煤音3、冬日2「誓いのキス」
▽煤音3
私の推理はまんまと外れて、新たな死体が発見されるような展開にはならなかった。そりゃそうか~。
聖堂はさすが単なるチャペルじゃない教会のそれだけあって、中に這入ると厳粛な空気が漂ってた。両サイドがステンドガラスになってて明かりが差し込んでいるけど、どちらかと云えばー……暗いかな。別に陰気って意味じゃないっす。此処で一年前に死体が発見されたってことは関係なしにね。
正面の壁は大小様々の石が積み上げられたようになってて、中央上部に大きな十字架が掛かってる。私は成り行きで、右隣はいわゆるバージンロード、左隣は碧田さんという席だった。お喋りしつつも彼女は――ううん、彼女だけじゃなくて皆さん、どこか緊張してらっしゃる様子が見て取れた。壮太としばらく会ってないって人ばかりみたいだし、それぞれ思うところがあるんでしょーね。
そして結婚式が幕開けた。扉が開いていよいよ壮太が登場する段になると、別に誰も声なんて上げてないのに『ざわっ』とするのを肌で感じた。お恥ずかしい話、私もちょっと驚かされた。だって会社員とかじゃない壮太だからスーツ姿すら見たことなかったのに、それがタキシード姿! え、格好良いんですけど。
きゃあーーーーーっ! ムカつくムカつくムカつくムカつく! 何? 何ですかこの気持ち! 壮太のくせに何でそんなにキメてんの? 馬子にも衣裳ってやつ? いつもすっとぼけたような面構えなのが、今までなかったくらい凛々しく見える。私が知る限り今日のこれがぶっちぎりのベスト壮太なんですが! はーームカつく! 誰だお前! 前だけ向いて悠々と歩きやがって! 私のこと一度くらい見ろ! 来てやったのに! 眼中になしってか! はーー!
くそぅ、どうして心臓が高鳴ってんだ私……馬鹿みたいじゃないか……。
すると次は新婦の入場だった。その姿が現れた途端に、今度は全員が息を呑んだ。私もまた、一瞬にして冷静にさせられた。すべての興奮を吹っ飛ばす威力が、その姿にはあった。
甘施無花果。一代目はもちろん、二代目の彼女も私は会ったことがなくて写真で何度か見たことがある程度だったけど、本物は――しかもここ一番、花嫁として最も輝く日にある彼女は――もう私共凡俗と同じ人間には見えなかった。
黄金色の繊細な長髪に、純白のウェディングドレス。ヴェールに透けて見える小さな相貌、その造形は整いすぎていて気持ち悪いくらい。一級の芸術作品でもなきゃあり得ない……ちょっと表現するすべが見つからない……それが大きなブーケを手にして、ゆっくりと、決して不自然でない完璧な挙措で以て、しかし威光をこれでもかと振り撒きながらバージンロードを歩いていく。一般的な例と違って、ひとりでだ。でも違和感はない。規格が違う。この人の隣に並べる奴なんているわけない。
あまりにも神々しい……これはどんなに無粋で下種な人間であろうと、畏れ多くて穢そうだなんて思えないだろう……め、目が離せない……何だこの生き物……生き物? 本当に? 冗談じゃないのか? 笑い出したくなるんですが、いやいや、声が出ません。
唖然とした。全員がそうだった。よく見れば甘施無花果はチビだしプロポーションにも色気はないしすべてが完璧ってわけじゃないかも知れなくもなかったけど、理屈じゃない……色気なんてものは下品なだけだし、こんなオーラがあってはチビだなんて思えないし、やっぱり完璧だ……有無を云わさない。こんな化け物、誰も太刀打ちできない。
何なんですか、これ…………。
そこでハッと気付いた。甘施無花果が壮太の隣に並んだんだ。さっきこの甘施無花果の隣に並べる奴なんて何とかって思ったけれど――その新郎新婦は、これ以上ないくらい嵌っていた。この二人が並んでるのを私は初めて見たけれど、どうしてこうも、しっくりくるのだろう。冷静に考えて、壮太がいくらそこそこルックスは良いって云ったって甘施無花果に比べたらてんで話にならないはずなのに、壮太には甘施無花果しかいないし、甘施無花果には壮太しかいないんだって、思い知らされ――――
あれ……何でちょっと涙ぐんでるんだろ、私。
祝いの席だもんね。そりゃ感激くらいしますよね。うんうん。おめでとう壮太。まさかあんたが私より先に結婚するとはね~。しかもすっげー良い相手ゲットしたじゃん。こりゃあ嫉妬を買うぜ~。後ろから刺されないようにしろよ~…………
…………ああ、私、もう壮太に対しては恋愛感情なんて持ってないつもりだったんだけどな。とっくに割り切れてる、つもりだったんだけどなぁ……。
胸がチクチク痛いです。その後の讃美歌斉唱とか、神父さんが聖書を朗読するのとか、「誓いますか」「誓います」×2とか、全然頭に入ってこなかったです。でもねぇ、指輪交換して壮太が甘施無花果のヴェールを上げて、そんで誓いのキス……いやぁとどめを刺されましたわ。
よく気を失わなかった。アリスちゃんを褒めてくれ。現場からは以上です。
▽冬日2
想像を超えていた。凄く素敵だった。甘施無花果さんは綺麗すぎた。ロリ体型でありながら、あの完成された美しさ。大袈裟だけど、奇蹟の存在じゃないかと思う。それに壮太くんも、昔とは全然違う――ああ壮太くんだなぁと思うところはあったんだけど、やっぱり普通とは違う経験をしてきた彼は大物って感じの落ち着きがあって、男性としてとても格好良かった。もう私とは全然別の場所にいる人。どうして私は呼ばれたんだっけ?と不思議になっちゃったくらいだ。でも、連絡すら一度も取り合ってなかったくせに、何だか感動してしまった。来て良かった。良いものを見させてもらった、本当に。
正直、漫画一筋でやってる私はこのままでいいのかな……みたいな気持ちに少しなったりもしたけど……まぁ頑張ろう……うん。
教会式の最後はフラワーシャワーなんかのイメージが漠然とあったが、そうはならずに拍手に見送られながら壮太くんと甘施無花果さんが退場して行くと、私達はまた同じ渡り廊下を通って控室があった建物内に別に設けられた披露宴会場へと移ることになった。周りの人たちの会話を聞くに、この結婚式は通常のそれとは進行といい何といい、かなり変わっているらしい。
「壮太があんなに立派になっているとはね。変な話だけど、母親みたいな気持ちになってしまったわ」
移動中、弥魅ちゃんは感慨深そうに云った。式の最中にも何度かハンカチを目元にあてていた彼女だ。親交が絶えてしまっていたとはいえ、かつての幼馴染の晴れ姿にこみ上げるものがあったんだろう。私でさえ訳も分からずそうなったんだから。
「でも母親っていうのは、分かる気がするよ。小学校のときの弥魅ちゃん、いつも壮太くんの世話焼いて本当にお母さんみたいだったもん」
「それは母親でなくて委員長キャラだわ」
キャラって……。
「だけど、そうね、壮太は引っ込み思案だったし虐められがちだったから、私は彼のお母さんから『壮太をよろしくね』なんてよく云われていたのよ。それで張り切っていたところがあったのね」
「え、壮太くんが虐められてたことなんてあったっけ?」
「いえ、そう大したものじゃないわよ。ただ集団に馴染めないところがあったでしょう? あの頃といまとでは、似ても似つかないわね。本当に良かった……彼が幸せになれて……」
弥魅ちゃんは深く頷いた。その言葉の裏に秘められているものを思うと、こればかりは私なんかが易々と相槌を打つことはできなかった。
それでお茶を濁そうとしたんでもないけど、私は披露宴の前にトイレに行くと伝えた。
「あ、ちょっと待って、小々森さん」
「うん、何?」
弥魅ちゃんは顔を近づけて、周囲を憚り声を潜める。
「気を付けて頂戴。やっぱり〈此処〉の空気、良くないと思うの。他の参列者のことなんだけど、敵意みたいなものを感じるわ。おそらく壮太の結婚を快く思ってない人が多く混じってるのよ……嫉妬という意味でね」
「それは……私も感じるよ。杞憂であって欲しいけど……ひと波乱あるんじゃないかってさっきの言葉の意味、私にも段々と分かってきた……」
「そうね。披露宴では壮太や甘施無花果さん、他の参列者同士の距離も近くなるでしょう。もしも何かが起こってしまって、危険が及ぶなら、自分の身は自分で守らないとね。じゃあ、また後で……」
「うん、ありがとう……」
私達は一旦別れ、私は単身、トイレへと向かった。反対にトイレから出てきたらしい他の参列者数名とすれ違いながらも、目は合わせないようにする。
〈壮太くんの結婚を快く思ってない人が多く混じってる〉――それは教会式でも感じた。単なる羨望の眼差しとは違って、そこにはネガティブな意味合いが含まれていた。おそらくは嫉妬であったり、未練であったり。しかも甘施無花果さんがあんなにも完全無欠みたいな存在であるために、それらは人によっては自己嫌悪のようなかたちになって、精神を苛んでいる気配さえあった。
それだけ壮太くんのことを、異性として愛している人が多かったんだろうか。そういえば私も昔、彼に手作りのバレンタインチョコを贈ったりもしたけど、それは子供のころの話だ……大人になってから彼と知り合った人達は、大人として彼と付き合ったんだし、それらは甘酸っぱい思い出で片付けられない深刻さを帯びていたって無理はない……のかな。
不安だ……それにもっと単純な問題も差し迫ってる。披露宴では壮太くんとお話しすることになるだろう。弥魅ちゃんはいいだろうけど、私はどう? 招待状が来たんだから忘れられてはないわけだが、かと云ってどのくらい憶えてもらえてるのかは分からない。
壮太くんは突然に転校した。私は何も教えられていなかった。彼の身に何が起こったのかは、それでも漠然としたことのみだけど、後から知った。大変なことがあったんだ、本当に大変なことが。その事件にも、私はまったく関わっていなかった。自分では仲が良いと思ってても、結局、人生の転機となるような局面において、私は壮太くんの赤の他人でしかあれなかった。
「………………」
いけない。今日はおめでたい日なんだ。壮太くんもそんな話をしたくて私を呼んだんじゃない。楽しい思い出話をちょっとして、お祝いの気持ちを告げる――それが私のすべきことだ。私が勝手に変なところで葛藤して、ぎこちない接し方なんてしてしまったら、壮太くんだって嫌に決まってる。そうだ、そうだよ。
深呼吸をひとつして、私はトイレの個室から出た。いきなり真横から手が伸びてきて、口と鼻とを布みたいなもので塞がれた。「!」鼻の奥がツンとして、意識がバターーン……




