐れな少女。その中で食べ、排泄し、眠る。〈飼育〉は幕羅峯斎が手ずからやっていたのか、あるいは幕羅ユイの仕事だったのでしょう。壺の中の娘というより幕羅峯斎のために小まめな〈洗浄〉は行われ、衛生面には気を配られていたと思われますが、いずれにせよ、人間扱いからは程遠い。その娘に人権はありませんでした。
幕羅ユイも同じく、幕羅峯斎の玩具だったのでしょう。彼女は壺の中にいる娘ではできないことを担当していました。たとえば幕羅峯斎の世話、その他奉仕――壺に入った娘ではセックスはできません。この部屋や幕羅ユイの身なりを見るに、暮らしそのものは恵まれていたようですが、幕羅峯斎の〈溺愛〉の実態がこれら表面上のものから測れない異常なそれであったのは間違いないのです」
その話を聞きながら、僕はユイちゃんが正統な幕羅家の人間ではないかもと疑ったのを思い出す。記録上がどうなっているかは分からないし、きっと分からないようになっているのだろうが、もしかして彼女は養子だったんじゃないか? 幕羅峯斎が自分の玩具とするために、息子一家に取らせた養子。身寄りのない双子の赤子。どちらも峯斎の所有物であり、片方はお気に入りの壺に入れられた……。
「幕羅ユイが私に依頼状を送ったのは、貴様ら家族への復讐のためです。貴様らは彼女と壺入り娘が受けている仕打ちを知りながら、それを救おうとしなかった。幕羅峯斎に意見することができず、その秘密――一族の汚点が外に漏れないよう黙っていた。
なので幕羅ユイは、最優先される目的が幕羅家からの解放である以上、深い詮索がされないように警察に向けては強盗殺人を装う一方で、邸宅を密室状態にすることであえて不可解な点をつくり、私へ依頼するための口実をつくったのです。強盗殺人を思わせる現場状況と内部の貴様らを陥れるための密室状態――この矛盾は依頼人・幕羅ユイが犯人である場合のみ、犯人の意図したものとして矛盾でなくなるのです。
もっとも、幕羅ユイは本気で貴様らに罪を被せようと考えていたわけではありません。いま述べたように、最終的には単なる強盗殺人として処理されなければ、秘密が明るみになり、自分が追われる身になってしまいます。彼女は貴様らを――この事件では幕羅ユイが幕羅家から解放されると共に、貴様らも幕羅ユイら双子の秘密から解放されますが――楽に解放させたくなかったのです。彼女は私という探偵のある種〈容赦のないやり方〉を知っていたのでしょう。そこで、私からの追及を受けて、疑いを晴らしたいのに秘密を喋るわけにはいかない貴様らを、その板挟みで苦しめようとしたのです。
しかし、彼女はただ一点、私の能力を見誤りました。私は完全無欠です。私を都合良く利用できる人間はこの世界にひとりも存在しません。よって、すべての企みも秘密もこうして私に暴かれました」
人々は茫然自失し、一言も発せないでいた。彼らがまとっていた余裕も自信も不敵さも嫌味さも、さっぱり取り払われてしまっていた。
「幕羅ユイは既に逃げています。それでも今から追えば捕まえられますが、貴様らはそれを望まないでしょう。では『犯人の捕獲』は依頼内容から外れ、これを以て私は事件を解決したことになるのが道理ですが、認めますね?」
誰も、答えを返せずにいる。すると無花果は続けて、
「私は夕食の席で、幕羅ユイに媚薬を盛りました。この壺の中の死体を司法解剖すれば、しかし媚薬が検出されないことが発覚するでしょう。警察に顔が利くのは貴様らだけではありません。私が名実ともに日本一優秀な探偵であることをお忘れなく。事ここに至ってなおも貴様らが事態の穏便な終結を望むなら、すなわち幕羅家の汚点が明るみになるのを防ぎたいなら、取れる手はひとつしかありません」
「認めます…………」
誓慈さんが、掠れた声でそう云った。維子さんは床に膝を着いた。ケイくんは唇を噛み、俯いた。釧路さんは微動だにしなかった。壺の中の裸の死体もまた、物云わない。永久に。
無花果はこくりと頷いて立ち上がり、僕に命じた。
「壮太、帰りますよ。こんな場所で眠るのは不快です。報酬は小切手として受け取り、すぐに車を出しなさい」
僕も何だか脱力してしまって、幕羅家の人々と共にしばらく途方に暮れていたい心境だったけれど、拒否権はなかった。
時計を見れば、二十二時十五分。
甘施無花果の完全勝利だった。
10
車を走らせ山を下りながら、僕はぼんやり考える。
無花果は一体、いつから真相に気が付いていたのだろうか。
人の気配を完璧に察知できると云う彼女。ならばあの壺を初めて見たとき、彼女は中に人がいることを知ったはずである。
しかしあのときにそれを指摘し、幕羅ユイを犯人として糾弾してしまったら、報酬は手に入らなかったんじゃないだろうか?
後に証拠として活用できるよう、媚薬を盛ったこと。その後で彼女がひとりになる時間をつくり、壺の中の姉だか妹だかを殺して逃げる隙を与えたこと。幕羅ユイからの個人的な依頼をいつからか幕羅維子からの挑戦にすり替えていたこと。
…………訊ねてみる気はない。当の無花果は、後部座席で静かに寝息を立てている。彼女の眠りを妨げれば、どんなお仕置きをされるか分かったものではない。
どうせ今回の事件、すべての真相は闇に葬られるのだ。無花果が言外に提示し、幕羅家の人々が受け入れた取引はそういうことだった。事件は強盗殺人として処理される。幕羅ユイは死んだ。今日生まれた十五歳の少女は、何か別の名前で、これからどこかで生きていくことだろう。
湧き上がってきた疑念を一切合財ブラックボックスに突っ込んで、僕は無花果が眠っているのを良いことにカーステレオを掛ける。
控えめな音量で流れるConvergeの『Wretched World』を聴きながら、僕は無心で運転を続けた。