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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
桜野美海子の逆襲・探偵学校編
66/76

9「神の家の主」

    9


 厄火ちゃんと、死体を運び出す風紀委員三名を残して、僕らは空原神社を後にした。ところで入学に際して手首に嵌められた腕輪だが、これは雪組・月組の生徒達も皆つけているものの、厄火ちゃんはその例でなかった。僕はそのことについて支槻に訊いてみた。

「これは、貴方達が入学してくる本日から新たに、生徒全員に装着が義務付けられたものです。朝に先生方が配布しました。先生方がいなくなってしまったために、外し方が分からなくなってしまって困っていますが……」

 そういうことであれば、〈探偵学校〉の生徒ではない厄火ちゃんがつけていないのも頷ける。

「たしかに気になるところですね」

 ジェントル澄神が入ってきた。

「ただのデジタル時計ではない。外すことも壊すこともできないようにしてある。はじめは私達の推理なんかを桜野さんが確認するための盗聴器かと考えましたが、どこにも穴が開いていませんし、これでは音を拾えないでしょう」

「発信機が内蔵されてるんだろう。俺達がエリアから出ないよう、見張ってるんだな」

「ははっ。であれば要らぬ気遣いですね。この一生に一度の晴れ舞台から、私が逃げ出すはずがない」

 このメタレベルにおける会話が交わされていると、雪組・月組の生徒は我関せず、知らぬ存ぜぬを貫く。その腹の内では、どんなことを思っているのだろうか。

 陽が落ち、闇が支配する木々のトンネルを抜け、一向は時計塔に到着した。

 円柱型の黒いシルエットが、星の見え始めた空に向かって突き立っている。

 高さは、三十メートル強といったところか。窓はない。白生塔を思い出す。

 はるかちゃんが来たときには入口の前に天文部がたむろしていたとの話だったが、今は誰もいなかった。しかし中に這入ってみると、声がよく反響する伽藍洞がらんどうに机や椅子が並んでおり、十数名の生徒達が何やら話し合っていた。

「天文部ですね」と支槻が云って、彼女達はぴたりと話をやめる。

 寂しい内装だ。周りの壁に螺旋階段がぐるりぐるりと上まで続いていて、それに沿うように壁に長方形の窪みがあり、中で篝火かがりびが燃えている。それだけでは明かりが不充分なので、底部の中央に固まっている天文部はランプを持ち込んでいる。また、天井までの高さは三十メートルまでは全然届いていないように見えるから、あの上には〈二階〉があるのだろう。

「此処はお前らの根城ってとこか?」

 レイモンドさんが前に進み出て、問い掛けた。

 天文部のひとりが「そうだねぇ」と、こちらに値踏みするような視線を投げながら応えた。

「でも窓がないみたいじゃねぇか。それとも屋上に出られんのか? でなきゃ、星は見られないだろ」

「星!」

 ひとりが机をバンと叩くと、他の面々が一斉に笑い出した。

「星だって!」

「天文部といえば星だけか!」

「星だけ見んのが天文部か!」

「きゃはははは!」

「きゃはははは!」

「星! 星って!」

「きゃはははは!」

「星とか!」

「きゃはははは!」

「お腹いたーいよー!」

「いたーいよー!」

「じゃあ、どうしてお前ら此処を気に入ってんだ」とレイモンドさん。

「何でもいいでしょー」

「私らの勝手でしょー」

「あんた関係ないでしょー」

 バアンッ!

 と、今度は机を叩く音ではなく、銃声だった。業を煮やした支槻が天文部へ向けて発砲したのだが――空砲だったらしい。それでも天文部はすくみ上がった。

「調子に乗ってんじゃねぇぞ売女共! 廃部にされてぇか! あぁン?」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 支槻は「こほん……」と可愛らしく咳払いし、レイモンドさんに「続けてください」と促す。彼は支槻に軽く手を上げて礼に代え、再び天文部に訊ね始めた。

「此処に花組の奏院陽子ちゃんいるだろ?」

「……いないよ。あんた達と、天文部だけです」

「天文部ねぇ。左条と久架はいんのか?」

「……いないよ。行方不明でしょ、二人とも」

「そうか。じゃあこの上、見させてもらうぜ」

「……どうぞ、ご自由に」

 レイモンドさんを先頭にして、僕らは螺旋階段を上がる。直方体の石が一段ずつ高さを変えて壁から突き出ている格好の階段だ。石の端にそれぞれ小さな穴があってポールが差し込まれ、ポール上部の輪にロープを通して手摺りの代わりとなっていた。

 階段を上がり終える。天井の穴から顔を出して、〈二階〉の床というかたち。此処もまた同じ伽藍洞だけれど、篝火もランプもない。皆が懐中電灯を点けて、思い思いに闇を照らす。もう階段はなく、上がれるのは此処までだ。ただし天井まで、まだ八メートルほどある。

「誰もいませんね」と云う支槻に、レイモンドさんが「いや、」と首を横に振る。彼は懐中電灯を、天井へ向けた。

「目算だが、あれじゃあ高さが足りてねぇ。時計がある位置まで届いてねぇ。あの上にさらに五メートル程度、機械室か何か、ともかく部屋があるはずだ」

「ほう、秘密の最上階というわけですね!」

 ジェントル澄神が声を弾ませる。

「白生塔と同じだ。あはぁ……〈探偵学校〉の中に隠れられる場所がそう多くあるとも思えません。これはひょっとすると、左条や久架どころでない――桜野さんがいるかも知れませんよ!」

「だが澄上……」

 覇唐さんに肩を貸しつつ此処まで上がってきた桝本さんが、苛立たしげに云う。

「どうやってあそこまで上がるんだ? 梯子どころかロープの一本も垂れとらん」

「ボルダリングですかね。ご覧なさい、壁にはいくつもの窪みがあります」

 複数の光線が交差し、壁の窪みを照らしていく。螺旋階段の途中途中にあったのと同じ長方形の窪みだけれど、篝火はないし、それに配置が滅茶苦茶である。蜂の巣のよう……とまではいかないが、眺めているといささか不安になる光景だった。


挿絵(By みてみん)


「手を掛け足を掛け、のぼって行けと云うのか? 無理だろうそれは!」

 僕は先日の聖プシュケ教会を思い出した。十字架をひっくり返すためにボルダリングの真似事をやらされたけれど、今度は凹凸ではなく窪みだけ――その配置を見ても、とても尋常ではない。

「あは、冗談ですよ。不可能ではないかも知れませんが、超人にしかのぼり下りできないのではあまりにアンフェアです」

「では、どうやって……」

 そんななか、レイモンドさんは懐中電灯を動かしながら何か数字をブツブツと呟いていた。

「……なぁ誰か、誰でもいい、階段が何段あったか数えてきてく――」

「六十七段です」

 素早く応える無花果に、ひゅうと口笛を吹くレイモンドさん。

「さすがだな。ああ、それならピッタシだ。おい皆、からくりが解けたぜ。なんともまた馬鹿らしい――俺達がのぼってきた階段は、一段一段、全部壁から取り外すことができるはずだ。窪みに嵌められてるだけなんだよ、この壁にあるのと同じような窪みにな。そして取り外した六十七段を、正しいルートで、下から上まで順に差し込んで嵌めていきゃあいいんだ。ルートは分かってる」

 彼は懐中電灯の光で、そのルートをゆっくりと辿ってみせた。


挿絵(By みてみん)


「ちっとばかし面倒だが、取り掛かろうじゃねぇか。もちろん、こいつに慣れてるらしい天文部の奴らにも手伝わせてな」

 そして作業が始められた。支槻に拳銃で脅されて天文部も渋々といった感じで加わり――ご老体の覇唐さん、手錠が繋がっているために仕事がしづらいジェントル澄神と桝本さん、こんな肉体労働に従事するわけがない無花果を除いて――皆でせっせと進めた。

 まずは階段のポールをすべて抜き取る。それからは延々と、一番下の段を外して一番上まで持っていくという繰り返しだ。階段の幅を考えるとすれ違うのは危険だし非効率的だったので、バケツリレーに似た方式が採られる。段のひとつひとつはそれほどの重量ではなかったものの、それが六十七回ともなると、完了したころにはだいぶ疲れてしまった。

 ともかく、階段はすべて〈二階〉の床より上へと移動し終わり、そうやって辿り着いた天井は、持ち上げてみると人が通り抜けられるぶんの穴が開いた。

 お役御免の天文部は〈二階〉に残して(下りる階段がまるまるなくなったのだから、逃げられる心配はない)、残りの一同は〈三階〉――いや、〈最上階〉へ。

 その部屋は、片側では外の時計を動かしている機械がゴチャゴチャと犇めいていて、もう片側は教会――そう、教会になっていた。壁に十字架が掛かり、祭壇があり、長椅子が並んでいるのである。

 祭壇の上には、両手両足を縄で縛られて猿轡まで嵌められた陽子さんの姿がある。目立った傷はなく、ちゃんと生きていた。おそらく彼女は、時計塔にやって来たときに天文部が階段移動の作業をしているところを目撃してしまったのだろう。そして此処に囚われた。天文部は入口の外に見張りを立たせることにした。はるかちゃんが来たときに中に入れてもらえなかったのはそういうわけだし、僕らが這入ってこられたのは、階段移動の作業が終わっていたからだったのだ。

 さらに、もうひとり、長椅子のひとつに腰掛けている女性がいた。彼女は立ち上がり、僕らへ向き直り――「あら」――と、柔和な笑みを浮かべる。知的な顔立ち、ピンクのカチューシャ、ふくらはぎのあたりまで伸ばしたストレートの黒髪。

「花組の新入生は、はじめまして――ね。天文部の部長をしています、久架です」

 本当に、此処にいた。しかし見回す限り、他には誰もいない。左条も、桜野も。

「知りませんでしたよ、久架」

 支槻が若干の警戒心をこめて話し掛ける。

「時計塔にこんな秘密があったとは」

「ええ支槻、生徒会長である自分は、この学校のことならすべて知ってると思い上がっていた? 此処の秘密は、天文部だけに代々受け継がれるのよ。天文部はクリスチャンの寄る辺ですから」

 自慢するように、久架は優雅な所作で両手を広げ、この秘密の教会を全身で示す。

「この学校は空原神社と繋がりが深いでしょう? でも神道なんて糞喰らえなの。汚い言葉を使ってごめんあそばせ? ふふ。神様が八百万もいて堪るものですか。神とは唯一絶対のもの。なぜならば神とは〈真実〉だから。〈真実〉とは唯一絶対のもの。ゆえに〈真実への到達〉は私達、天文部でしか成し遂げられないのです。この時計塔は遥か先代の天文部が建てたのだとご存知? それは此処に教会をつくるためだった。La Maison Dieu――塔とは〈神の家〉であり、〈真実の家〉である」

「それでお前らは、連続タロットカード殺人を遂行中ってわけだ?」

 レイモンドさんが引き取った。

「お前らの目的は〈真実への到達〉。そのために空原神社から巻物を盗んで、そこに記された伝説――〈真実〉に到達する方法を調べた。次にその記述を、この時計塔と、タロットの大アルカナに結び付けて解釈した。実行犯はお前だろ。他の部員はサポート。たとえば此処の階段移動作業とかな。実行犯たるお前は、殺人のたびに〈地上〉に下りて、他の時間はこの〈天上〉に身を潜める。こいつが〈天と地を繋ぎ〉の意味ってわけか」

「ふふ。お利口なのね。ええ、私は部長ですから、特別なのです。でも殺人に手を染めてはいないわ。それは左条がやってくれているの。私は死体をタロットカードに見立ててあげるだけ」

「その左条はどこにいる」

「知らないわ。本当です。こういうとき――ふふ。思っていたよりも早く来てしまったけれど――こういうときのために、左条は私達に対しても身を隠しているの。ただ私にだけは、これから殺される人々と、その時間と、場所とが教えられています」

 では、これで先回りして左条を捕まえることができる――左条がこちらの動きを察知しても、その場合は犯行を食い止めることができる、と考えた人は多かったかも知れない。

 しかし、そう簡単にはいかなかった。

 久架は「ふふ」と笑って、長椅子の下からバケツを持ち上げると、頭の上で逆さにして中身の液体を全身に被った。

 誰かが「あっ!」と声を上げ、誰かが「なんと!」と後ずさり、誰かが「待て!」と足を前へ踏み出しかけるが――もう遅い。

 もう誰も、彼女に近づけない。

「お察しのとおり、灯油です。La Maison de Feu――〈火事の家〉。とは云いましても、十六番まではまだ遠い。私の死はタロットとは関係ありません。安心して。私が燃えるだけ。火事にはならないわ」

 久架は誰よりも穏やかだ。まるで、明鏡止水。穏やかに、長椅子から燐寸の箱を取り上げる。

「ふふ。私はおとりに過ぎなかったのよ。他の天文部員も知らないことだけれど、この大いなる計画は、すべて左条によって立てられた。素敵だわ。素晴らしいわ。彼女が、私達の悲願を、使命を、果たしてくれます。〈真実への到達〉。貴女達、邪魔しないでもらえるかしら? 探偵のやり方では、〈真実〉を掴めはしないのだから……」

 燐寸が擦られた。

 炎が久架を包み込んだ。

「え、」

「え、え、え、」

「まさかっ!」

「嘘でしょ嘘でしょ!」

 ドタドタドタドタと〈二階〉にいた天文部が階段を駆け上がってきて、僕らを押しのけ、燃えゆく久架へ向けて手を伸ばし、絶叫する。

「そんなっ!」

「部長ぉー!」

「部長ぉー!」

「なんてことっ!」

「久架部長ぉー!」

「逝かないでくださいっ!」

「久架部長ぉーっ!」

「ひぃさぁかぁぶぅちょおおお~~っ!」

 炎の中で久架は天を仰いだ。

 そして叫んだ。

「嗚呼っ、嗚呼っ、〈真実〉が見えます! さくらのみ――」

 あとは聞こえなかった。

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