◾️八月三十一日日曜日Ⅱ
「藤島さんが聞きたいことは、私がブログに書いた病院の“秘密”についてでしょう?」
「え? は、はい。そうです。病院を二回訪ねたんですが、どうにもあそこにはおかしな“氣”が漂っているような気がして……」
本当はもっと恐ろしい“怪異”の気配を感じていたのだが、あえてそう表現した。石川さんは驚く様子はなく、「やっぱり」といったふうに眉を顰めた。
「その“秘密”について話すのにも“藤島さん”のことをまず話しておかなくちゃいけないと思ってね」
「藤島さん……そのひとって、清葉病院の患者だったひとですよね?」
核心をつくように尋ねると、今度はかなり驚いた様子で「知っているの?」と目を見開いた。
「はい。昨日、病院の中でカルテを見つけたんです。藤島陽子さん——母のカルテを」
「母……? やっぱりあなた」
「はい。私は藤島陽子の娘です」
「陽子さんの娘さん……」
はっきりと、驚愕に満ちた反応を示す石川さん。だがどうして彼女がいち患者に過ぎなかった母を、そこまで覚えているのかということが気になった。
私の疑問に答えるように、彼女がすうっと大きく息を吐く。右手に握っていたお箸をカチャンと箸置きに置いて、まっすぐに私の目を見つめた。
「陽子さんは、私の同僚だったひとなの。歳は私の五歳下で、私より二年遅く清葉病院に入ってきた後輩だったけれど、同じ助産師としてとても親しくしてくれたわ」
「同僚……?」
衝撃の事実に頭が混乱を極める。
母が産婦人科で——しかも、清葉病院で働いていたなんて、知らなかった。
「母が助産師をしていたなんて知りませんでした」
「そうなの? 陽子さんは清葉病院をやめて東京のほうに行ったというのは聞いていたけれど、私はてっきり東京で助産師を続けているのかと思っていたわ」
「東京では一般企業の事務職に就いていました。仕事の内容とかはあんまり聞いたことがないのですが、総務とか経理とかそういう類の仕事だと思います。だから助産師をしていたというのは驚きです」
母から一度も、助産師をしていたという話を聞いたことがなかった私は、今まで自分の中で作り上げていた“母親像”が崩れ去るのを感じていた。
「そうだったのね。陽子さんも苦労したでしょうね。二十五年前、あんなことが起きてしまって……」
「あんなことって、もしかして流産のことですか?」
私が訊くと、石川さんは「ええ」と言いながらも驚いている様子だった。
「陽子さんはたしか、授かりにくい体質だったのよ。それで、旦那さんといろいろ試して妊活していたみたいで。その先で授かった子だったから、さぞ悲しかったでしょうね……。あなたのお兄さんかお姉さんにあたる子ね。流産のこと、お母さんに聞いていたの?」
「い、いえ。そうではなくて」
“あなたのお兄さんかお姉さんにあたる子”と彼女が言ったとき、心臓がとくんと鳴った。
そうか。このひとは私の年齢を知らない。だから母が二十五年前に流産した赤ちゃんと私の年齢の違和感を知らないのだ。
「拾ったカルテに書いてあったんです。『流産』っていう言葉が。でもおかしいんです。私、今二十五歳なんですよ。そのカルテに書かれた妊娠週数と日付を調べたら、出産予定日がちょうど私の誕生日――二〇〇〇年六月九日と一致していました。しかも母は私に、『みよ子は予定日ぴったりに生まれてきてくれた』って教えてくれたことがあるんです。だから私の生年月日に間違いはありません。でもだとしたら――母が流産したというのは、事実じゃないことになりませんか?」
今まで静かに話を聞いてくれていた石川さんの瞳が、激しく揺らいだ。
「そんな……ありえないわ。流産したのは間違いない。事実じゃないなんてことはありえない。だって、陽子さんを診ていたのは私なのよ? 同僚だし、彼女が妊娠していたのも確実で、流産したかどうかを間違えるはずがない」
早口でまくし立てるようにして話し出す。その話し方が、何かを隠しているように思えて少しの疑念が生まれる。
「じゃあ、カルテのほうが間違いだったのでは? 記入ミスで日付や週数を間違ってしまったとか。そもそもこのカルテ自体、偽物ではないでしょうか?」
鞄の中から件のカルテを取り出して見せる。石川さんは震えながらカルテを受け取り、一枚ずつ中身に目を通していった。
「このカルテは確かに本物よ。私がこの手で記入した。間違いなんかじゃない。偽物ではないわ」
私たち二人の間に、どこか肌寒い風が吹いたような気がしてはっとする。
室内なのだから、風が吹くはずがないのに。
石川さんの額に汗が浮かんでいる。自分の額も同じように濡れていることに、この時気づかなかった。




