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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
vsジェントル澄神・海野島編
15/76

7、8「私、殺しちゃったの」

    7


「正直、言葉が出ないよ。本当に想像をことごとく上回っていたから……」

 晩餐は終わり、俺と葵は二人並んで部屋へ戻って行くところである。有為城煌路と織角ちゃんは既に彼らの部屋に戻り、妃継さんと府蓋さんは食堂に残って何やら話し込んでいて澄神さんもそこに加わろうとしていた(カオスな場になりそうだ)。播磨さんは後片付けをしているだろう。

「うん、すごく変わった人だった。参助がかすんじゃうくらいだったもん」

「はは、俺は至って平凡だからね。比べるべくもないよ」

「そうかな。参助も充分、変わってると思うけど」

 葵は不思議そうにするが、俺が本物の才能を相手にずっと身を縮めていたのを見て失望したりしなかっただろうか……。

「それにしても、あと二日で打ち解けられそうな感触はまったくなかったね」

「打ち解けられるとは思って来てないよ。私は招待された人でもないし」

「でも有為城さんと話したいんじゃない?」

 結局、晩餐の席では俺としか話さなかった彼女である。

「まぁちょっとは……。だけど怖い、かな」

 それは俺も同意見だったので、何とも応えられなかった。

 部屋に着いてひと息つき、俺は鞄から寝間着などを取り出す。

「風呂を済ませてくるよ」

 播磨さんから皆に伝達された事項。今から十時までの間に男子、そこから十一時までの間に女子が浴場を使用するように。客用の浴場はひとつしかないので男女で時間を分けるとのことだった。

「うん」と応える葵は鞄から文庫本を取り出してソファーで読んでいる。有為城煌路の一番新しいタイトルだ。

 部屋を出て行くとき「参助、」と呼び止められた。振り返ると、彼女は俺と虚空とに視線を巡らし、どうやら恥ずかしがっている様子だった。

「どうしたの?」

「私は有為城さんのファンだけど、でも有為城さんが一番じゃないんだよ? 私の一番は参助。昔から、ずっとそう」

「葵……」

 じわーっと胸の奥が温かくなるのを覚えつつ「ありがとう」と云い、俺は部屋を出た。

 自分の口元がだらしなく緩んでいることに気付く。

 ……いや、しかし浮かれてばかりはいられないのだ。

 今回の滞在、俺にはやらなければいけないことがある。葵と向き合うこと。なぁなぁで終わらせては意味がない。そのために、俺は彼女を連れて来たのだから……。


    8


 身体を揺すられている。そう知覚して目を開くと、横向きの葵の顔があった。

「参助……っ」

 俺の名前を囁く彼女は、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。かなり取り乱しているらしいと分かる。「ど、どうしたんだ?」と問い掛けながら身を起こし――ベッドの上、俺は自分がいつの間にか眠ってしまっていたことを知る。

「うう……」

 葵はとうとう堪らなくなったように床に膝を着けて、顔を俯け、啜り泣きを始めてしまった。状況が飲み込めなくて困惑しつつ横目で時計を確認すると、十一時を少し回ったところ。葵は薄い緑色のパジャマの上からカーディガンを羽織っていた。風呂から上がってきたところだろう。だがカーディガンは片側が肩からずり落ちているし、さらにパジャマのボタンが二つ、なくなっている。そこから下着を付けていない胸元が見えてしまっていて、俺は慌てて視線を逸らす。

「お、落ち着いて」

 俺だって落ち着いているとはとても云えなかったが、これは自分へも向けている言葉だ。葵はすぐに啜り泣きを引っ込めるのはさすがに無理そうだけれど、こくんこくんと二度頷いた。

「……どうしよう。大変なの。どうしよう、参助」

 涙まじりの、押し殺すような声。

「何かあったのか?」

 衣服、それに髪も乱れている葵を見れば、〈何か〉があったのだろうとは分かる。只事ただごとではない〈何か〉が。

「何があった?」

 やや逡巡しゅんじゅんを見せた後に彼女が告げたのは、

「……死んじゃったの」

「え?」

「ううん、殺しちゃったの……」

 彼女は顔を上げ、縋るように俺を見詰めた。

「私、殺しちゃったの。有為城さんのこと」



 俺は混乱したが、葵のそれに比べればあってなきが如きものである。と云うより、俺まで途方に暮れていたら話にならない、俺を頼ってくれた彼女に応えなければならないと、そんな心理が働いて平静を保とうと努めることができた。

 そうしてどうにか彼女から、事の経緯を大方聞き出すことに成功した。興奮している彼女の話は正直まったく要領を得なかったが、三十分ほどかけてそれらを繋ぎ合わせ、大体の流れを理解するに至った。

 葵は十時ちょっと過ぎに浴場へ向かった(ここまでは俺も憶えている。その後すぐに微睡まどろんでしまい、いつしか眠りに落ちていたのだ)。そしておそらく十時半過ぎに上がり、すると一階の廊下で彼女は有為城煌路に話し掛けられた。周りには他に人はおらず、彼はどうやら葵を待っていたようだった。やはり手に持ったノートパソコンに文章をタイプするかたちで、声は発しなかったそうだが、彼は葵に、今から自分の部屋に来るよう云った。話したいことがある、そんなに時間は取らせないから心配いらない、と。

 葵は少々いぶかしんだものの、相手は大作家・有為城煌路。まさか断るというわけにもいかなかったし、好奇心が勝っていた。彼女でも思わず浮足立ってしまったようだ。そのまま有為城煌路に連れられて、彼の部屋へ。室内にソファーはひとつしかなく、彼女は勧められるまま、彼と並んで腰掛けた。

 有為城煌路の狙いははじめから葵の身体だった。彼は自然なやり取りを装いつつ徐々に葵が身体を許すように誘導を図ったが、それが露骨になっていくにつれてさすがに意図を察した葵が拒絶の意を遠回しに示すと、強引な手段に出た。彼は葵に覆い被さり、無理矢理に犯そうとした。

 葵は抵抗した。かつて味わったことのない恐怖からすっかり平静を失った彼女は、手の届く位置にあった花瓶を持ち、それで有為城煌路の頭を殴った。相手は老人とはいえ男の力――彼女が抗うには、それしか方法がなかったのだろう。彼女はとにかく一心不乱で、花瓶による殴打を一度ならず二度、三度――そこで花瓶が砕け、見れば有為城煌路は絶命していた。

 実際的な恐怖からは解放された葵だったが、自分が人を殺してしまったという事実に、さらなるパニックに陥る。もうひとりでは手に負えなくなり、そして帰ってきて俺に助けを求めた……。



「で、でもその場合、正当防衛じゃないか? 相手から襲ってきたんだから――」

「駄目だよ」

 まだはらはらと涙を流している葵は、俺の台詞を遮って頭を振った。

「私、大変なことしちゃった。だって、死んじゃったんだよ。それに有為城さんなんだよ。私みたいな、いてもいなくてもいい、何の価値もない人間が、有為城煌路さんを殺しちゃったんだよ。許されるはずがない。法律的なことだけじゃなくて、有為城煌路さんを殺しちゃったなんて、私、もう駄目なんだよ。どうしようもないよ。なのに、どうしよう、どうしよう、うううぅ……」

 ベッドの上に突っ伏してしまう葵。俺はその背中をさすりながら、しかし自分の無力さに歯噛みする。

 何を気休めの言葉を吐いているのだ、俺は。

 分かっている。この状況で綺麗事やおためごかしじゃ、葵の心を一瞬でさえ和らげることはできない。有為城煌路という大作家の死……それが文芸界にとってどれほどの損失なのか。その犯人に、どれほどの責任が課せられるのか。身体を奪われそうになり、それに抵抗して殺してしまった……そんな過失が通用しないのは明らかだ。

 それどころか、誰も葵の言葉を信用してくれないという可能性さえある。有為城煌路という権威と、草火葵という一般人。何の価値もない人間、と葵は云った。断じてそんなことはないと云ってあげたいが、しかし世間の目がどういう見方をするのか……楽観視していい問題ではない。死人に口なしを良いことに葵が嘘の証言をして罪を逃れようとしていると、皆はそう取るに違いない。だって証拠はないのだ。正当防衛と云い張るにしたって、過失と云い張るにしたって、殺人に手を染めてしまった事実に変わりはないのに。

「参助……」

 葵は俺の名前を呼ぶ。胸が締め付けられる。焦燥感が増す。葵は俺に助けを求めている。助けなきゃ。俺が葵を守らなきゃ。そのためになら、自分の何を犠牲にしたっていいはずだ。俺はずっと葵のことを考えて生きてきた。もう逃げない、向き合うと決めた。それをこんなかたちで諦めなきゃいけないなんて、終わらせなきゃいけないなんて、認められるわけがない。

「大丈夫だよ、葵」

 自分の声が震えないよう、身体の芯に力を籠めて、俺は云う。

「俺に任せて。葵は心配しなくていいから」

 彼女は顔を上げ、まだ不安そうな声音で「何をするの?」と問うてくる。嗚呼ああ、彼女はなんてはかないのだろう。触れれば壊れてしまいそう……。俺が守らないと。俺がその不安を取り除いてあげないと。

「隠蔽する。葵がしたことを、俺以外の誰にも知られないようにする」

「それって……」

「これが正しいんだよ。葵は何も間違ってない。なのに葵が、ありもしない罪を償わないといけないなんて、そっちの方が間違ってるよ」

 涙で濡れた葵の顔。抱き締めたい衝動に駆られるが、俺が今すべきはそうじゃない。

 俺は葵の背中をさする手を離し、立ち上がった。

「葵が有為城煌路と二人でいるところと、それから此処まで戻ってくるところは誰にも見られていないんだよね?」

「う、うん」

「妃継さんと府蓋さんは? 風呂の時間が重なってなかった?」

「私が出るちょっと前に二人が這入ってきたの。入れ違いだったから、大丈夫だと思うけど……ねぇ参助、参助は――」

「心配しなくていい。何も心配しなくていい。葵は朝までぐっすり眠るんだ。その間に俺が全部、終わらせておくから」

 葵の表情は益々、戸惑いを強めていく。

 俺は彼女の髪をそっと撫でた。透き通るような繊細な触り心地で、少しも痛んでいなかった。

 この彼女を、苦しめてはいけない。外界の脅威にさらしてはいけないと、そう思わされた。

「俺は曲がりなりにも推理小説家だ。葵は俺のファンなんだから、分かるだろう? 心配どころか、期待して欲しいくらいだよ。殺人事件の隠蔽なんて、造作ぞうさもない」

 精一杯に格好付ける。決意が伝わったのだろう、葵ももう止めようとはしなかった。

 彼女は代わりに、

「うん……。ありがとう、参助」

 あまりにも痛切な微笑み。

 だが俺がその表情を、絶対に晴らしてみせる。

「当然のことだよ。成功まで含めて」

 さて、大見得を切った俺はもう引き返せない。引き返さない。

 ここからは云わば、倒叙とうじょミステリだ。

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