1「探偵学校の入学試験」
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十月十八日。
桜野がこのたびの大量殺人事件の始まりを告げてから、今日で一週間になる。殺人は全国各地で次々と行われ、被害者の数は早くも三桁に達していた。無論、これからさらに膨れ上がっていくだろう。
無花果は迷うこともなく、この事件に参加すると決めていた。桜野から僕らがこれまでおこなってきた犯罪行為の証拠を握っているとか何とか脅されているのはあまり気にしているふうではなくて、そもそも桜野をどう思っているのか訊いてみたところ「カスですよ」と一蹴したくらいだったが、やはり彼女からすれば〈鬱陶しい〉というのが本心なのだろう。
桜野がいたから、無花果と僕は出逢った。桜野がいたから、無花果と僕は結ばれた。
その〈桜野がいたから〉という部分を、無花果は異様に嫌がっている。嫉妬とは違う。完璧主義者の独占欲……彼女の性格からして、〈自分のもの〉が〈誰かのおさがり〉だというのが許せないんじゃないだろうか。
とにかく桜野美海子という存在が邪魔で仕方なくて、以前にも〈桜生の会〉を手ずから潰そうとした彼女なのだ。この機会にまだ生きていた本人を――しかも相手が表舞台に姿を現した以上、公的に潰すことができるのだから――潰そうとするのは自然の成り行きと云える。
斯くして、無花果と僕は楚羅原高校――正確には旧・楚羅原高校にやって来た。
北を山、南を大きな湖に挟まれた、手つかずの自然が残る静かな田舎町。近年、過疎化が進んでいるというその楚羅原町を眼下に臨む、山の中腹に建った古びた校舎。廃校となったのは六年前らしいが、意外に立派なその木造校舎はほとんどそのままの状態で残されている。
楚羅原町には鉄道が通っていて駅もあったけれど、例によって無花果は飛行機以外の公共交通機関は著しく品性の劣った人間の使うものであるという偏った価値観がために、この遠方の地まで僕に車を運転させた。しかし問題の楚羅原高校と、その先にあるらしい無人の神社へ行くためだけにある一本道は車が乗り入れできなくて、二十分ほど坂を上らなければならなかった。
それにしても、こうした鄙びた土地では、大量殺人事件が世間を騒がせているだなんて嘘のように感じられる。日本全土が舞台とは云っても、一日に三件か四件程度。長期化あるいは恒常化すればともかく、今のところ自分の身に危険が及ぶ確率は極めて低い。桜野はこれを革命だと大袈裟に宣ったものだが、相変わらず引きこもり気質の彼女なので、やはり視野が狭いのだろう。恣意的な文脈を排してみれば、世間ってやつは想像以上に広いものなのだから。
楚羅原高校にただひとつある校門に到着したのは、午前十一時に差し掛かるころだった。
此処では木立に遮られて、校舎の全貌を見ることはできない。樹木の伸ばした枝によって自然のアーチが出来上がっている校門は、木漏れ日だけに満たされたその薄暗さも相まって、何か秘密の花園にでも通じているかのような不思議な感慨を抱かせる。
門は閉まっていた。その手前に机がひとつ置かれていて、机を挟んで椅子も二つ置いてある。向こう側にはスーツ姿の女性がひとり座っているけれど、こちら側には座っていない。しかしそれは単に座っていないというだけで、若い女性が二人、椅子の傍らに立ち、スーツの女性と何やら揉めていた。
「私と月子は二人でひとつなのです! 揃っていなければ意味がない!」
「その暗号も、掛け値なしに二人で解いたもの。認めてくださいませんこと?」
背中しか見えなくても、〈月子〉という名前や、まったく同じ背格好に方や緋色の和装、方や藍色の和装という特徴などから、二人が誰なのか察しが付いた。
「奏院姉妹だね。緋色の方が陽子さん、藍色の方が月子さん。有名な双子の探偵だ」
「そうですか。双子というのは犯人か被害者に相場が決まっているものですが」
無花果は興味なさげに、無感動な瞳で細く続いている坂道の先を眺めている。
奏院姉妹はそれからも数分、スーツの女性に訴え続けていたけれど、相手は「駄目です」「認められません」「入学できるのは奏院陽子様だけです」と事務的な態度でにべもなかった。おそらく、楚羅原高校に這入るにあたって、どの事件の暗号をどう解いて此処に辿り着いたのか説明を求められたのだろう。そしてどうやら、陽子さんがそれに答えたところ、ひとつの暗号につきひとりだけというルール上、月子さんの入場は断られてしまったらしい。そうなって当たり前だと思うんだが。
やがて月子さんの方が「仕方ありませんね」と云って、陽子さんに向き直った。
「私はこれから、もうひとつ暗号を解いて来ます。答えが分かっているのですから、簡単ですよ。陽子は先に這入っていなさい」
「し――しかし、月子がいないと私はっ――」
両目に涙さえ浮かべている陽子さんの唇に、月子さんがそっと人差し指をあてる。
「私も同じ気持ちです。すぐに来ますよ。それでは、気を付けて」
月子さんは身を翻して、来た道を下って行った。僕らに気付くと、微笑と共に会釈するだけの余裕は見せた。
一方で陽子さんは唇を噛み締めて片割れの後ろ姿を見送っていたが、校門の奥からもうひとりスーツ姿の女性が出てくると、肩を落としながらも大人しく案内されて行った。それから再び、門は閉ざされた。
「次のかた、どうぞ」
まるで病院の待合室みたいに呼び掛けられて、無花果と僕が進み出る。
「お名前を教えてください。また、訪問のご用件は何でしょうか?」
無花果を見ると無表情ながらに心の底から馬鹿馬鹿しいと思っていることが分かったので、僕が応えることにした。
「甘施無花果と塚場壮太です。桜野美海子に挑戦するために来ました」
「入学をご希望ですね。では入学試験に移ります。まずおひとかた、そちらの椅子にお掛けください」
僕が座った。こうして向かい合っても、相手の女性はニコリともしない。
「設問はひとつです。貴方はどの殺人事件に着目し、そこに仕掛けられた暗号をどのように解き、こちらに辿り着いたのでしょう?」
「十月十二日、××県久溢市で同日ほぼ同時刻に、二人の人間が矢で射殺された事件です。そう離れていない別々のアパート、それぞれの自室で死体は発見されました。窓が開いており、外部から射られたと思われる状況でした。また、二つの部屋の内装にはそれぞれ別の、特定の場所を暗示する見立てが施されていました。
ところで二人の人間を射た角度は、どちらも死体の倒れ方と窓の位置から割り出せます。その延長線はある一点で交わり、すなわち、そこが殺害時に犯人が立っていた場所です。
こうしてできた三角形こそが、この旧・楚羅原高校を示したんです。
つまり二人の被害者の距離が〈縮尺〉なんです。それぞれの部屋が見立てていた特定の場所というのは、△△県にある念透寺と□□県にある多婆草池でした。殺害時に被害者二人と犯人が立っていた場所を結んでできた三角形を、二人の被害者の距離を念透寺と多婆草池の距離に拡大したスケールで日本地図上に描くと、犯人の位置が此処――旧・楚羅原高校になったわけです」
「塚場壮太様、合格です。おめでとうございます」
全然めでたくなさそうに祝われた。
どうにも茶番じみている。と云うより、子供じみているのか。いかにも僕の幼馴染――弥魅さんに云わせると〈偽物の幼馴染〉――が考えそうな趣向だ。
小説と現実の区別が、付いていない。
「では次は甘施無花果様ですね。設問は同じです。貴女はどの殺人事件に着目し、そこに仕掛けられた暗号をどのように解き、こちらに辿り着いたのでしょう?」
可笑しいくらい綺麗な姿勢で椅子に座った漆黒のドレス姿の僕の妻は、もはや専売特許と云ってよい――探偵に非ざる凡庸な僕では真似できない――凛として、超然的な感さえある佇まいで以て、淡々と推理を述べ始めた。
「○○県絽偶市にある賃貸マンション〈ソフィア久瑠丘〉の住人が皆殺しにされた事件です。各階五部屋の六階建て。一人暮らしでも二人暮らしでも関係なく、たまたま訪れていた客人も含め、殺されたのは総勢四十三名。その死体はすべてがバラバラにされ、それぞれの部屋に撒かれていました。
しかし、〈撒かれていた〉という表現は適切でありません。バラバラ死体はある目的のために〈並べられていた〉のです。その目的とは文字をつくること。各部屋のバラバラ死体の配置をいくら眺めてみたところでそれは文字になどなっていませんが、縦に重ねると、はじめてひとつの文字になるのです。
一〇一号室、二〇一号室、三〇一号室、四〇一号室、五〇一号室、六〇一号室――間取りはまったく同じですから、これら全〈〇一号室〉のバラバラ死体の配置を重ねることで〈楚〉。一〇二号室、二〇二号室、三〇二号室、四〇二号室、五〇二号室、六〇二号室――これら全〈〇二号室〉が〈羅〉。同じ要領で全〈〇三号室〉が〈原〉。全〈〇四号室〉が〈高〉。全〈〇五室〉が〈校〉。
要するに、死体以外を除外して〈ソフィア久瑠丘〉を上から見たとき、〈楚羅原高校〉という文字が読めるのです。該当するのは此処、旧・楚羅原高校を措いて他にありません」
「甘施無花果様、合格です。おめでとうございます」
その声に応じて、後ろの門がガラガラガラと開かれる。さっき陽子さんを連れて行ったのとは別の案内の女性が現れて、この人は無花果と僕に満面の笑みを向けた。
「ようこそ、〈探偵学校〉に!」
無花果は「先が思いやられますね」と呟いた。




