第八羽 赤い鳥かご ~雪村編~
和也くんを連れて車で病院に向かっている途中、二ノ宮から電話がかかってきた
いつもメールで用件しか伝えない二ノ宮にしては電話なんて珍しい事に何かあったのか
顔を合わせればお喋りな男だがメールは必要最低限としかしない
私は運転中だからと和也くんに変わりに電話に出るようお願いした
「えぇ!?俺が電話に出ちゃっていいのか!?」
「その二ノ宮は私の友人です
私達の事情を知っているので構いませんよ」
へーと言いながら和也くんは電話に出た
「今雪村先生、運転中で変わりに電話に出ました
………はい!俺が噂の和也です!!……うん……えっ!?」
和也くんは二ノ宮から何かを伝えられたのか、スマホを落とす勢いで驚いている
壊さないでくださいよ…
「雪村先生!!大変だ!!」
「何ですか?あまり身を乗り出すと危ないですよ」
隠れていなさいと言ったのに、すっかり忘れてしまうのだから
「今、雪村先生がいきなり急ブレーキをかけて俺がこのままフロントガラスに突っ込んで車の外に放り出されて100mくらい転げ回っても死にませんよ!!???」
そんな事は聞いていない…
和也くんは脱獄犯だから見つからないようにと言う意味で危ないと言っているだけです
この男ならトラックに突っ込まれても無傷な気がして恐い
人の常識を超えたその身体能力と耐久性に自分が医師である事の自信まで失ってしまいそうだ
私の周りには変な人しかいないのか……
「俺、こう見えてもタフなんで!!」
「そうですか」
「いやそうじゃなくて!!本当に大変なんだよ雪村先生!!
病院が火事だって!!」
私は和也くんの言葉に一瞬言葉を失う
それをすぐに理解した時、私は思わず急ブレーキをかけてしまった
「ぅわっ!?ビックリしたじゃねぇか雪村先生!」
和也くんは自分で身体を支えて、さっき言ったようなフロントガラスに突っ込む事はなかったが…
私の病院が火事…?
病院はもうすぐそこにある
顔を上げると病院の方角から激しい黒煙が舞っている事に気付く
私は脱獄した和也くんの追っ手がそろそろでも来るのではないかとそちらにばかり気を取られていた
「それで、火の手が早すぎて避難させるのが遅れた唯だけがまだ…病室に取り残された状態だって……」
和也くんは他の患者は皆無事に避難が出来たと言う
唯さんの避難が遅れたのは医師や看護師達がいる場所から病室が遠すぎたからなのかもしれない
私が1番景色が良い部屋をと思い、静かで少し隔離的な場所を選んでしまった
私は…手術で彼女を殺しかけただけでなく、このまま不運な火事にまで殺されてしまうと言うのか……
後少ししか生きられないと言う彼女に何故そんなに死に急がせる
彼女は死ぬ前に過去からの離脱を図りたいと言うのなら
それだけでも叶えてやってもいいではないか
「雪村先生、病院ってあそこなんだよな!?
俺は唯を助けに行く
ここまで連れてきてくれてありがとな
俺なら唯を助け出せるから、雪村先生は病院の前で待っててくれよ」
和也くんは私がどうやって唯さんを助け出すか考えるよりも先にそう言って車から飛び出して病院に向かっていってしまった
「和也くん…!いくら貴方でも火事を甘く見ては…」
止めの言葉を最後まで聞かずにただ一心に唯さんを助けたいと言う思いに
和也くんは1分1秒も遅れたら、助けられなかったら後悔すると…わかっているんだ
助けられなきゃ意味がないのに…どう助けるか考える時間は必要だと思う私と違い
彼はその考える時間さえも出遅れると考え自分の力だけを信じて突き進んだ
まったく…貴方には敵いませんね……
私は少し冷静になって、思い出す
脱獄に必要なものを詰めてもらった二ノ宮のトランクの中に耐熱防護服が入っていた事を
二ノ宮の脱獄手伝い計画の1つに面倒くさいから刑務所を爆破なんて恐ろしい発想があったな
冗談かと思っていたが、耐熱防護服があるなら半分以上本気でその為のものか
無駄に荷物が多くなったと感じていたが、これが役に立つ
思ってもみなかった事だ
これで唯さんを助け出す事ができると確信した私は和也くんより遅れを取ったが病院へと向かった
病院に着くと、思っていたより炎が激しく誰も近付く事ができないくらいの高熱を放っているのは見てわかる
「雪村先生!宮崎さんが…すみません……避難が遅れてしまって…私…」
私の到着に気付いた朝日奈先生が涙を流し伝えてくれる
「朝日奈先生…責任を感じないでください
無理されて貴女に死なれては夢見が悪いので」
朝日奈先生がいるなら二ノ宮もいるかと思ったが…いないならそれでいい
二ノ宮なら私を止めそうだから
視界の隅に和也くんが複数の警官に取り押さえられているのに気付く
何故…いや、あの山崎さんがすでに和也くんの行き先をわかっていて警官をここに配置していたのか…
和也くんには悪いが、状況は変わったんだ
無謀にも和也くんがこの炎の中に飛び込まないように警官達が取り押さえてくれてる事はありがたい
私は…和也くんに死んでほしくはないから
唯さんの為にも和也くんは生きて、会ってほしい
「雪村先生…まさか、駄目でございます!行かないでくださいませ!!」
私が炎に包まれた病院に足を向けると朝日奈先生が両腕で私に行かせないと縋り付いた
「離してください朝日奈先生
私は唯さんを助けに行かなければならないのです」
「雪村先生、行くなんて自殺行為です!お止めください!!
この炎ではもう…宮崎さんは……万が一今は生きていても
2人が無事にここまで戻られる事はありません…」
朝日奈先生は私を心配してくれているのだと、今の私ならよくわかる
私も貴女の立場なら死ににいくような人を必死で止めるだろう
「それでも私は…行かせてください
……私は、知りたいのです
自分のこの想いを」
私を止めようとしていた朝日奈先生の手は少しずつ力が抜けていった
誰も私を止める人はいなくなってやっと病院の中へ走る
「雪村先生……それは……どういう意味なので…ございますか」
朝日奈先生の言葉に何も答えずに
外から見る炎は激しかったが、中はまだマシに感じるのは運が良かったのかもしれない
二ノ宮の耐熱防護服が役に立っていると言うのもあるが
いつも私の見ている病院の中とはまったく違う光景になっていても、私は迷うコトなく唯さんの病室へと向かう事ができた
先に進めば進むほど自分の死が近付いていると感じる
朝日奈先生の言う通り、この炎の中から生きて帰る事なんて出来ない
耐熱防護服は私が着ているもの1人分しかないのだから
わかっていても私は戻る事を考えなかった
なんとか唯さんの病室までたどり着く事ができる
隔離されたこの病室はまだ炎の脅威に襲われてはいなかった
少しでも遅れれば間に合わなかったかもしれないが
私はベッドに眠る唯さんの顔を覗き込む
いつも見ていた貴女の姿が無事である事に私は人としてほっとした
耐熱防護服を唯さんにと自分から外した時、病室のすぐ近くで爆発が起きる
ドアが爆風で破壊され飛んでくるガラスなどの破片から唯さんを守るようにして庇うと
私の身体に違和感を覚えては、ずっとさ迷っていたような感覚が消える
「………夢から…覚めてしまった…」
爆発が落ち着いてドアがなくなった部屋から廊下が丸見えになると徐々に炎が迫ってくるのが見える
さっきの爆風で飛んできた自分の背中から腹にかけて刺さる違和感を無理矢理引き抜く
こんな事してはいけないとわかっていても、死を目前にした私にはどうでもよかった
身体に開い穴も流れ出す血も目に見えて触れて…こんなになっても私は少しも痛みを感じない
私には最初から病院を襲っている炎の熱さすら感じていなかった
熱さも寒さも痛みも苦しみも…私の身体は生まれた時から今まで何も感じた事がなく
身体だけじゃなく心も何も感じない人だった
好きも嫌いも嬉しいも恐いも幸せも悲しみも何もかも…
私は人として生まれたはずなのに人ではなかった
そんな自分を私は認めたくなくて必死になった
私は他の人と変わらないのだと必死になって人の身体の事も心の事も勉強して、人の身体にも心にも触れて関わる医者になって…偽ってきた…
偽りでもよかったのに…
人のフリをして死にたかった
人として生まれたのだから人として死にたかった
なのに私はこの感じない痛みに今まで目を背けていた自分の現実を突き付けられ受け入れるしかなかった
認めたくなかった気付きたくなかった
私の心は、私の頭が必死にこうでありたいと押し付けて暗示のようにしていたものを跳ね退けては溢れ出してくる
…何故私は他人にここまでするのかわからない
本当に私は彼女の事が好きなのだろうか
他の人と変わって見えたから物珍しいかっただけなのでは
私は…私は本当に人を心から愛したと言える?
私の心が私の頭に強く問い掛けてくる
生まれて26年、誰かを愛した事のない私が
この先もずっと私は人の心を持つ事なく一生を終えるのだと思っていた
心理学で人の心を学び、知識があった私は目の前にいる全ての人の心が手に取るようにわかった
人の事はこうなのだと知識として脳がわかってはいても
私自身の心は何も感じる事なく動く事もなく…
時に私は自分を冷たいと思う事もあった
本当は…私も人を愛する心を自分自身で感じて動かされて知りたかった
生きても生きても何の変化もない私は焦りを感じていたのかもしれない
私は自己暗示で必死に縋り付いていただけだった
本当は誰も愛せなかった…偽物の恋
ただ愛していると思い込ませて騙して偽って
残ったものなんて…何もなかった
私には恋も愛もない
知りたくてもわかりたくても…私の心はいつまで経ってもそれらを想ってくれた事なんてなく
認めたくなかった自分の頭で無理矢理そうなのだとしただけ…
私の心が何を想わなくてもいい
それでも私は最期まで人のフリでもいいから、人としていさせてほしい…
「これは私が貴女に送る最後の魔法の言葉…」
唯さんは眠ってしまっていて私の声は届かないかもしれない
それでも今伝えなければ、二度と伝える事ができないから
私は自分が着ていた耐熱防護服を唯さんと私について来た小鳥を包む
「人を愛する事も愛される事も羨ましいと感じるくらい素敵な事だと私は思います
思い出して、耳を塞がないで目を背けないで
本当に貴女を苦しめるものは何1つとしてなかったはず…」
唯さんは私に何も話してはくれなかったが、私はある行動で気付いた事がある
彼女もまた私と似たような事で思い込んでいただけなのではないのかと
私の言葉が正解かどうかわかりませんが、少しでも貴女の心に届いたなら…
私は唯さんを連れて、来た道を戻る
この病室は他に逃げる道がない
激しい炎が目の前に立ちはだかっても、私の命が尽きるまでは足を止めはしない
熱さも痛みも感じない私だからこそ無理ができるのかもしれないな…
無痛だからと言っても人の身体はもう限界だった
私は救いを求めるように2階の窓から外を覗く
少し離れた場所にいつの間にか警官3名を倒した和也くんが朝日奈先生に掴まれたまま止められている
窓から覗いた私の姿に気付いた和也くんに私は大声で呼ぶ
「和也くん!!!」
私が何を言いたかったのかすぐにわかった和也くんは朝日奈先生の手をやんわりと離すと2階の窓の下まで来てくれる
その場所もすでに耐え難い熱さではあるのに、タフでパワフルな和也くんにとってはどうって事もないようだ
「雪村先生!!いつでもOKっす!!!」
私は窓から下にいる和也くんへと唯さんを投げ渡した
「後はお願いします…頼みましたよ」
和也くんはシッカリと唯さんを受け止め抱き抱える
すぐに朝日奈先生も駆け付けてくれて和也くんが唯さんを彼女に預けると両手を振りながら私の名前を叫んだ
「雪村先生も早く早く!!!
俺なら雪村先生くらい軽々受け止められるから早く飛び降りてきてくれよ!!!」
和也くんの言葉は嬉しいですが…私は医者ですよ
自分の身体がもう助からないと言う事はよくわかっている
私は何も言わずに窓から顔を引っ込めた
「ちょっ雪村先生!?何諦めちまってるんだよ!!!???
あんたが死んだら唯が悲しむだろうが!!!!
身体が燃えてるからとかそんなコト考えなくていいって!俺を誰だと思ってんだよ!?
高橋和也様だぞ!?元気と明るさと強さとイケメンさを兼ね揃えた…あっ朝日奈先生何を…!?」
聞こえていた和也くんの声がだんだんと小さくなっていく
高熱な空気にこれ以上は無理と判断した朝日奈先生が和也くんを引っ張っていってしまったんだろう
朝日奈先生の判断はいつも迅速且つ正しい…
彼女は私より優秀な医師かもしれない
そろそろ立っていられなくなった私は壁にもたれたまま座り込む
もう…死ぬのだと思うと頭の中がスッキリ整理されて不透明な部分が姿を見せる
結局、鳥かごの中に閉じ込められていたのは私の方で
私はずっとその中で誰かを愛して生きる人達を見ていただけだったのだ
押しても引いても扉は開かない頑丈な鎖と鍵は私を外に出す事は死ぬ最期までなかった…
和也くんの想いの前に私は足元にも及ばないのは当然
命を懸ければわかるかと安易で浅はかな考えも
叶う事なく、私は…ここで終わる
知りたかった事もわかりたかった事も得たかった事も残して…
炎に包まれながら自分の死期を悟った時、唯さんと一緒に避難させた小鳥が熱も炎も恐れず私の元に戻ってきた
「君は…何故……」
小鳥の不可解な行動に私は一瞬幻覚ではないかと思う
私の手に止まった美しい小鳥にも炎が移っては包み込む
泣き叫ぶ事もなく熱がる事もなく、ただ傍に…私の傍にいてくれる……
「……そうか…愛は…人間だけのものではないんだな……」
貴方もまた命を懸けても私を愛してくれた
変だな…今になって少しわかるなんて、遅いな
はじめて誰かの愛が自分に伝わったような気がする
私は結構頑固だったのかもしれないな
誰かが私を愛していてくれても、自分はわからないからと拒否し続けていた
馬鹿な私…人の愛を知りたいと思っていたのに、自らそれを知る機会から逃げては
恐かった…受け入れても結局私はわからないままなのかもしれないって不安があった
でも、この小鳥のおかげで少し考えが変わった
私自身がわからなくてもよかったんだ…
誰かが教えてくれるから、それを素直に受け止めていれば
私は知りたかった愛を…もっと…早くに自分も感じる事が出来たのかもしれない
視界が霞んでいく
炎は一瞬で私の涙を蒸発させるのに、私の心の泉ははじめて潤った気がする
この小鳥を見て、少しだけ…愛がわかったような気がしたから……
「ありがとう…」
これで人のフリをしたまま死ねる
私は目を閉じて、この小鳥と共に命の最期を迎えた
-続く-