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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
逆様様奇譚・雅嵩村編
40/76

9「ノスタルジア」

    9


 部屋に戻って朝餉をいただいた後、無花果と僕は松國老が生活している離れへ向かった。葺末ちゃんは変事を知らせに外へと出掛けて行き、松墨さんは……松鵺くんを慰めるか何かしていることだろう。松尋さんの死体は吊るされたまま放置されている。

 無花果が松國老のもとに出向いたのは、先刻の〈逆さ巫女〉という言について確かめるためだった。

「逆さ巫女とは、逆様様に捧げる贄の呼び名ですね?」

 勧めを辞して敷居のこちら側に立ったまま、無花果は問うた。奥に敷かれた布団の上にドシリとあぐらをかいた松國老は、案外と簡単に首肯した。

「逆様様からもたらさるるは、さかさまの恵みじゃ。さかさまは道理に背く、道理を超越する。儂ら逆様様に仕えしさかさまの民は、これゆえにあらゆる必然の、または偶然の破滅をことごとく回避せしめた。この超道理に通ずることから、ドンナ攻撃もドンナ凶事も、それは天災とて、恐るるに足りぬモノだったのじゃ」

 シャガレ声で語り始める。聞く者をジ……と引き付ける、老練した話しぶりであった。

「しかし、儂らが逆様様から恵みを賜るに、その繋がりを形づくり保つに、此処においてもまた、超道理たるところのさかさまを象徴するくさびが求めらるるは当然であろう。これぞ超奉仕、超献上にあたる逆さ巫女じゃ。儂らさかさまの民のうち、その血の妙なること最上の処女を捧ぐること……」

「そのための御三家ですか」

 自然に口を挟む無花果。

「近親婚を繰り返すのも、逆さ巫女の血を清く保つことを目的としているのですね」

「ふぉっ……ふぉっ……賢しいのう」

 笑う老人。

「いかにも、御三家は最良の血、逸物の処女を創り出す任を負うておるがゆえに、さかさまの民のうちで一線を画しておる。ウン……松、竹、梅と順繰りに、逆さ巫女を捧ぐるのじゃ。これはまた、逆様様が儂らに最上の賜物、究極のさかさま、超奇蹟をくださる刻である。この交換こそ、雅嵩村の極意……〈逆刻の儀〉じゃヨ」

 そこで昨日の梅典さんの言葉を思い出して、今度は僕が口を挟んだ。

「貴方の代はその〈逆刻〉において仕損じたと聞きました。そして災厄が起きたと」

「災厄と云うは誤りヨ。ウン……いかにも儂らは〈逆刻〉に際し、ついに逆さ巫女を用意し損ねた。逆様様を裏切るに等しき、極悪の不義じゃナ。ゆえに下さるるはさかさまの罰……〈逆禍〉じゃ。大勢が死んだ。人だけでない、儂らがこの地に築いたモノのことごとくが無に帰した。オオ……こうして復興を遂げこそしたが、あれを繰り返すことはならぬ。それだけはならぬ」

 松國老が僕らを見る目に、刹那、鋭い光が宿った。それにたじろぐ無花果ではないから、単に聞くべきことは尽きたと判断したのだろう、

「よく分かりました」

 それだけ素っ気なく云うと、踵を返した。例によって、代わりに僕が礼を述べた。老人は何か呟いたが、あいにくと聞こえなかった。



 さて。色々と重要らしいことを聞けたふうに思えるけれど、実のところ、無花果と僕にはもう雅嵩村について探る義務はない。依頼人の松尋さんが殺されてしまったのだから。

 まぁ成功報酬の三千万とやらが嘘っぱちなのはもう分かっていたのだし、そもそも無花果はそのために村まで出向いて調査をしているわけではなかった。今回の彼女が――彼女にしては――いやに真面目に取り組んでいるというのは、僕も早々に気付いていたことである。

 その理由、つまり彼女の本当のモチベーションについては僕も憶測しているものがあるが、それはともかく、ゆえに無花果は松尋さんが死んだって調査を続ける意思でいるということだ。彼女がこれほどの意欲を持って探偵するのはこれが最初で最後かも知れない。無論、僕はそれに付き合う。

「あちらが動くのを待つことですね」

 無花果は一言そう云った。松尋さんの死は、あまり価値ある〈動き〉ではないということだろう。だから次の、さらなるそれを待つのだ。

 というわけで時間潰しのため、それからいちおうの確認として、無花果と僕は散歩がてら村の唯一の出入り口を見に行った。聞いていたとおり、急峻な崖に挟まれた一本道は巨大な大岩に塞がれて通行不能となっていた。近くにいた村人によると、僕らが帰れるように大岩を削って砕いて除くつもりだが、二、三日はかかるという話だった。

 大して時間も潰せずに松家に帰ってくると、松墨さんが出迎えた。すぐ後ろに松鵺くんの姿もある。

「あら……どこに行ってらしたんです? さっき竹家から葺武が来て、お二人を探していましたのよ」

 無花果は無視して廊下を歩いて行こうとしたが、松墨さんが「そうそう」と後について来る。

「ミッシツと云いましたかしら……松尋の部屋はとても不思議な状態でありましたでしょ? あれを可能にする手法について私、ちょっと思い付いたものですから、葺末に確かめてもらったんですわ。ええ、中から南京錠が掛かっていましたから下手人げしゅにんが部屋を出られる理由がないとのことでしたけども、それなら中に這入らなかったまでというふうに一種のさかさま思考をしまして……どういうことかと申しますと、松尋の両足に一端を結び付けた縄を、ああして天井を剥いで開けました穴から屋根裏に投げ込んでおくんですね。そうして松尋に南京錠を掛けさせた後で、屋根裏から縄を思いきり引っ張るんです……そうしますと、松尋はひっくり返って頭を床に打ちますでしょ? こうして縄でさかさまに持ち上げた状態で何度か頭を床に叩き付けまして……云わば撲殺の凶器は床だったんですわ……充分に繰り返した後で、縄を途中で切ってあのように梁に結び付け、松尋を吊った格好にしてしまうんですね」

 楚々として、しかしかなりのテキスト量をまくし立てる松墨さん。その推理は杜撰ずさんなものだったけれど、指摘するまでもなく松墨さん本人が「しかし、」と首を横に振った。

「ええ、葺末に屋根裏へ上がらせてみたのですが……どこも埃を被っていて、松尋の部屋の真上、あの穴の辺りには蜘蛛の巣も張ってあったというくらいです。私の思い付きは、こういうわけでスッカリ見当違いであったと証明されてしまったんですね……」

「はっ」

 無花果は振り返らずして、長々と説明してくれた松墨さんに対して短く返した。

「あれには、そんな回りくどい真似など不要です。稚拙極まるトリックですよ」

「まァ、では既にお分かりになって?」

 松墨さんは目を丸くして立ち尽くした。無花果は構わず角を曲がろうして、そこで突然、母にくっ付かっていた松鵺くんがトタタタタタタと彼女へ向かって駆け出した。歯を食いしばって鼻の穴を大きくして目を見開いて、勢いそのまま飛び掛かろうとした。

 無花果はくるりと振り返って、松鵺くんの足を払ってこれを迎撃した。べたーん! と顔面から板敷の廊下に叩きつけられる松鵺くん。松墨さんが「なんてこと!」と叫んだ。

「お……」

 松墨くんは顔を上げた。鼻血を一筋垂らし、子供だてらに険しい表情で、無花果を睨み据える。

「お前のせいだゾ。お前が来たから、父上は殺されたんだゾ」

 無花果はこれを冷たく見下ろし、

「違いますけど?」

 身を翻して今度こそ、僕らの借りている部屋へと去ったのだった。



「壮太の両親はどんな人だったのですか?」

 行儀悪く卓の上に腰を下ろして煙草に火を点けると、無花果はそんなことを訊ねてきた。今更のような質問……と云うか、普段の彼女なら絶対に興味を抱かない類の質問だ。

「取り立てて変わったところのない人達だったよ。経済的にも思想的にも、ノーマルと云えたんじゃないかな」

「もっと主観的な思い入れを訊いているのです」

「特にないよ。簡単に死んじゃったし」

「……良いですね、貴様は」

 無花果は卓の上の茶碗を手に取ったが、口に近づけもせず、立ち上がって窓のところまで行くと中身を外に捨てた。一服盛られていると悟ったのだろう。それから煙草の煙を吸い込み、吐き出し、

「昨夜、私は竹家へ行ったのです」

「うん」

 そうだろうと思った。

「昼に竹帆さんが発狂したふうを装ってお前に抱き付いたとき、そうするように耳打ちしてたんだろ?」

「はい。丑三つに此処で待っている、と」

「それで行ってみたら、竹帆さんは死んでいた?」

「はい。あれは毒殺でしょう、掻き毟られた畳の上に血と混じった吐瀉物が広がり、その中で息絶えていました。最低の死に様ですね」

 そして無花果は振り向くと、

「これも、気付いているでしょう?」

 皮肉っぽく嗤った。

「私は、竹彌です」

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