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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
桜野美海子の逆襲・探偵学校編
62/76

5「空原神社の巫女」

    5


 無花果が空原神社に当たりをつけたのは当然の話で、と云うのも、わざわざエリアに含めているということは何かに使うのだ。桜野――ジェントル澄神の云い回しを借りれば〈作者〉――の意図を汲むというメタフィクション的な推理。白生塔事件でも見られたその特徴が、今回はより意識的に推し進められている。

 校舎裏の池の東側から、細い階段を上って行く。途中で左右に分かれ、右に進めば時計塔、左に進めば空原神社。この空原神社という名称は、桜野の命名ではなく正式なそれだ。事前に少し調べておいたのだが、元々は〈空原〉というのがこの地域の名前で、空原山や空原神社はそのまま残り、麓の町は時代が下るなかで〈楚羅原〉という字を当てられた。楚羅原高校が建てられたのはその後のことである。

 階段を上りきって境内に這入った。此処までの階段もそうだったが、密に生えた木々によって視界は遮られ、この神社も陰と静寂に沈み、秘密の場所めいた雰囲気を湛えている。

 社殿は境内の中央奥に建ち、その前方に鳥居が、どちらも南を向いている。境内にあるものと云ったらそれくらいで、出入口は東西にひとつずつ。ただし西側のそれは木と木の間に地面から頭の上くらいの高さまで何重もの有刺鉄線が張られて塞がれている。それは西の出入口だけでなく、神社の敷地を北側を回ってこちらまで仕切っており、此処までの階段でも右手をずっと続いていた。要するに、生徒手帳の地図で示された赤線だ。

 いるのは僕らだけかと思ったが、ざっざっ……と箒を掃く音が聞こえる。鳥居の辺りまで進んで、社殿の陰に女の子をひとり見つけた。歳のころは十五歳前後。長い黒髪を後ろでひとつに束ね、お尻の下くらいまで垂らしている。白衣に緋袴という格好から巫女さんだと分かるけれど、空原神社は無人神社のはずだし、有刺鉄線で囲まれたこの中は〈探偵学校〉のエリア内――そのうえ、女の子の微妙に桜野に似ている顔を見れば、考えるまでもなく、桜野によって役割を与えられ此処にいるのは明らかだった。

「こんにちは」と、僕が声を掛ける。無花果は境内でも関係なく煙草をふかしている。

 巫女さんは控えめに微笑んで「こんにちは」と返し、それだけだ。箒を掃くちまちまとした挙動など、少なくとも此処での設定上は、物静かな子らしい。

「空原神社の巫女なんだよね?」

「さようでございます」

「見たところ君ひとりみたいだけど、神主さんなんかもいるのかな?」

「いえ、此処には私のみでございますよ」

「自己紹介がまだだったけど、この下の学校にさっき入学したばかりなんだ。僕が塚場壮太で、彼女は甘施無花果。君は何て云うんだろう」

厄火やくびと申します。よろしくお願いしますね、塚場様、甘施様」

「うん、よろしく」

 なんて云うけれど、こんなのはすべて茶番で、お互いにそれを知りながら下手なお芝居をしているだけだ。現実とは違い、探りを入れるならばある程度は直截的でいいし、そうでなければ埒が明かない。こちらが求めれば、情報は素直に開示されるだろう。此処では伏線はすべて、フェアに揃えられる。桜野が大好きな、甘っちょろい推理小説の世界なのだから。

「最近、此処で何か変わったことはあった? それとも厄火ちゃんが気になってることだとか、何でもいいんだけど」

「……どうしてですか?」

「どうして、こんなことを訊ねるのか、ってこと?」

「さようです」

「学校で殺人事件が起きたんだ。全校生徒でその捜査にあたってて、少しでも手掛かりになるようなものが欲しいんだよ。関係なさそうでも、ほんの些細でも、実は真相に繋がるなんて場合は」――ミステリだと――「多いからね」

「殺人、ですか。嗚呼……」

 厄火ちゃんは悲痛そうに眉根を寄せ、天を仰いだ。僕も釣られて見上げる。雲ひとつない、澄んだ十月の空。

「……死んだのは、おひとりですか?」

 いまはまだ考えても仕方ないが、この厄火ちゃんにしても他の生徒達にしても、どの程度まで知っているのだろう? あらかじめ〈プロット〉を渡されているのか、基本設定のみで展開は分からないのか、それとも人によって差があるのか。

「発見されたのはひとりだけだよ。でも、増えるかも知れない」

「さようですか。……私が申せることは、空原神社に伝わる巻物がいつからかなくなっている……おそらく、誰かに盗まれてしまったということくらいにございます」

「へぇ。どういう巻物?」

「此処の御神体は、その社殿の奥に祀られておりますはこです。盗られた巻物は、その匣の中に収められておりました。十日ほど前に、その匣の鍵が壊されていることに気付き、開けてみますと巻物が消えていたのです」

 空原神社の詳しい縁起については知らない。その匣と巻物は、本当にこの空原神社に伝わってきたものだろうか。それとも桜野が新たに設定したものだろうか。

「御神体は匣の方で、中の巻物は違ったの?」

「私はそう聞いておりましたが、巻物もまた大事なものに相違ありません」

「どんなことが書いてあったのかな?」

 厄火ちゃんは箒を握る手に力を籠めたらしかった。

「私から申しますのは、憚られます……しかし、〈探偵学校〉の生徒のかたでしたら、ご存知のはずですよ」

 先輩に訊け、ということらしい。まぁその巻物が本物であれ、今回のために作られた小道具であれ、こんな小さな神社の社殿で、鍵を壊されたくらいで盗んでしまえる代物だ。秘伝というほどでもない。その割に、自分が教えるのは憚られるとの変な話だが。

「其処の小径こみちは何ですか?」

 無花果が初めて質問した。視線が示す先――境内の南側、中央よりやや西寄りに、たしかに傾斜を下りていく小径のようなものがあった。いちおうはエリア内ということになるけれど、生徒手帳に載せられた地図には書かれていなかった。

「はい……下りて行きますと、久井世くいせ冬詩とうし様のお墓があります」

 久井世……校舎裏にある池も、その名前を冠している。「どういう人だったんですか?」と訊いてみたが、

「申し訳ありません……それも、私から申しますのはいささか……」

 厄火ちゃんからは芳しい情報は引き出せない仕様みたいだ。

 無花果は小径に這入って行く。僕も続く。階段は設けられておらず、木々の隙間を縫うようにぐにゃぐにゃとした、歩きづらい径だ。おまけに枝と葉が屋根となって頭上を覆っているせいで、夜のように暗い。

 そして猫の額ほどの場所に出る。雑草は取り除かれ、土と、墓石がひとつあるのみ。小径は此処で終わりだ。

 墓石には『久井世冬詩之墓』と刻まれている。家ではなく個人。供え物はない。

「最近造られたものには見えないけど、そういう加工かな?」

「これだけでは、どうとでも考えられますね。早く済ませたいと云いましたが、ある程度の時間は要しそうです。おそらく、桜野美海子は横着を許さないでしょうから」

「ああ、なるほど」

 無花果の悪魔的な推理力は、伏線や手掛かりが充分に揃うのを待つまでもなく、真相を当てることができる。細部までは詰められずとも大枠は理解できるし、そうでなくともいくつかのパターンに絞り込むことができる。ゆえに無花果はいつも、犯人やその他の関係者を掌の上で躍らせ、事件そのものを思うがままに蹂躙できる。

 しかし今回は事情が異なる。これは桜野が整えた謎解きゲームだ。ルールは桜野である。彼女はフェアプレイをうたう推理小説と同様、必要な伏線や手掛かりが揃ったうえでの推理でなければ認めないだろう。無花果が得意とする、ハッタリや証拠のでっち上げや、ありとあらゆる操作や介入、時として事件の構造までつくり変えてしまうような芸当は封じられている。

「ちゃんと盤上で戦わないといけないってのは、お前にとって退屈だろうな。いや……」

 だがそれでは、無花果らしくない。

「それでもやっぱり、決められたとおりにやるつもりなんてないんだろ?」

「今回の私は非常に大らかな心を持っていますよ。本来、器は誰よりも大きいですしね」

 無花果は僕を見上げて、悪戯っぽく笑う。

「相手の土俵に立ってあげています。云われたとおりに暗号を解いて此処に来て、だっさい制服を着てあげています。きちんと桜野美海子のルールに則って勝利することが、まずは必要だからです」

 細い指が伸びてきて、僕の唇をなぞった後、口の中に押し込まれる。

「桜野美海子という人間は、自分ひとりの中で世界が完結している人間です。彼女は究極的に、誰に何を云われても、誰に何をされても、気に留めません。彼女にとっての関心事は彼女の中にしかありません。まずはそこに這入らなければ、彼女を私の土俵まで引きずり上げることはできないのです。彼女を本当の意味で潰すことはできないのです。その魂に、真の敗北を刻むことはできないのです」

 おそらく、正しい分析だ。僕が知る限り、桜野は悲しんだり怒ったり悔しがったり悩んだりしたことが――小説関係において以外で――一度もない。人間関係や生活面、自らの人生に対してさえ、彼女はまったく興味を示さなかった。誰が何をしようと、どうでもいい人間なのだ。彼女に勝利することは、きっと無花果でなくとも、不可能ではない。しかし彼女に敗北を認めさせることは、これは無花果でも、極めて難しいはずである。

 僕が今回の事件で抱いている違和感の正体も、そのあたりにあるのだろう。桜野が勝ち負けなんてものを気にしているとは思えない。勝ち負けも、強弱も、優劣も、それらは桜野が一度だって関心を示さなかった概念だ。この謎解きゲームは、たしかに一見すると桜野が好きそうでありながら、実はその本質とは限りなく離れている。

 どうして桜野は、こんなくだらないことをしているんだ?

 全国民を敵に回して大犯罪を指揮するだなんて、彼女はそんなことがしたかったのか?

「壮太には、分からないと思いますよ」

 僕の咥内を二本の指で弄り回しながら、無花果が云う。

「貴様は私に引けを取らない頭脳を持つ、唯一の人間です。認めてあげましょう。しかしながら、今回に限り、貴様には〈桜野美海子の真実〉を解くことができない」

「ひんじつなんて、そんざい、しないはろ」

「分かっているくせに」

 舌を摘ままれる。

「それは桜野美海子の考えです。ミステリなんてものに頭の中を占有され思考活動を腐ったルーチンワークの中で止めてしまったか、あるいは同じようにしてゲーテルの不完全性定理に迷い込み非人間的なるものを崇高と勘違いした学者など、この世界で指折りの愚か者共が抱える誤った考えです。それは真実の定義を見誤っています。真実はどこにでもありますよ。人間が皆、それぞれの内に持っていますよ」

 真実なんて十人いれば十通り、百人いれば百通りある。それは真実の不在を意味しない。十通り〈在る〉のだし、百通り〈在る〉のだから。真実はこんなにも、あり触れている。

「それらをすべて統一する、唯一絶対にして最上の真実だなんて幻想を求めることが間違いなのです。そう――桜野美海子の中にも、桜野美海子の真実は確かにある。それを暴くことが、私の目的です」

 満足したのか、無花果は指を僕の口から引き抜いた。僕は無花果の学生鞄(もちろん、僕が持たされている)からハンカチを取り出して渡す。

「つまり桜野の心を紐解くってわけか? たしかに僕じゃあできないな。でも無花果だって、これまでやって来なかったじゃないか、心の探偵なんてさ」

「必要がありませんでしたからね。ともかく、今回の壮太は何もしなくて結構ですよ。いえ、後にやってもらうことはあります。一番、重要な仕事が。なのでそれまでは、ただ見ていなさい」

 無花果は小径を戻る。その背中を見ながら、それにしてもなるほど、と思う。

 云われてみると、気付かされる。今回に限っては、まだ事件が始まったばかりだということを差し引いても、展開が予測できなかった。普段なら、意識はしなくたって、何が起きているのかも何が起ころうとしているのかも、そして無花果のために僕は何をしておく必要があるのかも、分かるのに。まるでもやがかかっているかのようだ。

 今回は、何かが特別なのか? 相手が桜野だってことが? この特殊なメタ構造が? いいや、それならば過去にも似たような例はあった。違うのだ。何かが、違うのだ。

 心の探偵。〈桜野美海子の真実〉を暴く。それでこそ、彼女の魂に真の敗北を刻むことができる。――無花果は僕に、何を見せてくれるのだろう?

 分からない。不思議な感覚だ。当たり前だが僕は全知全能なんかじゃなくて、無花果が自分に匹敵する頭脳を持つなんて珍しく褒めてくれたのも買い被りで、むしろ分からないことばかりだと思っているけれど、この種類――どんな種類?――の〈分からない〉は、たぶん、初めてだと思う。戸惑いを覚えたりはしないが――しかし、いいのだろうか? 無花果のために、何か僕にできることをしてあげたい。だが無花果は、必要ないと云った。これまで、そんな〈打ち合わせ〉を口に出すことはしなかった僕らなのに。

 やはり何かが特別らしいが……まぁ、僕は無花果が望むことをするだけだ。見ていなさいと云われれば、見ている。もしも死になさいと云われれば、死ぬ。それだけだ。

 うん。

 空原神社の境内では厄火ちゃんがまだ箒を掃いていた。態度には表していないものの、だいぶ暇そうだ。

「その有刺鉄線は、いつ張られたものなのですか?」

 無花果がだしぬけに質問して、厄火ちゃんはきょとんとする。

「さあ……いつでしょう」

「帰る際に困るのではないですか? 参拝客も這入ってこられませんね?」

「私は此処の社殿で暮らしていますし、あちら側からの一般のお客様はほとんどお見えになることがございませんから……」

「そうですか」

 とりあえずはもう此処に用はないらしく、無花果は東の階段へと身を翻す。僕が隣に並ぶと、「やはりつくり込みが甘いですね」と口を開いた。

「たとえばこの事件を、桜野美海子が意図しているように、一冊の小説と考えてみましょう。しかし、この有刺鉄線や、生徒手帳に記載された地図に〈赤線を越えてはならない〉と記されていること、この空原神社までエリアに含んでいること等は、作者の都合でしかありません。小説の中、物語上の必要性がないのです。ここにおいて、桜野美海子は物語上の〈云い訳〉を用意していない」

 それはたとえば、クローズドサークルものなんかにおける嵐や豪雪、土砂崩れみたいなものだろう。毎度毎度そんなに都合良くアクセスが絶たれるわけがないとは作者も読者も承知していながら、物語上の〈云い訳〉は必要となる。作者や読者にとっては内心どうでもよくたって、そんな都合は物語内の登場人物たちには通用しないという構造になっているから。

「その一方で、先ほどの全校集会では、犯人がまぎれている以上は事件を解決するまで誰も外に出さないという物語上の〈云い訳〉を無理矢理に用意していたりと――つくりが杜撰ですよ」

「説明しようとすれば、いくらでも説明できることなのにな」

「徹底する気がないのでしょう。あるいは意図してやっているのか。メタレベルの混在、そこに生じる齟齬にトリックを仕込む方法もいくつか考えられますからね」

 うるさ型の推理小説マニアである桜野の性格を考えれば後者であるように思えるが……さあ、分からない。桜野のことなら、僕は結構分かるはずなんだけどな。少なくとも数年前まではそうだった。

「にゃははっ! いたいたーっ!」

 階段を駆け上がってくる者がいた。僕らを指差して、何やら上機嫌のはるかちゃんだ。誠くんは一緒にいなくて、ひとりである。

「どうしたの?」と訊ねてみれば、両手を腰にあてて得意そうに胸を張る。

「あたしの手柄だよ、大手柄だよ。行方不明になってた観篠って人の死体、見つけちゃった。蘭佳の両腕両脚がなくなってた理由も分かっちゃったね。て云うか、犯人も分かっちゃったね。にゃはっ。いいから来てよ。この事件、解決したげるからさっ」

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