Les malices de la professeur
教授視点のお話し。
一年前、私はこの魔法学校内で爆発を起こした生徒に、冷静になれる魔法薬を作ったことがある。
誰も怪我をしないように、よくコントロールされた魔法構成ではあったが、その場に立ち会った人間を黙らせるには十分すぎるほどの迫力を有していた。現に、その魔法を見た女子生徒達は恐怖でさめざめと泣いていた。
彼は一年生ながら、非常に優秀で、どの教授からも一目置かれるような生徒だったので、私は疑問に思って理由を聞いた。
すると、その時彼はこう言ったのだ。
自分のせいで、好きな人が嫌がらせを受けているのが許せない、と。
詳しく話を聞くと、彼、ヴィクター・エステンには好きな人がいるらしい。その相手は、彼と並んで非常に優秀な生徒シフォン・アンソニーだという。
ただ実際のところ、私にとってシフォン・アンソニーは優等生というよりむしろ劣等生だった。何せ彼女は魔法薬を作るのが壊滅的に下手だった。私の担当する授業以外では、華々しい成績を残している彼女なのに、どうして彼女は魔法薬だけは異常に苦手なのか。私は実はずっと疑問だった。
だから彼に、その疑問とともに、小さな愚痴を漏らしたのだ。あの子は私のことが嫌いで、魔法薬だけはまったくやる気がないんじゃないか……と。
それは絶対にありえません。
魔法薬を飲ませて、落ち着かせたはずのヴィクターは、ひどく憤った様子でそういった。そして何なら今から証明してみせると言い出して、私を図書館にまで引っ張り出した。
そこで彼女が勉強しているのか、そう思ったら、そうではなかった。
彼は図書館の司書さんのところへ連れていき、そして言ったのだ。シフォン・アンソニーがどれだけ魔法薬について真面目に取り組んでいるか教えてあげてください、と。
私より三つ年上のその司書さんは、本人には秘密ね、と言いながら、彼女への本の貸し出し履歴を見せてくれた。
ずらりと並ぶ魔法薬の本。魔法に関する本ならなんでもあったが、魔法薬は特に数が多い。図書館のありとあらゆる本を読む気なのだろうかと私は思った。それほどまでにたくさんの本を読んでいる。彼女はまだ一年生だというのに大したものである。
そして、彼女の努力のあかしを私に見せつけたヴィクターは、満足そうな表情でこちらを見つめていた。
その時に思ったのだ。
ああ、この子、本当にシフォン・アンソニーが好きなんだな。
学校の教授陣からは、今年の一年生には天才が二人いるとすでにもてはやされているらしい。確かに二人は才能はある。でもまだまだ未熟だ。勉強に限らず、人間としても。
あの日から、私にとって二人は、数多くいる生徒の中でも、ちょっとだけ特別な生徒になった。シフォン・アンソニーが魔法薬の調合に向いていない理由も、この一年でだいぶ分かるようになってきた。
私にとって意外だったのは、器用そうに見えたヴィクターが、シフォンの前ではとんだ天邪鬼で、素直に彼女に思いを伝えられないことだ。
魔法薬の授業の時も、シフォンが失敗すると、必ずからかいにいく。失敗していなくても、やっぱりちょっと嫌味なことを言って見せる。
「以上で説明は終わり。ポイントを押さえてれば、失敗しないと思うから……がんばって」
私は最後、シフォン・アンソニーのほうを向いてそういうと、彼女が元気よく返事した後、少しだけしょげた顔をしたのがわかった。
調合にとりかかる生徒たちを見回る中、たまに目に入るヴィクターの調合は、相変わらず完璧だった。
ドジ認定されているジャンという生徒は、相変わらずというか、手つきが危なっかしい。それでも、調合自体はまあ、うまくいっているといえる。
そして問題のシフォン。
なんで、こんな強力なの作っちゃうかな……。
私が生徒たちに作らせたかったのは、効き目の弱い自白剤だ。でもシフォンが調合しているその薬は、もっと効き目が強く、人の心の中にある願望を、素直に外に発信させるようなものになっていた。
そして、時は来た。
ジャンのドジによって、シフォンの手から、彼女の作った試験官が離れていく。天井へと向かったその薬から、シフォンを守るべく、ヴィクターは彼女を突き飛ばした。
そして彼は、無詠唱で試験官を吹き飛ばそうとした。
「Frangit」
小声で素早く詠唱すると、ヴィクターの上で試験官が粉々に砕け散る。ガラス片でけがをしないように、ある程度の破片は、無詠唱でそれをどけた。
いくらヴィクターが優秀な生徒でも、教授である私のほうが魔法は上手い。彼の魔法は間に合わず、その魔法薬を頭から被ることになった。
そのあとの顛末は、なかなかに見ものだった。もし彼が、本能に負けてシフォンの制止も聞かずに襲い掛かるようなら、すぐに引き離そうと私は思っていた。
しかし彼は、シフォンが止めれば、すぐに止まった。
これなら、大丈夫だろう。私はそう思って、泣きついていたシフォンと、薬がかかったヴィクターを何食わぬ顔で部屋に連れていき、そして言ったのだ。
「ねえヴィクター。シフォンのどこが好き?」
この質問は、薬の効果を見極めるためにとても重要な質問だった。シフォンはあっけにとられているが、ヴィクターはにっこりと愛想よく笑いながらぺらぺらと答えた。あまりに素直に答えるので、シフォンが慌ててそれを止めたほどだった。
「もういい! 聞いてて恥ずかしいわっ! どう考えても惚れ薬の効果ですよね、教授!」
先ほどのクラスの誰かが惚れ薬と言ったせいで、シフォンはそう思い込んでいる。冷静に考えれば、そんなことあり得ないと分かりそうなものなのに。
「何言ってるんだ? お前が作ったのは惚れ薬なんかじゃないぞ?」
あ、やばい。ここでネタばれするのはまずい。
これが原因でこの二人の仲がこじれたら、ヴィクターに未来永劫恨まれ続けるに違いない。
「うるさいな! 惚れ薬にきまってるでしょ! 今のあんたを正気のあんたがみたら卒倒するに決まってる!」
「でも俺はいつもこんな感じだけどな。ねえ、そう思われませんか、教授?」
だからこそ、私はじっとヴィクターの目を見つめて言った。こんな状況なのに口角が上がってしまうのは、許してほしい。
「あー……そうね。不憫な子だわあなた。だから、惚れ薬の解毒剤をあげるわね?」
すると、ヴィクターはキョトンとしたような顔になった。一瞬、彼が私の意図に気づかないのではとヒヤリとしたが、ヴィクターは何かに気づいたように小さく息を飲み、美しい笑みを浮かべた。
「はい。お願いします」
「えっと……これね」
私はヴィクターにも見えないようにある魔法薬を取り出し、ラベルをはがす。
そしてそれをヴィクターが飲んだのを見届けると、シフォンが彼に気分はどうかと尋ねた。気分なんて変わるはずがない。
私が彼に飲ませたのは”効いている薬の効果を持続させる薬”だったのだから。
「どういうことですか! 効いてないじゃないですか!」
「あれーおかしいわねーきっとシフォンの作った薬は、解毒剤耐性があるのねー」
私に掴みかかる勢いで聞いたシフォンは、私がそういうのを聞いて、がっくりとうなだれた。どうやらフェミニストヴィクターは、扱いに困るらしい。
「教授としてどうなんですか、ソレ」
「私だってわからないこともあるわよ。うん」
「で、コレはどのくらいで治りますか?」
「うーん。一週間くらいかな」
「一週間!?」
本当は三日もあれば完全に切れただろうけれど、私の作った魔法薬を飲ませたから、おそらく一週間は持ってくれるだろう。
願わくばその間に、シフォン・アンソニーが彼の本心に気づいてほしい。彼女は絶対に薬について調べるだろうから、その時に、自分が惚れ薬を作ったわけがないことに自力で気づけるだろう。
結果的に、私のそんな読みは全く持って外れてしまったのだが、まあそれはそれで仕方がないことだ。
とにかく、うなだれたシフォンが部屋から出ていくと、ヴィクターはそのままそこに残った。そしてシフォンに見せていたあの愛想の良さを消して、元の不愛想な男の子に戻った。
「どういうつもりですか?」
「あら、何のこと?」
「教授はわざと、俺にあの魔法薬を被らせましたよね? 俺の魔法構築を一瞬で無に帰すなんて」
さすが優秀な子は違う。どうやら私の悪だくみはばれてしまっていたらしい。
「だって、あなた不憫すぎるもの。いいじゃない、素直になれて」
「そういう問題ですか!? そもそも、あいつが作った薬はなんですか? 理性を抑制するってわけではなさそうですよね?」
「まあ、理性を抑制したなら、あなたはたぶん、教室のど真ん中で彼女を押し倒したでしょうしね」
「そんなリスクがあったなら止めてくださいよ!」
ヴィクターが憤慨してそういうが、私は肩をすくめて言った。
「まあまあ。もし何かあればちゃんと止める気だったから」
「本当ですか? まあいいです。……シフォンを前にしてだけ変になるんです。教授や、ほかの同級生には特に何も感じないのに」
「あの子が作ったのは、大きく分類するなら自白剤よ。ただ、普段抑圧している自分を表現させるような、そんな類のね。精神的な病気の治療にはよく使われるわ。そして、あなたはシフォンに対してだけ、照れてるのかなんなのか知らないけれど、本当の自分を抑圧して違う自分として振舞っている。逆を言えば、それ以外の人間にはかなり素直に接している。あなたホント救えない子だわ」
好きな子だけには素直になれないなんて、本当にかわいそうだ。そのせいで、本人にはまったく意識されてない。意識されてないどころか、好敵手認定されているのだ。
「その理屈で行くと……俺は本当は、あんな風にひたすらに彼女を口説いていたいと思っていると?」
「心の底では、ね。ただもちろん、あなたの望むよりは過激になっているわよ。あの子が作った薬は強いから。それでも一週間かけて、薬は徐々に薄まるから、今より過激になることはないから安心して」
私は自分の机の上にある一冊のノートを開いた。そして、さらさらと彼女の作った薬とその効果について記載していく。
「それは……?」
「シフォン・アンソニーがどうして魔法薬が苦手か、気になったことはない?」
「ありますけど……理由があるんですか?」
私はノートに記入を進めながら、ヴィクターの言葉にうなずいた。
「原因は大きく分けて三つ。一つは、あの子が魔法なしで作業する時、手先が器用でないこと。もう一つは、あの子が努力家ゆえに知識があり、そして頭の回転がよすぎること。そして最後に、彼女は生理的に精神操作系の魔法を受け付けないこと」
「……一つ目と三つ目は理解できます。手先が不器用だと、調合の作業自体がうまくできない。でもその作業に魔法でやってしまうと、魔法薬はきちんと体をなさない。そして、精神操作系の魔法を嫌っていると、その思いが魔力として魔法薬に注がれてしまう。すると、やはり魔法薬の効き目は、作り手の望みとは違う方向に向かってしまう」
二年生にして、さすがというべきか。彼は私が与えたヒントで、きちんと正解にたどりついた。二つ目に関してはわからなかったようだが、二年生の回答としては十分優秀である。
「知識があって頭の回転が良いと、魔法薬の教科書に書いてあることに対して、自分で考えてしまうのよ。たとえば、今日使ったリンフェルの種。あれは細かく刻んで、そこから出た汁を入れなければいけなかったわよね? でもあの子は、汁が入ればいいなら、刻むよりナイフを寝かせてつぶしたほうが汁を容易に出せると気づけるのよ」
「努力家ゆえに、不器用さをごまかすための方策を考える。……魔法薬はそういうの、向いていませんよね」
「向いてないわね。魔法薬学はまだまだ謎の多い学問よ。私たちの精神や魔力と大きく関係するといわれていても、はっきりとした関係性はまだ明らかになっていない。たとえ押しつぶして出した汁が、刻んでにじみ出た汁と同量だとしても、同じ魔法薬にはならない。不思議だからこそ、先人の教えがなによりも重宝する」
「シフォンは……とりあえず自分で考えて行動したい性質なんですよね」
ヴィクターは大きくため息をついたあと、ふと何かに気が付いたように私を見た。
「あの、そういえば、この薬が効いているときに気を付けたほうがいいことはありますか?」
「何? また爆発事件でも起こす気なの?」
「そんなつもりはありません!」
一年前の事件のことでからかってみれば、ヴィクターは首を横に振りながら怒ったようにそういった。あの事件で女子生徒はヴィクターをきっぱりとあきらめることにしたらしく、あれ以降、シフォンは平穏な学生生活を送っているようだった。だからそういう心配はないだろう。
あ……そうだ。
「一つだけ、気を付けて」
「何でしょうか?」
「もし薬が効いている間に、シフォンがあなたのことを好きになったら……あなたはたぶん彼女を襲っちゃうでしょうし、そうなるとたぶん、抑えが効かなくなると思うわよ。妊娠させないようにね。まだ十五なんだから」
私はかなり真面目に言ったのだけれど、ヴィクターはプルプルと体を震わせていた。顔が真っ赤で、照れているようにも怒っているようにも見える。
「もう十六になりました! でも絶対に、絶対に薬に負けて襲うなんてしません! なんてこと言うんですか!」
「あら、意外と純情じゃない。素敵だわ」
「教授!」
「まあ抑えが効かなくなったらいらっしゃい。私がすぐに解毒剤を調合してあげるから」
結果的に、ヴィクターは私のもとへやってきた。
ただし、彼が抑えが効かなくなったのは、ちょっと私が期待していたのとは違う方向性だった。そのため私は、奇しくも一年前と同じ薬も調合する羽目になる。
人を冷静にさせる、魔法薬を。