1 魔王、現代に降臨す
プロローグ
剣折れ、矢尽きて尚、魔王ヴァルナクスは両の脚で立ち上がる。それは最早魔王と呼ぶには、あまりにも純粋過ぎた…むしろ勇者に等しい勇敢さを示していた。魔王は最後の力を振り絞り、手を伸ばした…
「思えば、あの時もこんな感じだったな…全く長い道のりだったわい……。」
遡ること約半年…
……
魔王ヴァルナクスは玉座の前に立ち、燃え盛る城内を見渡した。壁は砕け、黒煙が渦巻く。大地を裂くほどの激戦が続いた証がそこかしこに刻まれていた。
対する勇者アルデンは、剣を構えたまま、静かに魔王を見つめていた。その瞳には、燃え尽きることのない覚悟の炎が揺らめいている。
「……余をここまで追い詰めたのは、貴様が初めてだ。」
魔王の言葉に勇者は微かに眉を寄せる。しかし、その手の剣は決して緩まない。
次の瞬間、勇者は疾風のように駆け出した。
「はあああああッ!!」
閃光の如き斬撃が炸裂し、魔王の黒き甲冑を一筋の閃光が斬り裂いた。
「ぐっ……!」
剣の一撃は浅かったが、その衝撃は魔王の骨にまで響いた。勇者の刃はすでに神の領域に至っている。
「フン……見事な剣筋よ。だが——」
魔王は渾身の力を込め、黒雷を纏った拳を振り抜いた。
しかし——
——勇者は、消えた。
「なに……!?」
瞬間移動の如き動きで、勇者アルデンは魔王の攻撃を避け、死角から斬り込んできた。
「これで決める……!!」
勇者の剣が輝き、神域の力を帯びる——!
「ふん、こちらとてお見通しよ…くらえ!!」
魔王もまた勇者が死角から斬り込んでくることを読んでいた。もう片方の拳に渾身の力を込め、勇者に振り下ろした!
「うおおおおお——!!」
魔王の拳と勇者の剣が衝突し、城内に凄まじい衝撃が広がる……!!
刹那、城が大きく揺れた。
その瞬間、2つの膨大なエネルギーが衝突したことにより、時空が歪み、次元の裂け目である「ワームホール」が顕現する——!
「な、なんだコレは……!?」
魔王と勇者は、ともにその異変に気づく。
世界が引き裂かれるような轟音が響き、魔王の視界が歪んでいく。次の瞬間——轟音と閃光が全てを飲み込み、魔王の意識は暗転した。
……
「ここは…どこだ?」
目の前に広がる光景は、彼の知る荒廃した戦場や魔界とはかけ離れたものだった。鉄とガラスの建造物が立ち並び、舗装された道を行き交う鉄の箱。奇妙な服装の人々が、慌ただしく歩いている。
「何だこれは……全く未知の世界だな」
魔王は立ち上がり、ふらつく足取りで歩き出す。周囲を見渡すと、そこには異様な光景が広がっていた。
「…む?この者たちは何だ?」
遠くで何やら華美な装いをした集団が列を成している。金髪や銀髪、獣耳を持つ者までいる。まるで魔界の住人のようだ。さらに注目すると、彼らの手には奇妙な小箱や杖のようなものが握られている。
「まさか…この世界では魔族と人間が共存しているのか?それともこれは……宴か? それとも祝祭か? 人間たちが自らを装い、楽しげに語らい、笑い合っている……こんな光景、戦場の外で見たことがない。」
魔王はその場に立ち尽くした。やがて彼らの会話が耳に入ってくる。
「ねえ、あのコスプレすごくない!?」
「撮影OKですか?」
「コ…スプレ?」
聞き慣れない言葉に眉をひそめる魔王。しかし、彼らが危険な存在でないことを察し、ひとまず魔王は木陰に隠れて、周囲の観察を続けることにした。
その時、不意に肩を叩かれる。
ビグッ!!
「なにゃにやちゅっ!!」
ビックリして噛み倒しながら、振り向くと、そこには少し頼りなさそうな男が立っていた。身なりは小綺麗にしているものの、いかにも人間らしい小柄な姿。しかし、その目にはどこか優しさがあった。
「あのー、大丈夫ですか?具合でも悪いんですか?随分気合が入ってるコスプレイヤーかと思ったけど、すごい緊張してるみたいで……コスプレするの初めてなんですか?」
「ほほう、突然のことで混乱していたとはいえ、背後からこの余に話しかけるとは…貴様、ただ者ではないな…」
背後を取られて一瞬焦った魔王だったが、どう考えても取る足らない雑魚だったので、安心したのか、急に魔王然とした堂々とした態度で男を褒め称えた……照れ隠しである。
「あはは、僕は普通の人間ですよ。」
男は呆れたように笑った。
「いや、なんか困ってそうだったので……君のコスは見たことないやつですけど、結構気合い入ってるし、格好いいですよね。鎧の傷み具合もすごくリアルだし!それ、何のアニメのキャラですか?それとも漫画の?」
男は、魔王をコスプレガチ勢と勘違いしているようだ。
「あ、アニメ?…アニメとは何か?」
魔王は、初めて聞く言葉に困惑した。
「はははっ、随分役に入り込んでますね。そういうのめっちゃ好きなんですよねぇ。今日はそういうつもりじゃなかったんだけど……是非一枚写真撮らせてもらってもいいですか?スマホで申し訳ないんですが、宜しくお願いします!」
男は、魔王の500年モノの完璧な役作りをかなり好意的に捉えており、おもむろにスマホを取り出して、
「ハイ、ポーズ!」
「え、あっ、わ、我が名はヴァルナクス。ガルナド随一の魔法戦士にして魔族を統べるアドアルスの王である!」
不意にポーズと言われたため、慌てつつも胸を張って名乗りを上げる魔王。
「おー、良いですねぇー。風格があって、もはや本物の魔王ですよ!!」
男はスマホで撮影しながら、笑顔で魔王を褒めちぎった。
「当たり前だ!余は本物の魔王だぞ!!」
魔王は、威厳を示すため、胸を張り、拳を突き上げた。
「もちろん!あ、そのポーズ凄くいいですよ!!」
(…よく分からぬが、褒められている様だ。まぁ悪い気はせんな…)
ちょっと良い気分になっていると、突然魔王の目の前を金髪で清楚でありながらどこか魅惑的な衣装を着た女性が通り過ぎた。
「う、美しい……」
その美しさに思わず魅了され、顔を赤らめ、呆然と立ち尽くす魔王……。
「もしかして、ロジータちゃんに推しなの?さすが魔王様、お目が高い!!」
どうやら美女の名前は、ロジータというらしい。この男も魅了されているのか、異常に鼻息が荒い。
「おお、そうか、ありがとう……」
(やはり、褒められるのは悪い気がしないが……「推し」って何だ?)
「『転サキュ』の第三期のロジータちゃんの作画はマジで神ってて最高だったからね!それに……」
興奮した男がどんどん語りかけてくるので、魔王は慌てて会話を遮った。
「ちょ、ちょっと待て!さっきからアニメ、アニメと言っているが、それは一体何なのだ?それに、ここは何をする場所なのだ……?」
男は首をかしげ、しばらく考えた後、鞄からイベントのパンフレットを取り出し、説明を始めた。
「えーっとね…ここはコミケって言って、アニメとか漫画のイベントなんだ。君ほど気合の入ったコスプレをしている人はそうはいないけど、どう見ても初心者だもんね…っていうか……君はまるで……い、いや……」
男は何かを言いかけたが、言葉を飲んだ。
「ほう……それがこの世界の文化というものか…… して、アニメとは何ぞや?」
魔王は、パンフレットを見たものの、そもそも基本的な単語が分からないので、何一つ理解ができなかった…。
「んー…そうだなぁ……もしロジータちゃんに興味があるなら、あっちにある漫画喫茶で見てみなよ。百聞は一見に如かず。そうすれば、アニメが何か分かるよ」
男はポケットから二千円札を取り出し、魔王に差し出した。
「これくらいあれば、何本か見られるよ。使い方が分からなければ、店員に聞けばいいから」
魔王はその紙幣をじっと見つめた。
(これがこの世界の通貨なのだろうか?)
慎重にそれを受け取ると、男に向かって深く頷いた。
「しかしこれは、貴重なものなのではないか?見ず知らずの余にたくさんの知識を与えてくれた。この上、さらに金銭まで受け取るとなると……人間よ、いくら余が魔王であっても、さすがにこれは貰いすぎだ…」
魔王は、柄にもなく少し遠慮してみた。
「アハハ、別に気にしなくていいんだけど……それに“人間”って……やっぱり、君って……いや、違ってたら恥ずかしいからな……んー……ま、まあ、同じロジータちゃんの信者だからね。信者同士のよしみってことにしておいてよ」
「信者!?」
(どうやらロジータとやらは、この世界の宗教指導者のようだ。余の一族は、10万年以上前から邪神を崇拝しておるから、宗教の勧誘的なやつだと、ちょっとまずいんだけどなぁ…)
「ハハハ、信者ってのは、熱狂的なファンってことだよ。ファンは助け合いでしょ?」
魔王が『信者』という言葉に困惑しているのを察した男が補足説明をしてくれた。
「なんだ、そういうことか…」
魔王のホッとした顔を見ると男は少し照れながら、
「君と話してたら、本当に異世界の魔王と話してるみたいだよ……久しぶりにすごく楽しかったよ……これはそのお礼だと思って受け取ってよ。君も楽しんでおいで。じゃ!」
男はそのまま人混みの中に消えていった。その背中を見送りながら、(男よ、この恩は必ず返す…)魔王はそう心に決めた。
その数分後、魔王は小さな建物——いわゆる漫画喫茶に足を踏み入れていた。そこには狭苦しく思えるほど、壁一面に書籍が並んでいた。
魔王、異世界でコミケを初体験……
続く…