6「愛と憎しみの蜘蛛人間」
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蜘蛛だった。
校舎四階の第二理科室の隣の理科準備室のさらに隣に生物部が使用している小さな部屋があって、その奥のテーブルの上に裸で仰向けに寝かされている観篠の死体には、両腕と両脚が余分に二本ずつくっ付けられていて、八本の手足を持つ蜘蛛人間と化していた。
それだけでなく、死体は首の下から下腹部まで胴体を縦に切り開かれており、いくつかの臓物は取り出されて死体の脇に並んでいる。チカチカと明滅する照明の感じと合わさっていかにも凄惨たる光景であり、鼻が曲がりそうな臭気が立ち込めていた。
皆、死体の様子をいちおう確認した後に、第二理科室に移動。僕ら花組は既に――見つからなかったという陽子さんを除いて――勢揃いしていて、他に生徒が十名ほどと、彼女らと区別されて黒板の前に立ち、注目を一身に集めている生徒がいる。制服の上から血で汚れた白衣を羽織り、インテリジェンスなふちなし眼鏡を掛け、手入れのされていないボサボサの髪で片目が隠れてしまっているのが特徴的な女子だ。
「さ、あたし達にした話、みんなにも説明してあげてチョーダイ」
はるかちゃんに促されて、その生徒――雪組、生物部部長・狩草は不承不承といったふうに頷いた。右の掌に乗せたアシダカグモを左手の指先でつんつんしながら、ひどく物憂げに話し始める。
「昼になり生物部室にやって来たところ、観篠くんの死体がテーブルの上に置かれていた。死因は、後頭部を何らかの鈍器で殴打されたためだろうな。頭蓋骨が陥没しているよ。後で確認したまえ。それから、君達も見たとおり、両脇に別人から切り取られた四肢を縫合されていた。蜘蛛のつもりなのだろう……」
チッ、と舌打ちする狩草。直後、その片目が、にわかに爛々と輝き始める。
「これだから素人は困るのだ。あんなふうに針と糸を使って雑に四肢を付け足したところで、蜘蛛でも何でもないよ。蜘蛛にあるのは歩脚であって人間の手足とは違う。それでも形態を近づけるとするならば、そうだな、六本の腕と二本の脚にすべきだ。そもそも頭胸部と腹部からなる体の構造からして違うのだから当然なのだが、消化系や呼吸器系、循環系や排出器官、そのすべてが種類、つくり、位置を異にしている。附属肢はどうする? 出糸突起は? まったく話にならない。蜘蛛の体は機能性の名の下に、極めて理想的に過不足なく整えられた奇跡だ。人間のような欠陥だらけの身体とは違う。重力のある地球で二息歩行の生物だなんて馬鹿だからな。腰や背骨が駄目になってブーメランみたいな格好でみっともなく歩いている老人を見たまえよ。無駄にゴチャゴチャしていて、非合理的の権化みたいな身体だぞ、人間は。進化の過程が不細工なんだ。要らない器官や筋肉ばかり残ってるくせに、すぐ怪我をする、病気に罹る、死ぬ。なるほど、人間は色々な道具を開発して文明を発展させたがね、道具とはつまり体機能だけではまかなえない仕事をやるために、ある種、身体を〈拡張〉しているわけだ。そう、人間の身体はそれだけではまったく役に立たない。身体ひとつでライフスタイルを確立できないのだ。しかし、なんとアメージングだろう。糸を出すことができる蜘蛛は、それによって――まぁ種類によって違いはあり、そこがまた興味深い点だが――網を張って標的を捕らえたり、住居をつくったり、卵を包んで保護したり、命綱をこしらえたり、空を飛んだり、コミュニケーションしたりする。道具なんぞ要らない。蜘蛛は一生を、その体に備わった機能のみで十全に――」
「ちょーーっと待てやーーっ」
ヒートアップしてきた狩草の話を、はるかちゃんが遮った。
「は・な・し・が・逸・れ・て・ま・す。あんたが蜘蛛大好きなのはもう分かったから」
観篠の死体があった部屋には、両側の壁を塞ぐ棚に、五十を超える数の飼育ケースが並んでいて種々の蜘蛛が蠢いていた。はるかちゃんは蜘蛛が苦手らしくて、この部屋を発見したときにはショッキングな死体も相まって気絶しかけたらしい。明るく振舞ってはいるけれど、よく見ると血の気が失せているし、かなり無理をしているようだ。
「ああ……とにかく私は、あの雑なつくりの蜘蛛人間が許せなかったのだよ。観篠くんだって――彼女は私以外の唯一の生物部員であり、同じく蜘蛛を愛する同志だったから、自分の死体を蜘蛛にされるならば、きちんと蜘蛛にして欲しいに違いないと思う。私は蜘蛛人間を完成させることに決めたのだ。だから誰にも、観篠くんの死を知らせなかった。蜘蛛人間として完成させてから知らせようと考えていたのだよ。全校集会から戻った後に早速、制作に着手した。まずは臓物を取り出して骨を抜くため、胴体を切開した。だが開始して間もなくだよ、そこの長閑くんと句詩くんに見つかってしまった。参ったな」
その経緯については、此処まで来る途中ではるかちゃんから聞いていた。はるかちゃんと誠くんは校舎の三階・四階の調査を割り振られており、観篠の死体を見つけ、誠くんが狩草を見張って、はるかちゃんが僕らを呼びに回ったらしい(彼女は死体の傍にいるのはご免だったと云う)。
「要するに、貴女は蘭佳のことも観篠のことも殺していないのですね?」
生徒会長・支槻がそう確認した。彼女の両脇には、武装した生徒会役員と風紀委員がひとりずつ控えている。
「そうだ」
疎ましげに首肯する狩草。
「あり得ないことだよ。同志である観篠くんを殺したりするはずがないし、他人の手足をくっ付けて蜘蛛にしようだなんて、そんな蜘蛛に対して理解のかけらもない企画を私が立てるなど以ての外だ。あくまでも、ただ中途半端な状態で渡されたから、それなら完成させてやろうと考えただけであってね」
「そうですか。しかし、これでは犯人は分からないままですね。新たに観篠の死亡が確認され、蘭佳の手足が発見されたというだけで……」
観篠の死体に縫合されていた四肢は、蘭佳から切り取られていたそれであるということで話が進んでいる。別に構わないだろう。まだ残っている行方不明者の内の誰かから切り取られたそれであるという可能性もあるにはあるけれど、今のところはそこまで疑う必要はない。
「にゃは。ところがどっこい、もう全部分かっちゃってるんだなー」
はるかちゃんがパンパンと手を叩きながら、狩草を押しのけて皆の前に立った。それとほぼ同時に――先ほどから廊下をこちらに近づいてくる複数人の足音は聞こえていたのだが――扉が開けられて、武装した生徒二人が間にひとりの女子生徒を抱え込んで這入ってきた。
「ご苦労さーん」とはるかちゃん。抱えられてきた女子生徒を指差して、
「紹介するよ。って云ってもあたしだって今初めて会うけど――月組の呉山さん。蘭佳殺しと観篠殺しの犯人ね。探してひっ捕らえてくるよう手配したんだ、あたしが」
呉山は不貞腐れた表情で、黙ってそっぽを向いている。はるかちゃんは続ける。
「狩草さんを問い詰めたらゲロりましたわ。こんなことする奴の心当たりってことで――その呉山さんは前に狩草さんに愛の告白をしたそうで、狩草さんはそれを袖にしましたそうで」
「事実ですか?」と支槻が問いかけ、依然として黙している呉山の代わりに狩草が頷く。
「私は蜘蛛にしか興味がない。人間との恋愛にかまけている時間はないのでね」
直後、呉山が「ああっ!」と声をあげて狩草の方へ振り向いた。暴れそうな兆しが見えたために両脇の二人が抑え込むが、呉山はそれでも涙ぐんだ目で訴える。
「馬鹿なことをしました、私っ! でも狩草先輩のそういう研究人間なところも愛してるんです、本当にっ! 愛してる、愛してるんですよっ――なのに私、嗚呼っ――また前髪を掻き上げて、私にその麗しいお顔を見せてくださいませんか?」
狩草は取り合おうとしない。支槻はやや呆れた感じで、はるかちゃんへ視線を戻した。
「それで、どうして呉山は蘭佳と観篠を殺したんです? 想いに応えてくれない狩草を殺したのであれば、ある種の復讐として理解できますが……」
「んー? 嫉妬だよ。それにちゃんと、復讐でもあるね。会長さん、恋したことない?」
誠くんが「え、はるか先輩はあるんすか?」とひやかすが、はるかちゃんは「邪魔するなや!」と怒鳴って、話に戻る。
「自分の想いには応えてくれないのに、蜘蛛にだけは愛情を注ぐ狩草先輩。ここでひとつ、呉山さんの嫉妬の対象は蜘蛛だったんだね。さらにもうひとつ、と云うかもうひとり、観篠も嫉妬の対象だった。なぜなら観篠は狩草さん以外の唯一の生物部で、狩草さんは観篠を同志と認識していて、それは恋愛ではないにせよ、呉山さんから見れば特別な関係性であって、自分が疎外されているふうにも感じられて、そういうのって恋する乙女にとってめちゃくちゃ辛いし、切ないし、許せないことだよ。だから呉山さんは、観篠を殺して死体を蜘蛛に見立てて狩草さんにプレゼントしたんだ。それは狩草さんに対する復讐でもある。うん、そういうわけだから、まぁ蘭佳は関係なかったんだけど、観篠の死体を蜘蛛にするためには手足が必要だったからね、てきとーにもうひとり殺す必要があったんでしょーよ。そうだよね、呉山さん?」
「やり切れなかったんだ!」
呉山は狩草だけを見ている。
「こんなに愛してるのに、こんなにこんなに愛してるのに、狩草先輩は観篠と二人で蜘蛛ばっか見てる! なら大好きな観篠を大好きな蜘蛛にしてやれば、幸せなんじゃないの? 喜ぶんじゃないの? ねぇ応えてよ狩草先輩! これで満足でしょ! そうじゃないなら、もしもそうじゃないんなら、どうして私を見てくれないの、愛してくれないの! ああ、ああ、ああ、そういう、そういう気持ちでしたっ! それで衝動的にっ――」
と、ここで呉山は突然、憑きものが落ちたかのように、冷静な、いっそ呆けているみたいな態度に変わった。
「――でも私、蘭佳のことは殺してないよ」
場は、混乱の度合いを増していく。これまで静観の構えでいた僕ら花組だったけれど、さすがに桝本さんが音を上げて「じゃあ何なのだっ」と荒々しい声を発した。
「あの蜘蛛人間をつくったのはお前さんなんだろう? それは認めているようだ。しかし何だ、蘭佳は殺してないというのは……つまり観篠はやっぱりお前さんが殺したんだが……んん? 手足を付け足すために、蘭佳のことも殺したんじゃないのかね!」
「うるさいなぁ! 逆なんだよ!」
呉山も負けじと声を荒げる。
「私は花壇で蘭佳の死体を発見したんだ。たぶん、第一発見者だった。そこで、その手足を借りてくことに決めたんだよ――観篠を殺したのはその後なの! 観篠を殺して蜘蛛に見立てて狩草先輩に見せてやろうって考えは――嗚呼、狩草先輩ごめんなさい――前々から、あくまで空想として、私の中にあった。でも実行しはしなかった。誰か別の人間から手足を引っこ抜いてくる必要もあったし……現実的じゃない……それが蘭佳の死体を発見したときに、現実的に変わったんだよ、私の中で! どうせ殺されちまった人間からなら、手足を持って行ったって構わないでしょ! 有効活用さ! だから私は急いで――うん、急ぐ必要があった、迷ってる時間はなかった――家庭科室から肉切り包丁を持ってきて花壇で蘭佳の手足を――」
「あっは! 案の定だ! あっはっはっはっは!」
唐突に笑い始めたのはジェントル澄神だ。
「ほらね、私が花壇で推理したとおりだったじゃありませんか! 第一の犯人が蘭佳を殺害して『魔術師』の見立てを施し、そこで終わるはずだったのが、後から第二の犯人によって手を加えられた――すなわち、呉山によって四肢を切断され持ち去られたというわけです!」
「…………そう、そういうことだよ。蘭佳の手足を切って、それから観篠を殺して、蘭佳の手足をくっ付けて、生物部室に置いておいたの。一度始めたら、最後までやり遂げるしかないでしょ? そうなんです、許してください、狩草先輩……」
深く頭を下げる呉山。だが狩草の方は窓辺に立って掌に乗せたアシダカグモに接吻するばかりで、謝罪を受け止めようとはしない。
「こほん……では結局、蘭佳殺害の方は依然として謎が残され、事件は解決してはいないのですね?」
支槻が若干の失望の念と共に、誰にともなく問いかけた。そこで「にゃはは」と得意そうに笑ったのが、はるかちゃんだ。
「そうは問屋が卸しません。解決だよ。ここまで全部が思ってたとおりだと、自分の才能が怖くなりますなぁ」
「お、何すか。はるか先輩、めっちゃ名探偵っぽいじゃないっすか」
「いかにも! あたしってば名々々々々探偵くらいのもんよ。呉山が蘭佳殺害の方を否定するだろうってことは分かってたの。それこそが、あのタロットカードの見立ての意味と、呉山の狙いなんだからね」
「は? 何の云いがかり?」と呉山。
「黙りなさい犯罪者め! 観篠の死体が発見されれば、動機の線からいってすぐ自分に容疑が向くとあんたは分かっていた。だからあんたは罪を軽くするために、蘭佳の死体にタロットカードの見立てを施したんでしょ。そうすれば――そこの阿呆なジェントルが騙されたみたいに――本来はタロットカードの見立てを施すために蘭佳を殺害した第一の犯人がいて、自分は後から手足を持って行っただけなんだって云い訳が立つんだからね。つまり犯人はあんたひとり! 蘭佳を殺したのも観篠を殺したのもあんた! 事件は名々々々々々々探偵・長閑はるかによって解決された!」
はるかちゃんはビシッと決めたつもりらしかったけれど、周りの反応はどうにも冴えないものだった。
「うーん、はるか先輩、それってあまり意味なくないすか? 観篠を殺したことは認めるわけですし、蘭佳殺しの方だけ誤魔化したってねぇ……」
「えー? でも実際さー、蘭佳の死体を発見してから衝動に突き動かされて観篠殺しただけって聞くと、何だか全然、大したことじゃないふうに聞こえない?」
「ふん、それは貴女の間抜けな感覚でしょう? よくも私を阿呆呼ばわりできたものだ。観篠の殺害を認めている時点で――しかも、それがすぐに自分が犯人だと辿り着かれてしまう杜撰な犯行であったとなっては――蘭佳殺しの方にだけ計画犯罪的な機転を利かせることに意味はありませんし、また、そうしたとも到底考えられないのですよ。阿呆は貴女です」
「何だとー! あたしの推理を採用すれば事件はぜーんぶ解決なんだから、それでいいじゃん!」
「アンビリーバブル! 正気ですか! まったく解決していない事件を破綻した推理で以て強引に解決させるなど――あり得ない! 貴女は探偵というものを侮辱していますよ!」
「さっ、詐欺師に云われたくないわよ! 馬っ鹿じゃないの? こんなの謎解きゲームなんでしょ? 人は死んでるけど――本当の殺人事件じゃない! 早く終わらせられるなら、早く終わらせるのが一番良いわ!」
「ですから、そんなやり方では終わらないと云っているのですよ! 畜生、この娘は桜野美海子さんが用意したこの神聖なる謎解きのステージには不適格すぎる!」
はるかちゃんとジェントル澄神の云い合いになっていきかけたところで、「あーーっ!」とレイモンドさんが無理矢理に遮った。彼は呉山に目を向けて、
「ひとつ訊きてぇ。あくまで空想の域であったとは云っても、かねてより殺人の構想を頭ん中に持ってたお前が蘭佳の死体をはじめに発見して、さらに構想を現実のものにしたってのは、たしかに少し偶然が過ぎるぜ。だが、蘭佳を殺したのもお前なんだろって話じゃねぇ。その偶然、悪意を持った誰かによってつくられたんじゃねぇのか?」
再び、皆の注目が呉山に集まる。呉山は一度溜息を吐いてから、首肯した。
「頭良いんだね、新入生。うん、私が蘭佳の死体の第一発見者になったのは、あの場所に手紙で呼び出されたからだ。それが事件に関係あるのかは分からないけどね。ねぇちょっと、」
自分を脇から抱えている風紀委員を睨む。
「私の左ポケットにその手紙あるから、取ってよ」
風紀委員はその通りにする。二つ折りにされたA4用紙が一枚、出てきた。
「読むから、開いて私に見せて――うん――ワープロ打ちの短い文章で、これだけだよ。『今日の十一時、校舎裏の花壇にひとりで来るといい。君の欲しいものがある。なお、この手紙については誰にも話さないこと。読んだら燃やそう』ってね。今朝、下駄箱に入れてあったんだ」
「それも偽装でしょ! 悪知恵の働く奴だ!」と云うはるかちゃんを無視して、レイモンドさんは「送り主に心当たりは?」と訊ねる。
呉山は視線を逸らし、躊躇う様子を見せる。
すると今度は支槻が「答えろやボケぇ!」と恫喝。それで呉山も観念したらしく、小さな声で告げた。
「左条先輩……。前に私の相談に乗ってくれたから……。観篠を殺して蜘蛛人間にして狩草先輩に見せてやりたいってことも、冗談っぽくだけど話したし……左条先輩の他には話したことないし……だから『君の欲しいものがある』って云って、蘭佳の死体を最初に発見させてくれたんじゃないかなって、思うけど……」
その告白を聞いて、周りの生徒達がひそひそと言葉を交わし始めた。左条というのはたしか、一週間前から行方不明になっている雪組の生徒ではなかったか。
「その推測が正しいなら、左条って奴は重要参考人だな。呉山に犯行を促したのもそうだし、今朝の時点で、蘭佳が殺されることとその場所を知ってたことになる。しかもそいつ、行方不明の奴だろ?」
「ふむ。分かりやすい容疑者が浮かび上がりましたね。ミスリードか、あるいは……」
この短時間で次々ともたらされた情報の意味を、探偵達は考え始める。
「はるか先輩、どうやら先輩が思ってたよりも謎の懐は深いみたいっすね」
「うるさいなぁ……あたしだって分かるよ、さすがにね……」
はるかちゃんは子供みたいに拗ねていて、彼女のそういう気合いに実力が追いつかないところはなかなか可愛いなぁと思って見ている僕だったが――読心術の心得がある無花果に足を踏まれた。すみません。
支槻は呉山に確認のような質問をし始める。
「貴女が発見したとき、蘭佳の死体は手足がある状態で、他は後に私達が見ることになったそれと同じでしたか?」
「たぶんそうですね。ああ、右手にはバトンを握ってましたよ」
「何か気が付いた点、不審に思った点はありますか?」
「特にないですけど。自分のことで必死でしたし」
「左条の居場所や、行方が分からなくなっている理由などに心当たりは?」
「ありませんね。私だって知りたいですよ」
「蘭佳を殺害したのは左条だと思いますか?」
「さあ、知りません。左条先輩なら何をやっても不思議じゃないとは思います」
「事件について他に証言できること、些細なことでもありませんか?」
「ないでしょうね」
「もう一度確認しますが、観篠を殺害し、蘭佳の四肢を縫合して生物部室に置いたことは認めるのですね?」
「認めますよ。嗚呼、狩草先輩、どうか私をゆ――」パアンッ!
一瞬の出来事だった。支槻は懐から拳銃を取り出して、躊躇うことなく呉山の眉間を撃ち抜いたのだ。呉山の血や脳漿が飛び散り、彼女を抱えていた風紀委員と、その近くに立っていたはるかちゃんにかかった。
「何をしているかァ!」
桝本さんが立ち上がり、鎖で繋がったジェントル澄神を引きずるようにしながら支槻に詰め寄った。だが支槻は澄まし顔で、今度は銃口を桝本さんへと向ける。
「学校の風紀を乱す人間――しかも殺人犯となれば、殺すしかありません。今後もこのようなことをされては困りますからね。貴方も、私達生徒会の職務を邪魔するのであれば、処罰の対象になりますよ?」
「貴様ァ…………」
今にも脳の血管がはち切れてしまいそうな桝本さん。しかし此処では、彼が捜査一課の刑事であることも意味を成さない。
はるかちゃんは床に尻餅をついていて、何が起こったのか分からないという表情で、風紀委員に抱えられたまま息絶えている呉山を見上げている。首を後ろにかくんと折った呉山の後頭部からは、絶えず血が流れ続けている。
「では、私はこれで失礼します」
支槻は立ち上がった。
「冷垂書記と緑季で生物部室の観篠を、押洲と平落でその呉山を、蘭佳と同じ部屋まで運びなさい」
そして立ち去って行く。残りの生徒達もゾロゾロと。
此処でのイベントは消化し終わった――と云ったところか。
僕ら花組だけが残った。
「あいつら……好き勝手やりやがって……」
怒りに震える桝本さんを、ジェントル澄神が「まぁまぁ」と宥める。
「お気持ちは分かりますがね、犯罪者達が内輪揉めで内部粛清をしたようなものと思えばいいでしょう。もしや桝本さん、これが桜野美海子さんのつくり上げた箱庭の中――一大茶番劇の世界なのだと忘れているんじゃないですか?」
「……頭がおかしくなりそうだ。いや、おかしいのは奴らの方だな。私にはついていけん」
「とりあえず、」
レイモンドさんが腰を上げる。
「場所を変えようぜ。さっき花組――つまり俺達の教室を見つけたんだ。ここらで一旦、状況を整理しといた方がいい」
皆がその提案に同意した。無花果だけは終始、無言を貫いていたけれど。
彼女の脳内では今、どこまで考えが進んでいるのだろうか。
少なくとも僕は、いまいちよく分からない。何かが特別らしいこの事件。おそらくはまだ、その表層がわずかにめくれた程度なのだろう。




