1、煤音1「在りし日の記憶」
1
小説や映画なんかのフィクションにおいて、昔の記憶をそのまま夢に見るというシーンがよくあるけれど、そんな夢を見る奴っているんだろうかと思っていた。
でも見た、本当に。
その記憶はたしか、中学時代……転校する前のことだった。桜野が僕に語り掛ける。
「ずっと一緒だったんだ。これからも私について来てよ」
「塚場くんには、私の語り部という役割があるんだよ」
「うん、名探偵にはその活躍を綴る語り部がいなくちゃ駄目なんだ」
「塚場くんには自分の人生がない。君は誰かの――私の人生を語ることでしか生きていけないんだよ」
「ふふふ、このことを常に思い出し続けてね?」
「思い出すことさえ忘れなければ、忘れたことにはならないのさ」
「だけど、そうだねぇ……記憶ってものが頼りにならないのは、今回の件で分かったよね?」
「記録することだよ、塚場くん。今後はすべてを綴りたまえ――」
小説や映画なんかのフィクションに倣うなら、このタイミングでこの記憶を夢に見たことは僕の深層心理が何かを予兆してそうさせたというわけで、すなわちこれからの展開に対する布石なのだろう。夢というものはなかなか馬鹿にできないと聞くし……だが、それにしたって今更な内容だった。
今更、桜野が僕に何を云うのか。何を暗示するのか。彼女の探偵譚は終わった。僕は彼女を語り終えた。もはや彼女に期待できることは皆無である。
まぁ、深刻に考える必要もない。どうとでも解釈できてしまう問題だ。せいぜい気に留めておくくらいで充分だろう。
起き上がった僕は、顔を洗って着替えを済ませて、リビングへ。
無花果はテーブルの上に並べた無数の封筒にひとつひとつ、万年筆で宛名を書いているところだった。彼女の文字は綺麗すぎて印字と変わらない。
「お寝坊さんですね」
水晶玉みたいな瞳に一瞥されて、肩をすくめる僕。テーブルを挟んだ向かいの席に腰掛けて、封筒を手に取ってみた。中にはカードが一枚――結婚式の招待状だ。いささか、面食らわされた。
「……何も聞いてないんだけど」
「はぁ?」
今度はゴミでも見るような視線で刺される。
「先月、婚約しましたでしょう?」
「それはしたけど、結婚式のことはまだ話してなかっただろう。これ、日取りも会場も決まってるじゃないか」
「私が決めてあげたのですよ。物臭な貴様の代わりに」
道理で最近、ひとりでよく出掛けていると思った。わざわざタクシーなんて使って、僕が聞いても行先を答えなかったところを見るに、今まで内緒にしていたかったらしいが。
「意外だね。お前がこんな雑事を僕に押し付けず自分で――」
すぐ目の前に万年筆のペン先が突き付けられたので黙った。無花果はじとーっと僕を睨んでいる。
「結婚です。特別な行事なのです。クリスマスに屋形船を予約するようなセンスの貴様に任せられるわけがないでしょう」
「え、あれ嫌だったのか?」
「馬鹿。私は船酔いしやすいのです」
初めて聞いた。弱みを見せたがらない無花果だからこれまでは平気そうに振舞ってたんだろうが……見抜けなかった僕の落ち度か。
「……それで、この招待客のラインナップは?」
たとえば僕が手に取った封筒の宛名は阿里山煤音――中学の同級生だ。彼女は今でもたまに交流があるから……と云っても無花果に話したことはないが、まぁいい。だが他の名前は、僕も忘れかけていたようなそれが多分に混じっている。そもそも人付き合いの乏しい無花果と僕だ。過去に解決した事件でちょっと関わった程度の人物ばかり――いや、これも別にいいんだけど、問題はやっぱり、無花果と僕が白生塔で出逢う以前に僕が関わった名前までもが網羅されていることだった。
「調べたのですよ。過去に貴様とある程度以上接したことのある女性、全員」
「………………」
並んでいる宛名は、たしかにすべてが女性名だった。どういう基準で選定したのか知らないが、顔も思い出せないようなそれだって結構ある。
「つまり云い換えるなら、過去に壮太と結ばれることを一度でも夢想した可能性のある、身の程知らずな女たちです。これを機に、思い知らせてあげなければなりません」
「………………」
こんなに悪趣味な結婚式ってあるだろうか?
それに加えて、もう一点、
「この会場もちょっと気になるんだが、聖プシュケ教会って前に殺人事件があったところじゃないか?」
「そうですよ」
宛名を書く作業に戻り、無花果はこともなげに告げる。
「去年ですね。聖堂で密室殺人事件が起きました。犯人も密室トリックも分からず終い。そのまま迷宮入りしたそうです。捜査にあたった人間が無能だったのですね」
「お前好みではあるだろうが、そんな結婚式でいいのか? 屋形船はご免なくせに?」
「いいのですよ。これ以上の好条件はありません」
彼女は顔を上げなかったが、どうやらニヤリと笑ったらしかった。
何を企んでいるんだろう?
▽煤音1
中学一年の途中で転校してきてクラスメイトになった塚場壮太は、私の初恋の人だった。でもその発端は一般的に云う恋愛感情とは違ったように思う。
彼は一緒に転校してきた幼馴染の桜野美海子にいつもべったりで、他のことなんてどうでもよさげだった。桜野美海子の存在が百パーセントを占めていて、他の全部は要領良くこなすだけの雑事って感じだった。
だから、それを奪ってやりたくなった。桜野美海子が私に置き換わって私が彼の中の百パーセントになったら、どんなに良い気持ちだろうって考えたんだ。桜野美海子と塚場壮太――何者にも侵されそうにない二人だけの世界を私がまるっと塗り替えちゃうって、とっても愉快に違いない。
それに桜野美海子って頭は良かったけど地味~で詰まんなそう~な子だった。壮太は可愛い顔してて私好みだったし、あんな根暗な子に独占されてるの見るともやもやして嫌だった。私の方が可愛い~し面白い~し、幼馴染なんてアドバンテージ、簡単に打ち砕いてあげるぜってやる気満々だった。
だけれど結果は惨敗。あれこれ策を弄して手を尽くして最終的にはストレートに愛の告白なんてしてみたけれど、
「ごめん。良い返事はできない」
即答っすよ。ほとんど反射神経みたいでしたね。その鮮やかさに私も惚れ惚れしたくらいで「あっはっは。だよね~」ってへらへら笑って「了解~じゃあまた明日~」って手をぶんぶん振って尻尾巻いて逃げてひとりになったところでぼろぼろ泣きましたとさ。
なーんだよ。私、結構本気だったんじゃん?
とはいえ塚場壮太って人間は優しいんだかそれともデリカシーがないんだか、翌日からも私との接し方は何も変わらなかった。要領良くこなすだけの雑事。そこで私も『あ、もしかしてこの人、かなりおかしい人?』ってようやく深刻に気付き始めたんだけど、も~どうでもいいや~って投げやりな気分にころっと転換しちゃって、せいぜい卒業までクラスメートとして仲良くさせていただきました、はい。
その後はどんどん桜野美海子が有名人になっていって、壮太も彼女の活躍を本にして稼ぎ始めたもんだから一緒に名前が広まって、すご~い、スッカリ遠い存在~、なんて思いながら連絡を取ることもなかったんだけど……
むふふふふふふふ。
私って意外に狡猾? ってか悪女? なんですかね?
白生塔事件で桜野美海子が殉職したって知った私は、てきとーな探偵を雇って壮太の住所を調べてもらって、ご愁傷さまで~すなんて歌いながら再会を果たした。ま、その夜にあった出来事はね、私も壮太も大人ですから、んはははは。って云うのは嘘でロマンスは特になく、久し振りだってのに数分で中学時代のモードに戻ってぺらぺら喋ってお別れしました。夜道をぶらぶら歩いていると酔いも醒めてきて、
あ、私、もう壮太に恋愛感情じみたもんは持ってないな。
燃えないって云うか、まぁ、普通に友達ってことで充分。
って分かると何だかあいつに勝利でもしたみたいな気分になって、自分がひと回り成長したように思いましたね。
だからそれからは友達として、たまーに会って話してる。壮太から連絡をくれることはないんだけど、私は時々会いたくなるもんで、電話して誘えば、スケジュールに空きがあった場合だけ普通に会ってくれる。変な距離感。だけど変なのって好きなのよ、私はね。
さーて、そろそろまた食事にでも連れてってもらおうかな~と思っていたところに、手紙が届いた。
結婚式の招待状ですって。
は?




