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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
桜野美海子の逆襲・探偵学校編
74/76

20、21「シックス・フィート・アンダー」

    20


「ば、馬鹿なっ!」

 桝本さんが、震える声で叫んだ。

「そ、それではこの事件は、何だったと云うのだ! 桜野美海子が生きていなかったなら――あ、あの電波ジャックの映像は!」

 しかし白山書店は、残念そうに首を横に振る。

「桜野美海子ではなかったのでしょう。現に僕らは此処で、あるいは〈探偵学校〉で、多くの桜野美海子モドキを見ました。彼女達は――もちろん整形していない人達も含めて――皆が元〈桜生の会〉を基盤とした、故・桜野美海子の崇拝者です」

「じゃあ何だい、白山くん、」

〈探偵病院〉側にいたフリーランスの雑誌記者・米津よねづ飽昌あきまさが、戦慄の表情で口を挟む。

「今回のことはすべて、彼女達によって演出された――鉤括弧かぎかっこつきの〈桜野美海子の復活〉に過ぎなかったんだと、そういうことなのかい……?」

「はい。神の資格とは、奇蹟を起こすことです。〈復活〉は最大の奇蹟です。彼女達は桜野美海子を神にまで押し上げようとしたのではないでしょうか」

「……あり得なくはねぇな」

 辛酸を嘗めるように、レイモンドさん。

「白生塔事件から月日が経ち、事件や桜野美海子の存在は、世間では薄れ始めていた。戦後最大の大量殺人事件……あの大仰なコピーは、桜野美海子の名を歴史に刻むためだったんだろう」

 重い、身を潰さんばかりの沈黙が、室内を支配しかける。それを必死に払いのけようとしてか、これも〈探偵病院〉側にいた探偵・須賀田すがた鳳凰ほうおう義実よしざねが「吾輩は認めん!」と声を荒げる。

「これが〈真実〉だと? これが〈解決〉だと? こんな、こんなくだらない結末のために、吾輩は奔走していたと云うのか? 馬鹿な新興宗教団体の掌の上で踊らされていただけだったと云うのか! あり得ぬ――なんという竜頭蛇尾――この事件に懸けていた吾輩の想いをどうしてくれるのだ!」

「お気持ちは分かりますが、しかし、これが勝利であることには変わりないですよ。桜野美海子は生きていなかった――この解答に僕らは辿り着いたんですから」

「だが――」

 須賀田鳳凰義実は承服しかねる様子だったけれど、そこで「そうじゃな」と覇唐さんの威厳たっぷりな声が応えると、気圧されたように口をつぐんだ。

「これで犯人らの目論見は破れたのじゃ。桜野美海子の復活が嘘と知れれば、彼女らはもう全国で犯行を繰り返す意味がない。事件は解決であり、儂らの勝利じゃよ」

「はい。桜野美海子を信奉するだけあって、そこは彼女達なりのフェアプレー精神だったのでしょう」

 白山書店がそう云ったとき、ガラガラガラと扉が開かれた。

 現れたのは、猟銃を構えたゴスロリ衣装の少女だった。

「皆様、お疲れ様でした。謎解きゲームはお仕舞です」

 変装していない姿は初めて見る――バイオレント紅代だ。

「遅くなって申し訳ありません。お迎えに上がりました、澄神様」

「まさかっ!」――と、桝本さんは云い終えられなかった。銃声が響き、桝本さんの頭部は真っ赤に弾けた。鎖で繋がったジェントル澄神も無様に引っ張られて、床に尻餅をつく。

「……べ、べにしろ」

 ずっと項垂れて死んだように大人しかった彼も、さすがに一年ぶりに再会する相棒を見上げた。何人かが悲鳴を上げたり、どよめいたり、そのなかでレイモンドさんが咄嗟にバイオレント紅代を取り押さえようと駆け出したが、しかし間に合わず、銃口を向けられる。

「邪魔しないでください。私は澄神様をお連れできれば、皆様には危害を加えません」

「……畜生」

 振り上げていた拳で、悔しそうに空を切るレイモンドさん。

 場には新たな緊張と、不安と、もはや白けたような空気が、一緒くたになる。

 それでも白山書店は車椅子の上で、沈痛そうにはしながらも、動揺はしていなかった。

「殺す必要はなかったんじゃありませんか。桝本薫は銃も持っていなかったのに」

「かも知れません。ですが、殺した方がスムーズではありました」

 バイオレント紅代は淡々として、己が主人に歩み寄ると、肩から提げていたバッグの中から鋸を取り出して、手錠の鎖を切断しにかかった。ジェントル澄神は呆けたようになりながら、顔面をピクピク痙攣させている。

「……わ、私に返り血を浴びせたな。き、汚い。シャワーはないのか、べにしろ」

「あります。お洋服も用意してあります。この旧・地波良総合病院の側には警察のマークもありませんから、スムーズに脱出できるはずです」

 取り囲んでいる人々もまた、多かれ少なかれ、呆然としている者が目立つ。拍子抜けする〈真実〉を知らされ、直後にはこんなことになって、いくら優秀でも感覚が理性に追いついてないのだろう。

「ふっ――はは。そうか紅代、私を救出するために、名指しの暗号を仕込んで私を此処に呼び寄せたのだな? 元〈桜生の会〉の連中を利用して――いや、今回の事件もすべて、このためにお前が計画したことだったのか?」

「そうです、澄神様。色々と考えましたが、澄神様を助けるためには、拘置所から出てきてもらわなければなりませんでした。それには、特別措置が取られるほどに大きく、また澄神様に因縁がある事件を起こす必要がありました。そして、警察による監視が少なく、かつ彼らを出し抜ける環境をつくらなけれ――」

 そこでバイオレント紅代は一瞬のうちに鋸を捨てて猟銃を持ち直し、背後へ振り返って、隙をついて彼女を捕らえようとしていた常々淵つねづねぶち笑平しょうへいを撃った。彼をボディガードとして雇っている探偵・窓辺まどべサユミが「笑平!」と叫ぶ。右脚を撃ち抜かれた常々淵は「ぐああっ」と呻き、床の上で悶え苦しむ。

「くそっ、糞があぁ……」

「貴方達の負けですよ。妙な気を起こさないようにしてください」

 端的に告げ、バイオレント紅代は鎖の切断作業に戻る。

 ギィーッ、ギィーッ、ギィーッ、ギィーッ、と耳障りな音が続く。

 ジェントル澄神が、涎を垂らしながら、気味悪く笑い始める。

「ひっ――ひひひ、ひっ――ひひひひひ、ひひっ――ひひっ、いひひひひひひひ!」

 誰かが、諦めたように目を閉じた。誰かが、打ちひしがれたように膝をついた。頭を抱えた。壁に凭れた。手で顔を覆った。溜息を吐いた。身を寄せ合った。立ち尽くした。すすり泣いた。発狂した。

 無花果と、彼女に続く僕だけが、病室を出て行った。


    21


「覇唐眞三郎はともかくとして、あの白山書店は生意気な子供でしたね」

 夕焼け空の下、裏庭を歩いて行く無花果がそう云った。謎解きの最中、白山書店が無花果に思わせぶりな目くばせをしていたのには、僕も気付いた。彼も覇唐さんも、解決を僕らに譲るためにダミーの真相をあえて認めたのだろう。

 でも生意気な子供って……無花果がそれを云うか。

「貴様、まだ私の外見をからかいますか」

「え、何も云ってないじゃん」

「貴様の考えなど手に取るように分かります。はっ、しかも貴様、私のこの身体が大好きな変態のくせに。分かっていますか? 仮に私が子供であったなら、結婚までしている貴様は犯罪者なのですよ」

「犯罪者って……」

 それこそ、無花果が云えることじゃないが。

「貴様が云えることでもありません」

「そりゃそうだ」

 今更ながらなんて夫婦なのだろうと思いつつ、僕は無花果と並んで〈探偵学校〉へと通じる洞窟に這入る。

「ところで、向かう先は久井世冬詩の墓でいいのか?」

「そうですね。隠れ場所としては、そこそこ利口とは思いますよ。墓暴きは世界中どこに行ってもタブーであって、しかも無意識的にそう認識しているものですから」

「うん」

 完成した四ツ葉が表す〈真実〉は、『さくらのみみこはくせいとうでしす』――『桜野美海子 白生塔で死す』ではなかった。その順序は誤りだ。

〈探偵学校〉において、湯夏はどうして出殻と品歌の殺害を短い時間で連続して行い、かつ僕らに容易に発見させたのか。答えは簡単で、順序を誤認させたかったからである。実際は品歌、出殻の順で殺したのだ。なぜそんなことをしたのかと云えば、後に明らかとなる〈真実〉を独り占めしたかったから。本当の順序を知る者を、自分ひとりだけにしたかったから。まぁこれは無論、低メタレベルにおける理由付けであって、高メタレベルにおいては単純に桜野がそういう〈引っ掛け〉を施したかったというだけに違いないが、それはいいとして。

〈探偵病院〉においても、蝉味と猪池の殺害がこれと同様だったらしい。ならばこちらも、実際の殺害は、猪池、蝉味の順だったのだろう。

 したがって、蝉味と猪池の〈せ〉と〈い〉、出殻と品歌の〈で〉と〈し〉は、正しく逆転させなければならない。

 そうやって完成する文章は、『さくらのみみこはくいせとうしです』――『桜野美海子は久井世冬詩です』。

 これこそが〈真実〉だ。久井世冬詩の墓の下に、桜野はいる。

 結局は、〈桜野美海子の居場所〉を示す暗号が仕込まれた殺人事件――その多重構造だったのだ。



 陽が沈み、懐中電灯のみが照らす闇の中で、僕は体育倉庫から見つけてきたスコップをひたすら振るう。久井世冬詩の墓石の周りが、深い穴となっていく。

 その間、切り株に腰掛けた無花果は煙草をスパスパやりながら、白生塔であったことを話してくれた。あの十一階で僕が桜野に毒殺された――そう演じた――その後のことだ。桜野が獅子谷敬蔵の死体を引きずりながら去り、救助が来るまで僕は十一階で暇を潰していたわけだが……。

「私は九〇二号室で、桜野美海子が来るのを待っていました。犯行を完遂した彼女は、失踪するにあたって死体を一ヵ所に集め燃やすために、其処にやって来ると分かっていました。果たして、その通りになりました。

 私達は少しの間、二人きりで話しました。桜野美海子は私に銃を向けていましたが、素人相手に臆する私ではありません。それに彼女は、私の生存を見破れなかったという点で敗北を認めていましたし、私が彼女を襲おうとしない以上、彼女も私を襲わないつもりであると明らかでした。

 私達は互いを見逃すことにしました。私は自分の身代わりとなる白骨遺体を持ち込んでいましたが、桜野美海子も失踪する以上、死体がひとつ足りなくなります――なので当初の予定を変更し、骨まで灰となるよう燃やすことにしました。死体は私が持ち込んでいた白骨遺体を含めて十人分ありましたから、すべて灰となれば、ひとりぶん少なくたって誤魔化せます。どうせ細かい検査は行われません。桜野美海子の遺書『桜野美海子の最期』と生存者・塚場壮太の証言を、現場の状況から、警察は信じるしかない――それ以上を疑う頭など、持ち合わせていないのですから。

 ちなみに私は貴様の生存を確信していましたが、桜野美海子は違いました。彼女は貴様を見くびっていましたし、貴様が死んだことを――おそらくは自分でも驚くほど――悲しんでさえいたのですよ。死体を浴場に集めて徹底的に燃やす役割は、私が担いました。私は貴様のことも見逃すと決め、十一階には行きませんでしたが、これも彼女は知りませんでした。

 彼女は十階の書斎で『桜野美海子の最期』を執筆していました。これは本来、彼女が本当に自殺するつもりであったなら、書く必要のない記録です。しかし彼女の自殺を――また、副次的効果として私の死を――信じさせるためには、たしかに良い演出でありました。

 そして、それぞれの仕事を終え、私と桜野美海子は別々に白生塔を出たのです。互いに干渉はしない、もう会うこともないだろうと約束して。

 それから一年が経ち、私は貴様に会いに行きました。これは兼ねてから考えていた行動ではありませんでした。ただ、私は貴様を気に入っていました――ゆえに白生塔でも見逃したのですし――後から思えば、必然的だったのかも知れません。

 ならばこうして、桜野美海子が私達の障害として立ちはだかるのもまた、必然だったのでしょう。果たして約束を破ったのは私と彼女のどちらだったのか、その判定は難しいところです。ただひとつ明らかなのは、中心にいるのは貴様だということです」

「…………僕?」

 穴はもう、掘り終えていた。土の下から現れたのは、隠された部屋の天井だ。マンホールのような、丸い鉄製の上蓋も完全に露出している。

「ほら、だから云ったのですよ。壮太には分からない、と」

 無花果は微笑して、穴のふちからぴょんと跳んで、僕の隣に降り立った。

「それをこれから、暴くのです。〈桜野美海子の真実〉。心の探偵ですよ」

「じゃあ――そうだな――見せてもらうことにするよ」

 僕は上蓋に手を掛けて、力を籠め、回す。何週かさせたところで、ボコッと外れる。

 中から冷房による冷気が漏れ出し、汗だくになった身体を心地良く撫ぜた。

 僕は梯子を下りる。続いて無花果も下りてくる。

 長方形の、狭い部屋だった。もっとも、その狭さは、四方を囲む本棚のせいでそう感じるというのが大きい。ランプの柔らかい明かりに照らされた、地下六フィートの秘密の小部屋。

 その奥で、桜野美海子は安楽椅子に腰掛けて、こちらを向いていた。

「ようこそぉ、甘施さんに塚場くん。貴女達の勝ちだよ。おめでとう」

 特徴的な間延びした口調でそう述べて、彼女は持っていたパーティー用のクラッカーを鳴らした。

 ぱぁーん。

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