8「真実に到達する方法」
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空は茜色に染まっていた。校舎裏から階段に這入ると既に真っ暗で、懐中電灯が必要になった。懐中電灯ははじめに学生鞄に入れられて配布されていた。
無花果が「身体が冷えたら困ります」と云うので、僕は半ば彼女を抱くようにしながら階段をのぼる。後ろでは、レイモンドさんと誠くんが覇唐さんにこれまでの事件の経過などを説明している。要領の良い話し方だし、相手はあの覇唐眞三郎なのだから、出遅れによるハンディキャップはすぐ埋まるだろう。
先頭はジェントル澄神と桝本さん。二人を繋ぐ鎖はあまり長くないので、とても歩きづらそうに見える。彼らは階段が二手に分かれる地点まで到達し、しかしジェントル澄神が「おや」と立ち止まった。
「貴女は空原神社の巫女ですね? 厄火さんと云いましたか」
懐中電灯の灯りが集中し、中途半端に桜野に似ている巫女装束の少女――厄火ちゃんは眩しそうに手をかざした。空原神社の方から階段を下りてきたらしい。
「知らせに参ろうとしていたところにございます。そちらの生徒のかたが、境内で死んでいますから……」
「何だと!」と桝本さんが声を上げ、厄火ちゃんはびくっと身を縮める。
「……来ていただけますか? 正直に申しまして、困っています」
「ええ、行きますとも」
振り返るジェントル澄神。
「皆さん、時計塔は後回しにしましょう。陽子さんには悪いですがね」
「境内で死んでるのが陽子ちゃんってのもあり得るしな」
「僕、生徒会長さん探して連れてくるっすよ。そうした方がいいでしょ?」
「あ、あたしも行く」
「はるか先輩は早く死者の確認するべきっすよ。じゃ、また後でー」
「…………」
それにしても、さすが心得ていると云うべきか、良いペースで人が死ぬ。白生塔事件じゃないが、放っておけば本当にどんどんどんどん人数が減っていって、容疑者が絞られてくれるんじゃないだろうか。――なんて、そう単純な構造ではないか。
無花果と僕は本日二度目となる、空原神社。
問題の死体は、鳥居の下にあった。
「ウェイト版タロット、大アルカナ二番『THE HIGH PRIESTESS』。予想どおりだったな」
パイプ椅子が置かれていて、死体は其処に南を向いて腰掛けている。鳥居から大きなザクロ柄のカーテンが垂らされていて、それが死体のバックとなっている。鳥居の二本の柱には、左に〈B〉、右に〈J〉の文字がそれぞれ墨で書かれている。死体の足元には段ボールでつくられた三日月。おかしな形の手製の帽子も、十字のネックレスも、すべて『女教皇』の絵柄と一致している。それが空と同じく茜色に照らされて、妖しく、幻想的に映えていた。
「しかし、陽子さんではありませんでしたね。名札には粉沼とあります。月組の生徒だ」
粉沼は満ち足りた表情を浮かべている。犯人によって整えられたのか、あるいは……。
「うん……? このガイシャの死因は何なのだ?」
桝本さんが気付いた。粉沼には見たところ、外傷がなかった。しかし露出している肌の色は生きている人間のそれではないし、瞳孔は開いているし、桝本さんが手首に触れたところ――「死んでいるな」
「ええ、蘭佳さんのときは死体が両腕両脚を切断され血まみれだったためにうっかり見逃してしまいましたが……彼女とて、両腕両脚の切断は後から呉山によって為されたことなのですから、目立った外傷はなかったのです。毒殺ですね、おそらくは」
「考えてみりゃ当然だ。『魔術師』も『女教皇』も血なんか出してねぇんだからな。出来得る限り死体の様を絵柄に近づけたいなら、内側からの死――毒を使うことになる」
「ほほ……となれば、解せぬ点がいくつか出てくるぞ」
やはり、途中参加であることなど早くも感じさせない。覇唐さんは自然と議論に加わっていた。
「毒は相手に飲ませる必要がある。殺害現場が此処であるなら、犯人は如何にしてそれをおこなったんじゃろうな? 殺害現場が別の場所であるなら、此処まで運んでくることは難儀であって危険でもあろう。いずれにせよ、刺すなり殴るなり首を絞めるなりした方が、犯人にとって遥かに容易じゃ」
「ふむ。それだけ、絵柄の再現にこだわっているということではありませんか?」
「それにしては、再現度があまり高いとは云えんぞ。外傷のあるなし以前にな」
穏やかな中にも、百戦錬磨の鋭い視線で、覇唐さんはジェントル澄神を刺した。ジェントル澄神は「ひっ」とこめかみをピクピクさせる。
それらのやり取りとは一種無縁な立ち振る舞いで、無花果が厄火ちゃんに問い掛けた。
「貴様が発見したときと、これはまったく同じ格好ですか?」
厄火ちゃんは質問の意味を判じかねたのか、ちょっと首を傾げてから応える。
「さようです……私は境内の掃除を終えました後、社殿の中で祈祷をしておりました。祈祷の最中では私の意識は此処にあって此処にはありませんので、周囲の物音や異変には気付きにくくなります。事はその間に行われたのでしょう」
「君が祈祷する時間は決まっているのですか?」と、ジェントル澄神が質問を挟んだ。
「厳密に定めてはいませんが、おおよそ、いつも同じ時間にしています」
「それを〈探偵学校〉の生徒達が知っている可能性はありますか?」
「ある……んじゃないでしょうか? 特に秘密にはしておりませんから。はい。そうして祈祷を終えて外に出ましたところ、このように奇妙なカーテンが鳥居に掛けられているのを見つけました。鳥居を回り込みますと、このとおりの光景となっていたのです、甘施様」
「嘘ですね」
無花果は断定した。
厄火ちゃんは硬直した。
「『女教皇』は両手に巻物を持っているはずです。この死体には、それが欠けています。貴様が取り去ったのでしょう。なぜなら、それは貴様が御神体から盗まれたと話していた巻物だったからです」
どういうことかと訝しんでいる周りの皆には、巻物の件を僕が簡単に説明した。先ほどの報告会では話していなかったのだ。その間、厄火ちゃんは唇を結び、やや怯えた目で無花果の視線に対していたが、諦めて首を縦に振った。
「申し訳ございません。私としましては、あの巻物についてあまり言及したくなかったものですから……ですが、この神社のことを想っても、皆様にはお話しするべきなのかも知れませんね……。少し、お待ちください」
一礼して社殿の中へと這入って行く厄火ちゃん。「困りますよ甘施さん、重要な情報を独り占めされては」とジェントル澄神が咎める声を、無花果は無視。間もなく戻ってきた厄火ちゃんは、両手で大事そうに巻物を握っていた。
「これがその、御神体である匣と共に、空原神社に伝わっている巻物にございます。盗まれていた間に、心なき者によって落書きがされてしまいましたが……」
巻物の表に墨で書かれた〈TORA〉という文字のことだろう。『女教皇』に描かれている巻物――秘伝の書と同じである。
「なるほどな」と僕は頷いておく。
「連続タロットカード殺人の犯人と一週間以上前にその巻物を盗んだ犯人は一緒か、あるいは繋がっていて、『女教皇』の見立てついでに巻物を返してきたってわけだな?」
「はじめから『女教皇』の見立てに使うつもりで盗んだとも考えられますが、いずれにせよ、巻物自体にも用があったのは確かでしょう」
淡々と述べる無花果。
「巻物の見立てをやるのに、わざわざこの神社の御神体の中に仕舞われている本物のそれを盗んだのですからね。さぁ、何が書かれた巻物であるのか教えなさい」
厄火ちゃんは無花果に巻物を手渡す。無花果は紐を解き、開く。あまり長くはなくて、中身も簡潔なものらしかった。ただし字体も文体も大昔のそれであり、そういった教養に富んでいない僕では読み下せそうにない。無花果はどうだろう? 彼女は横から覗き込もうとしてきたジェントル澄神に、放るようにしてそれを渡した。
「古文書だなこれは! 誰か読めるかたはいま――」
「どれ、儂が読もう」
覇唐さんが受け取り、ざっと目を通す。
「意訳するぞ……八百万の神、しかし時として、あるたったひとつのものが求められよう。真実である。この地には古くより霊力が満ちているから、超俗たる真実が現れる。俗なるやり方では見ること叶わぬが、同じく超俗たる術を用いれば、それを描き出すことも可能である。ここに記すはその、真実へと至る術である。すなわち、天と地を繋ぎ、十六の贄を以てして、真実に至るべし。人はひとりきりで人になり得るだろうか。物はひとつきりで物になり得るだろうか。森羅万象、天と地もまた然りである。それはまた逆説的に、別々ではない、ひとつのものである。通い合い、融け合い、本当の大霊力が生ずる。そこに十六の贄を揃えるのである。人の命は、魂は、頭にある。霊力もまた、頭に宿る。この地に満つる大霊力が十六の贄を連ねるはずである。真実を読むことができるはずである……」
束の間の沈黙。各々が、覇唐さんが読み上げた内容の意味を頭の中で探る。
「……さようです」
噛み締めるように、厄火ちゃんが云った。
「そこに記されているのは〈真実〉に到達する方法にございます。天と地を繋ぎ、十六の贄を以てして、真実に到達する……」
それを契機として、また皆が意見を述べ始める。
「重要なのはそこらしいな。具体的な数字が出ている。他は表現が抽象的で、いまは何とも云えそうにないぜ」
「十六の贄、ですか。まず思い付くのは、犯人が目指す被害者の数といったところでしょう。連続タロットカード殺人は一から始まって十六まで続く、というね」
「その場合、犯人はこの巻物に記されているとおり、〈真実〉に至ろうとしているんじゃな」
覇唐さんは丁重に、巻物を厄火ちゃんへと返した。
「〈真実への到達〉は、この学校の生徒達に課された使命という話じゃったな? では、誰が犯人でもおかしくはない」
「それは、」
僕も発言しておく。
「桜野が白生塔でやろうとしたことでもありましたね……」
「ああ、ならば桜野さんは、今度もまた、別の方法でそれをやろうとしているのかも知れません! この地に伝わる秘術を以てしてね。だからこそ、この地が舞台に選ばれた。高いメタレベルにおいて、これはそういう事件なのでは?」
「しかし、こいつは本物なのか? このような荒唐無稽な伝説……私には受け入れ難い。こいつも桜野美海子が拵えた設定かも知れんのだろう?」
「ほほ……面白いな。裏を読もうとすると、ぐるぐる堂々巡りして、表も裏もあべこべになってしまう……メビウスの帯のようじゃ」
そこで――「お連れしたっすよー。お、これはやっぱり例の『女教皇』っすか?」――誠くんが生徒会や風紀委員の生徒達を連れて、現場に合流した。
「まこと……」
先ほどから黙り込んでいたはるかちゃんが、彼に倒れ掛かった。それを受け止め、抱きかかえるようにする誠くん。
「あれー、どうしたんすか、はるか先輩」
「ちょっとね……具合が悪いんだよ。どこか別の場所で休みたい。にゃは……一時、戦線離脱だ」
声が震えそうになるのを、必死で堪えていると分かる。その目は、どうやら武装した生徒達――特に支槻生徒会長を避けているようだ。彼女が呉山を殺害するのを眼前で見たことが、はるかちゃんには大きなトラウマになってしまったらしい。
「仕方ないっすねー。じゃあ行きましょ。――皆さんすいませ~ん、僕達は先に戻ってます~。って云ってもどこに行くんだろう? はは、まぁ適当に、よろしくっす」
二人連れ立って、境内から出て行く。その後ろ姿を見送って、ジェントル澄神なんかは「脆い女の子だ。やはり不適格でしたね」と辛辣なコメントを口にした。「あれが当たり前の反応だ」と云う桝本さんは、何かに苛立ち、しかし何に苛立てばいいのか分からないでいるような様子だった。
「こほん……それで、どういったわけですか、これは」
支槻には――こんなの茶番とは重々知りつつも――僕が説明をした。巻物については、支槻も腑に落ちたような反応を示した。
「〈探偵学校〉設立の、大きな基礎となった伝説ですね。〈真実〉へと到達する方法……しかしそれは、遠い昔に禁じられた儀式です。具体的なやり方については分かりませんし、私達が使命に掲げる〈真実への到達〉は、その再現というわけではありません」
「独断専行……いえ、抜け駆けみたいなものですよ」
宗頃という生徒会の女性が、鼻持ちならないといった感じで吐き捨てた。
「冒涜的だ。ズルですよ。ナンセンスだ。今更になって、そんな大昔の伝説に頼ろうとするなんて」
「いずれにせよ――〈探偵であれ、探偵であれ〉――です。〈真実〉を掴むために殺人を犯し、犯人に成り下がるようなら、それは探偵学校の生徒たる資格がない。私達の対応は変わりませんよ。死刑です、そのような無法者は」
この台詞は、果たして桜野が指導したものなのだろうか……? もしそうなら、ちょっと自虐が過ぎると思うのだが、冗談のつもりだろうか……?
「くっくっくっ……そういうことか」
タロットカードの解説書をめくっていたレイモンドさんが、可笑しそうに肩を揺すった。
「分かったぞ。犯人がやろうとしていることが」
「ふむ、聞かせてもらいたいですね」
ジェントル澄神が、やや挑戦的な調子でそう云う。どうにも彼は端々から道化っぽさが抜けないなと思うけれど、それはいいとして、レイモンドさんが話し始める。
「十六の贄が必要な被害者の数だとしても、タロットの大アルカナは0番から二十一番までの二十二枚ある。じゃあ十六番は何なのかと云えば――『THE TOWER』――塔だ。そして古代メソポタミアにおいて、塔ってものは天と地を繋ぎ、神々が地上に降り立つ道筋を提供する目的があったらしい。ふん、ぴったりじゃねぇか。〈天と地を繋ぎ、十六の贄を以てして〉だよ。まぁ『塔』の絵の解釈と厳密に照らすといくつか齟齬もあるが……しかし犯人が連続タロットカード殺人なんてやってるのは、空原神社の伝説とタロットカードの『塔』との間に、こうした符号を見出したためと見て間違いないだろう」
レイモンドさんは親指で、背後の――此処からでも木々の上へと突き出た天辺が見えている――時計塔を指し示した。
「行こうぜ。陽子ちゃんがいなくなっちまったことから考えても、おそらくあそこに犯人がいる。天文部がグルなんだ。どうだろうな……『塔』の絵には転落する二人の人間が描かれてるが、左条と久架っつう二人の天文部員が行方不明なのまで含めて……こりゃあどうにも、正解しすぎてるように思うぜ?」




