3「八年振りの再会」
3
いよいよ冬が到来し寒風吹き荒ぶなか、俺はとある田舎町にある駅のロータリーにいた。この辺りでは栄えている方なのかも知れないが、都会暮らしにすっかり慣れてしまった俺には寂れているように映る。平日の昼間ということも手伝ってか、人もまばらだ。
俺は先ほどから落ち着きなく辺りをウロウロと歩き回り、しきりに腕時計を見ては表情を強張らせ、そのたびに深呼吸を繰り返していた。挙動不審の理由は極度の緊張である。ここ数週間ずっと心の準備を整えるのに時間を使ってきたにも拘わらず、いざこの時が来るとやはりどうしても平静ではいられない。
その時だった。
「参助?」
背後から声を掛けられて振り返り、俺はそこで「あっ――」と言葉に詰まった。
不安そうに眉を寄せ、上目遣いに俺を見る女の子が其処にいた。少し長めのボブカットといった感じの黒髪と、幼い印象ながらも整った目鼻立ち。両手をお祈りするみたいに胸の前で組んで、ちょっと首を傾げるという遠慮がちな仕草。
「……葵?」
彼女は「うん」と頷いて、照れたふうに微笑んだ。俺のよく知っている、懐かしい微笑み――草火葵の微笑みだ。
「八年振り……だけど案外、変わらないものだね」
色々と台詞を用意して来たはずだったがすべて忘却してしまい、咄嗟にそんなありきたりな言葉を口にした。
「そうだね。うん、私は何も、変わってないと思う」
その通り、葵は最後に別れたあの頃とそっくり同じであった。俺が一瞬言葉を失ったのはそれゆえである。身長もそんなに伸びてはいないし、小柄な体格もそのまま。いかにも内気そうな佇まいも、垢抜けない服装も(そう云う俺だって地味な格好をしているが)。ただ前髪が昔よりもすっきりして、顔がよく見えるようになったか。化粧も薄くだけれどしているみたいだし……だが、二十三歳の女性にはとても見えない。
まるで、俺と彼女が交際していたあの時間から、そのままやって来たかのよう……。
「あ、そろそろ出発するみたいだから、とりあえずバスに乗ろう。あれで港まで行くんだ」
お茶を濁すように云って、俺はロータリーに停車していたバスに乗り込んだ。二人分の料金を支払うと、葵が「ありがと」と頭を下げる。「別に当たり前のことだよ」と応えつつも、それだけで俺はまた心を揺さぶられる思いだった。
適当な座席に並んで腰掛ける。そこでようやく気付いたが、バスの座席というものは隣同士がかなり接近するかたちとなるのだった。隣を向くと、すぐ間近に葵の横顔がある。初っ端からこれというのは、相当にやりづらい……。
「誘ってくれて、ありがと。すごくびっくりした」
バスが走り出すと、有難いことに葵の方から会話を切り出してくれた。
「来てくれて、こちらこそ嬉しいよ。葵は有為城煌路のファンだったよね。いまでも変わらない?」
「うん。有為城さんにお会いできるなんて、まだ実感が湧かないくらい。だって有為城さん、これまで一度も、誰にも姿を見せていない人だから」
「そうだね、俺だって話をもらった時は驚いたよ。内々の話だからそう騒ぎになってはないけど、これはとんでもなく貴重な体験だろう」
「やっぱりすごいね、参助は」
「え?」
思わず顔を横に向けると、目が合った。すると葵は恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
「有為城さんに招待されるなんて、すごいなって」
「ああ……だけど電話でも少し話したとおり、有為城さん本人から選ばれたわけじゃあないんだよ。運が良かっただけで」
細かい経緯についてはまだ説明していないが、有為城煌路からじかに招待されたのだと偽ったりはしなかった。隠し通せることでもあるまいし、何よりも彼女にはできる限り誠実でいたかった。
「それでもすごいよ。……参助が小説家になったのは私、デビューしたときから知ってたの。名前が賽碼参助だったから」
「ああ」
小説にすべてを捧げた俺の人生。俺には小説しかない。だから作家名も、本名をそのまま使ったのだった。
「なのにお祝いできなくて、ごめんなさい。連絡先も分からなかったし、今更になって私が何をって、思ったから」
「いや、いいんだよ。俺だって似たような理由で、葵に知らせなかった。本当は、真っ先に知らせたかったんだけど」
「そうなの?」
葵が顔を上げた。今度は俺が視線を逸らしかけたが、思い止まった。
「うん。何と云うか……俺はずっと葵のことを気にしていたから。それで今回の話が来て、やっと連絡できたんだ」
葵はまた顔を俯けると、口元を少し綻ばせて「嬉しい」と云った。
「なら良かったよ。迷惑じゃないかな、って心配してたんだ」
「ううん、迷惑だなんて、思うはずないよ。私、友達もいないし、独りぼっちなんだもん」
その表情に若干、憂いの色が浮かんだ。
連絡先を調べる過程で知ったことである。葵は元々が母子家庭だったのだが、その母親も数年前に過労でこの世を去っていた。身寄りのない葵だったが、自立が可能な年齢ではあったためにどこかに引き取られるということはなく、それからの彼女はパートアルバイト等で食い繋ぎながら一人暮らしをしているという状態だった。
しかし正直な話、俺がそれを知っていくらか安心したというのも事実だった。葵が俺と離れた後で幸せになっていたのなら、俺は彼女を誘うのをもっと躊躇したはずだ。たとえば他の男と順調に交際していたりしたら……。
俺が黙り込んでしまったせいか、彼女は「それより」と話題を転換する。
「参助の小説は発売するたびに、全部読んでたの。昔から参助はすごかったけど、それなのにさらに見違えるみたいで感動した」
「俺なんてまだまだだよ。今回招かれているのは本当にすごい人達ばかりだからね……ちょっと不安なくらいだ」
そう云いつつも、俺は最大の難所はもう越えたと思っていた。こうして会ってみて、葵が何も変わらず俺に接してくれていること、俺がいちおうまともに話せていること。俺の積年の迷いは何だったのかと拍子抜けするくらい、それらは俺を安堵させていた。
「まだ聞いてないけど、他の人達って誰なの?」
「ん、招待主の有為城煌路と俺はいいとして、他は三人だよ」
俺は吉蠣さんから聞いている推理小説家達の名前を並べる。
「矢峰方髄、妃継百華、それから塚場壮太」
想像を上回る面子だったのだろう、葵の目がわずかに見開かれる。
「っていうことは、妃継百華さんは分からないけど、矢峰方髄さんと塚場壮太さんが連れて来るのはもしかして……」
「ああ。ジェントル澄神と甘施無花果――二人の名探偵が揃うかも知れない」
小説家達だけでない、その同伴者もどうやら、途方もない才人ばかりとなりそうなのだった。




