SCORE3: OL'MAN RIVER☆1
弟子たち互いに顔を見合わせ
イエスの愛したもう一人の弟子
イエスの御胸に寄り添い至れば
彼 そのまま 御胸に寄りかかりて……
寄りかかりて……寄りかかり
「罰当たりめっ!」
ギャリーは羽根布団を蹴って飛び起きた。
暗闇の中で自分の罵声だと気づくまで息を潜めていた。
夢を見ていたのだ。
夢の中でギャリーはヨハネになっている自分を見た。勿論、主イエスは──
「──」
頭を振る。ベッドから足を下ろすと裸足の足の裏に床の冷たさが心地良かった。
思えば聖書の中で《ヨハネ伝》が一番好きだったのは、〈最後の晩餐〉の鬼気迫るほど美しい状況描写のせいだ。
(まだ胸がドキドキ鳴っている……)
主イエスの御胸に凭れかかるヨハネの至福──
だけど、愛されていなければあんな真似できっこない。
今、自分は聖画に近づくことさえできないのだ。
「クソッ……」
鬱屈として部屋を出ると階下へ降りた。キッチンへ行ってこっそり伯父の酒をくすねようと思ったのだ。だが、そこには先客がいた。
暗闇の中でロドリコが酒を飲んでいた。
ギャリーは咄嗟にドアに身を寄せた。が、たとえ大声で名前を呼んでも伯父は気づかなかったろう。
そのくらい伯父は泥酔していた。
まるで何かに取り憑かれたようにグラスにウィスキーを継ぎ足して飲み続けていた。
自分の部屋へ引き返してもギャリーは眠ることができなかった。
まんじりともしないまま空が明るくなるのを見ていた。
六時になってからバスルームへ行ってシャワーを浴びた。髪を拭きながら廊下を歩いていると玄関ドアが開いて、新聞を取って来たらしい伯父と出食わした。
「おはよう、伯父貴」
「ああ、おはよう」
伯父は書斎に入って行ったが、その際、ギャリーは見逃さなかった。伯父が新聞の影に葉書を隠したのを。
では、また届いたのだろうか?
(それにしても……どうも変だな?)
ギャリーは濡れた髪を引っ張りながら考え込んでしまった。
どうもあれは、失恋とか、そういう雰囲気じゃないぞ? 昨夜のキッチンでの様子といい、何かを恐れているような……?
だが、それ以上はギャリーには詮索しようがなかった。
朝の車の中でジジは不機嫌で無口だった。
ギャリーも自分からは敢えて言葉をかけなかった。
窓を目一杯開けて音楽をかけっ放しにした。カセットにダビングしたガンゼンローゼスの二枚組の最新版。特にⅡの4曲目が気に入っていて今朝の自分の気分にぴったりだった。
例によって、学校ではコニーを見て過ごした。
いよいよコニーは透き通って見える気がした。
こうして同じような一日が過ぎて行くだけなのだとギャリーは思ったのだが──
その日の昼休みの校庭で事件は起こった。
それは九月に似合いのよく晴れた気持ちのいい日で、校舎の前庭の芝生の上にはたくさんの生徒たちが思い思いに寛いでいた。コニーもその一人で、楡の木の下で本を読んでいるのを、ギャリーはやや離れた別の木蔭から盗み見していた。
だから、一番早くその状況を察知したのだ。
「いよう、イコン、儲かってるか?」
絶対に関わるべきではない悪名高い不良グループがコニーを取り囲んだ。
リーダーはティモシー・ミラー、通称TMと呼ばれている町議の息子で、手がつけられない破天荒な悪として評判だった。どうして退学にならないのか七不思議の一つに数えられているほど。
コニーは顔も上げず本を読み続けている。
その態度が一層不良たちの癪に障ったようだ。からかう声は一段と大きく、執拗になった。
「なぁに澄ましてんだよ? おまえの正体はとっくに知れ渡ってんだぜ」
TMに続いて腰巾着どもが口々に囃し立てる。
「名門の親父さんに放り出されたってホント?」
「パパー、僕、男が欲しくってたまんないよー!」
「とっととサンセットブールバードへ帰れよ!」
「それとも──ここで商売おっ始める気か?」
「おい!」
ギャリーは自分でも信じられなかった。
気づくと、不良たちの前に立って声をかけていた。
今までの人生の中でこんな真似──人より目立つことなど──一度だってした試しはなかったのに。
「何だよ?」
TMも吃驚して振り返った。
「誰かと思えば、女子に人気のギャリー・ベンチじゃないか! へええ……意外だな? 俺たちに何か言いたいことでもあるのか?」
「そ、そいつに構うのはやめろよ」
TMの目が燦いた。嬉しそうにギャリーとコニーを交互に見て、
「こいつぁ知らなかったな! おまえらそういう関係なんだ?」
すかさずドッと下卑た笑い声が上がった。
「あ、いや、違う。そんなんじゃない。けど──」
「じゃ、なんでこんなクズのチキン野郎を庇うんだよ? お仲間以外にそんな真似しないはずだぜ?」
「だ、だから、俺の言いたいのは、つまり──そんなクズには構うなってことさ」
── 俺、何を言ってるんだ?
だが、もう止まらない。口が勝手に動いた。
「もし、そいつが噂通りの恥知らずなら……関わる価値すらない人間ってことだ。だから、そんな奴、ほっとけよ」
「なるほど! 言われてみりゃその通りだ。いいこと言うじゃないか、ギャリーちゃん!」
ここでまたドッと上がる嘲笑。
ギャリーはチラとコニーの方を見た。
コニーは目を伏せて読書を再開していた。何事もなかったかのように。
風が通り抜けて、木洩れ陽が揺れ、コニーの髪や頬や腕にモザイクのような影を零す。
ギャリーは泣きたくなった。
自分が何をやったかわかっている。自分の手で聖画を粉々に粉砕したのだ。
本当は不良たちから助けようとしたのに。そうするつもりだったのに。
(俺は王子様なんかじゃないよ。尤も──あいつ、コニーもお姫様なんかじゃなかった。)
あの輪の中に足を踏み入れて、身に沁みて痛感した。
コニーは自分なんかより遥かにタフで揺るぎなかった。
全然動じてなかったもの。
ビビッたのは俺の方だ。だから、思わずあんなことを──思ってもない言葉を口走ってしまった。
(最低だよ。こんな……)
午後の授業開始を告げるサイレンが鳴り出した。
点在していた生徒たちがそれぞれのクラスへ向かい始める。
「ギャリー?」
後ろにテニスラケットを抱きしめたジジが立っていた。
「ダメじゃない、あんな連中に関わっちゃ。コートから見てて……慌てて飛んで来たのよ。何ともなかった? 一体──」
「ほっとけよ!」
ギャリーは乱暴にジジの腕を振り払った。
「ギャリー?」
今日はもう授業に出る気はなかった。何をする気力も残っていない。
自分のしでかしたヘマに打ちのめされてギャリーは顔を上げられなかった。そのままフラフラと芝生を突っ切ってグランドの方へ歩いて行く。
遠く、校舎に吸い込まれる生徒の最後の群れの中で、コニー・ヘイルが振り返った。