SCORE4: DESPERADO☆2
翌朝。ロドリコが郵便受けを開けると朝刊の下に一枚、葉書が入っていた。
両手で角を持ってロドリコはその新しい葉書を見つめた。
「!」
背後で足音がした。ギョッとして振り返ると、そこに立っていたのは今にも泣き出しそうな顔の甥っ子のGFだった。
「やあ、おはよう、ジジ。どうかしたのか?」
「ギャリーは何処?」
「え?」
ロドリコは少女の言う意味がわからなかった。ジジは目に涙を溜めながら、
「彼、いないのよ! 先に行っちゃったんだわ!」
「それは──気づかなかった」
数年来、朝食はロドリコが作ってきた。だが、ここ数日は、ギャリーは勝手に食べて出て行っていた。それというのも、ロドリコが小部屋に篭りきりで、朝、キッチンに立たなくなったせいだが。
「昨日だって」
少女は栗色の髪を嵐のように振った。
「ギャリー、午後の授業をサボったのよ。車は校内の駐車場に止めっ放し。でも、何処にもいなかった。心配で、私、放課後この家にも寄ったけど、その時はまだ帰ってなかったわ。ねえ、ロドリコ、ギャリー、昨日は一体いつごろ帰って来たの?」
「いや、俺は、その──」
ロドリコは認めざるを得なかった。
「それも……気づかなかったよ……」
クルッと背を向けてもうジジは駆け出していた。
その朝、ギャリーとコニーは、コニーの愛車でとっくに登校していた。
数学の教室で、二人は前後に座って授業を受けていた。
教室の後ろのドアが突然開いて、今年大学を卒業したばかりのドナルド・ハウエル教師は威厳を正してそっちを見た。
「バージニア・ハーディング? 遅刻だぞ。もし正当な理由があるのなら規定どうり保護者のサイン入りの書付を提出──」
ジジはズンズンと教室に入って来た。窓際の列を真っ直ぐに歩いて、後ろから三番目の処で立ち止まる。手を振り上げて、そこに座っていたコニー・ヘイルの頬を打った。
乾いた音が教室に響き渡った。
だが、コニーはある程度予想していたのか、さほど驚かなかった。
驚いたのはその前に座っていたギャリーの方だ。
ジジを止めようと慌てて立ち上がる。ジジは振り向きざま今度はギャリーの頬を打った。
ジジは校内有数のテニスプレイヤーである。のみならず、体を反転させたその勢いがついていたせいもあって、ギャリーは吹っ飛んだ。
机にぶつかり、椅子もろとも床に倒れた。
ジジはそのまま近くの空いている席に座った。
あまりのことにハウエル教師始めクラスメイト一同は、ただ呆然と一部始終を静観するばかりだった。
コニーは席を立つと、まず横倒しになった机と椅子を元通りの位置に直してから、何が起こったのかまだよく飲み込めていないギャリーの腕を取って引き起こし、座らせてやった。
ジジが机に突っ伏して大声で泣き出したのはこの時だ。
「ウワァァァーー……」
それを合図に、宛ら、魔法が解けたお伽話の〝眠れる森〟の城内のごとく一挙に教室が騒然となった。生徒たちは皆、号泣しているジジと叩かれた二人を交互に見て意見を言い合う。
新任のうら若き教師はこの事態をどうやって収拾したらよいのか皆目見当がつかなかった。
ギャリーがジジを捕まえられたのは、やっと放課後になってからだった。
その日一日中、休み時間になると友人たちがスクラムを組んで壁を作りギャリーをジジに近づけさせなかった。そして、冷たい批難の視線をギャリーに投げつけた。
放課後、ジジの友人の一人、アニスンが自分のBFの車でジジを家まで送り届けると声高らかに宣言した。駐車場でライムグリーンのマツダに乗り込みかけたジジをギャリーは何とか呼び止めることに成功したのだ。
五分だけよ、とアニスンは指を立てて警告した。それで、駐車場横の、園芸部員が丹精込めた小庭園にギャリーはジジを引っ張って行った。
「謝るよ、ジジ。今朝のことは本当に悪かった。俺、おまえのこと丸っきり忘れていたんだ。ごめん」
ジジの頬が傍らのオールローズと同じ色に染まった。
「あ、謝るのはそのことなの? 私に謝るのはそれだけ?」
「ああ、それからもう一つ。俺、もうおまえの送り迎えできない。ごめん」
ジジは静かに息を吸った。それから、爆発した。
「それだけ? それだけ? それだけ?」
胸に抱きしめていたピンクのバックパックがギャリーの顔面に飛んで来た。
すんでのところでギャリーはそれを避けたが。
「私に謝らなきゃならない、もっと肝心のことがあるはずよ! それは言わないのね?」
「?」
ギャリーのキョトンとした顔を見てジジは叫んだ。
「コニーとの関係よ! この恥知らずっ!」
顎を引いてギャリーはジジを見た。普段のジジだったら怯んだかも知れない。こんな目を向けられたのは初めてだ。そもそも、ギャリーがこんな鋭い眼差しを持っていること自体、初めて知った。
この数日間に〝初めて〟のなんと多いことか……!
「コニーのことで俺はおまえに謝らなきゃならない憶えはないけど?」
「何ですって?」
「俺は、初めて真剣に人を好きになったんだ。だけど、そのことで──コニーに恋したことでおまえに謝る必要はないはずだ」
「あなたは私を裏切ったわ! その自覚もないっての?」
ここでギャリーの目が柔らかくなった。本気で何かを考えている時の癖で顔を伏せて肩先の髪を引っ張る。
「……確かに、俺はおまえのBFだったけど。でも、将来を誓ったわけじゃないよな? フィアンセでもないし」
「わたしは愛していたわ」
ジジはきっぱりと言った。もっと言ってやっても良かった。それは、つまり、こういうこと。
去年、あなたと初めて寝て以来、他の男と寝たことはないし、寝るつもりもなかった。これからだって、あなたがいる限り、永遠に。
「俺も、好きだったよ。でも──」
ジジは気づいた。髪を引っ張り続けるギャリーの向こう。駐車場の果てで、真新しい四輪駆動のドアに寄りかかって立っているコニー・ヘイルの姿。
ギラギラしてるのはあの新品のフォードなのかコニー自身なのか、ジジには見極められなかった。
あのクソブロンド、ギャリーを待っているんだわ。私を振って、戻って来るのを……
「──愛してるのはコニーだけだ。正直に言うよ。今までの人生で、俺をこんな気分に駆り立てのは彼だけだ。おまえには」
「私には?」
「こんな気持ち抱いたことはなかった」
ジジは目を瞑った。
「わかったわよ! これぞ〝We've ended as lovers〟ってわけね?」
ジジは目を開けて自分からケリをつけた。
「とても誠実で、真剣な愛の告白をありがとう」
ジジがそう言った時、ギャリーはオールドローズの繁みの中にいた。
ジジがさっき投げ飛ばしたバックパックを取りに入ったのだ。そういうところがいかにもギャリーらしい。今までの、私の知っているギャリーだ。ジジは喉が詰まった。
「その正直な告白のお返しに、私からも、一つだけ忠告するわ。ギャリー、あんたたちの愛とやら、真実かも知れないけど地獄の愛よ。おぞましくて危険過ぎる。あんた、絶対、後悔するから!」
「そんなの、構うもんか!」
ギャリーは笑った。その笑顔があんまり清々しかったので、ジジは圧倒された。
「天国とか地獄とか……俺が気にすると思うか? コニーのいるところが俺の世界だよ。そこが何処だろうと、俺は奴の側にいたい」
「そこまで言う?」
「言うさ!」
拾ったバックパックを差し出す。
「あ、ギャリー、待っ……」
ジジが右手を伸ばしたが、その時にはもうギャリーは駆け出していた。
駐車場の果て──ジジには実際、この世の果てに思えた──で駆け戻って来たギャリーを迎えたコニーが素早く腕を伸ばしてギャリーの頬に触れるのが見えた。
(薔薇の棘で切った血を拭い取ってるんだわ……)
私も気づいてた。私のほうが先に気づいてた。
でも、私は触れられなかった。私の指は届かなかった。
ジジは心底思った。
何が、聖画よ? あの穢れた悪魔。
私のギャリーを……正真正銘の天使を返してよ……!