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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
vsジェントル澄神・海野島編
21/76

16、17「蒼い楔」

    16


 やっと解放されたころには夕方で、俺達は警察が手配してくれた大きなクルーザーで本土へと帰る。

 キャビンの中には複数人の警官と、今回の客人達。澄神さんと塚場さんは雑談に花を咲かせており、妃継さんと府蓋さんも同様。一時は興奮で手がつけられなくなった妃継さんだが、今はもう落ち着いていて大人しい。

 俺と葵は皆から離れた端の方に二人並んで座っている。

 海野島が遠ざかっていくのを眺めながら、俺はぼんやり考える。

 ……葵が殺してしまい、俺がその死体を海に捨てた有為城煌路は、幻だったのだろうか。

 ……あれはすべて、夢だったのだろうか。

 葵とはそれについて、何も話していない。

 彼女は俺の肩に軽く頭を乗せて目を瞑っている。眠っているのではないようだ。

 その表情は穏やか。

 ……あるいは、澄神さんの推理が間違っているのだろうか。

 ……あのジェーン・ドゥはやはり養子のひとりだったのだろうか。

 ……澄神さんの推理は一部間違ってはいたけれど、矢峰方髄は養子を殺害した犯人であることには違いなく、それでもう云い逃れできないと悟って自害したのだろうか。

 それとも、と俺は傍らの葵を意識する。

 ……矢峰方髄に毒を飲ませたのは葵なのか?

 ……澄神さんが推理を再開する前に、珈琲を淹れて各人に配った彼女。

 ……彼女なら矢峰方髄のカップに毒物を入れられた。

 ……澄神さんは、葵による〈ミスリード〉に嵌ったんじゃないだろうか。

 ……今朝、俺より先に起きて着替えていた葵。

 ……もしも葵が館の秘密――あのエレベーターの仕組みを暴いていて、まだ誰も起きていない早朝に地下にいた養子のひとりを殺して顔を潰したなら。

 ……澄神さんが矢峰方髄が犯人だと推理するようにすべてを仕組み、あのタイミングでスケープゴート・矢峰方髄を抹殺したなら。

 ……死人に口無し。

 ……………………。

 いや、考えすぎか。

 愚にも付かない。

 これには葵があらかじめ毒を用意して持って来ている必要がある。

 そもそも自分にはどうしようもできなくて俺に助けを求めた彼女に、そんなすべてを裏で操るような真似ができようはずがない。

 それにもう……どうだっていいことじゃないか。

 事件は解決したのだ。

「葵、」

 俺は優しく呼び掛ける。

「何?」と目を閉じたまま応える葵。

「俺と一緒に住まないか?」

 かねてより考えていた誘いだ。

 葵は天涯孤独の身。ならば俺と暮らすのに何の制約もありはしない。

「うん」

 彼女は頷いた。

「私もそうしようと思って、仕事も辞めて来たし、全部の契約、切って来たから」

「そうか」

 ならば俺も、彼女を養うためにいっそう頑張らなくてはいけないな。

 まぁこの事件を小説に書くことで、俺の作家としての知名度も上がるだろう。

「結婚しようね、参助」

「ああ」

 俺は葵の肩に腕を回し、もっと強く抱き寄せた。


    17


 クルーザーは本土に着岸。

 三々五々に散っていく人々。

 俺と葵はちょっと離れたバス停に立っている。駅へ行くのにバスを利用するのは俺達だけらしい。

 そう思っていたが、すると其処に澄神さんが近づいてきた。

「やぁ、ご苦労様でした。警察というのはしつこいでしょう? 真相をお伝えしても繰り返し繰り返し形式ばった問答を行おうとするんですから、あんな無粋な連中はそうそういませんよ」

 その言葉とは裏腹に、全然疲れている様子はない澄神さん。俺は苦笑する。

「でも澄神さんが真相を暴いてくれたおかげで、これでもだいぶ簡単に済んだんじゃないですか? 本当に見事でした。ありがとうございます」

「いえ、いいのですよ。矢峰くんは前々から私に〈強請ゆすり〉を掛けていましてね、まぁ彼が私を憎むのも無理はない話なのですが、少々扱いに困っていたので殺したんです」

「………………え?」

「もっともカップに毒を入れたのは私じゃありませんがね。お気付きでしょう?」

 澄神さんはちらと葵に目を向ける。

 俺は固まる。

「はじめからすべて計画していたのですよ。だから彼女も毒を用意していましたし、行きのフェリーでも酔い止め薬と偽って軽い毒を盛ったのです。矢峰くんはあれを飲んだのに体調を崩したのではなく、あれを飲んだから体調を崩したというわけですね」

「な、何の話ですか?」

「秘密の話ですよ。だって賽碼さん、君は我々の共犯者ですから」

 ???????????????

「私は有為城煌路があの島に住んでいることを突き止めました。さらに彼のことを色々と調べ、一連の犯罪計画を立てたうえで訪問しました。そして、その場で織角さんの身体に小型の爆弾を埋め込みました。私が持っているリモコンのボタンを押せば、電波通信でいつでもどこからでも彼女を殺せるという寸法です。有為城煌路は養子達を本当に大事にしていましてね、中でも一等、織角さんのことは可愛がっていた。彼女にだけは唯一言葉を教え、自分の世話係としていましたしね。その彼女を人質に取られたことで、彼は私の傀儡かいらいとなった」

「ま……まってください、いったいなんのはなしを……」

「私は有為城氏に、担当編集の吉蠣さんに云って若い推理小説家達を自分の島に招待させるよう命じました。その過程で君と草火葵さんのことも知った。私と吉蠣さんは肉体関係にありますから、彼女から聞けたのです。客を選んだのも実質、私ということですよ。そこで一部、計画を変更しました。君達を組み込むことにしたんですね」

 澄神さんはにっこりと微笑む。

「ご安心ください。君は安全です。私がでっち上げた推理は既に真実となりました。なので有為城煌路の死体が探されるようなこともないわけですが、君が海に投げ込んだそれも後で回収して処理しておきますよ」

 茫然として何も云えずにいる俺に構わず、彼は「さて」とひと息つき、

 これまでの上っ面だけのそれとは違う、本当に親しい者に対する笑みを葵に向けた。

「帰りましょうか――紅代」

 俺の瞳が、限界まで見開かれる。

 隣を見れば、そこには無表情で口を半開きにした葵が、

「はい、澄神様」

 葵とは全然違う、まったく知らない声でそう応えた。

 ――バイオレント紅代。

 ――ジェントル澄神の助手。

 ――名前どおりの二人セット。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」

 愕然とする俺を見て、思わずといった感じでぷっと吹き出す澄神さん。

「賽碼参助――君は草火葵を愛してなんていません。君は自分のことを愛しているだけだ。君の小説――あのひたすら自己言及的なしつこい小説を読めば分かりますよ。独り善がりで自分のことしか考えていない。実にくだらない男だ。草火葵への執着も、自分を裏切った彼女に対する憎しみと、それを取り返して自分のものにしたいという欲望が歪に混ざり肥えた姿です。そんな君だから、紅代の高度な変装を見破れなかった」

 俺の視界の中で、既に葵は澄神さんの隣に移動し、俺と相対する位置に立っている。全然知らない表情――無表情を、葵の顔に浮かべて。葵の顔。葵の顔?

 葵の顔ってどんなだ?

「まぁ八年も会っていませんからね。自分のことしか見ていなかった君が、違和感なんて覚えられるわけもありません。どころかこの〈紅代ふんする草火葵〉は、君が思い描く〈理想の草火葵〉に限りなく近づけたのです。十五歳の少女が二十三歳になれば顔もいくらか変わるはずですが、この変装は当時の彼女がそのままやって来たような姿に設定してある。そのために私達は草火葵本人を拷問し、彼女が君に関して知っている事柄、君が彼女に関して知っているだろう事柄、それらすべてを聞き出しました」

 拷……問……?

 そこで俺の空白になっていた思考に、突如として浮かぶ映像があった。

 ぞわああああああっ、と全身が一斉に粟立あわだった。

「も、もしかして、あ、あのジェーン・ドゥって……!」

 顔を潰された死体。

 小柄だが、成人は迎えている身体。

 全身には拷問の痕。

「彼女、君のことを思い出すのが本当に苦痛な様子でしたよ。あの内向的な彼女があそこまで嫌悪するほどですから、君がどんなに気持ち悪い男だったのか察せられますね。まぁそれはいいとして――」

 澄神さんは紅代の腰に手を回し、二人は俺に背を向ける。

「君にとっても、そんなに悲しむことじゃないでしょう。君が愛しているのはあくまで君自身なんですし、それに君、小説にすべてを捧げているらしいじゃないですか。なら元恋人なんて邪魔なだけだ。ええ、今後もせいぜいマスターベーションに励んでください。妙な気を起こせば、君も矢峰くんの二の舞を踊ることになる」

 二人は歩き始め――数歩行ったところで、思い出したかのように足を止める。

「そうそう、この事件の小説は書いてくださいね。それによっていっそう、真実は固定されますから。注文としましては、そうですね……草火葵とは帰り道で喧嘩別れしたとでも書いてください。彼女は家族も友人もおらず、あらゆる契約も私が切っておきましたので当面は誰にも探されることはないです。君と別れて行方不明ってことで問題ありません。それから小説の描写についてもうひとつ大切なこと――本編は君の一人称視点で、回想という形式は取らないようにしてください。三人称視点で紅代を草火葵と表記しては嘘になりますからね。私はそういったフェアプレイにこだわるんですよ」

 彼は顔だけこちらに振り向いて、爽やかに笑う。

「だって紳士ですし」

 そして今度こそ、二人は遠くまで歩いて行って適当なタクシーを拾い、去って行った。

 永遠にも思える時間が経ち、

 ひとり残された俺は、のどが裂けて血が噴き出すまで絶叫した。

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