SCORE1: WE’VE ENDED AS LOVERS☆1
その朝、いつものように何気なく新聞を引き抜いた時、ギャリーはハッとした。
葉書が一枚、ブリキの郵便受けの縁に引っ掛かって、落ちた。
憶えている限り郵便物が届くのは稀だ。まばらな芝生の上から拾い上げて、もっと驚いたことには──そこにはたった一行。
《 We've ended as lovers 》
「何だ? こりゃ……」
ギャリーはひっくり返して差出人のところを見た。
台所では伯父が朝食の準備をしていた。新聞を小脇に挟んで入った来たギャリーに向かってフライパンを揺すりながら訊く。
「おはよう、ギャリー。どうかしたのか? 朝っぱらから妙な顔して」
ギャリーはさっきの葉書を翳しながら、
「〝ルーポ〟って、伯父貴のこと?」
途端に鈍い音が響いてギャリーは葉書から目を上げた。
オムレツが床に落ちてグチャグチャになっていた。だが、ギャリーが一番吃驚したのは伯父の顔つきだった。
「何だって?」
「あ、いや、変な葉書が来てるんだよ。差出人は書いてない。消印はLA。宛名が〝ルーポ・ベンチ様〟だってさ! ベンチは俺たちの苗字だけど……ルーポは伯父貴の名のロドリコのもじりか何かかい? にしても、内容もこれまたサッパリわっかんねー! 〝We've ended as……」
ロドリコは甥っ子から葉書をひったくった。
ただならぬ様子にギャリーは呆気に取られた。
伯父は片手にフライ返しを持ったまま葉書を凝視している。その顔は真っ青だった。
「一体どうしたんだ? その葉書が、何か?」
「何でもないっ!」
ロドリコはもう一度、今度は弱々しく言い直した。
「何でもない……」
それから、台所を横切って、書斎として使っている小部屋へ入って行った。
少し迷ったがギャリーはドアの前まで行って声をかけた。
「伯父貴? 大丈夫かい?」
小さく返事が帰って来た。
「ああ、大丈夫だ。いいから、ほっといてくれ」
「何やってんのよ、ギャリー!」
ギャリーが床に落ちた卵の残骸をキッチンペーパーで拭き取っていると裏口のドアから少女が駆け込んで来た。
「ああ? おはよう、ジジ」
「おはようじゃないわよ。やーね、まだ用意できてないの? 遅刻しちゃうわよ?」
GFのジジはピンクのバックパックをテーブルの上に置いた。それから、改めて床に屈み込んでいるギャリーを見つめた。
「何かあったの?」
「俺じゃなくて伯父貴の方」
床からギャリーは書斎のドアを指差した。
「変なんだよ。ブッ飛んじゃって。酷く取り乱してるみたいなんだ」
「ウッソー! あのクールな伯父様が? 信じられないわ!」
「俺だってさ。あんな顔、初めて見た」
ギャリーは赤ん坊の頃からずっとこの伯父と二人で暮らして来たのだ。
「第一、知らなかったな、伯父貴に恋人がいるなんて」
ジジが聞き返す。
「え?」
「いや、〝いた〟か。やっぱ、ありゃ、振られたんだな?」
怪訝そうなGFの栗色の髪に唇を寄せてギャリーは教えてやった。
「今朝、葉書が届いたのさ。そこにたった一行。〝We've ennede as lovers〟」
ジジは即座に納得した。
「まあ! それじゃショックを受けて当然だわ」
「でも、あの伯父貴が、だぜ? あーんな堅物が、たかが恋の一つや二つであんなに動揺するとは……イテテテ!」
いきなりジジに耳を引っ張られてギャリーは叫び声を上げた。
「な、何するんだよ?」
「あなたってば、ホント、デリカシーがないのね? でなきゃ、ガキってことだわ! 恋人を失うのは人間にとって何にも増して悲しく辛いことよ!」
ジジは真顔で言った。ほんのりと上気した頬から鼻の頭にかけて散っている雀斑が夜明けの空の星のようだ。
「それを、平気で〝恋の一つや二つ〟だなんて! そんなこと言うのはあなたがまだ本当の恋を知らないって証拠ね?」
「な、何でおまえが怒るんだよ? それって俺の問題だろ?」
「ホント! 救いようがないわね!」
ジジはバックパックを掴むと玄関へ向けて歩き出した。
「つまり、私のことどの程度に思ってるか、よーくわかったわ!」
「わっ、たっ、待った、ジジ……!」
ギャリーも駆け出した。通学用のバックパックとコットンセーター、それから愛車のキィを掴むと恋人の後を追って玄関を摺り抜ける。磨硝子を嵌め込んだドアが聞き慣れた音を立てて軋んだ。
「そりゃないぜ! ヤブヘビだ! 待てったら、ジジ!」
賑やかな若者たちをよそに書斎のロドリコは樫材のビューローに深く屈み混んだまま手の中の葉書を見つめていた。
学校の駐車場に几帳面に車を止めて、キィを引き抜きながらギャリーは悪態をついた。
(ったく! 伯父貴といい、ジジといい、俺にとっちゃあ今日は厄日だぜ!)
「あら!」
正面玄関前の階段を上るとすぐジジが声を上げた。
びっしりとロッカーが並んだホールがざわついている。
「この雰囲気──転校生かしら?」
「アッタリー!」
少女たちの波がドッとジジとギャリーに押し寄せる。
「それも飛び切りの上玉よぉ!」
「こんな田舎町に信じられない贈り物!」
「へえ? 聞き捨てならないわね?」
ジジがギャリーを横目で見ながら言った。「そんなにいい男なの?」
(朝の仕返しをしてやがるな?)
ギャリーはピンときたがここは自重して黙って自分のスニーカーを見ていた。
「いい男なんてもんじゃない、あれは……天使ね!」
「くっさー!」
我慢が出来ず口に出してギャリーは言った。
(ったく、女の子たちはすぐこれだ。新鮮な男が入ってくると誰でも──)
思考が停止した。
傍らでジジが小さく息を吐くのが気配でわかった。
ギャリー自身はジーンズのポケットの中でジャラつかせていたキィホルダーをギュッと握り締めた。それ以外に掴まる物がなかったから。
──そのくらい衝撃的だった。
生徒たちの好奇の目を意識するでもなく灰緑色の壁に寄りかかって立っている一人。
凄かった……!
ストロベリィブロンドを無造作に引っ詰めて一つに括った髪。
バックパックのストラップを緩やかに握っている手。(もう片方はジーンズのポケットの中だ。)
裾を出した暗緑色と赤の細かい格子のシャツの釦は三ツ目まで外して、白いTシャツを覗かせている──
つまり、〝天使〟は 決してオーバーじゃないってこと。
二〇世紀のボッティチェルリならまさにこういう風に描いたろう、とギャリーはつくづく思った。
長いことどうして学校の廊下の壁がこんな色なのか、時にはムカつく思い出見て来たけど、そうか、こいつを立たせるためだったんだな? 今、こいつの背景にはあの色以外ありえないもんな? そんなカンジ。
周囲で女の子たちの声が交叉する。
「コニー・ヘイルですって!」
「来たばっかだからまだGFいないわよね?」
「どうしよう! わたし今日、変な格好してる!」
「ヤダ! 私も、何、このヘアスタイル?」
漸くジジが口を開いた。
「へえ? 知らなかった。現実にいるんだ。あんな綺麗な男の子……」
「俺もさ、知らなかった──」
ギャリーも即座に同意した。けれど、その先は自分の胸の中だけに止めた。
── 俺が、バイだったなんて……!