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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
桜野美海子の逆襲・探偵学校編
68/76

11「その数奇に想いを馳せる」

    11


 無花果と僕には、〈空原館〉の一階にある『豹』という二人用の部屋が宛がわれた。同じく一階にある浴場――ひとつしかないので、男女で利用可能時間が分けられていた――から戻り、午後九時に差し掛かったころ、僕らは部屋に落ち着いていた。

 六畳間に押し入れがついて、布団が二組と卓袱台くらいしかない、狭い和室だ。

 用意されていた地味な浴衣に着替えた無花果は、窓を開けて煙草をふかしている。窓のすぐ外が敷地の西端にあたり、空原神社へと上がる坂道を見上げる格好の石垣であった。冷気が流れ込み、風呂上がりの身体にひんやりと心地良い――のは最初だけで、すぐ寒くなる。

 どこかで鳥がいている。

 僕は考えていた。夕食のときに沸いた疑問。どうして無花果は、僕を選んだのか。白生塔事件から一年が経ったときに、どうして僕のもとを訪れ、僕と探偵活動をすることに決めたのか。

 別に、胸に秘めておくべき疑問じゃないだろう。僕は問い掛けた。

「無花果、お前はなぜ、僕を選んだんだ?」

 彼女は振り返った。煙草を灰皿に押し付けて、微笑んだ。

「なぜでしょうね。そのときには、理由を意識してはいませんでした。ただ、そうしたかったのです」

 そりゃあ、自分の行動をいちいち分析しながら生きている人はいないだろう。

 それが無花果のように、他人に流されるのではなく、自ら道を切り開いていく人であっても。

「確かにそうしたかったのです。ただし、いまにして思えば、そうですね、壮太と私はある意味でよく似ていますよ。ゆえに私達は、共犯関係になり得た」

 共犯関係……僕はその言葉に驚きを覚える……探偵と助手ではない、主人と従僕ではない、上下ではなく横に並ぶ関係。

「私は、新倉によって探偵に仕立て上げられました。新倉に拾われたときの私は、籠に入れられた鳥のようなものでした。餌を与えられなければ死ぬ。教えられるがままに芸を覚え、自らの力では逃げ出すことができず、またそうしようとも思わない。愛玩用の、ペットどころではありませんね、家畜の人生です。

 壮太は、桜野美海子によって助手に――探偵の活躍を綴る作家に仕立て上げられました。彼女は自分が探偵活動をしていくうえで都合の良い存在を、思うがままにつくり出そうとしたのです。記憶を失い白紙であった壮太はそれに疑問を抱きませんでした。語る自分のない壮太は、他人を語るしかなかった。空っぽの人生です」

「……そんな僕らが、白生塔で出会った。そしてすべてが変わった……のか」

「ロマンチックなことを云いますね」

 無花果はからかうように笑った。後ろ手で窓を閉めて、布団に胡坐をかいた僕の正面まで歩いてきた。あの愛おしい、嗜虐的な瞳が、僕を見下ろす。

「惨めな関係ですよ、私達は。かつて権利を剥奪された者同士の、傷の舐め合い。しかし私達がしてきたこととは〈復讐〉でしょうか? 違います。復讐は永遠の敗北であり、たとえ成し遂げても勝利はありません。私達がしてきたのは〈自由〉です。私は自由に壮太を選び、そして自由に探偵をすることを選んだのです。先ほどの質問に対する、これが私の答えですよ」

 嗚呼……。僕は無花果の片足を持ち上げて、その甲に接吻した。

 はじめにこの、彼女の小さな足を舐めたとき、僕はどんな気持ちだっただろう。

 今のように、誇らしかっただろうか……。

「楽しかったですよ、壮太。この四年間は、かつての私が想像もしなかった幸福でした」

「……まるでこれから、死ぬみたいじゃないか」

「そうですよ。甘施無花果は、此処で死にます」

 僕は咄嗟に何か、云いかけた。考えるよりも先に何か云いかけた――が、持ち上げていた無花果の片足が素早く動いてバチンと頬を叩かれた。

「恥ずかしい告白をさせる男ですね。瞼の裏に〈デリカシー〉という文字を入れ墨し、瞬きするたびにそれを意識しなさい。私は眠ります」

「まだ九時だけど――」

「貴様も眠りなさい。隣で起きられていては鬱陶しいです」

 電気が消された。無花果が布団に潜り込む音が続いた。

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ……」

 僕の戸惑いだけが残された。

 暗闇の中で、無花果の規則正しい寝息が、聞こえ始める。

 ……本気だろうか?

 ……からかっているのだろうか?

 ……無花果が死ぬ?

 ……どうしてそんなことを云う?

 ……もしも彼女が本当に死ぬつもりでいるのなら、

 ……僕はそれを…………。

 どこかで、鳥が啼いている。



 無花果と僕はこの一週間、隠れ家を弥魅さんに都合してもらっていた。その最中で、僕は記憶を失う前――弥魅さんの幼馴染であったころ、どんな人間であったのかを、彼女から聞く機会があった。

「心優しい少年だったわよ。なんて云うと、嘘っぽいかしら? でも本当にそう。他人の気持ちをいたわることができたし、困っている人を助けようとすることができた。貴方のお父さんとお母さんも穏やかな人だったから。愛されて育ったのよ。その優しすぎる性格のせいで、かえって皆に馴染めないようなところがあったし、周りからは引っ込み思案だって誤解されていたけれどね……幼馴染の私は、貴方の素敵なところをたくさん知っていたわ。だからその優しさを馬鹿にして、虐げようとした愚か者達から、貴方を守ってあげたりしていたのよ。あとはそうね……いつだって他人のことを気に掛ける優しい貴方だったけれど、自分のこととなるとびっくりするくらい無頓着で、実は虐められてたって貴方本人は全然気にしてなかったのよね。そのぶん、私が貴方を気にしてあげていたってことなのかしら……。ふふ、愚痴みたくなってごめんなさい? つい昔みたいな感じに戻ってしまうわ。私、貴方にお説教してばかりだったから。ふふ。それからそうそう、貴方って昔から、女の子達に妙に人気あったわね。貴方は断ることを知らなかったし……ここでも私が、代わりにばんばん女払いをしていたのよ! 色々思い出してきちゃった!」

 それからも弥魅さんは、楽しそうに当時のエピソードを話してくれた。時折、悲しそうな表情がふと表れることもあったけれど――しかし最後に「でも良かったわね。たったひとりの女性が見つかって。ええ、貴方だけじゃない、私の過去もまた救われたのよ」と結んだ彼女は、実に清々しいばかりであった。



「私がいて良かったね、塚場くん」

「君自身が憶えてなくたって、私が教えてあげればいいだけだもんね」

「幼馴染の私が」

「君とずっと一緒にいた私が」

「私達は大きな不幸に見舞われたけどさ、こうして二人は生き残れたんだから、本当に良かったと思うんだよ」

 ――最近はよく、桜野の夢を見るようになった。

 ――あったようななかったような曖昧な記憶が断片として蘇ってきて、

 ――あの特徴的な間延びした話し方で、語りかけてくるのだ。

「うん、君さえ生きていてくれたなら、私はそれだけで充分なんだ」

「君が記憶をなくしても私について来てくれることが、すごく嬉しいなぁ」

「私、夢を叶えるからね」

「そのときを隣で見ていてね」

「頑張ろうね」

「たった二人の幼馴染同士じゃないか」

「二人だけの力で、生きていこうね」

「ありがとう、塚場くん」

「ふふふ。好きだよぉ、塚場くん」

「塚場くん」

「塚場くん」

「塚場くん」

「塚場くん」

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