5、6「蘇る白生塔事件」
5
ベッドの上。
うとうと眠りに入ろうとしたところで気配を感じ、目を開けると暗闇の中、ひとりの女性が僕に覆い被さってきた。
「あはぁ……捕まえました、塚場くん」
暗順応を終えた目が、間近の彼女をうっすら視認する。
僕に質問攻めしてきた信者の中にいたひとりで、顔は整形で桜野そっくり。桜野にしては背が高いけれど、コスプレ連中の中では割と完成に近い〈桜野美海子〉だ。
「えーっと……」
「真白春枝ですぅ。この機を窺っていましたぁ」
真白さんは僕の腹に腰を下ろし――ちょっと重い――、両手で僕の身体を撫で回す。
「既成事実をね、つくってね、しまおうとね、思いましてね、」
文節に区切るみたいな喋り方にかなりの興奮が滲んでいる。
正気ではなさそうだ。僕は半ば諦めた。
「塚場くんと桜野美海子様は恋人同士。であるからして私が塚場くんとひとつになれば、私は桜野美海子様になれるのでありますね? ああ、美海子って呼んでください。塚場くん塚場くん塚場くん」
酷い勘違いに突き動かされているらしい真白さんは、僕の首のあたりに舌を這わせ、荒い息遣いと共に続ける。
「私とぉ、貴方はぁ、結ばれる。桜野美海子様にしたのと同じように私を愛してくださぁい。貴方は究極の触媒で、よって私は桜野美海子様に近接した後にぃ、合一するんですからぁね? ね、ね、ね、塚場くん? 美海子だよぉ、私は今、誰よりも桜野美海子なのぉ。その身体と心で確かめて? はぁ、はははは……」
どちらかと云えば不快だけれど、耐えられないほどじゃない。
僕は真白さんの好きにさせることにした。
しかし僕は知らなかった。
この夜に真白春枝が僕とつくった子が、まさか遠い将来、あんな悲劇を生むことになってしまうとは…………なぁんて。これは云ってみただけだけれど、
悲劇ならぬ殺人事件なら、既に起きていたことが翌朝に判明したのだ。
僕と真白さんが馬鹿みたく乳繰り合っている間に、四年前と同じく〈能登〉は再び殺された。
6
〈能登〉の死体は、サロンの玄関扉近くに仰向けで横たわっていた。頭は割れた果物のような有様で、変形した顔は一見しただけではそれが〈能登〉だと判別できないほどだった。
午前六時に目覚めて使用人としての朝の仕事を始めようとした〈出雲〉が発見したのだ。無論それは儀礼であって〈能登〉は死んだ振りをしているだけのはずが、こうして本当に死んでいたというわけである。〈出雲〉は皆に知らせて回り、今、サロンには塔内のほとんどの人間が集合している。
「撲殺か……」
四年前は秘密のエレベーターシャフト内に突き落とされた能登だが、この〈能登〉は頭部を破壊されているだけだった。血や脳漿の飛び散り方からして犯行現場も此処で、どこかから運ばれてきたのではない。
しかし、四年前の殺人がなぞられているのは明らかだ。
ざわつく信者達の中から、声が上がる。
「戸倉がいません!」
戸倉麻耶。今回の儀礼で〈桜野美海子〉役を務めている信者らしい。
「あの人、抜け駆けしたんじゃないかしら。〈追体験〉をより実際のかたちに近づけるため、本当に殺したのよ」
「でも姿を消したということは、既に『桜野美海子の最期』から乖離し始めてるよ?」
「もしかして新たなる『桜野美海子の最期』をつくるつもり?」
「そんな! ずるいじゃない! セピア様がお許しにならないわ!」
動揺が広がる。儀礼中の〈枷部・ボナパルト・誠一〉や〈霊堂義治〉なんかも皆して素に戻ってしまっているようだ。
僕の隣では、真白さんが歯噛みしている。数時間前まで満ち足りた顔をしていたが、自分の他にもある種の強硬手段によって〈桜野美海子〉に至ろうとしている輩がいることに憤りを感じているのだろう。
「ねぇ真白さん、」
「美海子って呼んで?」
「ちょっとそれは……。真白さん、儀礼は〈実際には殺さない〉という点を除けば、すべて白生塔事件を忠実になぞっているんですよね?」
「うん。だから深夜二時過ぎに戸倉が辻の部屋を訪れて――」辻能乃というのが〈能登〉役で、つまり撲殺された信者。「――理由をつけて十階の浴場まで連れ出して、第二のエレベーターシャフトに突き落とすジェスチャーをした後で二人一緒に第二のエレベーターに乗って、下に着いたらスイッチを押して〈C〉を半回転させて呼び出した空間にさらに下りて、〈C〉をもう半回転させて玄関の位置に来てサロンに這入って辻を其処に横たえて、自分は中央のエレベーターで十階まで上がってまた第二のエレベーターで下りて〈C〉を半回転させて、そのまま上がって五〇一号室に帰る……というはずだったんだけど」
僕は頷き、玄関扉に向かう。その間も、他の信者達の討論は続いている。
「〈能登〉は本当は第二の被害者なんだから、〈獅子谷敬蔵〉役の狩草も殺されてるとは考えられない?」
「じゃあ昨夜の時点で十一階で? それならセピア様がお気付きになられているはずだわ」
「あっ、セピア様も殺されてしまったんじゃ……」
「有り得ませんわ! 今云ったのは誰? 壁塩ですね? 貴女、セピア様のことを――」
「待ってよ待ってよ。セピア様は桜野美海子様で神様なんだよ? このこともすべて〈見えて〉いたはず……」
玄関扉を開けようと試みたが、ビクともしない。
この塔の仕組み。玄関が二重扉になっており、その扉と扉の間が一メートル空いている。しかし内部が完全な円形であることから、塔は周りが幅一メートルのデッドスペースとなっている(窓がないのはそれを隠すため)。デッドスペースは塔の裏側が十階から一階まで縦に第二のエレベーターとして活用されており、さらに一階――正確には玄関扉の高さまで――はスイッチで回転させられる。この〈C〉の形を回転させることで、内部から扉を完全に塞いだり、十階の浴室から一階のサロンへの抜け道として使えたりする……。
「〈C〉は半回転された状態のようですね」
振り返って述べると、信者達は「さすが塚場様、冷静でいらっしゃるわ!」「桜野美海子様に付き従うことで培われたのですね!」「さすが桜野美海子様!」なんてまた騒ぎ出したが、すぐにもう少しマシな考えもその中から出る。
「ということは、戸倉は塔内にいるということよね?」
〈C〉を回転させるには、第二のエレベーターシャフトの底にあるスイッチを押さなければならない。つまり外側からでは操作ができないということだ。これはあくまで〈内部から閂を掛ける方法〉なのだから。
「どこかに隠れているのね? 探しましょう! 第二のエレベーターか図書室が怪しいわね!」
「待って。共犯者がいるんじゃない?」
「戸倉は逃げて、共犯者が〈C〉を半回転させてやったってこと?」
「それはないと思いますよ。桜野美海子様に到達するために辻を殺したのに、それだけで逃げちゃったら何にもならないじゃないですか。共犯者側もメリットがないですし」
「うるさいわね! 可能性を口にしただけじゃない!」
「桜野美海子様はそんな安易な憶測は口に出さないよぉ」
「なんですって!」
その時、
『静かにしなさい』
薄桃セピアの声がサロンに響き渡った。皆が一斉に、玄関の上に取り付けられている巨大モニターを見上げる。映し出されているのは薄桃セピアその人と、彼女がいる十一階だ(背景は十階の獅子谷敬蔵の部屋を模している)。
『鯖来から報告は聞いたわ。その殺人は私の関与しないところで起きた、信者の内の何者かによる独断専行よ。私の中の桜野美海子が私に何かを伝えようとしているけれど、薄桃セピアとしての能力の上限がそれを妨げている。何が起きたのか、私にもまだ見えていないわ』
飄々と述べているけれど苦しい云い訳だなぁ、と思いながら聞く。
『でも、そうね。桜野美海子に至るためにそんな蛮行を働いたようだけれど、なんと嘆かわしい。順序が逆よ。それは桜野美海子に至っていない者がしていいことじゃない。桜野美海子にしか許されない行いなの。修行不足、心得違いも甚だしいわ。分かる?』
「分かります!」と声を揃える一同。
『その犯人は〈桜生の会〉を冒涜したに等しい。一刻も早く見つけ出して処断しなければならないわ。私が見えるようになるまで待っているのでは駄目。分かる?』
「分かります!」と声を揃える一同。
『愚かな犯人はこれで桜野美海子に至る道を永久に閉ざしてしまったけれど、貴女達は別だわ。期せずして、これは良い機会よ。桜野美海子の如き名探偵ぶりを発揮して犯人を捕まえた者は、そのステージを一気に高めることになるでしょう』
要するに信者達に丸投げしたいらしい。しかし素直な信者達は士気高揚させられたようで、各々の顔に期待感が浮かんでいる。
『儀礼の方は中止しなさい。白生塔事件の再現――犯人を手伝ってあげる義理はないもの。半回転している〈C〉も元に戻し……いえ、犯人を閉じ込めておけるんだから、その必要はないわね。そのままにしておきなさ――』
ピンポーン、というチャイムみたいな音によって薄桃セピアの台詞は遮られた。画面の中の彼女が横を向いたのを見るに、音は十一階で鳴ったものらしい。
「インターホンをつくったんだよ。たまに来客があるし、入信希望者はじかにやって来るから」
また隣まで来ていた真白さんが説明してくれる。四年前にはなかったのものだ。
モニター下部のスピーカーから小さく鯖来さんの声が聞こえ、薄桃セピアも一度画面の外に出て何やら話した後、また戻ってきた。
先ほどまでと違い、やや不可解そうな表情をしている。
『……お客様よ。鯖来に〈C〉を半回転させに行ってもらったから、すぐに開くわ。壮太、貴方が対応すべきだと思うけど?』
「僕ですか?」
『ええ。その人と二人で私のところに来ること。それも鯖来がまた案内するから。いいわね? 他の皆は各自、調査にあたりなさい。目下のところ最も怪しい戸倉の捜索から始めるのが定石かしらね』
そこで通信は一方的に切られた。機嫌を損ねた感じだったけれど、どうしたのか。
やがて微かに地響きに似た音が聞こえ始め、止まる。指名された僕が仕方なく扉を内側、外側と二つ開く。
「ああ……」
其処に立っていたのは、漆黒のドレスに身を包んだ長い金髪の少女だった。
甘施無花果――ではない。無花果の金髪はいま短いし、それに顔つきも異なる。背丈もいくらか高くて、歳はたしか……十八だっただろうか。
「塚場さん、会えました!」
彼女は顔をぱあっと輝かせ、しかし直後にきりっと引き締める。そうして僕の隣に並ぶと、サロンの人々を見渡して「はっ」とわざとらしく笑った。
「甘井無果汁です。二代目・甘施無花果さんを尊敬する名探偵」
途端にざわめく人々。無理もない。彼女はまったくの無名である。
「……えーっと、ところで皆さん、」
無果汁ちゃんはせっかく格好付けていたが、それを解いて首を傾げた。
「外に死体がありますけど、あれ何ですか? お気付き?」




