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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
vsジェントル澄神・海野島編
13/76

5「有為城煌路の牙城」

    5


 有為城煌路の住まう孤島に着いたのは、西の空が夕焼けに染まる一方で、東の空に宵闇がくらく滲み始める時分であった。遮蔽物が一切ない大海の中ではその幻想的なグラデーションが眼前に迫ってくるかのような大迫力で拝める。よく目を凝らすと彼方に本州の影が見えないこともないけれど、感覚としては大海原にぽつんと漂流でもしたかのような心細いものがあった。

 俺らが降り立ったのは島の北側で、島は綺麗なお椀型をしている。

 海野島うみのじま、というらしい。

 なるほど、海面が届くのだろう辺りまではゴツゴツとした岩が露出してぐるりと一周しているが、そこから上は一面に草が生えているだけで小ざっぱりとしている。『海』と『野』だけの島。島と云うか、海の中から唐突に丘が顔を出しているかのようだ。

 そして丘の頂点だけ平たくなっていて、そこに唯一の人工物――角ばった形の、立派な西洋館が建っている。暗い茶色を基調とした落ち着いた装い。石造りの二階建て。ただし天辺中央にひと部屋分くらいの、三階と呼称していいのかどうか分からない部分がある。要は四方向どこから見ても『凸』の形をしているのだ。

「わあ……」

 隣で葵が、感嘆の声を洩らした。

「小説の舞台にやって来たみたい……」

 しかし横から矢峰さんが水を差すように、「つまりは殺人事件の舞台か。笑えんな」と冷めたコメントを寄せる。彼は相変わらず船酔いのせいで体調が悪そうだ。荷物を手にひとり、そそくさと館へ向かって上り始めてしまう。

 俺は矢峰さんの心無い一言でしゅんとしてしまった葵を慰めようとしたが、そこに今度は澄神さんがやって来た。

「なかなかどうして核心を突きますね、草火さん。私もちょうどそう思っていたうえに、そこからある恐ろしい発想をしてしまったところなんですよ」

「恐ろしい発想?」と俺が鸚鵡返おうむがえしにすると、

「白生塔の事件です」

 澄神さんはそう云いながら歩き出し、俺らもそれにつられる。ちょっと振り向いてみると、後ろからは妃継百華とその相方の二人がついて来ており、その向こうの海の上でクルーザーの後ろ姿が早くも米粒くらいの大きさとなっていた。

「有為城煌路はあの獅子谷敬蔵の後継者として必ず名が挙がる推理小説家。その有為城煌路の住まうこの島もまた、獅子谷敬蔵の白生塔と同じく、まるで推理小説の舞台を具現化したかのような有様ありさまです。吹雪の山荘と嵐の孤島はクローズド・サークルの定番ですからね。そして、其処に集められた推理小説家とその同伴者達――これもまた、白生塔の事件で集められた名探偵とその同伴者達に符合する。もしや有為城氏は、此処で白生塔の事件をリメイクしようとしているのでは?」

「ま、まさか。やめてくださいよ」

 それこそ口はわざわいかどだ。まぁ澄神さんは〈思わせぶりすぎる名探偵〉と云われる人だから、いちいち真に受けちゃいけないのかも知れないが……。

「ねぇ、誰か出てきたよ」

 葵に云われて見ると、正面玄関の前に男性がひとり、ピンと立っていた。

 執事然とした格好をしているその男性は、俺らが玄関前に揃うとていねいに頭を下げた。

「お待ちしておりました。皆様のご滞在中、お手伝いをさせていただきます、播磨はりまと申します」

 六十近くだろうお爺さんだ。若々しさはないものの、頭髪や口髭は綺麗に整えられており、話し方や所作しょさの一々にも確かな品格を漂わせている。

「リアル執事リアル執事。今夜はあいつ数えて眠らなきゃ地震・雷・火事・親父」

「一富士・二鷹・三茄子な」

 ……背後から聞こえてくる意味不明の囁き声は、妃継百華とその相方によるものだ。

「どうぞ、お這入りください」

 播磨さんが扉を開け、俺らはいよいよ有為城煌路の牙城に足を踏み入れる。

 中は意外に窮屈な感じの造りだ。玄関から見えるのは壁ばかり。真っ直ぐ伸びる狭い廊下に横向きの廊下が何度か交差し、その先には戸がひとつある。「迷路みたい」という葵の呟きが実に正鵠を射ている。

「お履き物はそちらの靴箱にお入れください。スリッパはご自由にお使いいただいて結構です」

 大きな西洋館なので漠然と土足で上がるものかと思っていたが、それはないようだった。きっと有為城煌路はこの中に引きこもるような生活をしているのだろうから、考えてみれば、いつも靴を履いている方がおかしい。

「まずは皆様を、ご滞在中に使用していただくお部屋にご案内いたします。船旅でお疲れのことでしょうから、晩餐までおくつろぎください」

 矢峰さんがここでまたも「主の出迎えはなしか」と皮肉っぽく云ったが、播磨さんは「有為城様は晩餐のときにお見えになります」と自然に対応してみせた。それでいいと思う。荷物を置いて一旦落ち着きたい。

 播磨さんは俺らを引き連れて、すぐ右手の廊下に這入った。横に二人分の幅で、右側には窓が等間隔に、左側には扉がこれまた等間隔に並んでいる。窓のカーテンは閉め切られており、ずっと先まで蛍光灯の明かりに包まれた廊下はホテルのそれを思わせる。

「とても大きな館ですけど、普段は播磨さんと有為城さんのお二人で使っているんですか?」

 しばらく真っ直ぐ進んで行き当たった階段――館の角にあたる位置であり、途中で左に折れている――を上り始めた播磨さんの背に、俺は気になったことを訊ねてみた。

「いいえ、私は有為城様が皆様をお招きするにあたってお雇いになりました、今回限りの使用人でございます。此処には今朝に初めてやって来たばかりで、まだ把握できていない事柄も多々あるため、至らぬところがあるやも知れません。ご容赦ください」

「では、有為城さんはずっとひとりで……?」

「分かりかねます。私も有為城様とは直截の顔合わせをしておりません。指示はすべて書面に綴られ用意されておりました」

 なんと、使用人として雇われた播磨さんでさえまだ会っていないのか。

「ただ、他に家人の方がおられる様子は、今のところ私には見受けられませんな」

「でも、ずっとひとりとは限らないかも」

 小さく異を唱えたのは葵だった。

「本当にお客さんを招いたことがないのかは、分からないでしょ? 今回の私達のことだって、広く知られないようにされてるみたいだし、過去にも何度か、こういうことはあったのかも」

「ああ、そうか」

 葵の指摘はなかなかに鋭かった。有為城煌路については厭世家という情報ばかりが独り歩きしているせいで盲点に入っていたけれど、詳細は一切不明なのだから、親しい友人がいないとも決まっていないのだ。

「それはどうでしょうね」

 だが、前を歩いていた澄神さんがくるりと振り向いた。

「私達を送ってくれた隈甲斐氏に確認しましたが、時折訪れる業者を除けば、この島に誰か客人が来ることは今まで一度もなかったそうですよ」

「そうなんですか」

 隈甲斐さんは寡黙な人だったが、ゆえにしっかりしている印象だった。その言の信用度は高いと考えていい。

「彼は此処に住んでいるのが有為城煌路という作家だとは知らなかったようですから、有為城氏も客人を呼ぶなら彼に隠し立てする必要はなかったはずです。現に私達の送迎は彼が担当しました。したがって、やはり有為城氏は此処にずっとひとりでいるのだと結論できるでしょう」

「なるほど……」

 さすが探偵。綺麗な論法に感心させられる。

 それにしても、こんな孤島のこんな館にひとりで暮らす有為城煌路……実際に来て改めて思い知らされたが、その厭世ぶりは主義というより病気の域だ。

 そんな俺の考えを読んでか、澄神さんは「芸術肌の人間は往々にして孤独を財産とするものです」と微笑む。それなら俺にも心当たりがあるけれど、ならば有為城煌路はそのスケールが桁違いに大きいのだろう。

 二階の廊下を少し進んだところで、播磨さんは足を止めた。

「ここから四部屋が、皆様に使っていただくお部屋でございます」

「え」と声を上げてしまったのは俺だ。

「明日到着なさると云う塚場壮太様の分も含まれているのです」

 いや、そういうことではなく。

「相部屋ということですか?」

「相部屋と云いますか、皆様はそれぞれペアでのご滞在ですから、お二人でひと部屋というかたちです。どのお部屋にもベッドは二つご用意されております」

 これは困った。矢峰さん達と妃継さん達は同性同士だから問題ないだろうが、俺と葵じゃあそうはいかない。

「できれば、俺達は別にして欲しいんですが……」

「何だ。君達、恋仲なんじゃなかったのか」

「違いますよっ」

 矢峰さんの言葉に思わず食い気味な反応をしてしまった。横目で葵を見ると、彼女は気まずそうに視線をキョロキョロ動かしている。

「有為城様に別のお部屋を使用する許可をいただいて参りましょうか。お部屋そのものはあまっているようですので」と播磨さん。

「いや、それは……」

 まだ有為城煌路には会ってもいないというのに畏れ多い。面倒な客とでも思われたら大変だ。だがしかし、葵と同室というのは……。

 狼狽うろたえる俺だったが、すると葵が口を開いた。

「私は大丈夫です。参助も、いいよね?」

 頬を朱に染めつつ、不安そうに俺を見る葵。その姿を見て、俺はハッとさせられる。

「すみません、大丈夫です、同室で」

 葵がそれでいいと云ってくれた以上、ここでさらに迷えば彼女に恥をかかせてしまうことになる。なら俺も認めるしかない。認めよう。そうだ、異性だろうが、友人同士が同じ部屋を使うのはおかしなことじゃない。変に気を遣った方がよっぽどおかしいじゃないか。俺も葵ももう大人なのだから……。

 その後、部屋割りは手前から俺達、矢峰さん達、妃継さん達、それから明日やって来る塚場壮太達と決まった。ひと部屋挟んでその向こうの一室は播磨さんが使っているらしい。

 播磨さんはそれから、晩餐の時刻と食堂の場所、トイレや浴場の場所なんかを口頭で説明し「それからもう一点、」と付け加えた。

「これ以外のお部屋、または区画には決して立ち入らないように、という有為城様からのお言葉であります。ご注意のほど、よろしくお願いいたします」

 不思議な要求ではなかった。〈自分の生活領域を荒らして欲しくない〉というような心理が、有為城煌路は殊更ことさらに強いのだろう。

 播磨さんが去って行き、俺達はそれぞれの客室に這入る。外に面していない部屋なため、中は暗かった。照明のスイッチを押す。

 煌々と照らされる室内。簡単な間取りと云うか、ただの一間であった。ホテルのような気分でいたけれど、あくまで個人の邸宅なのだから、各部屋にいちいち洗面器やシャワー室などがないのは当然か。

 とはいえ、二人で使うにしても充分に広々とした部屋だ。茶系の色で統一されたシックな空間。ベッド、ソファー、テーブル、その他必要な調度はひとしきり揃えられている。播磨さんがあらかじめ掃除をしておいてくれたのだろう、埃ひとつない。

「ねぇ参助、これってちょっと変じゃないかな」

「ん、変って?」

 ソファーの近くに荷物を下ろした葵が、首を傾げて室内を見回している。

「どうして客室なんてあるんだろう?」

 一瞬意味が分からなかったが、すぐに思い至る。

「たしかに……変だな」

 有為城煌路はかなりの厭世家で、それでこんな島を丸ごと買い取ってしまったような人だ。人嫌いでもあるらしい彼は、客人を招くこともないと云う。

 しかし、ならばどうして、こんな客室があるのだろう。

「いちおうの保険として用意したのかな。将来的に人が来ることもあるかもと思って」

 そう口にしてみるが、けれど他の点では徹底した排他主義を貫き通している彼らしくない。矛盾とまではいかないが、腑に落ちないものがある。

「こうしてあるんだから、そういうことなんだよね。うん」

 葵の首肯もやや強引な感じだ。

 だが正直、今の俺はそれどころではなかった。

 葵と同室。

 此処で二晩、共に過ごすことになる。

 浮かれる気持ちなんてない。逆だ。

 彼女と同じ部屋の中で二人きりというのは、嫌でも〈あの記憶〉を想起させられる……。

 ズキッと胸の奥に走る痛み。

 雑念を追い払うように、俺も荷物の整理を始めた。

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