4「門外不出の家宝」
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誓慈さんはその顔面にこやかな笑顔を貼り付かせており、貫禄はあまり感じられないが見るからに一癖ありそうな男だった。信用できないのが丸分かりという点では、その営業スマイルは失敗しているのかも知れない。
「それにしても、お二人とも、なんとお若いんでしょう。その歳で成功なさっていると云うんですから、血統があるとはいえ地道に階段を上った凡人なる私などはまったく頭が下がりますな」
見え透いたお世辞をぺらぺら並べ立てる彼に、無花果は蛇口から滴る水をぼーっと見るときのような無感動な視線を向けている。
「私も殺人事件に出くわすなんて初めてでありますゆえ、その道の専門家に色々とご教授願いたいところではありますが、しかし聞けば、私達も容疑者であるとか。いやはや穏やかじゃありませ――」
「はい、時間を無駄にはできない状況です。殺人現場は逃げませんが、証拠はいつ隠されるとも知れませんからね。早速、現場を見せてもらいましょう」
「いいですとも、いいですとも。父が使っていた部屋ですね? ご案内しますよ」
矢鱈にへりくだった喋り方をする誓慈さんだが、その物腰や挙動は堂々としており、確かな地位を持つ人間のそれだ。威圧感を出さずともそうと分からせる……厄介そうな相手である。
彼が回れ右して歩き出すと、無花果は先ほど貰った彼の名刺をぽいと捨て――僕がさっとキャッチしてポケットにしまう――その後について行く。続いて僕と、片手を胸の前で握り締めて俯いているユイちゃん。なんて怯えようなんだろう。
誓慈さんはすぐ傍の階段を下りながら、またうわべだけフレンドリーな感じで話し始める。
「いやしかしね、私達からも云わせていただきますと、これが単なる強盗殺人でないにしても、それでイコール私達の仕業と目されてはいささか困ってしまいますよ。お察し願いたいですが、私達を陥れようと画策するような輩はやはりどうしても多い」
「貴様らを嵌めるための犯行であったなら、現場が強盗殺人を思わせるものであったことが矛盾します。現に警察は強盗殺人の線で捜査を進めているのでしょう」
「うーむ、しかし甘施さんはそうお考えにはなっていない。私はありきたりな陰謀論を持ち出して真相を有耶無耶にしてしまおうなんてつもりはないんですよ。たとえば私の弟一家がいますが、実のところ彼らと私らとは折り合いが悪い」
「疑っているのですか?」
「いえいえ、私は強盗の仕業だと考えていますよ。許し難いですね。一刻も早く法の裁きを受けてもらいたいものだ。ただし甘施さんの疑いに対しては、そういった可能性も挙げておきたい。お分かりでしょう? なにもライバル企業なんかに限ったことじゃない、同じ幕羅の姓を持つ者達の中にすら敵はいるのです」
「足の引っ張り合いですか。愚かですね」
「まったくですよ。幕羅家というのはこのご時世に未だ本家筋、分家筋なんて格式ばった考え方を残しているんですからね。私は私の代で、それらを撤廃したいと考えています。革命家なんて云っては照れますがね」
「自分で云って自分で照れて、どうしようというのですか」
「え? ああ、なるほどたしかに。さすが鋭いところを突きますな」
「貴様が愚鈍なのです」
「はっはっは」
話が進んでいるんだか進んでいないんだか分からないやり取りだ。二人の間では腹の探り合いだとしても、僕は肩をすくめるしかない。隣のユイちゃんは真剣な面持ちで聞き入っているけれど。
一階の最も奥に位置する扉の前で、誓慈さんは足を止めた。
「此処が、父が主に使っていた部屋――殺人事件の現場です」
扉が開かれ、無花果はさっさと中へ這入っていく。僕とユイちゃんが続き、最後に誓慈さん。彼が真後ろになったことで、ユイちゃんがびくっと僕に寄り添った。よほど、父親が怖いのだろう。
主に使っていた部屋――なるほど、此処は調度も含め、書斎と寝室を兼ねた造りになっていた。
片面は天井まで届く本棚で埋められており、ぎっしりと本が詰まっている。正面には大きな木製のデスク。その上には抽斗の中に収まっていたらしい小物が散乱していて、これは犯人がそうしたのだろう。本棚の下部についている抽斗も片っ端から開け放たれており、いくつかは取り外されている。だがそれらは先入観を抜きにして見ても、全体的に作為的でわざとらしい。現実のそれではなく、安っぽいサスペンスドラマのセットみたいだ。
そして脇に置かれたベッド、そのシーツに血痕は生々しく染み付いていた。それを囲うように人型のロープ、そのほか警察が現場検証をした痕がそのままになっている。
無花果はそれらを目視だけで点検していき、
「第一発見者は幕羅ユイ、貴様でしたね?」
「あっ、はい、そうです」
「死体の様子はどうでしたか。格闘した様子などは?」
「ありませんでした。お爺様は寝相が良かったので、そのまま……胸のあたりに刺し傷があって……」
思い出して気分が悪くなったのだろう、ユイちゃんは両手で口元を押さえる。
「寝込みを襲われたんでしょうな、死亡推定時刻とやらから考えても当然ですが。……ユイの叫び声を聞いて私達もすぐに駆けつけましたがね、凶器のナイフはベッドの下に捨て置かれていましたよ。刺し傷は二ヶ所、いずれも深く、すぐに死に至ったそうです」
「そうですか。その死亡推定時刻、貴様らは皆、自室で眠っていたのですか?」
「ええ、そうですそうです。つまり怪しい物音なんかには気付かなかったわけですな」
そこで誓慈さんは「ちょっとお訊ねしたいんですが」と無花果を窺う。無花果は無反応だったけれど、彼は構わず質問を投げた。鉄のハートだ。
「私達が犯人であり、この強盗が入った形跡や凶器の指紋は偽装工作だと甘施さんはお考えのようですね。しかし、少し無理がありませんか? 盗られた金品はどこに行ったんだという話ですし、指紋が残っていたのはナイフの柄です。別人の指紋がついたナイフを用意したところで、それを私達の誰かが手袋をつけて使えば、擦れて指紋は消えてしまうじゃありませんか」
「盗られた金品はどこにでも隠せます。この邸宅の中に限らず、ほとぼりが冷めるまで周りを囲む森の中に埋めても良いでしょう。どうせ警察は探しません――強盗が、盗んだものを現場近くに隠しておく理由はありませんから。
また、残されていた凶器はダミーであり、犯行に使われたのは同種類の別物であると考えれば問題ありません。あるいは、犯人は幕羅峯斎が眠っているところを襲ったのですから、柄を握らずに、片手で刃を押さえ、片手を柄の尻に当てて押し込んだのかも知れません。他にも、指紋にだけ重ならないようゴムを巻いてそれを握るなど、いくらでも方策はあります」
「ほう、理屈と膏薬はどこへでも付きますなあ」
誓慈さんは笑顔を絶やさず、感心しているのかいないのか分からないコメントをした。
「幕羅ユイ、」質問の先が再びユイちゃんに戻る。「貴様が前の晩に気が付いて施錠したという窓はどこにあるのですか」
「この部屋を出て、廊下を左に進んだ突き当たりです。お爺様が眠る前に私とこの部屋でお話をするのが……お父様達が来ているときでも通例だったんですけれど、それで自室に戻るときに見たらカーテンが少しなびいていて、窓がちょっと開いていたんです」
「それが二十三時だったのですね。ところで、そちらの扉は?」
無花果が指し示したのは、部屋の左側奥にある扉だった。
「ああ、父が色々と趣味の品を保管していた部屋ですよ。今回の強盗被害は主に其処でね」
躊躇わずそちらへ進む無花果。彼女に続いて僕も覗いてみると、中は暗くてよく見えなかった。窓がひとつもないのだ。
壁のスイッチを押して点灯する。すぐさま煌々と照らされる室内。照明効果を意識したライトの配置だ。ガラスケースがちょうど良い間隔で並んでいる。破壊されてはいないが、中身のないものがいくつか。強盗(を装った犯人?)もさすがにガラスを粉々に割るような音の立つ真似はしなかったのだろう。デスクの中かどこかに仕舞われていただろう鍵束を見つけて、目ぼしいものだけ取り出していったに違いない。
残っている物品を見るに、峯斎さんの趣味とは骨董品集めだったらしい。本格的な西洋建築のこの邸宅とはいかにも不似合だけれど、このミスマッチ感もこれはこれで味がある……のだろうか? 下手なことは云わない方が良さそうだ。
「ご覧のとおり、保管と云うより展示ですな。自らに対しての。父は私のことも此処には立ち入らせませんでした」
自分だけが観賞し楽しむための展示。僕の身近にも好きな推理小説に登場する館や村のミニチュアを自作して日がな一日眺めたりする桜野美海子という変態がいたけれど、これはちょっと違うかも知れない。
部屋の中央には、最も目を惹く展示のされ方をしている品があった。ステージめいた円形の台に乗せられたそれには、どう見てもこの部屋の主役といった演出が為されている。
壺、である。
人がひとり入れるくらいの大きさ。真ん丸い形で、口がきゅっとすぼまっている。焼き物であるのは明らかで、あんな目立つ置かれ方をしているのだからきっと相当に価値のある一品なのだろう。
「あの壺ですか」
僕の目がそれに釘付けになっているのを見て、誓慈さんが訊いてきた。
「ああ、はい」
「あれは父が蒐集したんじゃなく、幕羅本家に代々伝わっているんですよ。遠い先祖が中国から持ち帰ってきたものだそうで、門外不出の家宝とでも云うべきでしょうかねえ。父もあれがあったから陶磁器をはじめとした骨董品集めを趣味にしたようですし」
「へぇ……でも門外不出って、いまはこちらに移されているじゃありませんか」
「ははは。お恥ずかしながら、私なんかは不勉強で全然その価値も分からなくてですね、だから父があれを本家から持って行くのにも口出ししなかったんですよ。そりゃあもう丁重に、引っ越し業者にも頼まず自分で持って行きました。……ですが父も殺されてしまい、また本家に戻ることになりますね。家宝と云うよりは形見として大事にしたいと思いますよ、ええ」
誓慈さんは感慨深そうにそう云って(薄っぺらな笑顔が貼り付いたままだけれど)、そこで照明を切ってしまった。再び室内は真っ暗になる。
「すみませんねえ、これくらいでよろしいでしょうか? あの壺に止まらずこれらは大変な財産なもので。事件が一段落するまではいちおうこのままにしておきますけど、父の遺志も尊重し、警察の方々にも中の品々には手を触れずに簡単な調査で済ませてもらったくらいなんです。私達がまだこの邸宅に留まっているのも、これらを置いて離れられないからでしてね」
「良いでしょう」
無花果もじっと壺に見入っていたけれどここは素直に受け入れて、また元の部屋に戻った。そもそも警察が一度調べた現場なんて、彼女は最初からさして重要視していないはずである。警察に犯人の息が掛かっているかも知れない今回のようなケースなら、なおさら。
そうして振り返ると、入口のところに知らない女性が立っていて僕は驚いた。その立ち姿、その存在感があまりに希薄で、幽霊か何かかと一瞬疑ったのだ。
白と黒のエプロンドレス姿。機械のような無表情、針金でも入れてそうな真っ直ぐな姿勢で、ジッとしている。
「ああ、うちの使用人の釧路ですよ。自分達の世話は自分達で見ると云いますか、いつも連れて来るんです」
釧路さんは一礼の後、音の立たない歩き方で誓慈さんに歩み寄り、何やら耳打ちした。
「もちろんだ。……甘施さん、塚場さん、今晩はお泊りになるんですよね? そうでなくとも、是非夕食をご一緒しましょう。有名な探偵さんと食事ができるなんて、こんな機会ありませんからな」
「もとよりそのつもりです」
素直と云うより図々しい。
釧路さんがすうーっと出て行くと、無花果も「幕羅ユイ、貴様の部屋に戻りましょう。幕羅誓慈はまた夕食の席で」と云って歩き出した。もうこの現場に来ることはなさそうだ。