表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
教団〈桜生の会〉・桜生塔編
27/76

7「雪密室の謎と解法」

    7


 甘井無果汁は無花果に弟子入りを志願したのだが断られ、やむなくひとりで活動を始めた探偵である。名前から丸分かりのとおり無花果をリスペクトしており、振舞いから外見まで頑張ってコピーしているつもりらしい。

 ますますコスプレ会場じみてきた桜生塔。

 それはともかくとして、無果汁ちゃんが発見した死体は戸倉麻耶のものだった。今回の儀礼で〈桜野美海子〉役を務めていた信者だ。

 死体は桜生塔の脇に、腰から下を雪に埋め、壁に背中を凭れるようにして座り込んでいた。

 裸。切り開かれた腹から臓物が取り出されて、代わりに収められているのは黒い大きな鉄球。その上から食品用ラップフィルムで首から下をぐるぐる巻きにされている。

 明らかな他殺死体。臓物はどこかに持ち去られたらしく、見当たらない。

「何ですか、これは……」と信者のひとりが呟いたのを契機とし、またも各人が好き勝手に喋り始める。

「『桜野美海子の最期』にこんな事件はないわ」

「そもそも戸倉が桜野美海子様の役だったんだしねぇ」

「あ、だからじゃないですか? 犯人が桜野美海子様の犯行を追体験するのに、他にも桜野美海子様の役がいたのではおかしいから」

「だから戸倉さんは排除された――塔の外に放り出されたというわけか」

「筋は通るんじゃない?」

「戸倉は犯人じゃなかった……」

「だけど、どうしてこんな奇妙な殺され方を?」

「殺害現場は別の場所で、此処まで運ばれてきたようね。身体をラップで巻いてあるのは、血が滴らないようにじゃない?」

「たしかに血が中でたぷたぷ溜まって半固形になってますねぇ」

「鉄球は何?」

「鈍いですね、貴女。この鉄球が辻を撲殺した凶器なんですよ」

「ふむ……〈能登〉は転落死でなければならないんですから、凶器の鉄球も『桜野美海子の最期』に登場しないものとして戸倉と共に排除されたということですね?」

「すごぉーい。皆さんよくポンポン思い付く」

「はぁ……何のために今日まで桜野美海子様を目指して修行してきたと思っているのよ」

 その中から「あのぉ……」と控えめな声が上がる。

「どうしたの、域玉いきだま

「何か意見?」

「早く云いなさいよ」

「いつももじもじして」

 域玉というらしい信者は身を縮ませながら、

「これってちょっとおかしいと思うんです。昨晩に玄関扉の錠をかけたのは私なんですけれど、そのときに外を覗いたらもう雪は止んでたんですよ。でも死体の周りを見てください。犯人の足跡が残っていません」

 今も雪は降っていない。

 皆が死体の周りだけでなく四方八方あちこちを見回す。

 無果汁ちゃんの案内で僕らが此処まで歩いてきた足跡の他には、塔の正面に停められた無果汁ちゃんの車から玄関までのそれが一筋あるだけだ。他は一面の処女雪。

「域玉、それって何時頃?」

「二十三時頃ですかね……。則折様も一緒でしたよ」

「ええ。たしかに雪は止んでいたわ」

「則折様まで云うなら……」

「じゃあ戸倉が殺されて此処に運ばれたのはそれより前ってこと?」

「違うね。辻がサロンで撲殺されたのは確かなんだから、則折様と域玉が錠をかけたときにその死体がまだあの場になかった以上、戸倉殺しもまだ起きてなかったことになる」

「そうか。二時に戸倉さんが来なかったら、辻さんが報告するもんね」

「戸倉と辻は順調に儀礼を進めていて、その途中で襲われた……?」

「戸倉さん殺しは辻さん殺しと同時か、それ以降ですか」

「それに、戸倉さんが二十二時に五〇一号室に這入って行くところまでなら〈塚場壮太〉役の私が見ましたよ」

「塚場壮太〈様〉でしょう!」

「あっ、ごめんなさい」

「えーっと、じゃあどうなるんです?」

「どうって……〈雪の密室〉でしょう」

 雪の密室。この死体を此処に置くことは不可能。玄関から投げるには距離が離れているし、角度からしてこうして壁に凭せ掛けるようには、なおさらできないだろう。桜生塔には窓がないし、死体が何もないところからこの場所に出現したかのようなこの状況は、少なくとも一見、つくり出せそうにない。

「え、え? その後に雪がもう一度降っただけじゃないの?」

「そうだよね。だってほら、死体の頭とか肩に雪が積もってるよ?」

「あ、本当だ。なぁんだー」

「その雪は塔の屋根から落ちてきたものでしょう」

 そう云ったのは無果汁ちゃんだ。

 無花果を意識した不遜な態度で、彼女は続ける――興奮が隠しきれていない感じはあるが。

「白生塔の――」

「桜生塔です」とすかさず信者A。

「……桜生塔の屋根はふちが丸まっていますからね。そこに積もっていた雪が、陽が昇ったことで少し溶けて落ちたのです」

 死体の上だけでなく、塔の外周に沿うように積雪がところどころ少しだけ高くなっている。

「昨晩に止んだ後、今まで雪が降っていないのも確かだと思いますよ。私はこの山の天候を窺いながら来ましたから分かります。これは〈雪の密室〉に相違ありません」

「え、でもぉ」と信者のひとりが挙手した。

「今気付いたんですけど、なら犯人は塔の壁に背中をつけるようにしながら死体を運んだんじゃないですか? 屋根から落ちてくる雪で足跡が消えるから……」

「お、頭良いじゃん深埜みの!」

「そうか、そういうことか!」

「なるほどなー」

「なに驚いてるのよ。使い古されたトリックじゃない」

「でも現実でやられるとは思わなかったですよ」

「呆気なく片付いちゃいましたね」

「うんうん」

 たちまち祝杯モードになった信者達に無果汁ちゃんはしばしキョトンとしたが、

「いえ、違いますよっ」

 やや慌てた感じで否定した。

「見てください、屋根から落ちてきた雪はまばらです。その〈上書き〉が行われていない地点にも、足跡は残っていません。私達が死体を発見した時点でどこに〈上書き〉が為されてどこに為されていないか、予期することはできませんよ。なのでその考えは間違いなのです」

「ああ、たしかに」

「考えてみれば、その通りですね」

「何よ。全然駄目じゃないの、深埜」

「そんなぁ」

「じゃあやっぱり〈雪の密室〉?」

「だけどトリックは? もう残ってませんよ?」

「不可能……?」

 信者達はざわつく。ざわざわざわざわざわざわ。

 無果汁ちゃんは満足そうにその様子を眺めて「はっ!」と鼻で笑った。

「お静かに」

 無花果は『はっ』をそんなふうには使わないが。

「非常に簡単なトリックですよ。この私の前では、謎はたちまち謎でなくなります」

 そんな時代がかった物云いもしないが。

 しかし信者達は「おお!」「まさか、本当に?」「説明がつけられるの?」なんて良い食いつきっぷりを示す。なるほど、薄桃セピアに騙されるわけだ。

「ポイントはお腹の中に入れられた鉄球と、死体が壁に凭れ掛かっていることです。そこに着眼すれば容易に導き出せますよ。足跡がない以上、犯人は死体を浮かせて此処まで運んだのです」

「浮かせて運んだ?」

「どんな魔法よ!」

「できっこないわ!」

「馬鹿馬鹿しい!」

 掌返しで批難轟々の信者達に、無果汁ちゃんはややたじろぎつつも一言。

「いいえ、できます――電磁石を使えばね」

 今度はざわああああああっと波が引くように押し黙る信者達。

「はく……桜生塔の仕組みはご存知でしょう。〈C〉が回転する――すなわち、二重扉の間の空間がぐるりと移動するからくりです。犯人はその空間の中――外に面する方の扉の内側に電磁石を設置し、扉を挟んだ外側に死体を、足が宙に浮いた状態でくっつけたんですよ。そのために死体のお腹の中に鉄球を入れる必要があったのです。扉は両開きですから、片方だけを開けてこの作業は行えますね。そして〈C〉を動かします。内側で電磁石が動くに従って、外側の死体もそれに引き寄せられて移動します。電磁石は電流を流さなければたちまち磁力を失うので、タイマーをセットしていたのかリモコン操作か、いずれにせよ〈C〉が四分の一ほど回ったところで電流が切れるようにすれば、こうして死体は壁に凭れ掛かった状態で雪の上に落ちるというわけです。この位置にしたのは、裏側にしてしまうとあまりにあからさまでトリックを見破られやすくなるからでしょうね。以上――〈雪の密室〉は解かれました」

「おおおおおっ!」

「すごいっ、名探偵だ!」

「早業!」

 歓声が上がった。

「なるほど、それで鉄球かぁ」

「電磁石はまだ塔の裏側に?」

「馬鹿。私達が出てくるのに〈C〉は戻したでしょ。電磁石はそれ以前に回収済みよ」

「証拠が残らない密室トリック……」

「犯人もなかなか小賢しいわね」

 無果汁ちゃんは誇らしげに小振りな胸を張り、僕を見上げた。無花果はこの程度で得意になったりもしない。無果汁ちゃんは物真似をたびたび忘れてしまうようである。

 僕の視界には無果汁ちゃんの向こう――はしゃぐ信者達の中に混じったベレー帽の少女ならぬ少年も収まっている。

 矢衣蒲うらめを騙る杭原あやめ。

 彼はひとりだけ、皆とは逆の方向を見詰めていた。その先には僕の車と、隣に無果汁ちゃんのものらしい車が停まっている。

 大口を叩くだけはあって、彼は少なくとも馬鹿じゃないみたいだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ