〈エピローグ〉
あっちを向いたりこっちを向いたりと規則性なく配置された聳えんばかりの本棚、それらにも収まりきらずにあちらこちらに積み上げられた書物、書物、書物、書物の洪水の中を苦労して進みきり、やっと書物の海の上に寝転んで推理小説を読み耽っている桜野美海子を発見できた。
「あ。紅代ちゃん、おかえり」
帰って早々だけれど、私は村人に成りすまして雅嵩村で見てきた一部始終を仔細に語って聞かせた。もっとも、私は穴の底には行かなかったし、他でも随所随所は、直截目にしたのではなく盗聴器から音声だけ耳にした内容だ。
聞き終えた桜野美海子はむくりと上体を起こすと、頭を掻きながら緩く苦笑した。
「あーもう滅茶苦茶だよぉ」
それには私も同意する。
「今回、舞台をセッティングして俯瞰するのみの私は、どうしたって負けはしない立ち位置だと思ってたんだけどなぁ。こうも舞台ごと破壊されたんじゃあ、私も敗北を喫したと認めざるを得ない。ふふ、二人は私の存在には気付いていたのかな」
「どうだろうね」
甘施無花果に恨みを抱いている人間からこの酔狂に加担しそうな者をピックアップして掻き集め、雅嵩村について教え、基本的なお膳立てをしたのは桜野美海子だった。つまりはプロデューサーであり、格好を付けるなら、裏で糸を引いていた真犯人であるとも云える。
「ところで貴女は、どうして甘施無花果の生まれ故郷を知り得たの?」
書物の山から埋没していた椅子を引っ張り出し、私は其処に座って訊ねた。
桜野美海子はよく訊いてくれたと云わんばかりに、つらつらと喋り出した。
「甘施さんの過去はどう頑張っても孤児院までしか辿れなかったんだけど、じゃあ其処から彼女を引き取って探偵に教育した新倉さんはどうだろうと思ってあたってみれば、ビンゴだったんだ。新倉さんもまた、竹呉が竹彌を逃がしたよりもずっと以前に、雅嵩村から出た人間だったんだよ。新倉というのは姓じゃなくて、新が姓で倉が名なんだね。雅嵩村の墓地にも新家のお墓があったでしょ?
私は雅嵩村について実際に赴いて調べ、甘施さんが竹彌に相違ないと分かった。うん、これがどういうことかと云うと、竹呉は村を出て新倉さんを頼ったんじゃないかな……交流は絶えていたはずだけど、何か居場所について見当を付けられる所以があったんだろう……でも一旦、竹彌は縁もゆかりもない孤児院に預けることになった。これは追っ手が竹呉、そして新倉さんにまで及んだ場合を危惧しての判断だね。実際、すぐに竹呉は掴まったけど、新倉さんは無事だった。その確信を得てから新倉さんは改めて竹彌を引き取り、当時やっていた事業の関係で彼女を探偵・甘施無花果に仕立て上げた……と、まぁ雑な推理だけどね、それほど外れていないと思うよぉ。甘施さんがこの辺の事情をどこまで知ってたかは定かじゃないけどさ」
お金にもならないのに、よくそこまでやる。彼女が時折見せるアクティブさは、こうして引きこもっている姿からは想像が付かないものだ。
「それにしても、甘施さんと塚場くんの探偵の仕方はいよいよ酷いねぇ。私はこう見えて、ミステリに対して大きい度量を持った読者なんだけど……うん? 本当だよ? 論理を重んじるは狭義の探偵小説……いわゆる本格というやつだね……英米流のそれにかぶれた人なんかは往々にして、この厳密な定義から外れた怪奇小説や犯罪小説などをミステリに非ずと考えるものだけど、私はもっと広義の探偵小説を広く愛してるんだ。邪道だの何だのと突っ込んで論評する楽しさは別として、実態は非常に寛容な態度を持った良い読者だと自負している。ああ……そんな私をして開いた口を塞がらなくさせるんだから、まったく、あの二人は忌々しいって話だよ。美学が欠けてるんだ。浪漫を感じ取るには、あまりにも破滅的に過ぎるでしょ?」
「でしょ? と云われても、私も美学の持ち合わせなんてないから分からない」
「ミステリの在り方について苦悩したこともない人間が、無闇に探偵を名乗らないでもらいたいものだよぉ。これ以上の侮辱はない。悲しい気持ちになるね。あの二人がやっていることというのは――」
私の声なんて聞こえていないのか、その後も滔々と自分のミステリ論を語り続ける桜野美海子だったけれど、終わりが見えないので、私は椅子から立ち上がることでそれを中断させた。
「それで貴女、次はどうするの? 今回のようなことを繰り返したって、あの二人に対しては埒が明かないと私は思う」
「うん。次は私が舞台に上がるよ」
桜野美海子は唇を撫でながら、楽しみで楽しみで仕方なさそうな表情だった。
「準備は進めてる。ふふふ、少し教えてあげよう。紅代ちゃんにも手伝ってもらうことがあるしね。……私は私が生きているということ、本当は白生塔で何があったかということ、そして探偵・甘施無花果の悪行の数々、これらを世間にすっかり公表するつもりだ」
想像していたよりも大それたことを計画していた。大変な騒ぎになるだろう。
「甘施さんと塚場くんの楽しい似非探偵生活もお仕舞だねぇ。二人には私と同じ日陰の道まで堕ちてきてもらうよ。フェアな勝負をしようじゃないか? ふふふ。そうして始まるのは、全国民を巻き込む戦後最大の大量殺人事件。最高の時代が到来する。これは私の一世一代の挑戦さぁ。嗚呼、ミステリに栄光あれ。ふふふふふ」
顔を熱っぽく赤らめて、推理小説の海に埋もれる桜野美海子は、笑い続けた。
この人の内側で肥え太り、醜く歪んだ観念と執念の塊が、ついに溢れ出そうとしていた。
【逆様様奇譚・雅嵩村編】終。




