冬日1「尋常ならぬ結婚式」
▽冬日1
びっくりした。まさか壮太くんの結婚式にお呼ばれするなんて。
だって壮太くんとは中学一年生の秋、彼が遠くへ転校して行ってしまって以来、何の連絡も取っていなかった。小学生時代にはクラスも何度か一緒になってそこそこ仲良くさせてもらってたけど、話に聞く彼の波乱万丈な人生を思えば、私みたいな地味っ子の記憶なんて残ってるわけないと思うし……ううん、それが実は残ってて、しかも節目となるこんな行事で『小々森冬日 様へ』なんて招待状を送ってくれたんだから……あ、でもいまの私の住所とか、どうやって調べたんだろう? 探偵助手みたいなことをしてる彼だし、お嫁さんになるのがその探偵の甘施無花果さんだし、そのくらい簡単なのかな?
いやーすごいな。壮太くんが結婚……。あはは、そういえば二十代も後半……男友達のひとりもいない私って遅れてるんだろうか? 壮太くんと同じ作家業とは云っても漫画家、カツカツの生活で部屋にこもりがちの私だから仕方ないし、普段はそっちのことって考えもしないけど、こういう機会に焦らされることになるんだね……。
うーん……本当に行っていいのかな? 場違いじゃないかな? 結婚式とか行ったことない。他の招待客がみんなすごい肩書の人たちだったら嫌だな。知り合いとかもいないだろうし……あ、でも私みたいに、小学・中学の同級生で呼ばれた人がいるかも? 分からないなぁ。何人か心当たりはあるけど、せいぜい高校までしか一緒じゃなかったし、いまの連絡先とか知らないから確認のしようがない。成人式にも、何だか気が滅入ってしまって行かなかった私だ。
どうしようどうしよう、そもそもスケジュール的に行くの可能? 連載作品の締め切り日に近いよ? 会場は、行けないこともないか……着るものはいちおう、冠婚葬祭用のスーツを押し入れから引っ張り出せばなんとか……あ、て云うか出席するなら招待状にお返事出さないとなのかな? うわー面倒臭くなってきちゃった。駄目だなぁ私……こんな奴が祝いの席に出たって水を差してしまうだけだよぉ……ここは空気を読んで、行かないべきでは? ほら、甘施無花果さんと会ったことないし……よくは知らないけど、怖いイメージがあるんだよね、その人……見た目は子供って話だけど……うう、どうして私を招待したんだよ壮太くん。意図が読めないよぉ……十年以上会ってなくて今後も会わないだろうと思ってたんだから、お情けとか社交辞令でもないだろうしさ……。あわーー、もう頭がショートするーー。
とか悩まされ続けた挙句、十月十日――結婚式当日になった。
行くことにした。
だって気になるんだもん……。
聖プシュケ教会は広大な敷地を持ってて、正門を這入ると奥にある立派な聖堂まで、花壇の並んだ中庭を貫く格好で一直線の白い石畳の道が伸びている。そのさらに両脇に種々の建物があって、このたびの式の参列者は受付を済ませると、教会と繋がったそれの中に設けられた控室で開場まで待っていることになっていた。話によると、教会式の後にこの建物の別の部屋で披露宴に移る段取りらしい。
素敵な教会だなぁ……。すっかり圧倒されながら案内されるままに控室に連れてこられた私だったが、その中に這入るや否や――失礼な云い方だけど、目に飛び込んできたのは異様な光景だった。
女の人しかいなかった。
既に五十人ほどが各々、椅子に腰掛けたりテーブル横に立って歓談したりしているものの、皆がどこかヒソヒソとしていて、この状況の奇妙さについて戸惑いを抱いているんだってことがすぐに分かった。控室が男女別になってるのかと一瞬思ったけど、違うんだ。本当に、女の人しか呼ばれてないんだ。
招待状にあった一節を思い出した。
『宛名に書かれているかたのみでお越しください』
よく分からない……でも何か、私は不穏なものを感じた。まるで、罠に掛けられでもしたかのような……。
と、ゾッとしたそのタイミングで肩を叩かれた。思わず「ひゃっ!」と飛び跳ねてしまいつつ横を向くと、今度はそこにあった顔があまりに懐かしかったから「わっ」と声を上げてしまった。
「や、弥魅ちゃん?」
「その反応で確信を持てたわ。久しぶりね、小々森さん」
変わってない……含みありげな眼差しと、口角を片方だけ上げる微笑み方。小学・中学の同級生、弥魅エリードールちゃん。苗字は父親の再婚でそうなったらしくて、だからハーフではないんだけど、背が高くて理知的な容姿から、同性のファンが多くいたくらいの美人さんだ。髪型は昔のロングから変わって、前髪をセンターで分けたミディアムボブ。似合ってます、すごく……。黒のワンピースドレスも格好良い……。
「どうしたの、呆気に取られて」
「えっ」
探るような目つきで顔を近づけられて、私はドキッとした。
「う、ううん、久しぶりだね。こんなにご無沙汰してたら、呆気にも取られるよ」
「そうね。でも知り合いがいて良かった」
「うん、本当に。私も安心したよ。心細かったから」
改めて周りを見回す。全員が女の人、しかも若い年齢層に偏ってはいるけど……その内訳は様々で、それぞれにバックグラウンドが異なりそうで、おそらくは社会的地位もバラバラの、云ってしまえばまとまりに欠ける面々だ。一見して個性の強そうな人もいるし――どう考えても不自然な私服の二人組など――、私みたいに地味な人もいる。このぶんなら、私が浮く心配はないかも知れない。
「……私達の知り合いは、他には来てなさそうだね」
「今のところはね。他にも何人か招待はされたんでしょうけど、来る人間といえば少なくなるわよ。小々森さんも壮太とは、長らく連絡なんて取ってなかったでしょう?」
「うん。弥魅ちゃんもそうだったの? 壮太くんとは幼稚園から幼馴染だったよね?」
「昔の話よ。それに、彼が転校した際に切れてしまった。所詮はその程度の仲」
束の間、弥魅ちゃんの表情に影が差した、気がした。わ、話題を変えないと……。
「えーっと……いまはどうしてるの? もしかして結婚してる?」
「いいえ、未婚よ」
あう、また配慮に欠ける質問しちゃった……。
「経営コンサルタントをやっているの。これが忙しくてね、働きづめよ。小々森さんは?」
「いちおう、漫画家で生計を……あ、未婚だよもちろん」
「ふぅん、貴女らしいわ。たしか中学でも美術部だったわよね」
「部活はー……女子テニスだったけど……」
「あら、これは失礼」
「ううん、気にしないで、本当」
仕方ないことだ。弥魅ちゃんと私は、昔も大して話したりはしていなかった。互いに壮太くんを挟んだ〈友達の友達〉って関係に過ぎなかったから。
「こっちで話しましょう。まだしばらく時間があるわ」
「うん」
導かれるままに、花が飾られているテーブルの傍まで移動する。その途中で他のゲスト数名の横を通り過ぎたんだけど、値踏みするような視線やいっそ敵意が滲んだような視線に遭って、私は肩を丸めてしまった。やっぱり私どこか変なのかな? 祝いの場なのに、皆ピリピリしてない? むぅー……。
「気付いてるでしょうけど、これはなかなか尋常でないわ」
片方の肘をテーブルに掛けて私の方を向くと、弥魅ちゃんはややひそめた声で云った。
「女の人しかいないね。私、何も聞いてなかったんだけど……」
「私だってそうよ。招待状の他に、何の報せもなかった。悪戯かと疑ったくらいだわ」
横目で周囲を見遣って、皮肉っぽく微笑む弥魅ちゃん。
「来てみたら、やっぱり悪戯だったわけ。ある意味においてね」
「――おーふたーりさん」
テーブルを挟んだ向こう側から不意に声を掛けられた。テーブルと云っても小さなものだから、相手は身を乗り出していたし、すぐ目の前と変わらない。ちょっと奇抜な感じの人だ。前髪がやけに短くて額が露わになっている。虚ろな瞳、不健康そうな顔色をしていて、顔そのものは童顔気味だけど、たぶん、私達よりいくらか年上じゃないかと思う。
「何でしょう?」
弥魅ちゃんが応じる。
「ん、誰かしらに忠告を残しておこうと思ってたところで、君らが目に留まっただけさ。ぼくはこれから帰るところなんだ」
わ、ぼくっ子だ。いい歳して。
「ご気分が優れないのですか?」
「そうだねー。まぁ聞いてよ。このまま結婚式に参加したら十中八九、地獄を見ることになるんだ。これが普通の結婚式じゃないとは察せてるだろう? あー待て待て」
掌をこちらに向けて、発言を抑えるようにする。
「列挙しよう。まず、この聖プシュケ教会が曰く付きなのは知ってるね? 立派な教会だから前までは一部のお金持ちが結婚式にも使ってたが、スキャンダルがあってからは当然ゼロさ。甘施無花果はそれをわざわざ会場に選んだ。プロデュース会社なんて介してない。全部、甘施無花果が取り仕切ってだよ。あの案内人なんかも今日限りの雇われさ――さっき直接、聞いたんだよ。
それに一目瞭然、この女だらけ……女だけの招待客たち。確認した限りじゃ、皆が壮太くんの関係者だ。甘施無花果ってのは初代もいまの二代目も謎だらけだから、結婚式といえども友人なんてやって来ないんだね。つーか、いないんだろう。親族だって当然そうだ。壮太くんもご両親、親戚ともにいなくて天涯孤独の身の上だから、こんなに年齢層の偏った顔ぶれになってる。これには云うまでもなく『宛名に書かれているかたのみでお越しください』も効いてるね。甘施無花果はここに不純物が混じるのを許さなかった。全員が新郎側の、いわば過去の女たち。こんな結婚式、聞いたことあるかい?
んー、他にも色々あるが、何だか疲れちゃった……結論を述べよう。これは甘施無花果による〈塚場ハーレム〉殲滅のシナリオさ。ぼくは彼女のやり口を知ってる。君らがどうかは知らないが、今のうちに帰った方がいいよ。まだ間に合うはずだ。体面なんて気にすることないさ。これに関しちゃ、社交の場とは程遠いんだからね」
えーっと……私はどう反応したらいいのか分からなかった。冗談じゃあ、なさそうだよね。でもこの人、ちょっと普通じゃない感じだし、話もよく分からない。妄想癖みたいなものがあるんだろうか……?
「いささか奇妙であることは私も感じていますけど、」
弥魅ちゃんはさすが、動じてる気配はなかった。
「それほどの危険があるとは思えませんね。甘施無花果さんは物好きなかたのようですから、不思議はないでしょう。ところで貴女は――」
「ん、ぼくのことなんかどうでもいいんだ」
謎のぼくっ子は鼻白んだみたいに天井を仰いだ。
「ともかくぼくは、壮太くんのことは好きだが、甘施無花果のことは嫌いだし、こんな光景を見せられては、帰ることを選択する賢明な人間だよ。壮太くんへの親愛と自分の命、天秤にかけたらさすがに我が身さ。じゃあ、さよーならー」
掌をヒラヒラ振って、彼女は本当に控室を出て行ってしまった。何だったんだろう……と思いつつも、私は気になったことを弥魅ちゃんに問い掛けた。
「この教会が曰く付きって……弥魅ちゃんは何か知ってるの?」
「小々森さんは知らないの?」
「え?」
カウンターを食らった。
「此処の聖堂は、殺人事件の現場になったのよ。其処で名探偵が挙式すると云うんだから、分かるような分からないような話だわ。それを指して、物好きと云ったの」
弥魅ちゃんはもう一度、周囲を注意深げに観察した。
「たしかにひと波乱、起きるのかも知れない」
「………………」
嗚呼、神様。




