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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
vsジェントル澄神・海野島編
17/76

10、11「万物流転」

    10


 朝が来た。俺は早くに目が覚めた。いちおう眠れはしたようだが、熟睡とはいかなかったのだろう、身体が重くて怠い。

 午前七時。先に起きて着替えを済ませていた葵が、ソファーから「おはよう」と声を掛けてくる。

「おはよう……」

 ぼーっと、葵を見詰める。ニットのセーターにプリーツスカートという出で立ちだが、スカートの丈が(彼女にしては)短かく、白くて細い腿が露出している。しかし大人の色気ということじゃなく、服装の印象どおり、そして顔立ちや体格どおり、成人しているとは思えない幼い雰囲気の彼女である。あと五年しても、彼女は学校の制服を違和感なく着られるだろう。

 胸が締まるくらい、可愛らしい。

「何?」

 葵は俺に見られていることに気付くと、照れたように前髪を触りながら訊いてきた。

「何でもないよ」

 昨晩に自分がしたことは、はっきりと憶えている。ぞっとするほどに冷たい死体の感触も、それが沈んでいった夜の海も……。

 だが今、この時間だけは、幸せだと思えた。朝起きたときに葵が傍にいるという光景は、もう絶対に訪れないものと諦めていたから。

 きっと俺は、寂しかったんだな。

 小説にすべてを捧げる人生。しかし心の奥底は孤独に喘いでいたんだ。

 ……昨晩の出来事が嘘みたいに、穏やかな朝だった。



 洗面所まで行って顔を洗って歯を磨いて着替えを済ませて部屋に戻った俺は、ソファーの葵と向かい合うようにベッドに腰掛け、声を潜めた。

「葵、俺がおこなった隠蔽工作と、これからの方針を話しておかないとだ」

「……うん」

 有為城煌路の死体は海に捨てたこと。

 明確な証拠を取り除いた以上、葵がすぐに犯人と断定される及び容疑者筆頭となるようなことはないこと。

 なぜなら葵には有為城煌路との接点や彼を殺す動機が客人の中で最もと云えるほどになく、有為城煌路が彼女を手籠めにしようとしたなんて考えもおよそ浮かび得ない――イメージに全然合わないし、また他者との関わりを絶ってきた彼なので、その実際の人柄や嗜好がそういうものであったのを知る者もいない――からだということ。

 ゆえに客人の内の誰が犯人なのかは動機も含めて誰にも予想がつけ難くなるわけだが、それはすなわち、下手な発言なんか(犯人しか知り得ないことを口にしてしまう等)に気を付ければ特定を避けられるということ。

 だから俺達はただ、冷静に、何も知らない振りをするのにてっするだけでいいということ。

「今後はもう、こういう相談も控えるようにしよう。話し合いが必要になったり、何か不安なことがあったりしたら遠慮せずに云ってくれていいけど……もちろん、絶対に二人きりのときにね……、俺達の間でさえ互いに何も知らないように振る舞うくらいであるべきだと思うんだ。その方が、態度を使い分けたりしないから混乱を防げる」

「うん」

 葵は真剣な面持ちで聞いている。

「しつこいようだけど、俺達は何も間違ったことはしていないんだ。堂々と、何も知らない振る舞いをしていい。警察に通報されるまではまだ時間を稼げそうでもあるけど、此処にいる人達はちょっと特殊だし……自分すらも欺くような気構えで、徹底するべきだ。だからと云って必要以上に気負ってもいけないんだけど……ああ、ごめん、混乱させちゃったかな?」

「ううん、大丈夫。参助の云いたいこと、ちゃんと分かるよ」

 葵は聡いので、それは本当だろう。彼女は大学には進学しなかったようだが、これも学力ではなく金銭面で足りなかったからである。

「私が有為城さんに話し掛けられて以降の出来事を、全部なかったことにして振る舞えばいいだけだもんね」

「そうだね」

 とりあえず、必要な相談は終わった。何か不測の事態が起きたら上手く対応しなければならないが、当面はこれで問題ないだろう。

 そのはずだ。


    11


 時刻はもうじき午前十時――昨夜教えられていた朝食の時間だ。

 俺と葵は食堂にやって来た。太陽光の差し込む昼間の食堂は、夜とは違って明るく健康的な雰囲気である。濃い藍色だと思っていた絨毯は実はそれほど暗い色調ではなく、明るいなかでは順応するように印象を変えている。

 長テーブルの上には既に朝食が大方並べられており、手前の椅子、その中央の二席に澄神さん、矢峰さんが着席していた。

「おはようございます。矢峰さんの体調は、もう平気なんですか?」

 自然な声掛けができている、と思う。葵を不安にさせないためにも、俺が手本とならなければならない。

「絶好調だよ」

 矢峰さんは俺らを一瞥し、適当な調子で答えた。

 俺と葵が昨夜と同じ配置で腰掛けると、澄神さんが口を開く。

「さっき館内を少し散策してみたんですが、実に面白いことが分かりましたよ」

「散策?」

 ドキリとする。まさか有為城煌路の部屋も……いや、隠蔽工作はちゃんと施した。大丈夫だ。落ち着け。

「……いいんですか? 有為城さんは俺達に、あまり歩き回って欲しくなさそうですけど」

「なに、好き勝手に部屋を覗いていったりはしていませんよ。節度を持って二階を少々と、それから屋上です。憶えていますか? この館には小さな三階があるでしょう?」

「ああ、三階と云いますか、ひと部屋分ちょこんと乗っかってますよね」

「私が見た限り、あそこに這入る方法はないのですよ。中からもあの三階部分にのぼる階段や梯子はありませんし、二階の北西の端に梯子があって天井の開口部から屋上には出られましたが、あの三階部分は外にも窓や扉を持っていない。デッドスペース、いえブラックボックスですね」

「へぇ……」

 正直、さして興味は湧かないが。

「おい、それより」と矢峰さんがぶっきら棒な口調で云う。

「あのスクリーンは何だ。映画でも見るのか?」

「いいえ、あれはですね――」

 澄神さんが有為城煌路の事情について語る。教えていなかったのか。

「ふん、くだらん皮肉だな。書けども話せんとは、本来と反転している」

「アップサイド・ダウンでなくひとつのシフトのかたちですよ。矢峰くんは革命が嫌いですね」

「別に嫌いじゃないさ。万物流転(パンタレイ)だろ、俺は心得てる」

 二人のよく分からないやり取りを聞いていると、播磨さんが料理の乗った盆を手に食堂に這入ってきた。服装から何から、昨日と寸分違わぬ姿である。使用人として完成されているとでも云うべきか。

 彼は運んできた料理をテーブルに置き、それで朝食の支度が完全に整ったようだった。それとタイミングを同じくして、妃継さんと府蓋さんも食堂に現れた。やはり妃継さんの方は全体的にオーバーサイズな緩い格好で、府蓋さんの方はパンキッシュで派手な格好……首にお揃いのタトゥーチョーカーをつけているのが唯一の共通点で、これは昨日もつけていた。

「それではお時間ですので、有為城様をお呼びしてまいります。しばしお待ちください」

 播磨さんはていねいな口調で述べ、食堂を出て行く。

 俺は内心、緊張する――有為城煌路がいないということが、これから此処にいる人々にも知られる。それでも、彼が死亡していると分かっているのは俺と葵だけ……。

 脳内で〈何も知らない振り〉を演じる算段を立てながら入口を見ていると、最初にやって来たのは昨夜と同じく播磨さん。だが様子がおかしい。

「皆様、」

 彼は冷静沈着でいようと努めていた――裏を返せば、一目見て、内心では狼狽しているのが分かるということであった。常に落ち着いた表情を崩さなかった彼だからこそ、その微細な変化が雄弁に語る。

 彼は告げた。

「有為城様のお部屋に、死体があります」

「はっ?」

 真っ先に間抜けな声を洩らしてしまったのは俺だった――演技でも何でもない。だって俺からしてみればそれは、絶対に有り得ない言葉だったのだ。一瞬にして俺の思考は混沌へと放り込まれた。

 葵を見る。彼女は俺に、どういうこととでも問いたげな表情を向けている。しかし訊きたいのは俺の方だ。有為城煌路の死体は確かに海に捨てた。あれだけ苦労したんだ。間違いない――が、嫌でも浮かんでくるのは、死体が海から這い上がり、帰って来たという想像。そんなの有り得ないのに――有り得ないのに、なのに、

「どうやら、殺されたようです」

 さらに播磨さんはそう続けた。矢峰さんの「殺人事件か。とんだサプライズだな」なんてえらく無感動な一言が、ずっと遠くからのそれに聞こえる。

「殺されたのは煌路さん?」

 府蓋さんの声も平淡。どうしてこの人達はまったく戸惑いを見せないのだ?

「いえ、違います……」と播磨さん。

 今度は脳内が、混沌ではなく空白になった。

「じゃあ織角って子かー。あんな小っちゃいのに可哀想にねえ」

「いえ、それが……織角様でもないのです」

 何だって?

 俺は首を右へ左へ動かして確認する。葵、播磨さん、澄神さん、矢峰さん、妃継さん、府蓋さん。そして『織角様でもないのです』?

「じゃ、じゃあ誰なんですか? 全員、此処にいるじゃないですか」

 堪らず訊ねると、播磨さんは「ご案内します」と答えた。自分では手にあまると、そう云いたげだった。彼が踵を返してゆっくりと歩き始めるのを受け、客人も各々動き出す。

「参助……」

 葵が小声で俺の名を呼び、身を寄せてきた。不安そうな視線。

 俺は首を横に振るしかできない。

 何が起きている?

「――心配は要りませんよ」

 云ったのは、澄神さんだった。紳士的な、柔和な微笑み。

「むしろ安心しました。今日は甘施無花果、塚場壮太のお二人が来ますからね、ひとりくらい殺されていないと迎えられないじゃありませんか」

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