SCORE5:STAND BY ME☆1
自分の車は木曜日からずっと学校の駐車場に置きっ放しだという事実をギャリーが思い出したのは家を飛び出した後だった。
ジーンズの尻ポケットを探るとキィホルダーに指が当たった。それで、腹を決めて学校へ向けて歩き出したところ、クラクションが鳴って茶色い車が真横に止まった。
郡保安官の車だ。一瞬、緊張したが、降りて来た人を見てホッとした。
ゲイル・ラフト保安官は伯父に気があると噂になっているのをギャリーも知っていた。
小さな町のこと。結婚式や葬式の際、教会前の交通整理に駆り出されるのでロドリコと顔を合わせる機会がちょくちょく有り、それで知り合ったのだ。恋が芽生えたかどうか、そこのところまではギャリーには知りようがなかった。仕事以外で二人が会っている気配はないように思えたが。
「こんな時間にどうしたの?」
首の後ろで一つに束ねた赤い髪を制帽に入れ直しながらラフト保安官は訊いてきた。
ギャリーは本当のことを言った。
「伯父貴とやりあったのさ。喧嘩して飛び出して来たとこ」
そう言ってしまえば嘘をつくよりそれ以上詮索されないと思ったから。
案の定、ゲイルは細かいことは聞かず、その上、ギャリーを学校まで乗せて行ってくれた。
校門でギャリーを下ろす時、ごくさりげない口調でゲイルは訊いた。
「最近、ロドリコを見ないけど? 牧師に聞いたら体調を崩して寝込んでるって。大丈夫なの?」
瞬間、ギャリーは例の葉書の主はこの人だろうか、と考えた。それから、すぐ、そんなのどっちでもいいや、と思い直した。伯父のことなどもう関係ない。
ドライブウェイに入って来た車のタイヤの軋む音を今度もコニーは聞き漏らさなかった。
宿題のノートから顔を上げると急いで窓へ走って下を窺う。
九月の闇の中、玄関前に停止した車がギャリーのアキュラだとすぐわかった。
コニーは階段を駆け下りた。呼び鈴を押して欲しくない。
コニーがドアを開けたのと倒れ込むようにギャリーが飛び込んで来たのはほぼ同時だった。
「ギャリー? どうした?」
「酷いぜ、畜生!」
ギャリーはコニーのTシャツを握って叫んだ。
「伯父貴がいきなり引っ越すって──」
背後でリビングルームの扉が開く音がする。
「俺が帰ったら、もう粗方荷造りを終えてて、それで、明日にはこの町を出てくって──」
コニーが自分の肩に置いた手に力を入れたのに気づいてギャリーは喋るのをやめた。
「?」
コニーが目配せして言った。
「とにかく──外へ行こう。ここじゃまずい」
「何故さ? 誰かいるのか?」
反射的にギャリーはコニーの肩越しにリビングルームへ目をやった。薄く開いた扉の影になってはっきりとは見えなかったが誰か人が立っているのはわかった。
「──」
コニーはギャリーの姿がリビングの方からは見えないように自分の体を盾にして玄関を摺り抜けた。
ギャリーは聞かずにはいられなかった。
「誰だ、あいつ?」
「いいから」
コニーは玄関前に停めてあったギャリーの車の助手席にそのままギャリーを押し込むとグルッと回って自分は運転席に跳び込んだ。急発進して車を出す。
郡道へ出るまでギャリーは助手席の窓に凭れて片手を頬に当てたまま口を閉ざしていた。
闇に沈んだ舗装道路を睨みながら、最初にギャリーが言ったのはこんな台詞だった。
「まだやってんのかよ?」
アキュラのハンドルを握りながら至ってクールにコニーは応じた。
「何の話だ?」
ギャリーはと言うと、ちっともクールではいられなかった。
「なんで俺に隠すんだよ? あいつ──今、おまえの家にいた男は何者だ?」
コニーから返事はない。
「言えよ」
もう一度、ギャリーは繰り返した。
「言えないのか?」
「落ち着けよ、ギャリー」
「言えないのかよ!」
刹那、コニーは凍りついた。いきなりギャリーが飛びかかって来て、ハンドルを掴んだのだ。
「ギャリー!?」
ハンドルにしがみついてギャリーが叫ぶ。
「なら、俺が言ってやる! あいつは……おまえの客だ!」
宛ら、映画館のスクリーンを見るごとくフロントガラスにトラックが大写しになった、と思った途端、身の凍るような亀裂音とともに真横に飛び去った。
数秒の差で──正面衝突の大事故だった。
「ツッ」
ギャリーを押しのけハンドルを奪い返したコニーが、トラックのけたたましいクラクションとその運転手の罵詈雑言を浴びながらゆっくりと車を正しい車道へ戻した。
事故を演出した張本人は、それについては全く反省の様子もなく助手席でコニーを詰り続けている。
「畜生! 酷いぜ、このチキンが」
(〝死のチキン〟はてめえの方だろうが!)
コニーは思ったが黙っていた。空いているスペースを見つけて車を止める。
ギャリーはまだ罵るのをやめていない。
「俺は……俺は本気でおまえのこと愛したのに……酷いぜ? 他にも男を連れ込むなんて! 所詮」
「ギャリー、落ち着けよ、頼むから」
「所詮、おまえは遊びだったのかよ? 俺をからかって面白がっていたのか?」
コニーは金色の髪の中に指を突っ込んで頭を抱えた。困り果てていたが、ふいに聞いてみたい衝動に駆られた。
「だったらどうする?」
「え?」
「遊びだと言ったら……からかっていたとしたら、俺をどうしたい、ギャリー?」
「ぶち殺してやるっ!」
次の瞬間、言葉通りにギャリーは助手席から飛びかかって来てコニーの首を絞めにかかった。
「!」
これには流石にコニーもド肝を抜抜かされた。
コニーの腕力が優っていたからいいようなものだ。ハンドルを奪い返した時同様、今度も、最終的にコニーはギャリーの腕を振り解くと、逆に後ろ手に締め上げた。
「わか、わかったよ。ギャリー、この……落ち着けって」
「放せ! 畜生!」
その状態でもギャリーは喚くのをやめなかった。首を振って暴れているギャリーをコニーは惚れ惚れと見下ろした。
「知らなかったよ。ホント、おまえって、物凄いんだ?」
「うるさい!」
ギャリーは子馬のように暴れている。真っ黒い鬣を振って。
コニーは落ち着くのを待つことにした。
勿論、腕の力は緩めなかった。放したら、こいつ、何をするかわかったもんじゃない。
暫くして、漸くギャリーは暴れるのをやめた。
座席に頭をつけたまま、コニーがそれまで見たことがない笑い方をしてみせた。
背筋が凍るほどの凶暴な微笑。
「ひょっとして、そうか? おまえにとって俺は〝遊び〟ですらなかったのか? 俺にも請求書を届けるかい? 後でゴッソリと?」
舌を出して唇を舐める。さっきの車内での格闘でどこか切ったらしく血の味がした。生臭くて甘くてコニーの味を思い出した。
「よく考えりゃ、おまえ、物凄うくサービスしてくれたもんなあ?」
「いい加減にしろよ!」
これにはコニーも切れた。ギャリーの両腕を背中に押さえつけたまま座席に深く捻じ伏せると怒鳴った。
「人が黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって──言いたいことはそれだけか?」
「まだあるさ!」
もう一度唇を舐める。これは俺の血の味。コニーのはもっと苦い。クソッ……
「俺に殺させてくれないなら……俺に殺されるのが嫌なら……なら俺を殺せよ! たった今!」
「おい?」
ギャリーが泣いているのをコニーは気づいた。
「俺はもう行く場所がない。伯父貴んとこは飛び出して来た。そんなのは平気だった。おまえさえいるなら。全てを投げ出しておまえの元へ一目散で走って来たのに。おまえにとって俺も〝お客の一人〟でしかないってわかった以上……殺せよ!」
「もう無茶苦茶だな? わかってるか? おまえ論理が破綻してるぞ。落ち着いて整理して言ってみろ。さあ、一体俺に何が言いたいんだ?」
「──」
そう言われると色々あり過ぎて自分でもわからなくなった。それで、結局、一番伝えたいことをギャリーは言った。
「愛してるんだ」
コニーは手を離した。
「……俺もさ」
それから、運転席に腰を落とすと、ボソリと告げた。
「親父だよ」
「え?」
「家にいたの、ありゃ、俺の父親さ」
何台かヘッドライトを燦めかせて車が横を通り過ぎた後で、ギャリーが言った。
「なんで、それ、早く言わないんだよ?」
コニーは大笑いした。
「おまえが言わせてくれなかったんだろ? ハンドル奪ったり、事故りかけたり、果ては首を締めたりしてさ?」
ギャリーは真っ赤になって目を逸らした。コニーはニヤニヤ笑っている。
「ほんと! おまえ凄いんだな? 〝情熱的〟って意味、俺、今日、初めて学んだよ」
また一台、暗い郡道を車が通り過ぎて行った。
「……」
狭い車内では何処にも逃げ場がなくて、恥ずかしさの余りギャリーは頭を自分の膝の間に深く沈めた。
コニーはそんなギャリーを引き起こすと抱きしめた。
「ほんっと……物凄い……」