SCORE2: ONE OF THESE NIGHTS☆1
伯父の書斎のドアをノックして、ギャリーはできるだけ明るい声で言ってみた。
「伯父貴? 夕食だぜ、出て来いよ!」
だが、ドアは固く閉ざされたままだった。
廊下を戻りながらギャリーは呟いた。
「これぞ失恋の痛手かぁ……」
でも、一体いつの間に恋人なんかこしらえていたんだろう?
ずっと一緒に暮らして来たが今日の今日までそんな気配を全く感じさせなかった。
伯父、ロドリコ・ベンチは住居も職業も転々とした。
ギャリーの最初の記憶と言えば、脇腹に板目模様のある水色のワゴン車。そして、通り過ぎる幾つもの読めない町の看板……
そうかと思うと、いきなり標識通りにハンドルを切って、行き着いた町や村に住み着くのだ。
何処と何処に住んだか、ギャリーは今でもはっきりと数えられない。
貧相なモーテルに数ヶ月のこともあれば、今みたいに家を借りて数年のこともあった。
こんな有様だから就いた職業だって種々雑多だ。スーパーの店員が一番多かったが、警備員やタクシーの運転手、材木を運ぶトラックの運転手だったこともある。プールの監視員にアパートの管理人、バーテンダーやパン屋の見習い……だが、何と言っても現在のが飛びきり変わっている。
(教会の便利屋だもんな?)
その名の示す通り、墓地の清掃や柵の修理、結婚式や葬儀の準備に片付け等、高齢で一人暮らしのグリーンセイジ牧師を手伝って雑多な仕事一切を請け負っている。牧師が外出する際の運転手にもなれば日常の食料品の買い出しもする。だが、牧師が叔父を気に入っている一番の理由は伯父のオルガンの腕らしい。
何処で身につけたのやら、ロドリコ・ベンチはかなり見事にオルガンを弾きこなした。一部の人の間では『胸を刔るぐらい』と評されているとか。
とはいえ、ギャリー自身は叔父の演奏を聞いたことはなかった。プライベートでは、伯父は熱心なカソリック信者というわけではないので甥を教会へ連れて行ったりしなかったのだ。
いつだったか──あれはここへ住み着いた間なしの小学6年生の時だ。
学校の帰り、道草をして偶々教会の側を通った際、伯父が高い梯子に登って窓を洗っているのを目撃した。
口を引き結んでステンドグラスの窓を洗っている伯父の姿は不思議な映像としてギャリーの心に刻まれた。青や薔薇色や黄色や緑……様々な硝子片に混じって宙に浮いている伯父の、肩や手や横顔も硝子片の一部に見えてギョッとした。
甥っ子がそんな近くにいて、自分を見ていることをロドリコは知らなかったろうが。
後になってその光景を思い出すたびにギャリーは苦笑せずにはいられなかった。
伯父がステンドグラスの一部に見えたのはある意味当たっている、と思えたから。
そのくらい伯父のロドリコは無口でクソ真面目で──要するに血肉を持った人間というよりは硝子片に近く感じられた。
そんな叔父が恋をしていたとは……!
それはいつのことだろう? この街に来てから? それとも、ここ以外の何処かの地で?
(恋に時間なんて必要ないこと、俺だってもう知ってる……)
一人で食卓に着いたギャリーの胸に、今日見たコニー・ヘイルの面影が鮮やかに蘇った。
(畜生! まだ一度だって言葉すら交わしてないってのに……)
俺をこんなに占領するのかよ? おまえ……コニー……?
頭を振って、コニーを心から締め出した。あんまり胸が苦しくなるから。
「伯父貴だって、今日まで俺を育てる以外に色々あって当然だよな?」
口に出して言った後で、改めて伯父について何も知らない自分に気づいた。
知らないのは伯父だけではない。
実はギャリーは母についても、辛うじて〝アナ〟と言う名前を知っている程度だった。
自分を産むとすぐ死んでしまったと言う伯父の言葉を信じた。写真が一枚も残っていないと言う言葉も。信じる以外なかったから。
妹の息子である〝自分〟を伯父がどういう経路で引き取ったのか、そもそも、〝自分〟の父が誰で、今現在、何処で何をしているのか、生きているのか死んでいるのか、ギャリーは聞いたことは一度もなかった。
〝父〟という言葉はギャリーと伯父の間では死語に値した。
触れたら爆発する地雷のごとく慎重に、そして、巧みに、お互いの胸の奥深く埋められているのだ。
「ロドリコの調子はどう?」
翌日、顔を合わせるとすぐジジは訊いてきた。
それに対して、ギャリーは曖昧に答えた。
「うん、変わりないよ。つまり、〝部屋に閉じ篭りっきり〟ってことで」
それきりギャリーはハンドルを握り締めて運転に集中している風。
考え事をしている時の気難しげな眉間の感じがロドリコにそっくり、とジジは思った。
実際のところ、ジジはギャリーと違ってロドリコに恋人がいたと知ってもさほど驚いていない。
(あんな素敵な独身男、ほっとく方がおかしい。たとえコブ付きでもね?)
この小さい街でもロドリコを狙っている女はたくさんいた。
そう言う噂、じゃ、ギャリーは全く知らなかったのかしら? ホント、鈍い、ネンネなんだから。まあ、そこがまたキュートなんだけど。
(もはや──)
ギャリーは思っていた。
もはや伯父貴の恋愛問題をあれこれ心配する余裕は俺にはない。
俺は俺自身の欲望で手一杯なんだから……
とはいえ、学校における状況は変化なし。今日も授業中、唯黙ってこっそり見てるたけ。
「ねえねえ、ジジ、聞いた? ショックよねえ?」
昼食の時間、カフェテリアでランチを食べているとまたしても賑やかなな一群が割り込んで来た。
「本当かしら? だとしたらガッカリだわ!」
対して勝ち誇ったようなジジの声。
「私は別に。ハナからコニー何て気にかけちゃいないもの」
── コニーだって?
それまでボソボソとサラダスティックを囓っていたギャリーが感電したように椅子から跳び上がった。
「おい、何の話だよ?」
隣でジジが苦笑する。
「あなたには関係ないわよ。コニー・ヘイルの話よ」
── 馬鹿野郎、関係大有りなんだよ!
「あら、知らないの、ギャリー? それがねぇ」
校内情報通一、二位を争うメリッサ・グレイが素早くトレイをギャリーの横に置いた。
ジジは露骨に嫌な顔をした。
「やめてよ、この人、超純情派なんだから。あんな話聞きたくないわよ」
「だから、何のことだよ?」