17「超越の合わせ鏡式推理」
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湯夏は出殻の首を右手にぶら下げ、胴体を左手で引きずりながら、〈空原堂〉の裏口から厨房に這入ってきたらしい。調理中だった生徒達に「静かにしろ」と云って首切り死体を放ると、奥にある大きな冷蔵庫から、次々と死体を取り出していった――そう、これまでの死者は全員この冷蔵庫に入れられていたらしいのだけれど、死体が腐らないようにするためとはいえ、料理する場所を霊安室にしてしまうというのはいささか正気を疑う――まぁそれはいいとして、取り出されたのは蘭佳、観篠、粉沼、鞍更、遠茉の五人。湯夏は彼女らの首を順々に切断していき、出殻の首とまとめてひとつの袋に入れると、また裏口から出て行ったとの話である。
つまり、新たに殺害されたのは出殻ひとりだけだ。冷蔵庫に保管されていた死体も、呉山とはるかちゃんだけは首を切られず、そのままとされた。この区別の意図は明らかで、すなわち、左条が黒幕と思われていた連続殺人の被害者だけが首を切られたのだ。その左条もまた、一週間以上前から、首を切られていた。
要するに、これまでの連続殺人事件が、連続首切り殺人に様相を変えたのだと云ってよい。
問題の湯夏は、今どこにいるのか分からない。彼女が厨房を出て行ってからまだ三十分も経っておらず、厨房にいた生徒達から生徒会が報告を受けたのもついさっきらしい。
しかしながら、アテがないわけではなかった。湯夏は写真部のただひとりの部員で、その部室をほとんど私室として使っているとの話だ。生徒会と風紀委員会もこれから向かうところだったと云うし、僕らもそれに同伴することになった。写真部の部室は部室棟の二階、その一番右端にあった。大人数で這入れる部屋でもないので、生徒会や風紀委員会の大半と陽子さんと覇唐さんは部室棟を半包囲するような格好で外に残り、中に這入ったのは支槻生徒会長、嬌橋風紀委員長、無花果、僕、レイモンドさん、ジェントル澄神、桝本さんの七人だ。
湯夏は本当に其処にいた。隠れるつもりはなかったのだ。ボロボロのソファーの上で胡坐をかいて、僕らを正面から迎えた。足元には首なし死体がひとつ、転がっている。名札の文字は『品歌』。部屋中に血のにおいが充溢している。
追い詰められた、というような様子は湯夏にはない。返り血に染まった顔で、陰気そうに、くすくすと笑う。それから、床にこちらを向いて横一列で並べられた八つの首を順々に指差した。
「左条、蘭佳、観篠、粉沼、鞍更、遠茉、出殻、品歌――なんとか贄が揃ったよ。貴女達は思ってたよりも優秀だった。左条の胴体、見つけたんだろ? 早かったな。でも私からしてもあと二人だった。だから急いだんだ」
湯夏がゆっくり話している間に、嬌橋が、モノクロフィルムを現像するための暗室の中を覗いた。首を横に振りつつ「こっちには誰もいませぇん。ただぁ、品歌さんの首の切断はこの中でされたみたいですぅ」と報告する。「うん」――と、湯夏が反応する。
「左条の首も其処に隠してたんだ。流しに水を張ってね。ところで貴女達、天と地は繋いでくれたかな? 貴女達の仕事だよ。私はもう、やることはやったんだから」
「何を云っているのか分かりませんが、自分が犯人であると認めるのですね?」
支槻が拳銃を構える。だが銃口を向けられても、湯夏に動じるところはない。
「馬鹿だな、生徒会長。ここまでやっておいて、〈真実〉を目にする前に死ねるかよ」
湯夏もまた、背後から拳銃を手に取った。
「遠茉の死体から回収したもんだ」
「それ以上動いてみなさい。私は既に構えています。眉間を撃ち抜きますよ」
「違うな。それは最も愚かだよ」
湯夏は銃口を、自分のこめかみに押し付けた。同時に、もう片方の手でセーラー服をたくし上げ、下着も付けていない生身の上半身をさらした。胸の間から臍の上あたりまで、縫った跡が一筋。以前見た域玉と同じだ。
「私が死ぬと、体内に埋め込まれた爆弾が大爆発。貴女達も巻き添えに死ぬ。だからまぁ、私はこれから常に貴女達にくっついてることにするよ、こうして銃口を自分に向けてね。とにかく――話を戻そう――早く天と地を繋いでくれ。待ちきれないんだ、私は」
並べられた八つの首、血染めの湯夏、その体内の爆弾……この異様な状況に、皆は多かれ少なかれ緊張感を高められ、飲み込まれそうになっている。それでもレイモンドさんは、平常よりやや慎重そうに、問い掛けた。
「じゃあ……お前はやはり、空原神社の巻物に則って〈真実〉に到達しようとしてるのか? 『天と地を繋ぎ、十六の贄を以てして、真実に至るべし』……だが八人じゃ足りてないだろ」
「はあ、まだそんな段階? 勘弁してよ」
湯夏は溜息で返した。顎をしゃくって、長い前髪の隙間から、レイモンドさんへ見下げ果てたような視線を送る。
「何度云わせるんだよ。此処では首は八つでいいんだよ。天と地が繋がれば、十六になるんだよ。でも私は天と地の繋ぎ方だけが分からない。だから貴女達に見つけてもらいたいんだよ。いいから早くしろよ。なんだよ、使えねーじゃん。結局は馬鹿共じゃん。失望させるんじゃねーよ。何のために計画を早めて私がじきじきに出殻と品歌の首切っ――」
「その四ツ葉のクローバーが関係しているのですね?」
無花果が一歩、前へ進み出た。
湯夏は一瞬だけ黙り、くすくすと笑い始めた。
「案の定、貴女か。そうだよ。左条もこれ付けてただろう?」
胸にさげている四ツ葉のクローバーのネックレスを指し示す湯夏。
「四ツ葉教――私も左条もその信者だ。だから私達はこの事件を起こした。もっとも〈真実〉に到達するのは私ひとりだけでいい――用済みになった左条のことは殺したけどな」
「その四ツ葉教について教えなさい」
無花果がもう一歩、前へ進む。
「うん、断る。貴女は天と地を繋ぐこと――四ツ葉を完成させることだけ考えてくれればいい。おっと、それ以上は近づくなよ。撃つぞ、私を」
「〈真実〉に到達する前に死んでいいのですか? そんなはずないでしょう。貴様の論理は破綻しているということに気付きなさい」
無花果がもう一歩、前へ進む。
「貴様が死ねば爆弾が起動し、私達が巻き添えになる――なるほど、これで私達は貴様を殺すことができません。しかし貴様もまた貴様が死ぬことを望まない。ならば、こうして私にただ接近された場合、貴様はどうすることもできないではありませんか。貴様は銃口を、私達に向けているべきでした」
湯夏がギクリとして銃口を無花果に向けようとしたが――遅い――無花果は一瞬で間合いを詰め、既に湯夏の拳銃を蹴り上げていた。続けて目にも止まらぬスピードで湯夏の首に足を掛け――コキン――とひねった。湯夏はへにゃりとソファーに倒れ込み、無花果はこちらにくるりと向き直って落下してきた拳銃をキャッチし、飄々と告げた。
「気絶させただけです」
有無を云わせない。あまりに華麗な反則技。毎度のことながら、皆がポカンと呆けているこの空気。そのなかで無花果はさっさと僕の隣まで戻ってくる。拳銃を手渡されたので、とりあえず学生鞄の中に仕舞った。
その時、外から陽子さんの嬉々とした声が響いた。
「月子ォーーっ! 遅い遅い遅いよっ――でも来てくれたんだね、来てくれたんだね月子、月子月子、もォーー寂しかったァーー切なかったァーー生きた心地がしなかったァーーっ! あー月子、月子月子月子、月子月子月子月子、待ってたよ月子、愛してるよ月子、月子月子月子月子月子月子――」
写真部室を出て二階通路から覗くと、陽子さんは校庭を走り出していた。その向こうには、同じように月子さんが駆けてきていた。ようやく到着したのだ、彼女の片割れが。
二人は校庭の真ん中で、ぶつかり合うように抱擁した。十年二十年と生き別れていたって、普通はあんなに激しく喜ばないだろう。しかし大袈裟という印象はなく、感じやすい人ならば思わず涙してしまってもおかしくない説得力さえある。
何事かと、数人の生徒達が其処に近づいて行く。気絶した湯夏は生徒会や風紀委員会に任せて、僕らもそのようにした。とはいえ声を掛けられるような様子でもないから、野次馬みたいに周りを囲むかたちとなる。
そんななか、奏院姉妹は長い抱擁を終えると、そのまま向かい合った状態で、今度は互いの額をピッタリとくっつけた。束の間、空気が張り詰め、空間が息を止めた。そして、
こしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょ…………
二人は何事か、物凄い早口で喋り合い始めた。月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋り、月子さんが喋り、陽子さんが喋る。早送りでもしているみたいな、現実離れした会話だ。
こしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょ………………
野次馬に囲まれていることなんて気にしていない。二人のやり取りはどんどん加速していき、気付いたころには既に区別もなくなり、もはや二人が同時に喋っている。僕らには到底、聞き取れない。理解できない。ただ双子の絆で結ばれた二人にしか分からない領域だ。
こしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょ……………………
「「あ!」」
二人は唐突に、弾かれたように額を離した。くるりと四十五度回転して横に並び、僕らにも分かる声で宣言した。
「無限に続く鏡の奥で、私達は真相を見つけた!」
「これより、奏院姉妹による解決編を始めるよ!」
どよめく野次馬たち。期待感と高揚感で場がいっぱいになる。
そうか。これが噂に聞く――〈合わせ鏡式推理〉。互いに言葉を反射し合い、ずんずんと掘り下げていき、解答に至る。まさかこれほどまでの集中力だとは……さながら巫女の神懸かりだ。
超越者となった双子の姉妹は、神々しさにこちらが委縮させられるほどのオーラを放ちながら、美しく順繰りに真相を語り始めた。
「私がこうも遅れたのには理由がある。新たに解いた暗号が、此処――旧・楚羅原高校とは別の場所を示したせいだ」
「その場所とは、此処から山をひとつ隔てた北東にある――旧・地波良総合病院だよ」
「それから出来得る限り多くの暗号を解いてみた。その答えは旧・楚羅原高校を示すものと旧・地波良総合病院を示すものの二つに分かれていた」
「十月十二日、十三日は旧・楚羅原高校を示すものだけだったみたい。十四日から徐々に旧・地波良総合病院を示すものが出始めて、いまではこちらの方が主流となってるんだ」
「さらには事件が起きた地方によっても偏りがある。東日本では主に旧・楚羅原高校を示す暗号、西日本では主に旧・地波良総合病院を示す暗号というように」
「だから暗号を二つ解いても、答えがダブる確率が高い仕組みになっていたんだね」
「さて、楚羅原が〈空原〉であるように、地波良は〈地原〉の字がもともとのかたちだ」
「もう察してるかな? 『天と地を繋ぎ』の意味はこれだったんだよ」
「桜野美海子の居場所を示す暗号に二つの答えがあっては反則のように思えるが、その二つがひとつの場所として繋がるのならば、納得できないこともない」
「此処に来てる挑戦者の数が、出揃ってる暗号の数に対して少なかったのも、これで理由が分かるね」
「答えが、場所が、二つあった。いまこの〈探偵学校〉には――死んだ長閑はるかを含めて――十一人がいる。旧・地波良総合病院にも同程度いるだろう」
「約二倍で二十二人ほど。現在までに外で起きた事件、すなわち暗号の数は二十五だから、ちょうど良い計算になるよ」
二人の発言内容は、陽子さんが云うべきそれと月子さんが云うべきそれとが奇妙に混同されている。だが、おそらく、関係ないのだろう。二人は完全に〈同期〉を済ませ、ただ二つの口から、ひとりの人間が語っていると見るべきなのだ。
「では、山を隔てた旧・楚羅原高校と旧・地波良総合病院は、どのようにして繋がるのか」
「答えはひとつしかないね。地下洞窟だ」
「生徒手帳に掲載されている〈探偵学校〉の地図には『赤線を越えてはならない』と書かれているが、〈くぐる〉ことは禁止されていない」
「地下洞窟とはもちろん、空原神社の社殿から這入るあれだよ。あの道は久井世池の真下に届くあたりで途絶えていたけど、ある仕掛けによってさらに進むことができるんだ」
「道の途切れ目と久井世池の蓋となっている小部屋の間にあったのは、大きな溝だ」
「あの小部屋の二つの扉を開け放てば、久井世池の水が溝に流れ込むよね」
「そして溝に溜まった水の、その水面を、舟で渡れるようになる」
「久井世池の水が流れ込むと溝での水面がちょうど良い高さになるように、久井世池と溝の容積は計算されてると思われるよ」
「舟ならあそこ――〈空原堂〉と校舎に挟まれた通路を出て、校庭へと下りるところに、お誂え向きな小舟が一隻ある。あれで水面を進む」
「するともう一ヵ所、おそらくは北東を向いた、別の洞窟の途切れ目が見つかるはずだよ」
「その先に、旧・地波良総合病院がある。天と地が繋がる。おそらく被害者の数もまた、合わせることで十六になる」
「『天と地を繋ぎ、十六の贄を以てして、真実に至るべし』――この文言がキーだった」
「「さぁ、今こそ〈真実〉に至ろう」」
最後だけピタリと揃えて、奏院姉妹はここで一旦、締め括った。
人々は圧倒され、すぐには反応を示せなかった。
ただし無花果だけはひとり、生徒会と風紀委員会とが部室棟の方から気絶している湯夏を運んできたのを指して、淡々と提言した。
「では、久井世池に蓋をしている小部屋は、湯夏を使って爆破しましょう。罪人たる彼女はどうせ殺されるのです。正しく使わなくては、浮かばれません」
斯くして事件は、言葉どおり、新たなステージへ。




