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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
逆様様奇譚・雅嵩村編
37/76

4「足跡のトリック」

    4


 坂を下ったところの四つ辻を松家があるのとは反対に曲がってしばらく行くと、竹林が庭を覆う竹家に着いた。一階よりもひと回り小さな二階があって往時は松家よりも立派だったのではと推測されるが、村の外れにあって家の前も雑草が伸びた其処は、一段と陰気な感が強かった。

「ようこそ。へエ、竹帆たけほさんは今日もお部屋からお出にならねェです。話はしてありますンで、お訪ねなさって結構と思うです」

 竹家に住み込みのお手伝いとして働いている葺武ふきたけくんは、松家にいる葺末ちゃんの兄とのことだった。竹家には彼と竹帆さん――竹呉の妻で、松尋さんの義姉にあたる――の二人しか住んでいないらしい。竹呉が赤子の竹彌と共に空へ落とされた後、竹帆さんは塞ぎ込んでしまってこの二十年あまり変化を拒んでいる。縁談もいくらかあったそうだけれど、首を縦には振らない。そうして竹家は没落。いまは御三家というのも名ばかりで、何の働きもしていないという話だった。この代で絶えてしまうのは明らかで、代わりとして新たに一家、御三家の位に引き上げることが検討されているのだとか。

 幽霊屋敷じみた薄暗い廊下を進み、松尋さんは突き当たりの戸の前で立ち止まった。僕らに目配せしてから「竹帆さん……あたしです。松尋です。探偵の甘施無花果さんを連れてきたンで、ちとばかしお話ください……お願いします……」と断って立てつけの悪い戸を横に引いた。

 無花果と僕は六畳ほどの部屋に這入った。窓がなくて、空気がぬるっとしていて、いかにも不健康だ。その隅、畳の上に、朽ち果てたような女性が座っている。くたびれた長襦袢ながじゅばん、長い髪、骨と皮だけみたいな手足は蒼白で、うっすらと血管が浮き上がっている。

「お話……」

 その未亡人は顔を伏せたまま、かすれた声を出した。

「できることは、ありません……」

 無花果は無視して「竹呉は死んだものと考えていますか?」といきなり切り込んだ。

 しかし竹帆さんはピクリとも動じなかった。不感症になってしまったかのよう。

「はい……殺されたのです……」

「誰にですか」

 彼女はこれには一向に応えようとしなかった。無花果は質問を変えた。

「竹呉が殺されなければならなかった理由に、心当たりはあるのですか」

「……私のせいにございます。……あの人は、私の願いを聞いてくださったのです……私のため……竹彌のため……お優しい人……愛おしい人……あの人に責はございません……ほんとは、殺されなければいけないのは私なのです……」

 竹帆さんはぽつりぽつりと、自ずから語り始めた。

「それだのに、あの人があのようなこと……あのような恐ろしいことになって、私は未だ生き永らえている……罪深い私……恥ずかしい私……お蔑みください……お蔑みください……」

 僕はちらりと戸のところに立つ松尋さんを振り返った。彼は難しい顔で義姉を見守っている。食い入るように。もしかしたら、彼女がこんなふうに話をするのは珍しいことなのかも知れない。

「貴様の願いとは何だったのですか」

 すると、竹帆さんはまたも口を閉じてしまった。ほんのひと握りの生命力しか残っていないような彼女だけれど、そこには何らかの堅い意思があるように映った。

 無花果はその岩戸を決壊させる一言を放った。

「竹彌を村の外に逃がすことですか」

 竹帆さんは顔を上げた。前髪がはらりと揺れて、憔悴した顔立ちが露わとなった。その表情は――驚愕。彼女は無花果を見詰め、次第にわなわなと震え始めた。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ」

 棒切れみたいな手足をぎこちなく動かして這う。かと思えば、不意に素早く立ち上がり、しかし立っているだけの筋力がないのか、崩れ落ちるようにして無花果のところまで駆け、すがり付いた。

 とはいえ小柄なくせに体幹のしっかりしている無花果なので、一緒になって倒れるような真似はしない。竹帆さんは無花果の首に絡み付いて「おおお……っ、おおおお……っ」と奇声を発している。

「竹帆さんっ……」

 すぐに松尋さんが駆け寄って、竹帆さんの両脇に腕を回すと無花果から引き剥がした。

「落ち着いて、竹帆さん、落ち着いてください、頼ンます、頼ンますっ」

「おおおお~~……おおおお~~……」

 竹帆さんは引きずられながら天井を仰ぎ、泣いているらしかった。奥底にあったエモーションの発露か。鬼気迫る様だ。

「甘施さん、塚場さん、ちょっと廊下でお待ちくださいっ」

 松尋さんの言葉に従い、僕らは部屋を出た。運命を呪うような竹帆さんの声はしばらく止まなかった。無花果は無言だった。竹帆さんに触れられていささか乱れたドレスの皺を伸ばすことさえ、意外にも、しなかったのだった。



 竹帆さんは落ち着いたらしい。松尋さんは「済みません……竹帆さんは時折、ああやって取り乱すことがありますもんで……へい、お気になさらず……」と頭を下げた後、僕らを奥の炊事場へと案内した。勝手口を開けて出たところが裏庭で、すなわち事件現場だった。沓脱石くつぬぎいしの上には、葺武くんが手を回してくれて、僕らの靴が置かれてあった。

 裏庭はこの勝手口を中心とし、およそ半円形に広がっている。石塀も竹林も家の裏側までは続いておらず、周りはそのまま鬱蒼とした森だ。つまり森の中を通るのでなければ、この裏庭には勝手口から出入りするしかないかたち。地面は土がむき出しで、倉庫も何もない殺風景な場所である。

「竹呉の足跡は雪の上を真っ直ぐ、この辺りまで続いてました……」

 松尋さんが立ったのは、この半円の半径を三分の二ほど進んだ地点だった。

「積雪は三、四寸ばかりでしたでしょうか……足跡は一筋……へい、引き返した様子は絶対になかったです。此処まで来たときに空へ落ちてしまったとしか考えられないものだったンであります……」

 森に這入ってしまえば樹々は密に生えているから、雪のない足場だけを選んで進めたかも知れない。しかし松尋さんの立っているところから森までは十メートル近くある。赤子を抱いていなくても、その間を飛び越えることはできない。

 オカルトマニアなら、キャトルミューティレーションとでも騒ぐだろうか。

 裏庭を囲んでいるのが竹林だったなら、あるいは竹はしなるから、あらかじめ縄で縛って引っ張って屋根のどこかにでも括り付けておき、それに掴まって縄を切ることでそんな状況は実現できたかも知れない――こちらはいかにもミステリマニアが好みそうなトリックだけれど、しかし竹は一本も周囲にないから云ったって仕方なかった。松尋さん曰く、裏庭の状態は事件当時と何ら変わらないらしい。

 となれば、方法はひとつ。二十年越しの答えとしてはあまりに詰まらない。

「足跡のトリックに関しては、最初に話を聞いた時点で分かっていました」

 無花果は松尋さんの方を見もせずに、むしろあしあうように云った。「へ?」と間の抜けた顔をする松尋さん。そりゃそうだ。

「竹呉は自らの意思で失踪したのですよ。〈罪人は空に落とされる〉という云い伝えを利用することで、自分は死んだと思わせながら村を出たのです。逆様様を信仰するこの村の者達は、それを疑わないのですから。また、これについて逆様様本人に訊ねることが畏れ多くてまずできないというのも容易に想像されますし、仮に訊ねて逆様様が否定したところで、心の内ではきっとそうなのだと皆が考えるだろうとも、同じ村人であった竹呉ならば分かって当然だったのです。

 そういった面倒な背景が問題を複雑化させただけで、足跡のトリックは実に浅はかなものですよ。竹呉は雪が降っているうちに其処まで歩き、雪が降り止んだ後に、後ろ向きに歩いたのです。そして竹彌を抱き、別の適当な窓から、森の中へと這入って村を出たのでしょう。この家の両側は森と接していますから。

 あるいは、その方が時間を稼げることですし、裏庭に足跡の細工を施したのは竹帆だったのかも知れません。そうしておいて竹呉と竹彌の姿が見えないと訴え、裏庭の足跡を発見した振りをする。竹呉が竹彌を連れて村を出ることが彼女の願いであったなら、彼女がその計画に加担するのは当たり前の話です」

「…………そ、そんな」

 松尋さんは打ちのめされたような表情で立ち尽くした。

「じゃあ竹帆さんはずっと、その秘密を誰にも黙ってるンですか……夫と子が村の外に出て生きていると知っていながら、その秘密を守るため、二人は死んでしまったと云って……そうして自らはこの村でひとり死んでいこうと……嗚呼、何という……嗚呼、けれども竹帆さんは、どうして一緒に行かなかったンでしょう……自分の分も足跡の細工をすりゃあ、ひとり残ることもなかったでしょうに……嗚呼、切ないことだ……恐ろしいことだ……」

 呟くようなその声には無花果は応えず、

「さて、依頼は竹呉の講じた三文トリックを暴くことではなく、それをするに至った事情までつまびらかにするということでしたね。目途めどは立っています。明日にはすべて解決するでしょう」

 もう此処に用はない。無花果は勝手口からまた家の中に這入って行った。だが松尋さんはまだ動けずにいるようだった。

「恐ろしいことだ……恐ろしいことだ……恐ろしいことだ……」

 その瞳に渦巻くは、底知れぬ畏怖。

 無花果はああ云ったが、僕の予想が当たるなら、この後にひと波乱起こりそうである。

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