4「聖ペトロが導く」
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無花果とレザーフェイスひとりが戻ってこないので、僕は会場にいた別のレザーフェイスに「嫁を探しに行ってもいいですか」と訊ねた。初めて無花果を指して〈嫁〉と云ったが、少々こそばゆい感じだ。
レザーフェイスは「なに、」と顔をしかめたが――いや、仮面なので分からないけども――そこでまたも、乃絵さんが横から「お願いします」と割り込んできた。
「二人は永遠の愛を誓い合ったばかりなんですよ!」
するとレザーフェイスは、こちらもまた折れた。乃絵さんは続けて「壮太は男子なんですから、私がいないと女子トイレの中を確かめられないじゃないですか!」等と割合どうでもいいことを大真面目に主張し、結局、僕と乃絵さんとレザーフェイスの三人で無花果の無事を確認しに行くことになった。煤音も「あ、私も行くー」と軽い調子でついて来かけたが、レザーフェイスもそこまでは許さなかった。
それにしても、随分と話が上手くいく。細工は流々――というわけか。
会場を出て、無花果が進んだであろうルートを辿る。途中で廊下が二つに分かれていて、右に行くと聖堂、左に行くとトイレだった。
「ふっ。どうせ長いトイレってだけよ」
ピストルを手に後ろをついて来るレザーフェイスが、呆れ混じりに呟く。ちなみに、僕はこれまで一緒に生活していて、無花果がトイレに入るのを見たことがない。そりゃあ僕の目を盗んで入ってるんだろうが、やや異常だ。そんな彼女がああも堂々とお手洗いに行きますなんて云った時点で、何らかの合図であるのは分かっていた。
果たして、女子トイレの前に到着。中に這入るまでもなく、すぐそこの床の上に、無花果に同伴していたレザーフェイスは倒れていた。振り返ると、僕らに同伴していたレザーフェイスに、背後から無花果が音もなく飛び掛かり、首をコキッとやって気絶させるところだった。女子トイレより先に男子トイレの前を通り過ぎたが、そちらに潜んでいたのだろう。
「遅いですよ、ウスノロ壮太」
華麗に着地し、ウェディングドレスを軽く整えつつ、僕を嗤う無花果。その横では、乃絵さんが一瞬の出来事に絶句している。僕は「ごめん」と頭を下げた。色々な意味で。
「さて、解決へと移りましょうか。このまま放っておくと、警察も〈悪魔の生贄〉もとんでもない馬鹿をやりかねませんから」
「解決?」
困惑を露わにする乃絵さん。
「解決って――何です? うちらだけこのまま脱出すること――は、解決とはちょっと違いますよね? 人質を解放する策まである――ってことですか?」
「はぁ? それで何が解決するんですか? 助かるのは人質側だけじゃありませんか」
無花果は身を翻して、真っ直ぐ歩き始める。
「私は一級の探偵です。私はすべてを解決するのです。過去まで遡り、例の密室殺人も含めて、根こそぎすべてを明らかとするのです。食べ残しはマナー違反ですよ」
宣言のとおり、向かった先は聖堂だった。その途中で彼女は、女子トイレで気絶させたレザーフェイスが持っていたらしい無線機を乃絵さんに突き出して、「異常なし、と云いなさい」と指示した。
「え、え?」
戸惑う乃絵さんだったが、「こんな無線で声など分かりません」と凄まれて、緊張しつつも指示に従った。返事は呆気なくて、『了解です』の一言だった。
聖堂にやって来ると、先客がひとりいた。中央に立って祭壇の方を向いている彼女は、逆様様だった。和装が景観にそぐわないが、元々どんな景色にも溶け込まない佇まいだ。
「ホホホホ……無花果さん、壮太さん、お見えになったかしら? ご結婚おめでとう。私は既に教会の外に出ていますけど、このくらいに見当をつけて、時間を逆様にしているのよ。ええ、これも逆様に喋っているのです」
なるほど、逆さに喋っているのがさらに逆さになって、僕らには普通に聞こえているというロジックらしい。
「余計な真似とは承知していますけど、ホホ……私も気が付いたものですから、自慢したくなったの。私はありとあらゆる〈逆様〉に精通している。だからひと目で分かりましたわ。あれ――逆様です」
逆様様が指し示した先を見ると、それは壁に掛けられた十字架――大きさは成人男性の背丈くらいある――だった。そして視線を戻すと、もう彼女の姿はなかった。雅嵩村を出てからこっち、〈友達〉と二人で悪戯ばかりしている彼女である。
「ど、どういうこと? いまの子、控室のときから目立ってたけど――」
「彼女の云うとおりです」
乃絵さんを無視して、無花果は話し始める。
「警察の現場検証でも、特に必要が感じられない限り、あの高さにある十字架に触れようとはしません。しかし、あれが密室の鍵なのです。壮太、あれを逆さにしなさい」
「うーん……梯子か何かがないとな」
十字架の下端でも、高さにして五メートル弱だ。
「ボルダリングですよ。石に手と足を掛けながらよじ登れるでしょう? そういうふうに設計してあるのです」
分かっちゃいたけどさ……。
十字架の掛かっている壁は大小様々の石が積み上げられたようになっていて、よく観察すると他と比べて飛び出ている石がいくつかあり、登っていけると分かる。とはいえ高さはそれなりだし、壁そのものは垂直だ。運動神経には自信がない僕なのだが、仕方ない、チャレンジするほかなかった。「ウスノロ」という無花果の罵倒や、「気を付けて」という乃絵さんの心配を受けながら、せっせとよじ登っていく。
十字架の下端に手が届いた。しかし、左右どちらに押してもビクともしない。もう少し登って、今度は横から押すようにするとわずかに動いた。なかなか重量があって、振り子みたいにすぐ元の位置に戻ってしまう。
「見れば分かるでしょう。横棒を重く造ってあるのです」
最終的に六メートルは登ることになってしまった。落ちたら怪我する高さだ。横棒の端に上から体重をかけるようにする――と、これは簡単に動いた。横棒の片端がある程度まで下がったところで、横棒に重量があるという構造上、一気にぐるんと半回転。僕は危うく落下しかけて、必死に壁にしがみ付いた。間抜けな様が見られて、無花果はきっとご満悦だろう。
逆さになった十字架。と同時に、祭壇が上昇を始めた。慎重に壁を下りて祭壇を回り込んで無花果たちの側から見れば、床の下から現れたぶんは空洞になっており、それは地下へと下りる階段の入口だった。
「〈悪魔の生贄〉はこの下を潜伏場所にしているのです。警察が見つけられなかったはずですね。もっとも、常に誰かが地下にいて、〈悪魔の生贄〉の構成員ならば、連絡ひとつでこれを開けてもらえるのでしょう。いちいちボルダリングの真似事なんてしているわけじゃありません」
「〈悪魔の生贄〉ってそんなに歴史ある組織なのか? この聖堂、綺麗ではあるけど、建てられたのは随分と昔だろ。まさか〈悪魔の生贄〉が途中でこんな改造をしたんじゃないだろうし……」
「元からあった仕掛けを利用しているだけですよ。十字架を逆さにすれば聖ペトロ十字です。カトリック的には非常に意味のある仕掛けです。それでも酔狂とは思いますが、こうした秘密めかしたギミックは、それこそペトロの墓所であるサン・ピエトロ大聖堂にだってありますからね。サタニストの集まりであるとの噂がある〈悪魔の生贄〉ですから、彼女達はこれに悪魔主義としての意味を見出しているのかも知れません」
もちろんそんなことは僕にも分かっているけれど、これはギャラリーがひとりでもいる以上は〈探偵のちょっと無能な語り部〉を演じなければならない僕の性だ。次に云うべき台詞は、
「なるほど。これが密室トリックだったなら、やっぱり被害者は〈悪魔の生贄〉に殺されたんだな」
「いいえ、自殺ですよ。この点では、妃継百華の推理は当たっていました。自殺の理由がテロ行為に罪の意識が芽生えたせいというのも、おそらくその通りでしょう。ただし先ほども述べた理由から、彼女の死に〈告発〉なんて目的はありません。彼女が此処で自殺した理由はただひとつ、〈懺悔〉をするためです。当然ですね。教会なのですから。
この自殺の意味はそれだけであり、後のことなどは何も考えられていませんでした。事情がやや複雑になったのは、その死体を神父・巣蛾徳都がはじめに発見したためです。彼は〈悪魔の生贄〉の協力者ですが、それは実姉・巣蛾未知来によって半ば強制されていたことであって、大っぴらに裏切れはしないものの、内心ではその状況から抜け出したいと考えていたのでしょう。ゆえに、気転を利かした――あるいは魔が差した――彼は死体を秘密裏に処理することはせず、〈悪魔の生贄〉に相談することもせずに、素早く通報して公けにした。そして死体の傍らにあったナイフだけを、こっそりと持ち去っていた。こうすることで、この事件は密室殺人になります。密室殺人になれば、警察は密室トリックを解明しようとします。密室トリックの解明、すなわちこの〈地下への入口〉が発見されれば、〈悪魔の生贄〉は終わり――巣蛾徳都は解放されます。しかし警察が揃いも揃って間抜けだったために、彼のこの目論見は失敗に終わりました。結局、彼はいまも〈悪魔の生贄〉の協力者という立ち位置に甘んじていますね。
と、実際にはこの推理をおよそ逆算するようにして、私は〈地下への入口〉の存在に辿り着いたわけです。此処で起きた〈密室殺人〉の意味を突き詰めていけば、そう帰結するしかありませんから。さて――」
無花果は懐から、これも女子トイレで気絶させたレザーフェイスから回収したらしいピストルを取り出して、先ほどから無言だった乃絵さんに向けた。彼女は動じなかった。真実が次々と看破されていくなかで、もう覚悟していたのだろう。
「これから地下に下ります。貴様には人質になってもらいますよ、弥魅エリードール。旧姓・巣蛾弥魅。巣蛾未知来の姪であり、〈悪魔の生贄〉ではおそらく幹部クラス。私は貴様のことを結婚式には招待していません。よって、丁重に扱う法はありませんね?」
「……大したものね。賞賛を贈るわ」
〈乃絵さん〉とはまったく異なる声音で、弥魅エリードールは応えた。




