15「ジェントル澄神の推理」
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〈鍵〉であるピースをまた外すと元の位置まで戻る仕組みだった。俺らはとりあえず地下にいた十二人の少女達を連れ――俺と塚場さんは気絶した播磨さんを彼の部屋へ運んだ後――、食堂に戻って来た。澄神さんは推理の続きを此処で話すとのことだ。
少女達はやはり皆、織角ちゃんと同じく言葉を知らなかった。年齢も同じくらいで、その挙動にはやや奇怪な散漫さがある。それでも雛鳥みたいについて来てくれたので統率がまったく取れないわけではなく、有為城煌路はこの子達とどんな生活を送っていたんだろうと不思議に感じさせられる。今は織角ちゃんを取り巻く格好で窓際に固まっており、誰も一言も発さないのが正直云って不気味だ。
澄神さんに指示されて播磨さんの代役で珈琲を淹れた葵がそれを皆に配って席に着き、スクリーンを背にする位置にひとりだけ立った澄神さんはようやく「さて」と口を開いた。
「解決編を再開しましょう。ただし皆さん、くれぐれも落ち着いて聞いてください。席を立ったり等しませんようにお願いします」
さすが名探偵、まさに名探偵らしい振る舞いが様になっている。いや、板についているのか。
「ジェーン・ドゥが握っていた〈鍵〉から私はこの館の秘密を暴き、地下シェルターにて有為城氏の養子達を発見しました。これで有為城氏には複数人の養子がいたことが証明され、ならばジェーン・ドゥはその内のひとりなのだとも充分に考えられるわけです。
ええ、この状況を見れば、有為城氏が養子のひとりを殺害して行方をくらませたのだと誰もが想像します。さらに館の秘密を暴くことでその想像は補強され、その大掛かりさゆえに満足もするでしょう。
しかし、これが犯人の設けた陥穽なのですよ。ミステリに造詣が深い皆さんには馴染み深いでしょう――〈ミスリード〉です。有為城煌路犯人説を信じた瞬間に敗北が決定するという仕組みなのです。
考えてもみてください。〈鍵〉は死体の手に握らされていたんです。殺人なんて真似をしてまでおこなった〈挑戦〉が、この程度の難易度だと思いますか?
そう、この事件は我々への〈挑戦〉――これが核です。ならば我々の勝利条件、犯人の勝利条件がそれぞれ存在するのが道理ですね。そして犯人の勝利条件こそ、我々をミスリードに嵌めること。と云いますのも、有為城煌路犯人説では事件を完全に解決することは叶わないのです。なぜなら有為城氏を捕まえることは絶対に不可能だからですよ。
犯人に逃げられる――いくら謎を解こうとも、これは探偵にとって敗北を意味します。少なくとも勝利とは云えない。
どうして有為城氏を捕まえるのが不可能だと云い切れるのか?
それは有為城氏は犯人ではなく既に殺害されており、さらに有為城煌路犯人説を信じた者にはその死体を見つけることができないからです。
どうして死体を見つけることができないと云い切れるのか?
厳密には違います。有為城氏の死体そのものを発見はできます。いえ、我々は既にそれを発見しているのです。しかしそれが有為城氏の死体であると認識できなければ、見つけていないと同義じゃありませんか。
結論を述べましょう――ジェーン・ドゥは有為城煌路その人です」
(――――――――は?)
今、全員の頭に浮かんだのは等しくその一音だっただろう。
「あっはっは、まさに意表を衝かれたという表情ですね。それだけ犯人の詐術は奏功していたのでしょう。
ああやって地下シェルターを簡単に発見させ、養子達の存在を明るみにさせたのもそのためですよ。あれでジェーン・ドゥが養子のひとりだと完全に信じきってしまう。
とはいえあのジェーン・ドゥ、成人は迎えている身体ですよ。小柄で胸部も控えめなので、ああやって顔を潰してしまえばかなり若く見えますがね。そこで養子達を見てみると、どの子も十二歳前後だ。
有為城煌路とはいかにも大仰な男性の名前ですが、これはあくまでペンネームです。作風や実力も相まってお爺さんを想像する人は多いでしょうが、そうは云ってもキャリアは十年ほど。素性の一切が謎に包まれている有為城煌路なのですから、その正体が若い女性でないとは限らないでしょう? 彼女は信じ難いほどに早熟の天才だったのです。正体を隠した理由のひとつはそれだったのかも知れませんね」
「ちょっとちょっと、何を云ってるの?」
府蓋さんが耐え切れなくなったらしく遮ったが、それは俺らの総意だった。
「あたし達は煌路さんと昨日――」
「あれは変装ですよ」
簡単に答えられ、府蓋さんは言葉を失った。
「わざとらしい長髪に口髭――それに加えて、一言も声を発さなかったのですよ? 〈言葉〉に絶望した云々という話のせいでそれっぽく見えてはいましたが、あんなあからさまな変装はちょっと他に例が挙げられないくらいです。おかしいったらありゃしない」
おかしいったらありゃしないって……。
「この犯人はですね、事前にこっそり海野島にやって来ていたのです。我々が来るせいぜい二、三日前でしょうね。そして有為城さんに暴行――いえ、拷問をおこない、この館の秘密、彼女が本当にこれまで有為城煌路として誰にも会っていないこと、その正体を本当に誰も知らないこと、連絡もすべてメールでおこなっており声を知る者もいないこと、経歴を洗うこともできないこと、養子達のこと、その他も様々な事柄を聞き出し確認し、そこからこの〈挑戦〉の計画を組み上げたのです。
有為城さんと織角さんを拘束し、他の養子は地下シェルターに閉じ込める。播磨さんに対する指示はすべて紙に印刷した文章というかたちで用意し、玄関扉などに貼っておく。これらの準備を整えた犯人はまたこっそり本土に戻りました。
そうしておいて何食わぬ顔で昨日、我々と共に客人としてやって来たんですね。
晩餐の時間になるとまさに安直な有為城煌路のイメージそのものな変装をし、織角さんの拘束だけ解いて彼女を連れ、我々の前に姿を現しました。後にジェーン・ドゥの死体を発見した我々が養子の可能性に思い至れるよう、あらかじめひとりはその存在を知らせておく必要がありますからね――このために織角さんだけ地下シェルターに入れなかったのです。有為城さんが養子達に言葉を教えていなかったのは本当で、ゆえに織角さんから自分が偽物だと露見する心配はありませんでした。
この変装によって我々に〈架空の有為城煌路〉を認知させた時点で、犯人の計画はほぼほぼ完成です。ここが肝でした。なにせ変装を見破られない以上、誰にもジェーン・ドゥが有為城煌路なんて考えることはできないのですからね。
あとは今朝、本物の有為城さんの拘束を解いて顔面を潰して撲殺し、例の〈鍵〉を握らせて部屋に置いておくだけでした」
俺の頭の中は今、物凄く混乱している。
淡々と語られている衝撃の事実。だが、それは間違いだ。
澄神さんの推理は間違っている。
だって昨夜の有為城煌路は変装なんかではなく、彼は葵を犯そうとして逆に殺され、俺がその死体を海に捨てたのだ。
じゃあこの推理は何だ? どうなる? どうなるんだ?
澄神さんの謎解きはいよいよ核心に迫る。
「では犯人は誰なのか? もう皆さん、お分かりでしょう。
変装によって偽者の有為城煌路を演じられた人物は、すなわち晩餐に出席しなかった人物です。それはただひとり――矢峰方髄くんしかいません。
ええ、彼は体調不良を装って部屋で休んでいると云い、その実そんなコントをやっていたのです」
全員の視線が、矢峰さんに向く。
彼は険しい表情を浮かべ、真っ直ぐ澄神さんを睨んでいる。
「澄神……」
「おっと矢峰くん、落ち着いてください。君の言葉は私の話が終わってから伺いましょう。なに、もう語るべきところはほとんど残ってないですよ。
君の〈挑戦〉は私――ジェントル澄神に対するものだったのでしょう。君は私を憎んでいる。私の活躍を綴った小説でデビューした君は、その後も〈ジェントル澄神シリーズ〉ばかりを求められ、自分が本当に書きたい本格ミステリは人気が出なかった。もっともマニアの間では一定の評価をされているようですが、世間一般での君は所詮、私の語り部という認知です。君はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。しかし澄神シリーズは売れる。出版社にも、オリジナルの本格ミステリなんていいから澄神シリーズを書けと云われる。このままでは君は澄神シリーズしか書かせてもらえなくなる。
そこで君は私の権威を失墜させたかった。
有為城煌路という有名作家を巻き込んだ事件は話題になる。それを私が解決できなければ――犯人から仕掛けられた〈挑戦〉に敗れたとなっては、私の人気は落ち、澄神シリーズの需要はなくなる。そう考えたのです。
よほど、自信があったみたいですね。ミスリードがあまりにあからさまなのはその顕れだ。有為城煌路犯人説は間違っている、しかし他の解答が導き出せない――そう知らしめることで君は私のプライドを傷付け、二度と探偵を名乗れなくさせたかったのでしょう」
澄神さんはそこまで語り終え、片手を矢峰さんの方へ向けた。何か云いたかったらどうぞ、ということだろう。
矢峰さんは珈琲を一口啜った後、これまでで最も低い声で云った。
「出鱈目だ。おふざけにしても不愉快だぞ、澄神」
すると澄神さんは「おや」と軽い反応を示す。
「認めないとは意外ですね。しかし矢峰くん、云い逃れはできませんよ。
君の荷物を調べれば、昨夜の変装の道具が見つかるでしょう。それとも既に処分しましたか? あの衣装は本物の有為城さんのものを借りたんでしょうし、メイク道具とカツラと口髭と杖だけですものね。
ですが館の中を調べれば、高齢の男性が此処に住んでいた痕跡などまったくないことが明らかとなるでしょう。それとも有為城煌路が逃走の際にそれらをすべて処分したんだろうとでも云うつもりですか? そうミスリードするつもりだったんですものね。
しかし矢峰くん、君はひとつ失敗したのですよ。君は私を意識するあまり、それを見落としてしまった。有為城さんは君に一矢報いたのです」
澄神さんは歩き出し、向かう先は養子達の集団だった。彼はその中から織角ちゃんの肩に手を置いて、彼女だけ連れて元の位置まで戻った。
「矢峰くん、本格ミステリもほとほどにするべきでしたね。君は現実的に考えるということができないらしい。虚構の世界に慣れきってしまうのは困りものです。
有為城さんは独特のこだわりから養子達に言葉を教えていなかった。しかし誰も言葉を話さないで生活が送れるはずがないじゃありませんか。せめてひとりくらいはまともなコミュニケーションができないとままなりませんよ。
織角さんは養子達の中でも特別扱いでした。他の養子は皆それぞれに部屋があるなか、この子だけが有為城さんと同じ部屋で寝ていた。だからこそ君も地下シェルターに入れずに残すひとりをこの子にしたんでしょうが、特別扱いの理由を考えなかったのは愚かでしたね。
君が此処にやって来て有為城さんを拷問したとき、彼女はひとつだけ嘘をついたのです。養子達は全員が言葉を知らないと。事実、ほとんどの養子がそうでした。だから君も騙された。そして賢い織角さんは有為城さんの意を汲み、言葉を知らない振りをしたのですよ」
澄神さんは傍らの織角ちゃんに顔を向け、優しい声音で云った。
「さぁ、もう大丈夫です。今こそ摘発しなさい。有為城さんの仇を討ちなさい」
織角ちゃんはこくりと頷いて、
その虚ろな瞳で矢峰さんを見据え、
その小さな口を開いた。
「お前が煌路様を殺した」
冷たい声だった。
直後、
ごはあっ、と。
矢峰さんが口から大量の血を吐き出した。
彼はそのまま椅子ごとひっくり返り、
「すみ、がみ……」と呪詛の言葉を吐くようにその名を呼び、
床に倒れたまま動かなくなった。
「…………………………」
荒涼とした静寂。
時間が止まったかのよう。
「……自害用の毒ですか」と、澄神さんが呟く声。
しかし余韻は、それ以上は続かなかった。
断ち切ったのは狂ったような笑い声だった。
「アーーーッははははははははははははははははははははは!」
妃継さんだ。彼女は矢峰さんの死体を見下ろし、腹を抱えて爆笑し始めた。
「なんて無様! 間抜けだ! 愚か者のサラダボウルをかっ食らった阿呆! 鴉の糞に塗れろボケめ! あははははははははははは! 敗者は死ぬ、弱者は死ぬ、アーこんなに面白いことってない! 最高傑作の低能だ! 馬あああああああ鹿がよ! あはははははははははははははははははははははは!」
笑い過ぎて死んでしまうんじゃないかという妃継さんの狂態に皆が唖然とするなか、澄神さんはひとり「友人を失うというのは悲しいものですね」と窓の外を見ていた。




