16 魔王、日常を晒す(その2)
魔王は、師匠との約束である洗濯をやらずに、SSRサポートカードの2枚抜きを祝うために、真っ昼間から酒をあおり、夕方まで昼寝をしてしまった。その悪行が師匠に見つかり、絶体絶命の窮地に立たされた魔王は、とりあえず逃亡してみた。しかし財布とスマホを忘れて出てきてしまったため、何も出来ず、夜の住宅街を右往左往していた。
そうこうしていると電柱の影から、奇妙な気配を感じた。
「何やつ?」
「……お、お前、ワシが見えるのか」
影の中から現れたのは、血まみれの幽霊のような存在だった。
「ああ、バッチリ」
「こ、怖くないのか?」
魔王が幽霊を視認して話しかけてきたので、幽霊はビックリしているようだ。
普通の人間は、幽霊を視認することすらできず、仮に視認出来てもそのおぞましい姿に恐れおののくのだが、魔王は魔王なので幽霊を見たところで特に驚かず、平然としている。
「当然じゃ、余は魔王だからな!」
(余は魔王にして、杉並の真の支配者でもあるからなぁ……ここはいっちょ解決してやらねばなるまい!)
「ま、魔王!?なんじゃそりゃ?」
いきなり魔王と言われると幽霊でも驚くらしい。
「魔界の王に決まってんだろ。他のどこに魔王がいるんだ?……そんなことより、お主は何故こんなところを彷徨っているのだ?地縛霊か?」
「いや、むしろこんなところに魔王がいる方がビックリなんですけど……」
未だに魔王の存在が信じられない様子。
「幽霊のくせにいちいち驚かなくていいから……で、何があったの?」
「いや、魔王って言われても……」
「お前、しつこいな……!消すぞ、コラ!?」
段々イライラしてきた魔王は、左手に光の闘気を纏わせ出した。
「ひっ……わ、分かりました!話します、話しますので、消さないでください!!」
魔王のただならぬ雰囲気に得体の知れない恐怖を感じ、とりあえず平謝りする。
「よし、ならばとっとと話せ」
急に穏やかになる情緒不安定気味の魔王。
「実はこの世に未練があって……」
幽霊は、自分が地縛霊になった理由を静かに語り始めた。
どうやら生前、恋人にプロポーズしようと待ち合わせ場所に行く途中で、自動車にはねられて死んでしまったらしい。
「彼女を幸せに出来なかったことが、無念で、無念で……今となっては、待ち合わせ場所も彼女の顔も思い出せず……ううっ……ここは一体!?」
涙ながらに無念を語る幽霊。
「そうか、そうか……それはさぞかし無念であろう」
魔王はうんうんと頷きながら、幽霊の話を聞いてあげている。
(こういう存在には、むやみに力を振るのでなく、あの世にいけるように、優しく導いてやれねばならない…。)
というのが魔王のポリシーらしい……既に魔王の脳内では、つい先程、なかなか魔王と信じてもらえなかった時に、イラついて「消すぞ」とむやみに力を振るおうとしていたことは、消されている。
(この世に迷えしものは、生ある者があるべきところへ送ってやらねばならない。この世界では供養というらしいが……)
「お主、死んでからどれくらい経っているかわかるか?」
一通り幽霊の話を聞き終わると、穏やかな口調で質問を始めた。
「えっ?そ、それは……あれ?」
答えられずに狼狽する幽霊。
「では、お主、自分の名前は覚えているか?」
「……え……?」
幽霊は自分の名前を答えられず愕然としている。
「やはりな……」
「で、でも、この思いを伝えなければ、無念でならないのです!!」
「肉体は既に果て、この世に残っているのは、お主のその無念なる想いのみだ。名前も思い出せないとなれば、死んだのは随分前なのだろう。ひょっとするとお主のその想いを伝えたい相手も最早この世におらんかも知れん」
「そ、そんな……でも無念で……何とかして想いを……」
幽霊は、厳しい現実を受け入れられず、必死に何かに縋ろうとしている。
「……いかにこの世に未練があろうと、死したものは行くべきところへ行かねばならぬ……そこに行けば、そのような未練も露と消えるであろう……」
魔王は、幽霊に同情しつつも死者のあるべきところを示す。
「…し、しかし…」
幽霊は、魔王と話しているうちに、魔王から放たれる清浄なるオーラにより、大分心が落ち着いてきたようだ。まだ多少の未練はあるものの、徐々に成仏する方向に向かっている。
「成仏したいのなら、余が手を貸そう…。余なら良いところを送ることもできよう……」
魔王から穏やかな光が溢れ出し、幽霊を包んでいく。
「あぁ……なんと心地よい……分かりました。宜しくお願いします……」
その言葉を聞くと、魔王はゆっくりと幽霊に手をかざし、浄化の魔法を詠唱する。すると幽霊はみるみるうちに穏やかな顔になり、光となって消えていった。
「ありがとうございます、魔王さま。お陰でやっと成仏することができます…」
最後にそう言い残し、幽霊は天へと召された。
「……向こうで達者に暮らせよ。」
魔王は、消えゆく光に向かって、思わずそんな言葉をかけていた。
「魔王である余が、この世界の幽霊に気を遣うとは……ふふ、これもまた杉並の真の支配者としての務めか……」
そんなことを考えながら、公園を横切った時、魔王は大切なことに気がついた。
「まずい9時50分だ!」
リアタイで見なければならないアニメがもうすぐ始まってしまう。
神速をもって帰宅すると、師匠が声をかけてきた。
「何やってんのよ、早くこっち来なよ。始まっちゃうよ!」
「おお……」
師匠は相変わらず、小言が多くてうるさい。しかし、そういう日常が、案外悪くないと思う自分もいる。
こうして魔王の夜が更けていく……
魔王、日々是充実す。
続く…。