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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
逆様様奇譚・雅嵩村編
36/76

3「逆様様」

    3


 雅嵩村の朝は早い。ゼンマイ時計が七時を回るころには朝餉も済んで、無花果と僕は松尋さんに連れ出された。空は明るいものの、幾分か開けた南を除いて周囲は山――雅嵩村はまだ陰の中だ。無花果は早起きを厭うかと思いきや「私は完全無欠です」と宣って平気の面持ちである。

「早速とお仕事の方を始めていただきたく思いますけども……お二人にはまずはじめに逆様様さかさまさまにお会いしていただきます。逆様様はこの村を治めておいでになる偉い偉いお人で……お二人に分かりやすいよう申しませば、現人神あらひとがみというものに相違ないンであります……」

 やっぱりだ。無花果が昨晩推察したとおり、土着信仰。しかも現人神ときた。竹呉が空に落とされたことにも関与していると思われ、これを断る理由はなかった。

 村の最奥――南端は、最も高い位置であると共に先が絶壁となっている。其処にひとつ、村を一望する格好でお社みたいな建物がある。逆殿さかでん――と呼ばれているらしい。

「逆様様というのは、この村の縁起と切り離せない関係にあるようですね」

 右に左にうねった坂道を登りながら、無花果が云った。

「サカサマをさかさまに読んでマサカサ――これがこの村の根幹を成しているのでしょう。空に落ちるというのも、天と地をさかさまにしたレトリックですね」

「へい。いかにも……」

 松尋さんはチラチラと逆殿の方を気にしながら、すなわちそれについて口にするのがいささか畏れ多いと云いたげな様子で頷いた。

「……ご存知でしょうけども、さかさまという言葉には道理に背くという意味がございます……でありますから雅嵩様のお力というのは、その通り超自然の数々なンです……」

「しかし曲がりなりにも貴様はこの二十年間、村の外で多くの時間を過ごしました。現代的な物理の価値体系に触れ、それでも逆様様などという他愛ないママゴト遊びを、いまなお信じているのですか?」

「あ、甘施さんっ……」

 足を止め、振り返る松尋さん。狼狽を露わに、ほとんど呼吸困難に陥っている。

「いっ、いけねェです……そ、そんなことを仰っては、いけねェですよ……よござんすか、外ならいざ知らず、この村にいるうちは逆様様の懐にいることと同じ……逆様様の法に背くことすなわち罪……そ、それが、」

「罪人として空に落とされた貴様の兄も、逆様様に背いたのですか」

 毅然として無花果。松尋さんはギョッとして、口をパクパクと動かした後、顔を背けてしまった。

「分かりません……云いましたでしょ、あたしにゃ分からない……」

「逆様様に恭順している限りは暴けない真相。それを知るために、貴様は私に依頼したのでしょう? ならば私に逆様様とやらへの迎合を薦めるのは、なんと愚かな矛盾でしょうね? 此処に至れば貴様も腹をくくらなければ、それこそ道理に合いませんよ」

 松尋さんは応えず、「…………どうぞ」とまた歩き出した。煮え切らない態度。矛盾と云うよりか板挟みだろう。無花果も鼻を鳴らして、また歩みを再開した。



 本来、逆様様に謁見、つまり逆殿に這入ることができるのは松家、竹家、梅家の人間のみで、これを以て御三家とされているらしい。逆様様は支配者だが、下々の者に容易に姿をさらす類のそれではない。なにせ現人神のようなものなのだから。よって、御三家が逆様様と下々の者との仲介の役割を果たすのだ。

 では逆様様のご意向を聞き、実際に村を取り仕切っているのは御三家ということになる。ひとつの家で事足りそうなものをわざわざ三つで連絡することで、権力の分散や暴走の抑制を図っているのだろう。つまり雅嵩村のヒエラルキーは、ピラミッドの頂点に逆様様、次段に御三家、その下に他の村民――彼らが畑を耕し、山菜を採り、猟をし、ものをつくり、御三家それから逆様様に捧げる。

 小規模だからこそ上手くいく、実に分かりやすい体制である。そこに市場経済は必要ない。すべてを結んで成り立たせるのは、ひとえに逆様様信仰。カラクリが見えてきた。

 逆様様は逆殿にひとりで住んでいるとのことだ。意外にも、世話係みたいなものはいない。中継ぎたる御三家の人間が食糧をはじめとした捧げものをするが、では逆様様はそれを自分で調理しているんだろうか? とすると、ちょっと間抜けである。

 観音開きの玄関扉を開けて、天井の窓から陽光の差し込む廊下を真っ直ぐ奥へ進んで行く。するともうひとつ観音開きの扉。これを開けると、また短い廊下がしばらく伸びたところで、唐突に途切れていた。

 大穴だ。腰の高さほどの台が置かれているふちまでやって来ると、そこから先は床のない円形の大広間が広がっている。大穴に沿った壁――前半分にだけ等間隔でいくつか嵌め殺しの窓がある――の境界より下はゴツゴツと岩が剥き出しで、下へ下へ下へ……光の届かない濃い闇の中へ。ひゅううう~~……と空恐ろしいような音が虚しく、しかし大きく響いており、文字どおり、この大穴の底知れなさを物語る。

「あたし共が進めるのは此処までです」

 松尋さんは振り返り、声を潜めた。

みつぎ物も、この台の上に乗せることになってるンです。そうしますとチャント、次来たときにはなくなってる……あたし共ではコッチからアッチへ行けませんけども、逆様様は別なンです……」

 見れば、僕らが立っているふちと大穴を挟んだ真向かいに、同じように途切れた廊下がある。御簾みすがかかっているせいで、その先がどうなっているかは分からない。

「逆様様はありとあらゆるさかさまに精通なさってますから、こんな穴は訳ないというンですね……へい、天井を歩かれるンですよ……」

 無花果が口を開きかけるのを見た僕はさすがに拙いかと思ったので「じゃあ、」と先んじた。

「あそこに下がってる縄は何ですか?」

 大穴の広間は天井も僕らが今いる廊下より高いが、その中央に位置するあたりに滑車がひとつ取り付けられており、そこにかかった縄が二筋、大穴の下、闇の中へと垂れていた。

「あっ、あれは……」

 目に見えて動揺する松尋さん。

「け、けれども考えてみてください……あれはこの大穴を渡るにはどんなふうにも使えますまい……か、関係ないです……」

 縄の用途については誤魔化されたかたちとなったが、その言は正しかった。こっちからあっちへの幅はおよそ二十メートル。縄までは十メートル。走り幅跳びの世界記録を悠に超えるし、仮に縄へ飛び移れたところで、そこから身体を振るようにして振れ幅を大きくしていくなんて芸当は無理である。

 壁にも天井にも不自然な突起などは見られない。強いて云えばそこから下は天然の岩肌なのだからロッククライミングの要領で渡るのは不可能ではなさそうだけれど、そこまでいくと馬鹿みたいだ。たぶん、いまは亡き樫月琴乃ちゃんならそう推理したと思うが。

 松尋さんは大穴へと向き直ると、背筋を伸ばして一度大きく息を吸った。

「逆様様ァー……松尋でございますゥー……あのォー……以前にお話いたしましたァ、探偵の甘施無花果さんとォ、作家の塚場壮太さんをお連れしましたァー……」

「見えているわ」

 遠くの御簾の向こう側から、すぐに返事がきた。鈴を転がしたような少女の声音だ。勝手に老人とばかり予想していたので、僕はいささか拍子抜けした。

「探偵のかた……そうかしこまらないでよろしくてよ?」

 落ち着いた声量なのに、不思議とよく通って聞こえてくる。

 無花果は仕方なしとばかりに多少声を張って、

「かしこまってなどいません」

 応じたものの、いかにも面倒臭げな顔つきだった。

「ホホ……肝の据わったかたですこと。この村は如何? お気に召して?」

「相対的評価を下すなら、劣悪の部類です」

「ホホ……ええ、尋の頼みで、呉について調べに来たんですってね」

「金銭取引です。信仰よりもよほど、役に立つものですよ」

「アラ……即物的なのね? 信仰によって獲得せんとするのは恵みです。かたちあるものと違って、恵みには限りもなければ摩耗まもうも生じません。この村では万人が恒久的に満ち足りていますのよ」

「美談のように語りますが、当たり前の話ですね。無知なる者は幸福、蒙昧もうまいなる者は幸福。貴様が云っているのはこれに過ぎません。その飼い殺しは、傍から見れば失笑の一言です」

「ホホ……面白いかたを連れてきたのね、尋」

 二人のやり取りに顔面蒼白の松尋さんは、ハッとしたように「へ、へい……」と頷いた。

「私も興が湧きました。探偵のかた……存分にお調べなさって?」

 そこに『下がれ』のニュアンスを感じ取ったのだろう、松尋さんがそそくさと促して、無花果と僕は早々にその場を辞することとなった。

 その背中に、逆様様はこれは聞こえるか聞こえないかの声で付け加えた。

「逆さに見ることよ……そうすれば真実は容易に読めますから……ホホホ……」



 声こそ年端もいかない少女らしかったが、その話しぶりは淑女のように慎ましやかなところがあって、妙な感覚に陥った。謁見――と云っても顔は見なかったが――は短いものだったため、掴み難い印象のみが残ったのだった。

「逆様様はいつも、ああやってお顔は見せられないんですか?」

 逆殿を出たところで訊ねてみると、松尋さんは首肯した。

「村にいる者の内で、逆様様のお姿を見た者はおりません」

 そう聞くと、自然と想起されるのは卑弥呼だ。逆様様は超自然の力を行使するとの話だし、その囲い方からしても、現人神というよりシャーマンと捉えるのは間違っていないはずである。

「あれは代替わりしたばかりですか?」

 これは無花果が訊いた。声から察せられた年齢を指しての問いだろう。

「そうであれば、竹呉が行方知れずとなったときに逆様様を務めていた者は――」

「甘施さん、」

 松尋さんは強く、彼女の言葉を遮った。ともすれば今までで最も真面目な顔つきで彼女と僕を交互に見て、云った。

「逆様様は不死です。ウン百年前も、ウン百年後も、すべての時間で、逆様様は今お話になったあのかたに相違ございません」

 彼はさらに何事か続けようとしたが、小さく首を横に振ると、もう口を噤んでまた歩き出した。有無を云わさぬ調子。

「はっ」

 眉をひそめた無花果が僕を見て、僕は肩をすくめた。

 しかし、逆様様が不死というのはその信仰の理論に立てば当然の帰結であった。彼女は逆殿にひとりで暮らし、誰にも姿をさらさない。すなわち、生殖をしない。子が生まれない。現人神にせよシャーマンにせよ、これは村の代表者なんかとは違って神聖なる存在なのだから、無論それは能力を以て特別たり得ているわけだけれど、その根拠となるひとつは血統でなければならないはずだ。よって、血統を持ち得ない逆様様は不死でなければ成立しない。

 しかし、実際はそうはいかない。逆様様の不死を演出しつつ、何かカラクリをつくっているはずだ。逆殿に這入れるのは御三家の人間だけという点を見るに、これには御三家が関わっているに違いない。ならば松家の松尋さんはそれを知っているどころか、関与するひとりじゃないだろうか。

 逆様様の秘密の一端に触れずして、竹呉さんが空に落とされた謎を解明することはできない。だが松尋さんはそれを無花果に依頼している。にも拘わらず、ああも断固として逆様様は不死であると云ってのけたこと。

 さぁ話がこじれてきた。きっとまだ序の口だ。

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