第三羽 医師の決断 ~雪村編~
残り少ない命の唯さんを助けたい気持ちばかりあっても、現状はどうしようもない事に私は日に日に不安と焦りが強くなる
時間は待つ事を知らず、彼女の命だけを徐々に奪っていくものだった
そんな時、大学からの友人で医療の研究をしている二ノ宮が久しぶりに私を訪ねてきた
「久しぶり~雪村」
「お久しぶりです」
何の連絡もなしに直接仕事中の私を訪ねてくるのは珍しくもない
この男は常に飄々としていて腹黒く計算高い、普通なら私と合わないような性格だが何故か友人をやっている
それは二ノ宮が私に付き纏うのもあるが、何より二ノ宮の医療に関しての発想さ頭の良さは私の想像を超えるのだ
友人でありながらその部分は尊敬している
「いや~昔から変わってないね~
その敬語な所とか、雪村と喋ってるとたまに友人なのかどうかわからなくなる時があるよ」
「すみませんね…」
「いいのいいの、雪村に熱い友情なんて求めてないからさぁ
あっこのクッキー美味しいじゃん
まだ残ってたら持って帰るから頂戴よ~」
出してあげたお茶とお菓子を遠慮なく平らげてさらには土産にとねだる二ノ宮の様子を見ていると、ただ単にこの暑い夏の外を歩いていてたまたま私のいる病院が見えたから涼みに来たとしか思えない
「所で、雪村の可愛い小鳥ちゃんの様子はどうなの?」
「唯さんは小鳥ではありません人間です」
二ノ宮は私が鳥が好きな事を知っている
だから、特別に思い入れをしている彼女の事をそう表現する
「そんな事はわかってるさ
でも、雪村にとっては小鳥でしょ」
「…彼女は人間です」
「はたして君は本当にそう思っているのかな~」
何が言いたいんだこの男は…
たまに人の深層を見抜くような嫌な笑みをする
私が彼女を小鳥に見ているだと…馬鹿を言うな人間なんだぞ
鳥と人間は違う…
「おっとっと、そんな恐い顔しないでよ
僕は雪村を怒らせに来たわけじゃない」
「涼みに来ただけでしょう」
「僕をなんだと思ってんの!?」
「暇人」
「正解!」
さっ解散ですね
私は休憩は終わりだと席を立つ
「待って待ってお兄さん!?」
すまんすまんと二ノ宮は私が立ち去るのを止める
「私は忙しいので、暇人の相手はできません」
「いやさっきの流れはどう見てもジョークでしょ!?
確かに僕は暇人だけど」
この男はちゃんと仕事をしているのだろうか
大学では優秀でその道の天才ではあるが、だからと言って社会人として優秀かどうかは疑問だ
「え~?僕は雪村の為に良い話を持ってきたのに?」
「お金は貸しませんよ」
「まずは僕の悪いイメージを捨てて!?」
この前、良い話とか言って話を聞いたら良い話をしたから浪費癖で金がなくなった可哀相な僕に金貸してくれと泣かれた事があるんだが
「小鳥ちゃんの病気の事で良い話だよー」
二ノ宮はその一言でさっきまで飄々とした態度を一辺させる
常にその態度だった二ノ宮の事を忘れていたのかもしれない
この男は自分の発想力を実現しようとする時、絶対的な自信を見せる
二ノ宮は間違う事も失敗する事もない完璧な男
何を用意すれば正解を出せるかもわかっていれば、誰を指名すれば自分の答えを実現できるかもわかっている
全て現実に叶える事が出来る今の二ノ宮は100%信頼できると…見えた私は二ノ宮に向き直った
唯さんの病気の事だと聞いたら、私は藁にでも縋りたい気持ちなのだから
私が担当する事になった唯さんとはじめて会った時、私は何かわからない違和感が見えた
余命1年と言われているのだから、その事で心理的に他の患者達とは違うのだろうと思ってはいたが
「私…死ぬのは恐くないです」
そうではなかった
私が気遣った接し方をしている事に気付いた彼女は笑って言った
彼女はウソをついているようにもやせ我慢をしているようにも見えなかった
病気の事で心を閉ざしているのではないと気付いた時、それならこの違和感はなんなのだろうと考える
病気は身体の問題だけではなく、心の問題も大きく関係していると考える私にとって
患者の心理を読み取る事は大切だった
少し会話を交わすだけで不思議と相手の事がなんとなくわかる私だったが、唯さんとは話しても話しても何もわからない
引き出そうとしても頑なに心を閉ざし、私は正直戸惑った
それは彼女に生きる意志がまったくなかったからだ
私が諦めたら、その弱々しい姿はそのまま本当に息をしなくなってしまうのではないかと
私はどうしても彼女の心理が知りたくて、やってはいけないと思いながらも私は彼女の過去について調べた
命を未来に繋げる事だけが人を救う事ではない
残された時間を人として幸せに生きてほしいと思う
彼女の事は簡単に調べられた
何故なら、あの事件の当事者の1人だったからだ
世間では夫と不倫相手との三角関係の縺れで起こった殺人事件となって知れ渡っているが
真実は夫から暴力を受けていた彼女の姿を見た幼なじみが彼女を助ける為に殺害したとされる
最愛の人からの暴力、自分を助ける為に幼なじみが人殺しを…
唯さんの心の傷を想像するには、それだけで十分だった
いや…経験のない私にとって、想像なんて笑わせる
いつでも人の心の傷は同じ体験をした者にしかわからない
どれだけ私は彼女の心を想像できて理解できているだろう
ほんの一欠けらかもしれない
私が唯さんの過去を調べて知っている事は唯さんは気付いていないし知らない
その為、和也くんの手紙の封筒を隠す様子がある
封筒の裏を見れば和也くんが何処から手紙を出しているのかわかるからだ
刑務所にいる人のイメージは一般的にあまりよくはないだろう
唯さんは自分のせいで和也くんをあんな風にしたと責めている
最愛だった夫からの暴力を受けて、自分には価値がないと思い込んで否定しているのだから
その心の傷は私にはきっと…全てを理解できない
したくてもだ……
それから私は彼女が小さな鳥かごに囚われているかのように見えていた
外に出られない小鳥はその中で羽ばたく事も忘れ死を待つ
二ノ宮の言う通り、私は唯さんを鳥に例えて見ているのかもしれない
本当は誰でも自由になれるはずなのに、様々な事で人は縛られる……
鳥かごの中で今にも息絶えてしまいそうな唯さんを見て、私はいつの間にか彼女が気になってしかったがなかった
明るい笑顔が素敵な彼女は心から笑ってはいなくて、そこから解き放たれる事がない
その傷は私の全てを懸けなければ、救われないのではと思うくらいに…
最初は医者として彼女に接していたが、いつからか私は彼女を強く救いたいと思っては
本来の彼女を見てみたくなった
いつか自由にしてあげる事ができれば…その姿はきっと美しいのだと…
私は決して彼女を鳥としては見ていない
何故なら私は彼女を人として愛しているから…
その心理に触れ、はじめて私が守りたい救いたいと思った人
まだ20年も生きていない
狭い世界に閉じこもった19歳の女の子を…
いつか、世界は広く美しいのだと教え見せてあげたい
私は必ず救ってみせると自分の心に誓う
愛しい人…
私がここまで他人の深層に踏み込むのははじめてだな…
「二ノ宮、話してください」
「その為に来たんだ
最初に言っておくけど、良い話でも言ってしまえばただの時間の先伸ばしってだけだよ
延命の手術ってだけで、病から救う事はまだできない
…僕はそこまでいけなくて悔しいんだけどな」
自分は完璧じゃないと気が済まない二ノ宮は延命にしかならない自分の限界さに不満そうにする
二ノ宮にとっては病を完璧に治せなければ意味がない
しかし唯さんには時間がない事ときっと私の為にこの話を持ってきてくれたのだろう
二ノ宮にとって延命には興味がなくても、私にとっては1日でも長く唯さんと共にいたいと思っている事はわかっているから
なんだかんだこの男は友情を大切にしてくれる
「構いません」
少しでも唯さんと生きる時間が伸びると言うなら、何だってしよう
「ちょっと強引なやり方かもね
でも、天才と言われてる雪村なら問題ないな~」
二ノ宮は鞄から自分がその病についてまとめた書類を取り出した
「…………………。」
とりあえず私はその書類に目を通してみる
確かに強引なやり方だ
失敗の確率は低く表示されているが、これは二ノ宮が私を過剰評価している可能性がある
実際はもう少し高いだろうな
「相手が雪村だから持ってきた話さ
どうだい?やろうよ
僕のこの脳内にある答えを見事に実現させてみせて
雪村がやってくれる事で僕はさらにこの病の深層に辿り着けるかもしれないんだからね」
やるかやらないかと聞かれたら、私の答えはやるしかないが…
「僕は雪村と違って、本に忠実じゃない
自分の思い付くありとあらゆるものを片っ端からやって正解を導き出すよ」
「貴方の発想は嫌いではありませんが、博打が多いのは性格上合いませんね
でも、いいでしょう…
唯さんが少しでも長生きできるなら私は失敗を恐れない」
もう後2ヶ月少ししか彼女の命は残されていない
この二ノ宮の提案する手術が成功すれば僅かではあるが1年ほどの延命ができると言うのだ
私は彼女を失いたくない
この話は私にとって願ってもない事だった
「雪村~!いつも僕の答えを正解だと実現してくれるから今回も頼りにしてるんだよ~?
今回はちょっと複雑な部分もあるから僕も手伝うしねぇ
よ・ろ・し・く・♪」
二ノ宮にとって興味がある事は病を治し人を救うではない
この男にとってそれはおまけであって
自分の導き出した答えが正解であるかどうかを確かめる事にあった
悪く言えば、人を実験台に見ている
良い結果を出しているから良いんだよって本人は飄々としているが
…とにかく、これだけの事をするなら他の医師達の協力も必要か
私は二ノ宮を同席させて、他の医師達の協力を仰いだ
この病院でも前から二ノ宮の奇抜な発想はなかなかの高評価で、興味がある医師はたくさんいる
二ノ宮の言う事ならそれと私がいるなら、と未知の病への開拓の1歩となる事に賛成だった
唯さんの延命手術の話はまとまり、本人の確認後に手術の準備が整い次第近いうちにとなる
話が終わり、会議室を出て廊下を歩いていると後ろから声をかけられた
「雪村先生」
振り向くと隣の二ノ宮が私の名前を呼んだ女性を見て騒ぎ出す
「わーーー!朝日奈先生じゃ~~~ん」
昔から美人に弱い男だったな
しかし、朝日奈先生は私の隣にいる二ノ宮には目も向けずに私の目の前まで駆け寄った
「どうかしましたか?朝日奈先生」
朝日奈先生は私と同期であるが、仕事上でもあまり関わりがなく話した事は数えるほどだ
物静かな性格の女性だからか、顔を合わせても挨拶を交わす程度だった
「あの…先程の宮崎さんの延命手術のお話なのですけれど」
元々話下手な人なのだろうか?遠慮がちで少し声が小さく聞きづらい
「その…雪村先生が全額手術費用をお出しすると言うお話は……
少しどうかと思いまして…私情を挟みすぎでは…ございませんか…」
「はい?」
…何故この人にそのような事を言われなければならないのだ
仕事に私情を挟むのは良い事でないのは言われなくてもわかっている
しかし、相手が人であるのならたまには私情を挟む事もあるのは私だけではないはず
私達はロボットではないのだから
唯さんの今回の手術費用はとてもじゃないが彼女では払えないものだ
彼女にはもう時間がない
私は1日でもいいから、彼女を長生きさせたいのだ
この想いの前には仕事どうこうのとは言ってられない
唯さんの余命の事は朝日奈先生も知っているだろう
それでも仕事に私情をと言えるのか…
朝日奈先生は俯いてしまったが、すぐに首を横に振って顔を上げて私をまっすぐ見つめた
「いいえ…いえ、違うのでございます!
雪村先生が費用を出すと言うのであれば私もと思いまして…」
「…………………。」
私は必死に何かを伝えようとしてくれる彼女に対して黙る事しかしなかった
気付いていても、私は最初の朝日奈先生の発言にあまり良い印象を持てなかったから
「私は…雪村先生のお役に立てるなら…どんな事でも協力したいと思っておりますので
…それでは失礼致します」
あまり話を続けたくない私の雰囲気を感じ取ったのか朝日奈先生は深々と頭を下げた後、逃げるように行ってしまった
「雪村…」
朝日奈先生の姿が見えなくなると隣で珍しく大人しかった二ノ宮が大きなため息をつく
「嫌な女でしたね」
そして私の言葉にキレた様子を見せた
「何言ってんの!?
朝日奈先生は天使だよ女神なんだよ!!
雪村なんか豆腐の角に頭ぶつけて死んじゃえばいいのに」
豆腐で死ねる気がしない
二ノ宮は私が朝日奈先生を誤解してると熱く語りはじめた
「朝日奈先生は見ての通り美人!今時珍しい黒髪色白清楚!さらに物静かでも凛としていてその姿はまるで一輪の百合のようにはかなげ!!
雪村並におモテになるんだかんな
僕もファンの1人でついこの前フラれたんだよねぇ」
「ご愁傷様」
フラれた割には元気な男だな
「朝日奈先生は僕以外にも沢山の男達からアプローチされてるんだけどさぁ
しっかりと断るんだ
雪村先生が好きだからって律儀に答えちゃってさ
その一途で健気で純粋な所も大人気で、フラれても諦めない奴らばっか」
二ノ宮は続けて、朝日奈先生は老若男女誰にでも優しい
心から他人を心配していつも全力で努力家、まさに女神のようだと褒めちぎった
このストーカーは何故そんなに朝日奈先生の事に詳しいんだ…
「そして、何よりあの巨乳だよ!!!」
…最後まで話を聞いた私が馬鹿だったのかもしれない
「………………。」
「ゴミを見るようなその目!傷付くねぇアハハ
でも、雪村はいつも言ってたじゃん
余裕のない時に出る性格がその人の本性じゃないってさ
今僕が話した朝日奈先生が本物だよ
雪村はこういう事は言わないとわかんないんだろうけど
さっき朝日奈先生が言ってしまった言葉は、雪村が小鳥ちゃんの事ばかり気にかけるから嫉妬したんでしょ
本当は言いたくない言葉が勝手に出てしまう
きっと朝日奈先生はさっきの自分をとても後悔している
朝日奈先生は小鳥ちゃんの病気の事をいつも心配していたし
本当に…優しい女性だからね」
ここまで二ノ宮が必死に話す女性なら、二ノ宮の言う通り本当は心優しい女性なのだろう
美人に弱い二ノ宮でもいつもはこんな事を言わない
二ノ宮が朝日奈先生を庇う発言をするのは、相当惚れ込んでいるのかもしれない
「僕は今回は本気だよ
朝日奈先生が好きだから、雪村には負けないしね」
「わかりました
二ノ宮がそこまで言うなら…朝日奈先生の事は私の誤解ですね
でも、私には関係のない事です
私は朝日奈先生に対して特別な感情はありませんから」
「ふ~ん…本当にそうかな?
雪村が朝日奈先生に特別な感情がなくても、雪村にまったく関係がないとは言いきれないよ~
人を好きになるって、あぁ言う事だからね」
そこまで言われて私は気付いた
今まで恋愛に興味がなかった私は他人に習った通りの心理的なアドバイスはできても
本物を知ったばかりの自分にはそれに気付く事ができていなかった…
「それは…私も朝日奈先生のように、嫉妬して誰かに言いたくない事を言ってしまうと……」
「かもねぇ
でも、僕は雪村が心の強い奴だって信じてるよ」
嫉妬をするのは自分が相手より劣っていると感じた時
今、唯さんの1番近くにいるのは私だ
私は彼女の担当医で、あの病室に唯さんが来てから私以外とあまり話をする事がないのだから……
嫉妬なんて…私には無縁だ
これからも、きっと…
次の日、私は朝早くから唯さんに延命手術の説明をしようと病室へとやってきた
唯さんはちょうど和也くんへの手紙を書いている所で、私は終わるまで待つと言う
「もう書き終わったので大丈夫です
後はいつもの看護婦のお姉さんに渡してポストに入れてもらうだけ」
そういえば、いつも唯さんは和也くんへの手紙を読む時も書く時も嬉しそうにしていたが
今日はいつもと違って元気がないな
「元気がないようですが」
私が聞くと唯さんは
「…やっぱり雪村先生にはわかっちゃうんですね」
弱々しく笑った
「私、後2ヶ月少ししか生きられないから
もう和也と楽しいお話はできないの
和也には心配かけたくないので余命のコトは言ってません
私は…ずっと和也に伝えなきゃいけない事が、伝えたい事がありました
それを今日書きました
きっと、和也はいつもと違う私を心配するでしょう
でも私は和也には私の分まで幸せになってほしいから…」
「…………………。」
少しだけ唯さんの頑なに閉ざされた心の隙間が見えたような気がする
命の終わりが近付くと心の壁も脆くなっていくのかもしれない
唯さんは今日の手紙で和也くんに伝える事で最期の日を後悔しないようにと言っているのに
私は何故か全てを伝えていないと感じた…
もっと何か…唯さん自身も気付いていない事があるのではないか
「あっ、すみません…
なんか暗くなっちゃって、雪村先生は私に何かお話があるんですよね?」
私を目の前にした唯さんは気持ちを切り替えて笑ってみせた
「貴女は…過去からの離脱を図りたいと思っていましたね」
「えっ?」
きっと彼女が過去から救われるのは自分1人だけでは無理な事だろうとは思っていた
それでは誰が彼女を救えるのか
答えはわからない
わからないなら、私が唯さんを救う人でありたい
そうなりたいと思うのです
「私が必ず貴女を救ってみせます」
それにはまだ時間がほしい
今回の延命は貴女と共に過ごす時間がほしいだけじゃない
私に貴女を救う時間がほしいのだと言う事も
唯さんに手術の話をするととくに驚く事もなく静かに聞いているだけだった
「……私、その手術が成功すれば後1年は生きられるんですね
私は焦ってました
死ぬコトなんてちっとも恐くなくても、後2ヶ月ちょっとでどうやって過去から解放されるの?って
私はずっと過去に囚われて、こんなに生きていても死んだような苦しい気持ちのまま死にたくない」
死ぬ時は笑っていたいと唯さんははじめて私の前で弱音を吐いた
今までにも何度か落ち込んでいる様子はあったが、何を心が感じているのかを話してくれた事はない
話してくれなくても、私には唯さんが何を抱えているかは少しは想像できている
あの事件の事を調べて知っているから
「雪村先生が…私を助けてくれるの…?」
私は今の唯さんを見てはじめて自分は頼られたのだと思った
今にも生き絶えてしまいそうなその弱々しさに、私はそっと唯さんの手を掴んだ
どんなに彼女が自分を否定し価値がないと思い込んでいても、その手は温かく他の生きている人と何も変わらない
愛しい人に触れると、私は本当にこの人を愛しているのだと気持ちが溢れてくる
近くにいるだけで心が安らいで
自分を見てもらえたら、会話を交わす事ができたら
最終的に結ばれたら…どれほど幸せな気持ちになるのだろう
私が貴女を好きだと思う気持ちは、他の人が自分の愛しい人へ想う気持ちと
何も変わらないのに…
私は唯さんの手を取るとそのまま自分の口元に持っていき、指先にキスを落とした
「……雪村先生、どうしたんですか?」
「…………………。」
何の反応も示さない彼女の手も表情も、人ではあっても
今の彼女には人らしい愛がまったくなかった
それらを理解できなくなっていたようだ…
伝わらない
このままでは私の想いはかけらも彼女には伝わらないだろう
私は彼女に…愛を取り戻させてあげる事ができるのだろうか
過去から救い出せるのか
私がどんなに彼女を愛しく想って手を繋いでも言葉にしても、それが今の彼女に届く事は決してなかった
-続く-