表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
vsジェントル澄神・海野島編
12/76

4「船上の客人達」

    4


 港に到着した俺と葵は簡単な食事を取ったり辺りを散歩したりしながら、徐々に緊張をほぐしていった。はじめは少しぎこちなかったやり取りも、段々と自然になっていった。

 話した内容は他愛ないものばかりである。俺は大学入学に際して上京し、親との仲もそう良くないためにそれ以来一度も地元に帰っていなかったから、現在もまだ近くで生活しているという葵から最近の様子なんかを聞いたりした。五年くらいではそう大きな変化もないようだ――葵と同じように。八年間という時間を俺は重く捉えていたけれど、人や街というのは意外と変わらないのだろう。

 そうこうしているうちに約束の時間となり、さらに数時間後――俺らは現在、クルーザーに乗って海の上を進んでいた。時刻はまだ昼過ぎで、空は突き抜けて明るい。絵具で塗ったような濃い青色の中に白い雲が点在している、爽やかな景色。ただし冬の海上は骨身に沁みる寒さで、俺らはキャビンの中に引っ込んでいる。

 有為城煌路の邸宅がどこにあるのか――聞いたときはまたしても驚かされた。彼は太平洋に浮かぶ小さな島をまるまる買い取っており、そこに建てた西洋館に住んでいるとのことだった。作家とは生活難に喘いでいるのが大半だが、さすが有為城煌路ほどの作家になるとスケールが違う。

「財界の重鎮も顔負けだな。まぁ孤島で暮らすなんて、道楽人でもなきゃやろうとしないか。加えて、常軌を逸した厭世家でないとな。不便だし管理費もかさむし、デメリットが大きすぎる」

 そんな尖った発言をしたのは、矢峰方髄だった。俺の正面で椅子にふんぞり返って座り、気怠そうな表情を浮かべている。いや、気怠そうなのではなく本当に怠いようで、どうやら船酔いしているらしかった。

「公表していない以上、自分の財力をアピールするようなくだらん動機とは違うんだろう。小説家なんてどいつも露悪趣味の塊みたいな連中なのに、見せかけでなく本当に世間から隔絶された場所に身を置いているのは好感が持てる」

「ははは、君は外面ばかり着飾る人種を心底嫌悪していますからねえ」

 軽快に笑いながら合いの手を入れたのは、その隣に長い脚を組んで座っているえらく美形な男だ。脱いだトレンチコートを綺麗に畳んで膝の上に乗せており、英国風のデザインが為された品の良いセーター姿である。

「自らの価値をつくり出すのに相対的か絶対的か、という話に繋がるんでしょう?」

「ああ、有為城煌路の小説には既存の枠組みに囚われない独自性がある。それはたとえば、小説ってものが有為城煌路の書くそれ以外に一冊も存在しなかったとしても揺るがないという絶対価値だ。そういう点は大いに評価できる」

 稀代の大作家を捕まえて、えらく上から見線の評し方だ。

 しかし言動だけを切り取ればいかにも偉そうであるものの、彼の態度はどこか卑屈で、攻撃的な印象は全然ない。悟ったような目つきといい、冷笑的な口元といい、不思議な雰囲気を持った人である。

「ははは、君の浮世嫌いもそういうわけですか。とはいえ厭世家は画一的でありませんからね、それで君と有為城氏が意気投合する展開はないでしょう」

 対照的に明朗快活なこちらの男は、矢峰さんの同伴者――探偵・ジェントル澄神。

 やはりだった。

 矢峰方髄のデビュー作は彼が実際に巻き込まれた殺人事件をもとにしたもので、その事件を解決したのが当時まだ無名のジェントル澄神だったのだ。矢峰方髄はその後も、骨太の本格ミステリを次々と著し確かな実力を示す傍らで、ジェントル澄神の活躍を綴るノンフィクション風の作品も時々発表している。そういうわけで、この二人の親交は深い。

 方や架空の事件を取り扱う推理作家、方や現実の事件を取り扱う職業探偵……だが別段、奇妙な取り合わせではない。塚場壮太と桜野美海子という、あまりにも有名な先例がある。

 そしてその塚場壮太も、吉蠣さんが自分の担当作家から選んだ、今回の客人の内のひとり。桜野美海子は白生塔の事件で死んだけれど、現在の彼は甘施無花果という探偵とコンビを組んで活動している(甘施無花果も白生塔の事件で死んだ探偵のひとりだが、別人が二代目としてそれを名乗っているとのことだ)。

 改めて、冗談みたいな顔ぶれだった。吉蠣さんからすればあえての酔狂なんだろうが、果たして有為城煌路はこれをどう思うのだろう?

「あー寒!」

 その甲高い声にびっくりして振り返ると、デッキに出ていた女性二人がキャビンに這入ってくるところだった。

「なに、初めての船旅なのに時給いくらなの! 国境を跨ぐ瞬間、為替相場はどうなるの! 私を外交の道具に使いたいなら、特大ビップな扱いで頼むよ産業大臣!」

「ちょっとちょっと、ギア落とせって。あたしら別段、国境は越さないよ」

 えらく奇抜な二人組だ。

 片方はおっとりとした印象で、真っ黒な髪を長く伸ばしているのだが前髪だけは眉のあたりで真っ直ぐ横に切り揃えており、大きな黒縁の眼鏡を掛けていて、サイズが明らかに合っていないぶかぶかのセーターを着ている――のだが、何やらキーキー騒いでいるのがこちら。

 もう片方は見るからに派手で、頭は短めの金髪だしピアスは多いし片方だけはだけた肩からは刺青が覗いており、パンキッシュな服装に身を包んでいる――のだが、落ち着いて宥めているのがこちら。

 まるであべこべ。ただ明らかにタイプは違うけれど、正反対であるがゆえに調和しているふうにも見えてくる。

「ねぇ参助、どっちの人が妃継さんなのかな」

 葵が不意に耳元で囁いてきてドキリとする。

「さぁ……。黒髪の人の方がそうじゃないかとは思うけど」

 港で顔を合わせたときも、この二人は俺らとは挨拶らしい挨拶もなしで、まったく交流する気を見せなかった(そのときは黒髪の女性、とても大人しかったんだが……)。

 とはいえ簡単な消去法から、二人の内のどちらかが妃継百華に該当し、片方がその同伴者なのだとは分かる。

 妃継百華。矢峰さんに負けず劣らずの人気を誇る女流作家にして、有為城煌路と同じく謎に包まれた覆面作家。作品の大半は推理小説だが、フェティシズム的な趣味が題材として多く登場し、また違った読者層を獲得している。いわゆるカルト作家だ。

「アイスランドを飲み込んだ気分! 口からオーロラ出してやるから! にょろにょろろーってね!」

「おお、やりなやりな」

 意味の分からないやり取りをしながら、二人は俺らから離れた隅の方の席に並んで座る。それほど中は広くないけれど、男女六人ではまだ持てあます感じだった。

 乗員は計七名。残るひとりは操縦席。このクルーザーの持ち主――隈甲斐くまがいさんだ。今回、俺らの送迎を務めてくれている。

 聞けば彼が普段、有為城煌路のもとに食糧や雑貨品など、必要な物資を定期的に運んでいるらしい。と云っても知り合いなんかではなく、金で雇われているようだ。運んだ品々はいつも玄関まで持って行き、そのまま置いて帰る。だから彼も、有為城煌路の姿は目にしたことがないという話である。今回も俺らを島に降ろした後はいつも通りに帰るとのことだ。

「いやぁしかし、塚場氏が遅刻とは残念ですね」

 澄神さんが話題を変える。眉を寄せて首を横に振る仕草が本当に残念そうだ。

 そう、塚場壮太は仕事の都合で、一日遅れでやって来ることになったらしい。俺らは二泊三日の滞在となる予定だが、彼はその半分だけというわけだ。

「正直な話、私は今回、有為城氏よりも塚場氏にお会いしたい気持ちの方が強いんですよ。皆さんもご存知でしょう、あの白生塔の事件を。是非とも唯一の生存者から、その話を聞きたいと思っていましてね」

 たしかにそれは興味をそそられるかも知れない。

「本当なら私も探偵として、その場に居合わせたかったんですがね。そして挑戦したかった。あれは探偵にとって非常に特別な、記念碑的事件ですよ」

「でも、いいんでしょうか? どういうかたちであれ、塚場壮太さんはその事件で大切な友人を亡くしたわけですよね。あまり話したい事柄ではないんじゃ――」

「はは……」

 乾いた笑い声をあげたのは矢峰さんだ。彼はペットボトルの水を一口飲み、

「こいつにモラルを期待しても無駄だよ。ぱっと見はできた人間だが、とんでもない猫っ被りだ。中身がぶっ壊れちまってる」

「酷い物云いですねえ」と苦笑する澄神さんに構わず、矢峰さんは「君達は――」と、俺と葵の間あたりにぼんやり視線を向ける。

「俺がこいつを探偵に据えて、実際に体験した事件を書いている小説を読んだか?」

「はい」と答える俺と、こくんと首肯する葵。矢峰さんは俺達から視線を外し、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「俺の小説でも、そうじゃない他の風聞でも、こいつはエキセントリックな人物として描かれてはいる。だがそれらはすべて恐ろしく控えめに表現し、角を可能な限り削り落とし、精一杯に毒を抜いて、なんとかあの程度に収めている……というのが真実なんだ。ノンフィクションではなく、あくまで小説であるのは……実はこいつによるところが八割……以上……」

 異変。

 話しているうちに、矢峰さんの顔色がみるみる悪くなっていった。言葉も途切れ途切れとなり、苦痛を押し殺すかのようにつむいでいる。

「船酔いだ……」

 顔をしかめる彼の横で「ははは」と快活に笑う澄神さん。

「Out of the mouth comes evil――天罰ですね。滅多に人の悪口なんて云うものじゃありませんよ」

 すると俺の隣で、葵が鞄の中を探り始めた。彼女が取り出したのは酔い止めの薬だった。

「これ、今更かも知れませんけど、良かったら」

「おお、なんとお優しい。ほら矢峰くん、慈悲ですよ」

 矢峰さんは澄神さんへ片手を払う素振りをしながら、葵が差し出した薬を受け取って飲んだ。礼は云わなかったが、軽く頭は下げた。

「まぁ矢峰くんの言葉もあながち間違いじゃありませんがね、安心してくださって結構ですよ。それは仕事中の私の話。紅代べにしろもいませんし、今回の私はレジャーを楽しみに来たただの紳士です」

「……同伴者はひとりまでって指定は幸いだったな。あいつまでいたんじゃ始末に終えん」

 うんざり顔の矢峰さん。

 紅代というのは、ジェントル澄神に付き添っているこれまた奇矯な助手の名だ。

 ――バイオレント紅代。

 常に口を半開きにして何を考えているか分からないものの、仕事ぶりは優秀そのものな女の子――だと、矢峰さんの書いた小説を何冊か読んだ俺は知っている。ちょっと実物を見てみたい気もするが、矢峰さんの様子を見るに、それはあまりうまくないようだ。

「もっとも、」と澄神さんがそこで、クルーザーが向かう先に視線を移した。

「今後の展開次第では、紅代を連れて来るべきだったと悔やむことになるかも知れませんがね」

 その口元が、これまでとは違う感じに綻ぶ。

 冗談なのか何なのか、判断が付かなかった。いや、冗談でないとしたら何なのだ?

 隣の葵が、少しだけ俺との距離を不安そうに詰めた。

 急に不穏な空気を感じた俺は「う、有為城煌路さんは、どんな人なんでしょうね」と別の話題を振る。

「数時間後には分かることですよ。鬼が出るか蛇が出るか、楽しみですね」

「…………」

 クルーザーの進行方向とは真逆に視線を遣ると、本州の影が地平線のあたり――空と海の狭間で段々と薄らいでいくところだった。

 自分達の島が曖昧な領域に吸い込まれていくかのようで、何とも心をざわつかせる眺めだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ