2「幕羅家の人々」
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「私は高貴な家の出ではありません」
車で山道を上がって行く途中、後部座席から無花果のそんな声が聞こえてきた。ちなみに僕は最近やっと免許を取ったのだけれど、それから無花果の退屈凌ぎに無茶なドライブをさせられるようになったので少し後悔している。
「何だよ、今更。自分が令嬢のまがい物だから、これから本物の令嬢に会いに行くのが恥ずかしくなったのか?」
「殺しますよ」
すかさず運転席の背中を蹴られた。事故を起こしたら死ぬのは無花果も同じなのだが。
「そうではなく、私はふと、ある諧謔に思い至ったのです。考えてご覧なさい。探偵――自らの愉悦のため、殺人事件、哀れな被害者や愚かな殺人犯を玩具として遊戯し、それで金銭を貰って生活する。高貴な家の出ではない私ですが、いつしかこんなに〈良いご身分〉になっていたのですよ」
「…………」
反応に窮していると、また座席を蹴られた。
「笑いなさい」
そんな無茶苦茶な。
彼女は他人の冗談や芸を寸評する(主に貶す)のが好きなくせに、自分のユーモアセンスが貧相なのは認めたがらない。おそらく僕が甘やかしたせいなのだが、彼女のそんな暴君的な側面は年々強まってきている。……冒頭で初代・甘施無花果と彼女がそっくりだと書いたけれど、二代目は少なくとも僕といる時は意外に多彩な表情や豊かな情緒、時々びっくりするくらい詰まらない冗談を見せ、特にその嗜虐性については一切隠そうとしない。開き直っている。
「そのジョークの出来はともかく、あまり探偵とかミステリを軽視するような発言はしない方が良いぞ。僕は包み隠さず書くからな、お前の評判に関わる」
「探偵やミステリとは本来的に馬鹿馬鹿しいものです。それを馬鹿にするのは至極真っ当な行いでしょう」
「ほら、また」
「私は人柄でなく能力を売っています。貴様が未熟極まりない筆力で以て実際の私の活躍――その妙を八割以上損なって売り捌いているネガティブキャンペーンに支障が出ようと、知ったことではありません」
「よく云うよ。自分は貯金ばかりで、もっぱら僕の稼ぎを使って豪遊してるのに……」
「何ですか」
「何でもないです」
無花果が探偵業で得た報酬は一銭だって僕に降りてこない。「貴様は私に寄生している汚い虫です。虫に小判、なんて聞いたことがありますか?」というのが彼女の言だが、しかし一方で、僕が作家業で得た収入は大部分を献上しなければならない。「貴様の三文小説には私という原作があるのです。収入が原作者に還元されるのは当然のことです」というのも彼女の言でその通りなのだけれど、もう少し人情味を見せてくれたっていいんじゃないだろうか。
「さて、そろそろ幕羅家に着くのではないですか。何とも気の利いたことに、私のジョークがちょうど〈話の枕〉になりましたね」
「ははは……」
「もっと自然に笑いなさい」
「自然だよ」
人は呆れると笑いが出るのである。
いまは亡き幕羅峯斎が隠居生活を送っていた邸宅は、富豪のそれとは云ってもペンションに毛が生えたような大きさだった。ただしよくあるなんちゃって西洋館とは違って、本場からそっくり持って来たような石造りの立派な建物である。隠居生活を始めるにあたって建てたのだろう、まだ新築だ。
華美な装飾は見られない。嫌味な成金趣味とも無縁の、落ち着いた外観。鬱蒼とした森の中に身を潜めるように建ち、なるほど、まさに隠居というイメージそのものと云える。
ガレージには二台の外車(いずれも僕の臓器をすべて売り払っても買えないだろう高級車)が収まっており、僕は適当に前庭の脇に車を停めた。無粋なパトカーはもちろん、他に車の類は見られないので、捜査陣は引き上げた後らしい。
もう夕刻である。景色に緋色がミックスされて、一種幻想的な雰囲気を醸し出している。そろそろ秋に入ろうという山の空気はピリリと肌寒い。
「警察がいないようで何よりですね」
ドアを開けてやると、今回の舞台に降り立った無花果はそう云った。甚だ同意だ。警察嫌いな彼女なので、同じ場に居合わせると毎度ひと悶着起こる。
「あれが幕羅ユイですか」
無花果が視線を向けている先を見ると、二階脇の窓から僕らを覗いている女の子がいた。彼女は二度ほど会釈して身を翻し、窓際から消える。
僕らが玄関前まで到着したところで、内側から扉が開かれた。先ほどの女の子だ。
「こんばんは。依頼を受けて参りました甘施無花果と、僕はその助手みたいなことをしている塚場壮太です」
「お待ちしてましたお待ちしてました。幕羅ユイです」
勢い込んで応えるユイちゃん。よほど〈お待ちして〉いたようだ。
「本当にありがとうございます。お上がりください」
ぺこぺこお辞儀しながら僕らを中に誘う。手紙の感じから分かってはいたけれど、資産家の娘らしい高飛車な態度は見られない、もはや卑屈でさえある子だ。
しかし容姿や格好はさすが端麗で洗練されている。透き通るような白い肌(無花果の人工的で病的な白さとは違い、天然もので健康的なそれ)、流れるようなさらさらの黒髪(無花果の品があるんだかないんだか分からない金髪と違い、素直に綺麗で上品なそれ)、一目見て純真無垢な印象を受ける幼い顔立ち――依頼を受けた後で簡単に調べたが、たしか現在十五歳だったか。これも年齢不詳の無花果と違って――
「痛っ」
無花果が僕の足を踏んで前に出た。二人を見比べているのがバレたらしい。
「良いドレスですね」
ユイちゃんを一瞥してそう述べる彼女。「え? あ、ありがとうございます……」とやや戸惑うユイちゃんは、清廉潔白を象徴するような純白のドレスに身を包んでいる。
「しかし皺が目立ちます。手入れでなく、貴様の立ち振る舞いの問題でしょう。気を付けなさい」
「す、すみません……」
早々に駄目だしを食らって萎れるユイちゃんに、僕は苦笑いでアイコンタクトした。彼女がそれを受けて少し胸を撫で下ろすのが分かった。『助手の方はまともそうな人だ』――毎度毎度、ファーストコンタクトにおいて依頼人の顔に浮かぶ決まり文句である。
さて、僕も無花果に続いて邸宅に上がり、そこで靴を脱ぐ必要がないことに気付く。内部ももちろん西洋建築のそれで、ユイちゃんはパンプスを履いている。僕の小汚いスニーカーで踏み入れていいものか躊躇われるが……。
瀟洒な内装。前方――廊下の先の階段を見上げると、其処からひとり下りてくる女性がいた。
「どちら様ですか?」
鴉みたいな女性だ。ドレスとワンピースの中間みたいな形の黒い衣服は、喪に服しているわけでは全然なく派手な光沢を帯びたもので、首からぶら下がっている金のネックレスがアクセントになっている。ボブカットの黒髪は黒色をさらに黒色で塗ったのか、やはり自然なそれではない。キツい目つき、口元、声音、いやに排他的な雰囲気。
彼女がユイちゃんの母親――幕羅維子だろう。
「あっ、あの……」
慌てふためくユイちゃん。僕らが来ることを説明していなかったのか?
「甘施無花果です。この幕羅ユイから依頼を受けてやって来ました」
無花果は毅然として、淡々と述べる。
維子さんは眉をひそめ、それからユイちゃんを睨んだ。
「どういうことよ、ユイ」
「お、お爺様を殺した犯人を見つけてもらいたくて、それでその……依頼の手紙を送ったんです。無花果さんはとても優秀な探偵のかたで――」
「探偵い?」
維子さんはツカツカと無花果の真正面まで歩いてきた。
「お帰りください。故人に対しても私達に対しても無礼だわ」
「無礼であることは帰る理由にはなりません」
維子さんの眉間の皺がより深くなる。
「お呼びでないと云っているの」
「はい、私を呼んだのは幕羅ユイですので」
さらに深くなる。
「ユイが勝手にやったことよ。私は許さないわ」
「それも貴様の勝手でしかありません」
「貴様ですって!」
「はい、やはり私が帰る理由にはなりません。依頼人は幕羅ユイです」
維子さんはまたキッとユイちゃんを睨み、
「帰らせなさい、今すぐに!」
「ひっ……」
その物凄い剣幕に、ユイちゃんがたじろぐ。このままいくと維子さんはヒステリーを起こしそうな気配だ。羽をばたつかせる鴉。ちょっとまずい事態である。
例によって僕が仲裁に入ろうとしたのだが、その時、
「まぁまぁお母様、そう云わないでやってよ」
場違いに軽い調子で、階段手前の十字路になった廊下の右手から男子が現れた。僕より少し下くらいの年齢だろう。小ざっぱりとした外見だが、嫌味な感じに口の端を歪めている。
ユイちゃんの兄――幕羅ケイに違いない。
「俺も聞いていなかったけど、ユイにはグッジョブと云いたい気分さ。その人達は確かに高名な探偵と作家だよ」
彼は片手に持った文庫本を掲げた。『甘施無花果の探偵流儀3―秘湯・初霜旅館編―』。
「貴女達のファンだ。まさかこんなかたちでお目に掛かれるとはね」
なんと。本は出しておくべきものだ。もうネガティブキャンペーンだなんて云わせないぞ。
「なに、ケイさんが前に話していた人達なの?」
維子さんはなおも苦い顔つきだが、攻撃的な姿勢は幾分か弱まった。
「うん。甘施無花果と云えばいま、国内でも指折りの名探偵だよ。まさに殺人事件の渦中に身を置く俺達からすれば怖くもあるけどね、少なくとも怪しい人達じゃあない」
意外なフォローが入り、ユイちゃんも先ほどまでの狼狽がほぐれた――かと思って見れば、しかし彼女はピンと背筋を伸ばし、より緊張している様子だった。
……ああ、そうだ。彼女は『家族によって殺されるかも知れない』と云って依頼してきたのである。その家族とは此処にいる維子さんやケイくんであり、ならばこの一幕は重大な駆け引きの真っ最中。生きた心地もしないはずだ。
とはいえ、彼女が無花果に依頼したのは、兄がそのファンであることが所以だったのだろう。ひとつ納得した。
「だけど、探偵なんぞが出る幕ではないでしょう。捜査は警察がやっているわ。ただの強盗の犯行に、大それた頭脳なんて必要かしら?」
あくまで僕らを帰らせたいらしい維子さん。するとまた無花果が口を開く。
「ただの強盗殺人ではありません。侵入はともかくとして、脱出が叶わない状況だったのは貴様らの証言から知れた事柄でしょう」
維子さんは再三の貴様呼ばわりにピクッと目尻を動かしつつ、
「方法なんていくらでもあるんじゃなくて? それに、お義父様のご遺体が発見される前……早朝にどこかの窓の錠が開いていたのを施錠した気もすると、後で使用人が申しました」
「それで無能な警察は強盗の犯行だと?」
「ええ。大体、強盗でなくて誰だと云うの」
「無論、此処に滞在している貴様らです」
「何ですって!」
髪の毛が逆立つ勢いの維子さんを、またもケイくんが「まぁまぁ」と宥める。
「錠のことを聞けば、誰でもそう疑うさ。だけど俺達の中に犯人はいないだろう? ならこの際、しっかり調べてもらって疑いを晴らす方が得策だよ。甘施無花果ほどの名探偵のお墨付きが貰えれば、誰も文句は云わないんだから」
ケイくんがその嫌味な笑みを無花果に向ける。が、無花果は無視して、
「犯人が外部犯、本当にただの強盗であったところで、警察如きに解決は望めません。前当主が殺された事件が未解決では、幕羅家の歴史に影が差すでしょう。加えて、私を此処で帰らせたともなれば、それは貴様らが犯人を見逃そうとしたと同義……さらに要らぬ疑いを増やす結果となります。貴様に考える頭が少しでもあるのなら、どうするべきかは明白ですが、どうしますか?」
しばし、静寂。それは維子さんが激情を必死に抑え込むのに必要な時間だった。
やがて、彼女はわなわなと震わせていた唇を一度引き結び、「良いでしょう」と首肯した。
「お義父様を殺した不届き者は必ず白日の下にさらされ、罰を受けなければなりません。そのためになら幕羅家は、一銭も出し惜しむことなき所存です」
ただし――、と彼女は言葉を区切る。
「引き受けた以上、解決を約束すること。できなければ、貴女がどれほどご高名でいらっしゃるのかは知りませんが、その名は地に落ちることになるでしょうね」
その口元が、底意地の悪い笑みに歪む。ケイくんと同じ笑み――彼も最初から、それを期待して僕らをフォローしていたのだろう。
挑戦。敗れた方が破滅するということ。
だが無花果はいつも通り、
「何をはしゃいでいるのですか。恥ずかしい」
無感動に応えた。
「云われずとも、私に解決できない事件はありません。これまでも、これからも」