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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
教団〈桜生の会〉・桜生塔編
25/76

3、4「宣戦布告の杭原」

    3


 僕には空き部屋として九〇三号室があてがわれた。

 九階といえば四年前に無花果と新倉さんが使用していた階だが、その九〇一と九〇二は儀礼で新倉さんと無花果を演じている信者がそれぞれ使っているとのことだ。儀礼は交代制なので、それに合わせるかたちで信者達の部屋も変わるらしい。儀礼に参加しないあまっている人々が同じくあまっている部屋を使うということだろう。鯖来さんによれば、此処で生活している信者の数は教祖・薄桃セピアを除いて三十二人――あまっている部屋はそれぞれ複数人で使っている計算になる。

 とはいえそこは取り計らってくれたようで、僕はひとりだ。ぐにゃりと歪んだコンクリートの部屋。意図された無機質。窓がないので九階という高さは感じられない。

 とりあえず部屋に盗聴器やカメラが仕掛けられていないことは確認した。僕は高性能の探知機を携帯しており、どこに行ってもこれは習慣としてやっている(無花果と活動するようになってからは特に)。また、一度鯖来さんに預けていたコートとトランクケースも同様にチェック。問題なし。

「――這入ってもよろしいですか?」

 入口の方から声がして見れば、誰かが扉を薄く開けていた。異常な防音性を持つ白生塔改め桜生塔なので、よっぽど強く叩かない限りノックは意味を成さない。

「いいですよ」と応えると、料理の乗った盆を持って例の法衣チックな薄桃色の服を着た女性が這入ってきた。女性と云っても歳は高校生くらいだろう。どことなく少年っぽい雰囲気。室内なのに頭にベレー帽を乗っけていて、短めの茶色い髪が覗いている。

「お食事をお持ちしました。儀礼に参加していない者は各自部屋で食事を取るのですが、今晩のところは塚場様にもそうしていただくのが良いかと。お腹はお空きですか?」

「うん、ありがとう。テーブルに置いて」

 彼女はその通りにすると、たたたと僕に駆け寄ってきて耳元で囁いた。

「今はすぐ戻って来いと云われていまして……零時、日付が変わるころに四階の遊戯室にひとりで来ていただけますか? お話したいです」

「分かった。君、名前は?」

「ぼく、矢衣樺やいかばうらめって云います」

 うらめちゃんは恥ずかしげに目を伏せ、たたたと去って行った。意外と強い香水の香りがうっすら残った。

 ふぅん。



 給料泥棒になってもいけない。僕は空の食器を乗せた盆を持ち、一階の厨房へ向かった。サロンでも儀礼中の人々が晩餐を終えたところらしく、〈枷部・ボナパルト・誠一〉と〈杭原くいばらとどめ〉が残って談笑し、それを傍らから無言の〈樫月かしづき琴乃ことの〉が眺めている。ならば〈僕〉と〈桜野〉は今頃四階の図書室か。

『桜野美海子の最期』で描かれていない場面は想像で補ってやっているのだろう。どんな台本をつくっているのか……さして興味は湧かない。

 厨房には〈能登のと〉と〈出雲いずも〉の他、二人と少し距離を置いたところに他の信者達もいて食器を洗っていた。緊張したり興奮したりの彼女達と会話を交わし、その後も適当に塔内をぶらぶら歩きながら勝手に群がってくる信者達の相手をする(儀礼中の者も途中途中、合間を縫うように話し掛けてきた)。主に桜野についての、さすがに僕でも知らないような細かい質問。半ば演技指導みたいなこともやった。皆、真剣に桜野美海子を目指しているようだ。

「桜野美海子様ってオフのときでも変わらない感じですか?」

「学生時代のエピソードを教えてください」

「探偵活動を始める前は?」

「残っている映像が少なくて習得しきれてないんですけど、〈間延びした喋り方〉って――」

「考える時に唇を撫でる仕草、こんな感じですか?」

「『塚場くん』のイントネーションは――」

「孤高の人ですよね。塚場様の他にご友人は――」

「五臓六腑坂事件では――」

「桜野美海子様が高く評価していた小説は――」

「スリーサイズはお分かりですか?」

「エラリー・クイーンよりドルリー・レーン、エルキュール・ポアロよりミス・マープルを好んでいたとか――」

「お風呂のときって身体を洗う順番は――」

「歩幅はこれくらいですか?」

「昔の写真って見せてもらえます?」

「特に印象に残っている事件って――」

「ご両親はどんなかたなんですか?」

「フィリップ・マーロウに恋してたというのは――」

「日本の作家だと――」

「本当に塚場様とはえっちなこと一度も――」

「普段、お酒って飲まれたんですか?」

「『幻影城』を実家に揃えていたって――」

「使ってたシャンプー分かります?」

「万骨邸事件の犯人とはあれから――」

「私の目元、桜野美海子様に似てません?」

「ちょっと見てください、うち幹賀滝事件解決後のインタビュー映像を完コピしてるんです」

「『桜野美海子の地獄めぐり』で一ヵ所描写が抜けてると思うんですけど、このときって――」

「事件のとき以外では、お二人で游んだりしました?」

「糖尿病の疑いがあったというのは――」

 薄桃セピアと謁見するにはある程度高いステージまでいかないといけないらしく、桜野美海子の生まれ変わりたる彼女に質問できないこともすべて僕にぶつけられている感じだった。さっき薄桃セピア/桜野美海子と〈再会〉したことについても多く訊かれた。

 そうしつつ、僕も僕で〈桜生の会〉について段々と分かってくる。此処の信者達は桜野美海子に至るため、各々が桜野美海子を研究し真似しているのだ。残っている映像や記事、僕が著した〈桜野美海子シリーズ〉のすべてが教典で、特に『桜野美海子の最期』は皆が擦り切れるまで熟読している。他にも桜野美海子に近づくため、古今東西あらゆる推理小説を読み漁っているらしい。

 まぁ云ってしまえば、過剰なかたちの桜野美海子ファンクラブである。桜野に憧れてコスプレしている人々の集まりだ(現に半数以上が、茶色に染めて緩めのパーマを掛けた髪型だし、中には桜野に近づけるために整形した者まで数人いる)。さらにそこに出家願望が加味され、薄桃セピアがそれらを宗教的に体系化してまとめあげている。

 見方を変えれば、桜野美海子製作所。

 ……僕がよく行く喫茶店『フェレス』に先日現れた〈桜野美海子〉が此処の出身者という可能性はあるだろうか?


    4


 九〇三号室に戻った僕はシャワーを浴びてしばらくぼーっと過ごし、零時になって四階の遊戯室にやって来た。この時間になると塔内は静かで、遊戯室にもひとりしかいなかった。

 そのひとりとはもちろん、僕を呼び出した矢衣樺うらめである。

 彼女は奥のバー・スペース――弧を描くカウンターの前に並んだ椅子に腰掛けていた。白生塔事件一日目の夜に此処で呑んでいたはずの〈枷部・ボナパルト・誠一〉と〈杭原とどめ〉と〈出雲〉は帰った後なのだろう。

「お酒は好きですか?」

 ベレー帽をちょっと押し上げて、うらめちゃんは振り返る。カウンターには自分の分と、その横にもグラスがひとつ。

 僕は隣の席には座ったけれど、酒の方の誘いは断る。

「酔わせて何を喋らせたいんだい?」

 訊ねると、うらめちゃんはわずかだけポカンとする。

「これでも小説家だからね、観察眼には自信がある。君、男の子でしょ?」

「…………ほーらね、やっぱり馬鹿じゃないじゃん」

 彼女改め彼は、ニヤリと口角を上げた。

「ありがと。あんた相手にはぼくも小手先の勝負じゃあ燃えませんから」

 声音も顔つきも中性的だ。少年っぽいとは云っても、かなり女の子寄りな容姿、佇まいをしている。大抵の人間は欺けるだろう。

「うん。スパイだよね、君」

「訂正したいな。ぼくは闇探偵ですよ。杭原あやめ――桜野美海子に殺された杭原とどめのかつての一番弟子、いまでは後継者です」

 気付いていた。YAIKABA URAME→KUIBARA AYAME。並べ替えただけの単純なアナグラムである。

「樫月琴乃も世話になりましたね。ぼくの可愛い妹弟子でした。出来は悪かったですけど」

「出来の悪い方を連れて来たんだ? 杭原さんは」

「教育も兼ねてですよ。ぼくはもう当時で一人前でした。師匠とほとんど対等だったんです。あれは師匠の戦いでしたからね、あの人はひとりで戦いたかったんでしょ」

「あやめくん、まだ若いのにすごいね」

「いわゆる天才ってやつですよ、控えめに云ってね。そしていまでは、師匠を超えています」

 自信家らしい。

「では本題。ご指摘のとおり、ぼくは〈桜生の会〉に潜入中です。桜野美海子なんて糞ビッチ、信仰するわけがない」

 あやめくんは椅子からひょいと下りて、室内を歩き始めた。僕は座ったまま、ぼんやりと目で追う。

「此処の活動資金、どこから出てると思いますか? 信者達は入信と共に俗世を捨てて貯金まですべてを会に捧げますが――無論、ぼくは偽装しましたけどね――、それじゃあ足りません。結論を云えば、先日逮捕されたジェントル澄神がスポンサーのひとりだったんです」

 たしかに彼は桜野美海子のファンを自称していたから、桜野美海子を量産しようとする〈桜生の会〉を支持しそうだ。

「ぼくが独自に探り当てた情報ですが、事実です。あの詐欺師・ジェントル澄神と繋がっていた以上、この教団は〈黒〉確定ですよ。桜野美海子を崇めるなんて狂人の集まりですから前々からマークしていましたし、それでぼくはこのたび、内部に入り込むことを決めました。はっきり云って、潰してしまおうとね。依頼人はいません、私情で動いてます。だって不快でしょ」

「僕にそんなぺらぺら喋っちゃっていいの?」

「いいんですよ。あんた相手にはこのくらい大っぴらじゃないと駆け引きにもならない。手をこまねいていたらからめ取られそうだ。ぼくは気付いているんですよ――あんた達の本質にね」

 ビリアード台の上の玉をじゃらじゃら転がしながら、彼は僕を射抜くように一瞥する。

「二代目・甘施無花果? なんて白々しい。白生塔事件には生存者が二人いたんでしょ? そしてその二人こそ真犯人だ」

 僕は肩をすくめて応える。

「『桜野美海子の最期』はいかにもあれが桜野美海子の直筆原稿であったかのような云い回しが『はじめに』と『おわりに』でされていますが、時間経過から見てワープロ打ちの原稿であったのは明らかです。そんなもの、いくらでも改竄できる。いえ、まるまる全部があんたの作でもまったく不思議じゃない。しかも死体は最終的に一ヵ所に集められて燃やされたんです。あんな信憑性のかけらもない小説を読んだって、四年前に此処で起きたことは誰にも何も分からないんだ」

 じゃらじゃらに飽きたのか、あやめくんは移動を始める。

「あんたが桜野美海子の目を欺いて生き残ったって話は、あまりに不自然なんですよ。少なくとも、塚場壮太という人間が小説に書かれているとおりの間抜けな男であるならね。事件からおよそ一年で、あろうことか甘施無花果と活動し始めたあんた。怪しいどころじゃない。ぼくは騙されません」

「うーん。穿うがちすぎじゃないかな? 疑うのが探偵の本分とは承知してるけど――」

「本分でなく本懐です――師匠を殺したあんた達を破滅させるのがね。事実、面白いくらいに状況は揃っている。ぼくの勝利に還元されたがっているみたいに」

 段々と聞いているのがだるくなってきた。

「なぜならあんたの犯罪を暴くことは、この〈桜生の会〉を潰すことと同義だからですよ。此処の連中が信じている教典『桜野美海子の最期』が嘘となれば、教義はたちまち崩壊する。薄桃セピアのペテンも証明される。なにせ、下手をすれば桜野美海子はひとりも殺してなんていないのに、たかが小説一本で犯人にされた哀れなスケープゴートでしかないんですから」

 あやめくんは片手を振った。カッと音が鳴って、遠く壁に掛けられた的にダーツが刺さる。すると満足そうに頷いて、

「一網打尽です」

「……どうだろう。僕への疑いには違うよと云うしかないけど、それにしたって君の立場は不利じゃないかな。いくらなんでも多勢に無勢――」

「上等。自由に動けるのが個人の強みです。あんたが薄桃セピアと結託したって構いませんよ。しかしできないでしょう。あんたは薄桃セピアからスパイを見つけ出せと云われているに違いありませんが、ぼくのことを密告するのは果たして得策かどうか」

「そのつもりはないよ。君が杭原さんの弟子だったんなら、僕にとっては薄桃さんよりも、何と云うか……身近だしね。事を荒立てるのは好きじゃあ――」

「ええ、こうしてぼくがあんたへの疑いを口にしたことで、あんたは身動きが取れなくなったんです」

 話を聞かないなぁ、この子。

「白生塔事件の真犯人があんただと知れば、あるいは疑えば、薄桃セピアにとってあんたはいち早く排除しなければならない存在となります。いつだって吹き込めますよ? 要するに、ぼくはあんたと薄桃セピア両者の命を握っているんですよね。それをあんたにだけ教える。これで動きを封じたわけです。知らないがゆえに動けない薄桃セピアと知っているがゆえに動けない塚場壮太……ぼくはゆっくりとその皮を剥いでいけばいいだけだ」

「参ったな。大人しく皮を剥がれれば、潔白を証明できるの?」

「露わになるのはどす黒い真実ですよ。せいぜいとぼけていてくださいな。剥ぎ方は色々と考えてありますんで」

 あやめくんはベレー帽を脱いで、ぺこりと頭を下げた。

「では、今宵はこの辺で。これはぼくにとっちゃあ〈杭原〉が二代に渡って敗れた戦いを終わらせることですからね。単なる仇討ちじゃない、引き継いだ業です。なので決闘よろしく、宣戦布告させていただきました」

 彼は遊戯室を出て行き、僕はひとり残された。

「……さて、」

 どう始末しようか。

 あの若さと小柄な体格だけれど、きっと武術には自信があるのだろう。だからああやって挑発している。僕でも教団の人間でも、いずれかが彼を襲えば彼にとっては目論見どおりなのだ。実際に襲われるというのは、何よりの証明となる。

 一方で僕は喧嘩なんてからきしだし。

 だが焦りはない。彼が薄桃セピアに僕が怪しいと吹き込むことはまずないと考えていい。それは自分がスパイだと知らせることでもあり、つまりは自分の身をも危険にさらす諸刃の剣。いまのところは、あくまで僕への牽制としてしか効力を持たない。

 とはいえ実際、僕が薄桃セピアと繋がることはない。当然だ。今すぐに矢衣蒲うらめの正体を報告することもない。彼は追い詰められたら自分の推理を皆に話すだろうし、それをされると僕も面倒だ。事を荒立てたくないのは本心である。

 どのみち、気楽に構えておけばいいか。

 そうしておけば、勝手にあやめくんの方から〈皮剥ぎ〉を始めてくれる。そうやって近づいてきたところで、足を掬ってやればいい。

 様々なパターン、様々な対抗策がずらーっと脳内で並ぶのをシャットアウトして、僕も自分の部屋へ帰った。

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