◾️八月三十日土曜日Ⅵ
予約していたホテルは、駅前のこじんまりとしたビジネスホテルだった。一泊素泊まりで七千円。田舎の割にはまあまあなお値段だが、最近はどこのホテルもこんなものだ。その代わり、部屋は広めで掃除が行き届いていて綺麗だった。
ソファにぼふんと座り込んで、荷物を下ろす。一泊なのでたいした量の荷物ではないが、前回日帰りでやってきた時に比べると鞄が重くて大変だった。
自販機で買ったお茶を飲んで、一息つく。ホテルの中は安全地帯のように思われて、安心感に包まれた。
一眠りしようかとも思ったが、そういえば、と鞄の中身に視線が移る。
「カルテ、見てみよう」
清葉病院の診察室で拾ったカルテが、鞄の中に無造作に押し込められているのを目にして、束で取り出す。
カルテは全部で二十五枚あった。男らしい角ばった字から察するに院長が書いたんだろう。書き殴ったような筆跡なので、正直あまり読めたものではない。産婦人科なので、「7w1d」「15w5d」などの数字は、妊娠週数と日付を表すものなのだとなんとなく分かった。
すべて違うひとのカルテだろうか——と一枚ずつめくっていくうちに、最後の五枚を目にした瞬間、身体が凍りついた。
「藤島……陽子……」
そこに書かれていたのは紛れもない、母の名前だった。
「お母さんのカルテ……?」
瞬時に日付を確認する。
一九九九年十月十五日。
週数は「6w0d」となっている。
頭で計算ができない。スマホを取り出し、出産予定日から妊娠週数を割り出すことのできるサイトを調べる。確か昔、母が言っていた。
『みよ子は出産予定日ぴったりに生まれてきてくれたのよ』と。
予定日が誕生日になったなら、計算も分かりやすい。
ちょうどよいサイトを見つけたので、そこの「出産予定日」という欄に、自分の生年月日である「二〇〇〇年六月九日」を打ち込む。すると、妊娠四週から四十週——つまり、出産予定日までの妊娠週数と日付がつぶさに割り出された。
「六週〇日は、えっと……」
サイト上で、「6w0d」と書かれた箇所は上のほうにあったのですぐに見つけることができた。
“1999年10月15日”。
母のカルテの日付とぴったり合っている。
なんとなく、安堵のため息を吐く。
私には兄弟がいないから、このカルテに書かれている子どもは自分ということで間違いないのだけれど。もし計算が違っていたら、母が私を産む前に、流産などを経験していたことになる。その可能性だって十分考えられるのだし、世の中には辛い経験をしている女性だってたくさんいる。だから、母がその経験をしていなくてなんとなくほっとしたのだ。
母とはここ一年の間、ずっと顔を合わせてないのにね……。
去年、母が施設に入居する前から、母に会うことが少なくなっていた。母とは意識的に距離を置いていたところもある。東京で別々に暮らしていたが、社会人一年目でストレスを抱えながら働いている自分の姿が情けなくて、母に会うのが億劫になっていたのが理由の一つ。だけど、本当の理由はほかにもあった。
母が自分を|忘れているかもしれない《・・・・・・・・・・》と思うと、怖くて会いに行けなかった。
母のことを考えていると、思考がどんどん清葉病院から離れていっていることに気づいて、慌てて首を振った。
だめだ。今はカルテのほうに集中しよう。
再び視線をカルテに落とす。母のカルテは五枚存在していた。一枚目から三枚目まで、特に「問題なし」というような内容だった。「足のむくみ」「吐き気」などの注意書きはあるものの、目立った問題は記載されていない。至って健康な状態だったと窺われる。
異変を感じたのは、四枚目——十六週のカルテだ。
「“泣き声が聞こえる”……?」
そこには「“ ”」の符号と共に、不穏なセリフが記されていた。
書き方から察するに、母の発言だろうか?
マタニティーブルー。
そんな言葉が頭に浮かぶ。カルテの筆跡も他のカルテと違っている。今までは医者が書いていたが、この週は他のひと——おそらく助産師が記入をしたのだと思われる。
セリフのあとに、「※要相談」という注意書きがある。医者に相談をしてみるというものだろうか。おそらく、母からこの言葉を聞いた助産師も、母の精神状態が不安定であると察したのだろう。妊娠中の女性ならよくある話なのかもしれない。現に私もいま、さまざまなことで不安を感じやすくなっているように思う。
不穏な気配を覚えつつ、最後の一枚を見る。次は二十一週〇日のカルテだった。日付は二〇〇〇年一月二十八日。
視線を下へとずらし、カルテの内容を凝視した。




