〈エピローグ〉
港を抜けてしばらく進んだ辺りで。
「ちょっと失礼、駅に向かう道とは違うようだが?」
後部座席からジェントル澄神がそう云ったので、僕は車を走らせたまま帽子を脱いで一度振り返って見せた。
「廃車になったタクシーを使えるようにするの、ちょっと苦労しました」
ジェントル澄神は一瞬だけ目を丸くしたが、
「ああ……なるほど。そういうことですか、塚場さん」
すぐにいつもの落ち着いた余裕を取り戻す。
「こんな用意をしていたということは……いつからです?」
僕はもう答えない。代わりに答えるのは、
「壮太に招待が来たときです。私は貴様の企てをすぐに見抜きました」
ジェントル澄神の隣に座る、草火葵の変装をしたバイオレント紅代――の変装をした甘施無花果である。
今度はジェントル澄神もしばし言葉に詰まり、やがて「あっはっはっはっは!」と大きく笑い出した。
「excellent――私としたことが見事にやられましたよ! そうですか、甘施さん、貴女が塚場さんと共に来なくて私はひどく落胆しましたが、貴女は最初からいたのですか!」
悔しさは見られない。本当に無花果を讃えているらしい。
とはいえ無花果はそれで気を良くするふうもなく、淡々と語る。
「壮太が云うには、有為城煌路というのは極度の厭世家とのこと。それが人を招くというのはおかしいですし、招待客の中に探偵を伴って来ると思われる人物が二人となれば、なおおかしいです。それでその探偵――貴様について調べてみれば、これまで解決してきた事件がどれもきな臭い。この招待を裏で手引きしているのが貴様であるのは明白でした。
貴様にはこれまた胡散臭い助手――バイオレント紅代がおり、しかし客人ひとりにつき同伴者はひとりだけという指定から、彼女は別人に成りすまして来ることも予想がつきました。そこで他の招待客についても調べ、賽碼参助が連絡を取るだろう草火葵が適当とも簡単に分かりました――吉蠣という編集者は口が軽い。賽碼参助にまつわる事情を知る者は多くいましたよ。
私は草火葵をマークしました。貴様が彼女を誘拐したことを確認し、私は髪を切り、黒く染めることを決めました。無論、バイオレント紅代に代わって私が草火葵としてまぎれ込むためです。別人に成り代わるためのメイク技術は探偵の嗜みとして当然、昔に習得してあります。
当日、すなわち昨日の貴様は矢峰方髄に伴われて島を訪れるかたちなため、バイオレント紅代とは別行動でした。なので私と壮太でバイオレント紅代を誘拐するのもまた容易でした。私は彼女を拷問し、貴様の計画を洗い浚い吐かせました。草火葵を演じるにあたってのプランもすべてです。
あとは私が草火葵に成りすまして賽碼参助に合流し、バイオレント紅代がおこなうはずだったことを忠実に遂行したというわけですね。貴様は気付かなかった。おそらく私が装うのがバイオレント紅代そのままなら貴様もすぐに気付いたでしょうが、〈草火葵を装うバイオレント紅代〉では不自然さは自然となってしまうためです。と云うより、私に不可能はない――それだけの話ですが」
僕は黙って運転を続けつつも、草火葵もバイオレント紅代も無花果も皆似たような、子供っぽい体型だったからだろと思う。口に出したら殺されるけれど。
「しかし実際、簡単な仕事でしたね。私がやることと云えば、風呂上がりに適当に時間を潰してから賽碼参助に助けを求める振りをすること、地下で播磨という使用人を素早く気絶させること、あとは行きのフェリーと貴様の謎解きの場で矢峰方髄に毒を盛ること、そのくらいでしたから」
「当然ですよ。私は紅代を大事にしていますからね。殺人だなんて手の汚れる仕事をやらせるわけにはいきません。毒を盛るくらいならばグレーゾーンとしていますが」
僕は親切心から「その大事にされている紅代さんなら無事ですよ。僕達は貴方が草火葵に対してやったような酷い拷問はしていませんから。ちなみに今向かっている先は、彼女を閉じ込めている倉庫です」と口を挟む。ルームミラーを見ると無花果は出過ぎた真似をした僕を睨んだが、ジェントル澄神はいくらか安心したみたいだった。
彼は窓外に目を遣り、笑う。
「私はね、いまは亡き桜野美海子さんを敬愛しているのですよ。私のように名探偵という立場を利用して悪事を働くのを愉悦とする人間にとって、彼女が白生塔でおこなったことは素晴らしく前衛的に映りました。だって彼女は、心の底から名探偵を、ミステリを愛し、その限界性に苦しんだ末にああいった解答に至ったのです。混じりけない純粋な気持ちによって〈探偵かつ犯人〉を目指したのです。私には絶対に思い付きもしないことでしたよ。ああ、なんて愛らしい方なんでしょう。それで強く心を打たれたのです」
やや熱っぽい口調で語るジェントル澄神。桜野ってそんなに魅力的だろうか? 別にどうってことない地味なオタク女子なんだが……まぁ他人の好みにケチをつけるのは野暮である。
「だから私は今回、一部において白生塔の事件をなぞったのです。彼女に縁ある塚場さんと……まぁ二代目であってあまり関係はないかも知れませんが、甘施さんが来るように仕向けたのもそのためですよ。云わば天国の桜野美海子さんへの恋文です。恥ずかしい話ですが」
「本当に恥ずかしい話ですね」と、白けたように無花果。
「ははは、いやその通り。私はあの〈美〉しい〈海〉〈野〉島を買い取ろうと思っていましてね、そうしたらあの何もない館の周りに〈桜〉の木を植えるのです。さらにあの館にいる養〈子〉達も引き取る所存ですよ、彼女達は実に私好みですしね。――お分かりですか? これで〈桜〉〈野〉〈美〉〈海〉〈子〉の完成です。天国の彼女に届くことを願います」
……これにはさすがに僕も呆れてしまった。
「ところで甘施さん、」とジェントル澄神は話題を変える。
「どうして貴女は草火葵に成りすました紅代に、さらに成りすまして潜入するなんて手の込んだ真似をしたのですか? それに貴女は紅代がやるべきだったのと同じように、私の犯行を最後まで手伝い、私の企みを成功させてしまった。紅代を捕えた段階で貴女は私に勝利していたはずなのに……」
怪訝そうな表情のジェントル澄神。
ああ、やっぱりか――と僕は思う。
無花果が二代目というのを信じている時点で察せられはしたけれど、
やっぱりこの人は、彼女がどんな人間なのか分かっていなかったのだ。
「勘違いも甚だしい。おめでたい愚者ですね、貴様は」
無花果は云う。冷たく、突き放すように。
「私は貴様を破滅させるため――私の絶対的な勝利を見せつけるために、こんな面倒なことをしたのですよ。貴様に実際に犯行を行わせないと、それができないではありませんか」
眉をひそめるジェントル澄神。
無花果は続ける。
「もう充分に時間は稼ぎました。織角の体内に埋め込まれていた爆弾は取り除かれたでしょう。これで彼女は怯えることなく、真実を証言できます。有為城煌路の死体も発見されたでしょうね。壮太に島を出た後でそれらを手配させたのです。油断しましたね。貴様の負けですよ、ジェントル澄神」
直後、車がガタガタとしばし揺れたがすぐに収まった。
ジェントル澄神が無花果に襲い掛かったのだろう。
だが、無駄だ。
ルームミラーを見れば、無花果によって首をひねられ気絶したジェントル澄神が、後部座席でぐったりと伸びていた。
周囲の景色は徐々に寂れていき、僕が運転する車は目的の倉庫に辿り着いた。
気絶しているジェントル澄神を引きずりながら中に這入り、昨日と寸分違わない状態で拘束されているバイオレント紅代(草火葵のものとして着ていた衣服も全部無花果が強奪したので、真っ裸だ)の隣に転がす。それからその身体をロープでぐるぐる巻きにして堅く縛り、猿轡まで嵌める。
「まさに敗者の末路。無様ですね」
無花果はそう云うと、ジェントル澄神の腹を何度も踏み付けて強引に目を覚まさせた。
「よく聞きなさい」
見下ろしながら、淡々と話す無花果。
「この位置も既に通報済みです。じきに警察が駆け付けるでしょう。貴様達がこれまでやって来たこともいちから洗い直され発覚するでしょうから、まず間違いなく極刑ですね」
そこで一度「はっ」と鼻で笑う。
「一連の通報並びに貴様達を捕まえて此処に転がしておいたのが誰なのかという謎は残りますが、貴様達が私と壮太のことをいくら証言しようとも無駄です。貴様達の発言を信じる者はいませんし、壮太は昨日一日、私に関しては今日の分まで含めて完璧なアリバイを偽装しておきました。そうです、私が海野島に行ったという事実はないのです。行ったのは草火葵を装ったバイオレント紅代。このアリバイは神でさえも崩せませんから、諦めなさい」
ジェントル澄神とバイオレント紅代は何やら抗議するが、どちらも猿轡のせいで何と云っているかは分からない。
無花果はもうそんな彼らに取り合わない。くるりと踵を返し、
「行きますよ、壮太」
「ああ」
長居は無用。無花果と僕は立ち去る。
このたびの遊戯はお仕舞。またしても甘施無花果の完全勝利であった。
「早く髪を染めないと虫唾が走って仕方ありませんね」
後部座席に乗り込んだ無花果は煙草に火を点け、そう云った。
「それから長さも。こんな短髪は頭の悪い人間がする髪型です」
「そう? 似合ってると思うけどな」
また何とか理由をつけて罵倒されるかと思いきや、無花果は何も云わなかった。
「…………?」
アクセルを踏んで車が走り出したところで、彼女は再び口を開く。
「壮太、あの海野島、私達が買い取ります。別荘にちょうど良いでしょう」
「分かった。手続きしておくよ」
「それから壮太、」
「ん?」
「そうしたら一面に無花果の木を植えるように。無花果は不老長寿の果物です。貴様も私の活躍を隣でずっと見ていたいなら、毎日吐くまで食べなさい」
「ああ、そうさせてもらうよ。お前を残しては死ねないからな」
「はっ。当然です。それから壮太、早く適当な場所まで行って足を舐めなさい。舐めたいでしょう、貴様は」
「うんうん」
「やはりですか。どうしようもないですね。まったく、本当に貴様は私がいないと生きていけない寄生虫。呆れ返ります」
これは珍しい。
どうやら無花果は、およそ二日間僕と離れていたのがよほど寂しかったようだ。
【vsジェントル澄神・海野島編】終。




